第十六話 転売ヤーの帰還と、ドラゴンの抜け殻ビジネス
「大は小を兼ねる」という言葉があるが、あれは嘘だ。
少なくとも住環境においては、デカい同居人というのは邪魔なだけである。
通路は塞ぐし、足音はうるさいし、何より「生活ゴミ」の量が半端ではない。
吾輩はダンジョンである。
新任の階層主、レッドドラゴンのヴォルグこそ、まさにその「大」であった。
このトカゲ、とにかく代謝が良い。
若竜だからなのか、成長期なのか知らないが、ボロボロと鱗が剥がれ落ちる。
人間で言えばフケみたいなものだが、サイズが違う。一枚が鍋の蓋くらいある。しかも硬い。
それが、最奥の広間の床一面に散乱しているのだ。
『おい、ダンジョン。掃除をしろ。寝心地が悪い』
ヴォルグが欠伸混じりに文句を言う。
お前の垢だろうが。自分で片付けろ。
と言いたいところだが、スライムに掃除させようにも、鱗が硬すぎて消化できない。ゴブリンに運ばせようにも、重すぎて腰をやる。
結果、吾輩の威厳ある最奥部は、なんだか散らかった爬虫類館の様相を呈していた。
そんな折である。
あの女が帰ってきたのは。
B+ランク指定。プロ冒険者以外立ち入り禁止。
そんな厳戒態勢の入り口を、そそくさと抜けてくる影があった。
小柄な体躯。目立たない灰色の迷彩ポンチョ。そして、足音を殺すフェルト底の靴。
樋口フタバ。あの採取屋の小娘だ。
靴底の薄さは相変わらずだが、背負っているリュックの容量が倍になっている。
――おい、待て。
――ここはもう、お前のような素人が来ていい場所ではない。
吾輩は警告の意味で、入り口の風圧を高めた。
だが、フタバは動じない。懐から一枚のボロボロの布切れを取り出し、掲げた。
それは、ゴブリンの腰布の切れ端だった。
しかも、何やら汚い文字で『通行許可証』と書いてある。
――あの馬鹿め。小遣い稼ぎに売りおったな。
フタバはニヤリと笑い、その布を頭に巻いた。
すると不思議なことに、ダンジョン内の魔物たちが彼女を「風景」として認識し始めた。
ゴブリンの体臭が染み付いたその布は、一種の「仲間認識フェロモン」を発していたのだ。
「よし、匂いよし。ルートよし」
フタバは小声で確認し、慣れた足取りで進んでいく。
彼女は戦わない。
スライムがいれば、塩を撒いて道を空けさせる。
コウモリが来れば、超音波を乱す笛を吹いて混乱させる。
そして、シャドウウルフの縄張りは、彼女らが昼寝をしている時間帯を完璧に計算して、匍匐前進で抜け切った。
その動きは、冒険者というより「害虫駆除業者」か「空き巣」のプロフェッショナルに近い。
吾輩は感心するより先に、呆れた。
人間の「銭への執着」は、時にドラゴンの火炎よりも障害物を焼き払うらしい。
そして、彼女は辿り着いた。
最奥部。黄金(黄鉄鉱)の上で、ヴォルグが惰眠を貪っている大広間へ。
普通の人間なら、ドラゴンの姿を見た瞬間に足がすくむ。
「ドラゴンの威圧」は、生物としての格の違いを魂に刻み込むからだ。
だが、フタバは違った。
彼女の目が、カッ! と見開かれた。
その瞳に映っているのは、恐怖の対象としてのドラゴンではない。
「歩く札束」としてのドラゴンだ。
「……すごい」
フタバが震える声で呟く。
「本物のレッドドラゴン……! しかも、床を見て! 宝の山じゃない!」
彼女が指差したのは、ヴォルグの剥がれ落ちた鱗だった。
「竜鱗! 一枚で金貨十枚は堅い! あっちには竜の爪の破片! こっちには竜の涎が染み込んだ石!」
フタバは、音もなく忍び寄り、床の鱗に手を伸ばした。
重く乾いた音が響く。
『……ん?』
ヴォルグが片目を開けた。
黄金の瞳孔が収縮し、眼前の小娘を捉える。
『……鼠か? いや、人間か』
ヴォルグが首をもたげる。
鼻孔から、黒い煙が漏れ出した。
『貴様、何の用だ。我が眠りを妨げるなら、灰にするぞ』
絶体絶命だ。
いかにゴブリンの布を持っていようと、ドラゴンの前では無意味だ。
吾輩は、少しだけ同情した。
強欲な最期だったな、小娘。せめて骨は拾ってやろう。
だが、フタバは逃げなかった。
それどころか、その場に平伏し、両手を広げて叫んだ。
「おお……! なんと神々しい!!」
『……は?』
ヴォルグが動きを止めた。
「この圧倒的な威圧感! 燃えるような紅蓮の鱗! これぞ、伝説に聞く『破壊の王』のお姿……! ああ、まさか生きて拝見できるなんて、私はなんて幸せ者なのでしょう!」
フタバは涙まで流して(目薬かもしれない)、感動を演じてみせた。
『……ほう?』
ヴォルグの鼻息が、少し穏やかになった。
このドラゴン、傲慢だが、おだてに弱い。チョロいのだ。
「偉大なる竜王様。私のような卑しい人間が、御前に立つ無礼をお許しください。ですが、あまりの美しさに、つい引き寄せられてしまいまして……」
『ふん、まあよい。人間にしては、見る目があるようだな』
ヴォルグは首を反らし、わざとらしく翼を広げてポーズを取った。
