第十五話 『ヌシ』の発生と、中間管理職の悲哀
頼んでもいないのに送られてくる歳暮のハムのように、あるいは、忘れた頃にやってくる自治会の役員当番のように、世の中には「拒否権のない割り当て」というものが存在する。
それは組織が大きくなればなるほど、システムという名の強制力を伴って、個人の生活領域を侵食してくるものだ。
吾輩はダンジョンである。
この身は単なる自然の空洞ではなく、世界の理に組み込まれた魔力循環機関の一部らしい。
先日、国から「B+ランク」という不名誉な勲章――彼らにとっては名誉なのだろうが――を授与されたことで、吾輩の内部では、ある劇的な変化が起ころうとしていた。
予兆は、深層部の胃もたれから始まった。
最奥の大広間、普段はシャドウウルフが寝床にしている場所に、異様な熱量が溜まり始めたのだ。
マグマを飲み込んだような、焼けるような不快感。
そして、吾輩の魔力が、吾輩の意志とは無関係に、そこへ急速に吸い上げられていく。
――なんだ。何が起きる。
――やめろ、そこは貯蓄用の魔力だ。勝手に使うな。
抵抗は無意味だった。
システムが告げる。
『ランク上昇を確認。規定魔力値に到達。階層主の生成を開始します』
生成、だと?
聞いていない。
吾輩は家主だぞ。同居人を増やすなら、事前に相談くらいあって然るべきだろう。
だが、事態は瞬く間に完了した。
広間の中央で、魔力が渦を巻き、赤熱する光の塊となる。
光が弾け、周囲の空気が爆発的に膨張した。
そこに立っていたのは、一頭の龍だった。
全身を覆うのは、燃え盛る炎のような紅蓮の鱗。
背中には、コウモリとは比較にならないほど巨大で強靭な翼。
長くしなやかな首の先にある頭部は、王冠のような角を戴き、黄金の瞳が傲慢な光を放っている。
レッドドラゴン。
魔獣の頂点に君臨する種族だ。
まだ若く、成体になりきっていないサイズだが、それでも吾輩の広間が狭く感じるほどの威容を誇っている。
龍は、長い首を巡らせ、吾輩の内部を見回した。
そして、鼻孔から煙を噴き出し、最初の言葉を発した。
『……狭い』
第一声が文句か。
『それに、湿気ている。カビ臭い。なんと貧相な住処だ。ここが我の城か? 冗談ではない』
龍の言葉は、物理的な振動となって壁を打った。
不愉快だ。
実に不愉快だ。
吾輩が丹精込めて作り上げたこの適度な湿度と閉塞感を、貧相呼ばわりとは。
龍は、偉そうに翼を広げた。
『我はヴォルグ。破壊と炎の化身なり。今日よりこの迷宮の「主」として君臨する』
勝手に決めるな。主は吾輩だ。お前はテナントだ。
異変を察知した住人たちが集まってきた。
シャドウウルフが、子供たちを背後に隠しながら、低く唸り声を上げる。
ゴブリンは、龍の放つ「ドラゴンの威圧(ドラゴン・フィアー)」に当てられ、腰を抜かして震えている。
ヴォルグは、シャドウウルフを見下ろし、鼻で笑った。
『ふん、薄汚い犬か。……まあよい。我が眷属として使い潰してやろう。跪け、雑種』
空気が凍った。
シャドウウルフの蒼い瞳が、侮蔑と敵意で細められる。
彼女は吾輩の契約者だ。吾輩以外の命令を聞く義理はない。ましてや、ぽっと出の新入りになど。
『……断る』
シャドウウルフが吐き捨てる。
『私の主は、このダンジョンそのものだ。貴様ではない、トカゲ』
ヴォルグの黄金の瞳が、怒りで赤く染まった。
『……トカゲ、だと? 王たる我に向かって?』
喉の奥で、業火が渦巻く気配がした。
まずい。
こいつ、室内で火を吐く気だ。
――やめろ! 火気厳禁だ!
――換気設備が整っていないんだ!
吾輩の静止も虚しく、ヴォルグは口を大きく開けた。
『灰になれ!』
紅蓮の炎が奔流となって吐き出された。
熱波が広間を舐める。
苔が一瞬で炭化し、スライムが蒸発する悲鳴が聞こえた。
シャドウウルフは影に潜って回避したが、広間の壁は黒く焼け焦げ、美しい鍾乳石が熱で砕け散った。
吾輩の胃壁が焼かれる激痛。
そして何より、内装を台無しにされた怒りが頂点に達した。
――この、馬鹿トカゲが……!
