第十九話 頭のない歌人と、白銀の名の狼
組織において、肩書きや名前というものは、単なる識別記号以上の意味を持つ。
「部長」と呼ばれれば部長らしく振る舞い、「ポチ」と呼ばれれば尻尾を振るのが生物の性だ。
名前は呪である、とは陰陽道の言葉らしいが、吾輩もその通りだと思う。
吾輩はダンジョンである。
新入りのリッチ、色部パープルは、早速そのポンコツぶりを遺憾なく発揮していた。
彼女の主な業務は、中層での魔法的防衛と、配下となるアンデッドの生成である。
彼女は、獣の死骸や冒険者の遺骨を使って、スケルトンやゾンビを作り出すことができる。これは非常に助かる。スライムだけでは人手不足だったからだ。
だが、問題は彼女の「美的感覚」にあった。
『やはり、壺では雅ではない』
彼女は毎日、自分の「頭」を取り替える。
ある日は、カボチャ。ある日は、ヴォルグが脱ぎ捨てた鱗で作った兜。
またある日は、光る苔の塊。
今日は、冒険者が落としていった「クマのぬいぐるみ」の頭部を、無理やり首にねじ込んでいた。
死霊の騎士の体躯に、ファンシーなクマの顔。
狂気である。
遭遇した冒険者が、悲鳴すら上げずに泡を吹いて倒れるレベルのシュルレアリスムだ。
『クマの顔 可愛けれど 視野狭し 前の柱に 小指ぶつけつ』
――頼むから、普通の兜にしてくれ。
――見ていて精神が削れる。
そんな彼女の様子を、物陰からじっと見つめる視線があった。
シャドウウルフである。
彼女は、このところ元気がなかった。
食欲はあるし(ゴブリンからネズミを巻き上げている)、毛艶もいい。だが、どこか満たされない目をしている。
ある夜。
パープルがクマの頭を外して手入れをしている横で、シャドウウルフが吾輩に念を送ってきた。
『……主よ』
――どうした。腹が減ったか。
『違う。……不公平だ』
――何がだ。
『あのトカゲには「ヴォルグ」という名がある。この骨女にも「パープル」という名がある。……だが、私にはない』
彼女は、悔しげに爪で床を削った。
『私はただの「シャドウウルフ」だ。種族名だ。それは「犬」とか「狼」と呼ばれているのと変わらん。私は、主の最初の眷属であり、最強の忠臣であるはずだ。なのに、なぜ新入りどもには名があって、私にはないのだ』
なるほど。嫉妬か。
可愛いところがあるじゃないか。
確かに彼女は、吾輩がまだ弱小だった頃からの付き合いだ。
傷ついた親子を拾い、魔力を分け与え、共にあの「プロ三人組」や「魔王軍」を撃退してきた戦友である。
――すまん。気が回らなかった。
――名が欲しいか。
『欲しい。……主がつけてくれるなら、それが私の魂の形になる』
彼女は、期待に満ちた瞳(今は蒼い炎だが)で天井を見上げた。
名前か。
吾輩はネーミングセンスに自信がない。
「ポチ」とか「クロ」では、彼女のプライドが許さないだろう。
かといって「デストロイヤー」みたいなのも中二病くさい。
彼女の姿を見る。
漆黒の闇のような毛並み。
だが、その奥底には、かつて銀色の毛並みを持っていた頃の誇り高い輝きが眠っている。
闇に染まってもなお、失われない潔白さ。
白。
ブラン。
――「ブランカ」はどうだ。
『ブランカ……』
彼女が口の中で反芻する。
――かつての銀色の毛並みを忘れないように。そして、闇の中でも輝くように。
『ブランカ。……ブランカ!』
彼女の尾が、激しく振られた。
『良い名だ。響きが良い。強そうだ。……感謝する、主よ!』
その瞬間である。
彼女の体が、眩い光に包まれた。
名付け(ネーミング)。
それは、上位の存在が下位の魔物に名を与えることで、魔力のパスを太くし、新たな進化を促す儀式。
光が収まると、そこには一回り大きくなった狼が立っていた。
漆黒だった毛並みの先端が、霜が降りたように銀色に輝いている。
額には、三日月の紋様。
蒼い瞳は、より深く、知性的な光を宿していた。
種族進化。
『月影の魔狼(ムーン・シャドウ)』への昇格である。
『力が……湧いてくる』
ブランカと名付けられた彼女は、一声、遠吠えを上げた。
ワオォォォォォン!
その声はダンジョンの隅々まで響き渡り、スライムたちが畏怖で震え、パープルの頭に乗っていたクマが転げ落ちた。
『あなや。……見事な遠吠えかな。主殿、また一人、頼もしき(そして騒々しき)仲間が増えたようですな』
パープルが、慌ててクマを拾いながら言った。
最奥では、ヴォルグが寝ぼけ眼で顔を上げた。
『ん? なんだ、あの犬っころ、少しはマシな顔つきになったではないか。……まあ、我の次席くらいは認めてやろう』
ブランカは、誇らしげに胸を張り、子供たちの元へ戻っていった。
子供たちも、母の新しい名前と姿に、はしゃいで飛びついている。
一件落着だ。
吾輩は、ほっと息をついた。
だが、ふと気づく。
トカゲには、ヴォルグ。
骨には、パープル。
狼には、ブランカ。
ゴブリンには……まあ、ゴブリンでいいか。
そして、吾輩は?
吾輩には、名前がない。
ただの「ダンジョン」。あるいは「B+指定物件」。
誰も吾輩を個体名で呼ばない。
少しだけ、寂しい気がした。
名付け親である吾輩が、名無しとはこれいかに。
『名もなきは それはそれでまた 奥ゆかし 全てを包む 闇の器よ』
パープルが、クマの頭を小脇に抱えながら、珍しくまともな歌を詠んだ。
――調子のいいことを言うな。
――あと、そのクマは早く捨てろ。
吾輩はダンジョンである。
名前はまだない。
だが、この賑やかで、ポンコツで、手のかかる家族たちの「家」であるという呼び名だけで、今のところは十分かもしれない。
……いつか、誰かが吾輩にも、素敵な名前をつけてくれる日を夢見て、今日は眠ることにしよう。
あ、ブランカ。
進化したからって、壁で爪研ぎをするのはやめろ。
威力が上がっていて、普通に痛いぞ。