『見るがいい。これが最強種族の輝きだ』
「ははーっ! ありがたき幸せ!」
フタバはひれ伏しながら、上目遣いでヴォルグの足元を見た。
「しかし……竜王様。僭越ながら申し上げますと」
『なんだ』
「その美しい寝床(ただの黄鉄鉱の山)が、少々散らかっておられるようです。これでは、竜王様の威光が曇ってしまいます」
フタバは、散乱する鱗を指差した。
「私が掃除をさせていただいてもよろしいでしょうか? もちろん、ゴミ(お宝)は私が責任を持って処分(転売)いたしますので」
『掃除? 人間が、我が世話をするというのか?』
ヴォルグは疑わしげに目を細めたが、すぐに鼻を鳴らした。
『……まあ、よいだろう。このダンジョン(大家)は気が利かんからな。特別に許可してやる』
――おい。
――気が利かないとはなんだ。お前が散らかしすぎなんだよ。
許可が出た瞬間、フタバの動きが変わった。
リュックから巨大な麻袋を取り出し、目にも止まらぬ速さで鱗を回収し始めた。
「失礼します! あ、ここもお邪魔します! お尻の下、失礼します!」
猛烈な勢いでゴミ(高額素材)が袋に詰め込まれていく。
ヴォルグが呆気にとられている間に、広間の床はピカピカになった。
「ふう、スッキリしましたね! これでお昼寝も快適ですよ!」
フタバは満面の笑みで、パンパンに膨らんだ袋を背負った。
総重量は相当なはずだが、火事場の馬鹿力ならぬ、銭場の馬鹿力である。
『うむ。……悪くない』
ヴォルグは綺麗になった床を見て、満足げに頷いた。
これで帰ればいいものを、フタバの商魂はここで終わらなかった。
彼女は、懐から「魔法の写し絵機」を取り出した。
「竜王様、記念に一枚、その勇姿を収めさせていただきたいのですが」
『写し絵だと? 我を撮るのか?』
「はい! この『威厳』を、地上の愚かな人間たちにも見せつけてやるべきかと!」
『……ふむ。愚民どもに、我が恐怖を刻み込むのも一興か』
ヴォルグは、まんざらでもない顔で顎を引いた。
「あ、もう少し右を向いていただけますか? そう、翼を広げて……あーっ、かっこいい! 最高です! 目線くださーい!」
写し絵機が光を放つたび、ヴォルグは角度を調整し、顔を作り直した。
『こうか? この角度か?』
ヴォルグがキメ顔を作る。
『我の炎も撮るがよい』
小規模なブレスを吐いて演出まで加える。
――何をやっているんだ、こいつらは。
吾輩は、天井から砂を落としてやりたい衝動に駆られた。
ここは「恐怖の迷宮」の最深部だぞ。
なんでグラビア撮影会が行われているんだ。
フタバは十分に撮影した後、今度は空き瓶を取り出した。
「竜王様、喉が渇いておられませんか? よろしければ、ここに息を吹きかけていただけますか?」
『? こうか? ハァー』
彼女は瓶に蓋をした。
『竜の吐息』の採取完了である。錬金術の素材として、馬鹿みたいな値段がつくやつだ。
「ありがとうございます! いやー、竜王様は本当にお心が広い!」
フタバは揉み手をしながら、リュックを担ぎ直した。
「では、私はこれで失礼いたします。……あ、これ、つまらないものですが」
彼女は帰り際に、大きな肉の塊(高級ハムの原木)を置いていった。
先行投資というやつだ。
『うむ。苦しゅうない。……また来て、掃除をするがよい』
ヴォルグはハムを齧りながら、上機嫌で尻尾を振った。
フタバは、深々と一礼し、重量オーバーの荷物を背負って、よろめきながらも脱兎のごとく去っていった。
その背中からは、「勝った」「大勝利」「家が建つ」という邪悪なオーラが立ち昇っていた。
嵐が去った後。
ピカピカになった床と、ハムを食うドラゴンが残された。
――……おい、ヴォルグ。
吾輩は、思わず念を送った。
――お前、それでいいのか。威厳とか、プライドとか。
『ん? 何がだ』
ヴォルグは口の周りを舐めながら答えた。
『崇拝者が貢物を持ってきて、寝床を掃除していった。王として当然の扱いではないか』
……ダメだこいつ。
幸せな奴だ。
自分が「体よく利用された」ことに気づいていない。
数日後。
街の市場では、奇妙な商品が出回ったという噂が、風の便り(冒険者の会話)で届いた。
「おい、見たか? 『竜王様のブロマイド』だってよ」
「『魔除けになる』って売り文句らしいぞ。一枚、銀貨五枚もするのに飛ぶように売れてるって」
「あと、『竜王の聖なる垢(鱗)』を煎じて飲むと精力がつくとか……」
吾輩の胃の中で、勝手にアイドルビジネスを展開するな。
しかも、収益が吾輩には一銭も入らないのが腹立たしい。
だが、まあ……。
最奥部の床が綺麗になったことだけは、認めてやろう。
吾輩はダンジョンである。
「カネの亡者」というのは、時に魔物よりもタチが悪く、そして時に、魔物よりも役に立つ生き物らしい。
次に彼女が来た時は、せめてテナント料として、肉をもう少し置いていかせようと思う。
……あ、ヴォルグ。
そのハムの包み紙、食うな。腹を壊すぞ。