吾輩は、ただの舞台装置ではない。
この空間の支配者だ。それを思い知らせてやる必要がある。
作戦名:『酸欠と不完全燃焼』。
吾輩は、広間に繋がるすべての通気孔を、物理的に閉鎖した。
岩盤を動かし、空気の入り口を塞ぐ。
同時に、地下水脈の水門を開放し、広間の床に冷水を流し込んだ。
焼け石に水。
当然、猛烈な水蒸気が発生した。
逃げ場を失った熱気と煙、そして濃密な水蒸気が、広間に充満していく。
サウナ状態である。
それも、換気の悪い、煙たい、最悪の蒸し風呂だ。
『ぐ、ぬ……!?』
ヴォルグが咳き込んだ。
龍は火に強い。だが、呼吸をする生物である以上、酸素は必要だ。
自らが吐いた炎が酸素を食い尽くし、さらに煙が逆流してくる。
『けほっ、ごほっ! な、なんだこの煙は! 息ができん!』
当たり前だ。密室で火遊びをするからだ。
ヴォルグは翼を羽ばたかせて空気を入れ替えようとしたが、狭い広間では翼が壁にぶつかるだけで、かえって煙を撹拌する結果にしかならない。
巨体が仇になった。
一方、シャドウウルフは素早かった。
彼女は影渡りの能力で、煙の届かない天井付近のわずかな隙間に避難し、冷ややかな目で見下ろしている。
ゴブリンは……まあ、水に顔をつけて必死に耐えている。強く生きろ。
『ぐ、うぅ……! やめ、やめろ……! 我が悪かった……!』
ヴォルグが膝をついた。
プライドの高い龍が、酸欠と煙たさで涙目になっている。
情けない姿だ。
これが「ヌシ」の姿か。笑わせる。
吾輩は、ゆっくりと通気孔をわずかに開けた。
新鮮な空気が流れ込む。
ヴォルグは、陸に上がった魚のように口をパクパクさせて、空気を貪った。
『はぁ、はぁ……。き、貴様……ダンジョン風情が、主に逆らうか……』
まだ減らず口を叩くか。
だが、その声には先ほどまでの傲慢さは消え、恐怖と困惑が混じっていた。
彼は理解したのだ。
ここでは、吾輩こそが環境であると。
シャドウウルフが、天井から音もなく着地した。
濡れた毛皮をブルブルと震わせ、ヴォルグの鼻先に牙を突きつける。
『わかったか、新入り』
彼女は冷たく言い放った。
『ここでは、お前の炎など、焚き火以下の価値しかない。主の機嫌を損ねれば、寝ている間に圧死させられるぞ』
ヴォルグは、悔しげに爪を床に食い込ませたが、反論はしなかった。
彼は賢い。
状況不利を悟る知能はあるようだ。
『……わかった。認めよう』
ヴォルグは不貞腐れたように顔を背けた。
『我は、ここの装飾品として甘んじてやる。……だが、条件がある』
まだ条件をつけるか。
ゴブリンといい、こいつといい、最近の若い魔物は権利主張が激しい。
『我は高貴な龍だ。苔の上で寝るのは御免だ。……黄金を用意しろ。金銀財宝の山の上でなければ、安眠できん』
黄金。
そんなもの、ウチにあるわけがない。
あるのは冒険者が落とした銅貨と、ゴブリンが集めたガラクタだけだ。
しかし、ここで断れば、また癇癪を起こされても面倒だ。
吾輩は、スライムたちに指令を出した。
――おい、黄鉄鉱を持ってこい。
――あと、雲母の混じった光る石だ。それを山盛りにしろ。
スライムたちが、せっせと「金色の石」を運び込み、ヴォルグの寝床に積み上げた。
本物の金ではない。
だが、薄暗いダンジョンの中で見れば、それなりにキラキラして見える。
いわゆる「子供騙し」である。
ヴォルグは、積み上げられた偽の財宝を見て、満足げに鼻を鳴らした。
『ふん、まあよかろう。成金趣味だが、ないよりはマシだ』
お前には審美眼もないのか。
だが、彼はその山の上にどっかりと腹を乗せ、丸くなった。
どうやら、光るものなら何でもいいらしい。
チョロい奴だ。
こうして、吾輩のダンジョンに、厄介な「ヌシ」が定住することになった。
破壊力は抜群だが、使い勝手は最悪。
狭い場所では飛べず、火を吐けば自分が窒息する。
まさに「大艦巨砲主義」の時代遅れな遺物のような存在だ。
しかし、彼が最奥に鎮座しているだけで、ダンジョンの「格」が上がったように見えるのも事実だ。
いわゆる「客寄せパンダ」ならぬ「客寄せドラゴン」である。
夜。
静まり返った広間で、ヴォルグはいびきをかいて寝ている。
その横で、シャドウウルフの子供たちが、恐れを知らずにドラゴンの尻尾にじゃれついている。
ヴォルグは鬱陶しそうに尻尾を振るが、本気で追い払おうとはしない。
意外と、子供には甘いのかもしれない。あるいは、単に反応するのが面倒なだけか。
吾輩は、黒焦げになった壁を見つめ、深いため息をついた。
リフォームが必要だ。
また、ゴブリンを働かせなければならない。
吾輩はダンジョンである。
上から押し付けられた役員が、必ずしも有能とは限らない。
だが、組織というのは、そういう「お飾り」をどう上手くおだてて、実務から遠ざけるかで回っていくものなのだ。
とりあえず、明日は彼に「湿気対策」として、自身の体温で広間を適温に保つ仕事を任せてみよう。
「君にしかできない重要な任務だ」とでも言えば、喜んでエアコン代わりになってくれるに違いない。




