最初の呪い
「あんのクソジジイ強いな。仕留めきれない奴は久しぶりだ」
そんな口汚い言葉を聞きながら、私は地に伏していた。
なんてことはない、すぐにやられてしまったのだ。相も変わらずに言い訳をさせてもらえるのなら、少女は――――ナナキはこの頃から尋常ではない力を持っていた。少なくとも一騎打ちでナナキに勝てる者はこの頃からいなかっただろうね。
何より、連れている神様がとんでもない奴だった。
「……イルヴェング=ナズグル」
「お? なんだお前、ナズグルのこと知ってんのか」
「……有名だからね」
神話の雷とまで称された神界戦争時代の古神、イルヴェング=ナズグル。その名の通り万雷を操り世界中で大暴れした怪物だ。殺された神は百を超えると聞いたし、その実力を知った今ではそれは真実であったのだろうと得心もいく。
漆黒の雷神はナナキの後ろに静かに控えていた。巨大な漆黒の騎士甲冑、その威圧感は凄まじいものだった。あんなものをたった一人で、それもあれだけ幼い子供が倒したというのだから目も耳も疑ったよ。ただあの二人の関係は従える、という言葉には当て嵌まらないようだったけど。
「助けに来ないなクソジジイ。お前嫌われてんのか?」
「……お前じゃなくてエンビィ」
「あん? ……おお、名前か? ナナキの名前はナナキだ」
「話は通じるみたいだね」
「バカだなお前。人間なんだから当たり前だろ」
「だからエンビィ」
従える神、ハイエント=ヘリオスが破壊されて組み伏せられている状況で私ができるのはせいぜい対話することくらいだった。
「ナナキ、親は?」
「死んだ」
「じゃあ一人で生きてきたのか、すごいね」
「……! フフン!」
少し驚いたような顔をして、それからナナキは得意気に鼻を鳴らしたのを覚えている。多分、褒められるのが久しぶりだったのだろう。この時はまだ心を開いてなかったけど、それでもどこか嬉しそうな表情だった。
そうやって組み伏せられながら色々な話をした。傍から見れば滑稽だろうなあ。
話をしていて思ったのは、やはり言葉遣いのことだった。ナナキの口からは女の子が口にしてはいけない類の言葉が山ほど出てきた。見たこともないナナキの母親に、どうしてもう少しまともな言葉遣いを教えなかったのかと問いたい。
苦労したよ、ああ、私は本当に苦労した。
「じゃあエンビィはテートから来たのか?」
「そうだよ。こう見えても結構偉いんだ」
「よわっちいのにな!」
子供って残酷だよね。
ここまで来れば、会話の所々でナナキの笑い声が響いた。なんてことはない、話してみればただ口の汚い女の子。広大な森の中で育ったナナキには帝都の話は受けが良かった。好奇心も旺盛のようで色々なことを聞かれたし、答えた。
簡単に言えば、子供を言いくるめる悪いお姉さんだった。
話しているうちに徐々にナナキのことを知っていった。言葉遣いで勘違いし易いが、彼女は決して好戦的ではない。敵対する行動を取らなければ襲ってくることはないと言える。……なんだか動物の説明をしている気分だ。
私とナナキは次第に仲良くなった。まあ、もちろん表面上と言えるものだけど。つまりは言いくるめることに成功したというべきかな。
「いいぞ、逃がしてやる。ただしナナキも連れてけ。テートには人がいっぱいいるんだろ?」
「……どうして帝都に?」
「お母さんに言われた。ナナキは特別だから人の役に立つ。いっぱいいるんだろ、ナナキが助けてやる」
「偉そうだなあ。まあいいよ、ただし誰かを傷付けるような真似はしちゃいけないよ」
この頃の私は、五帝全員で掛かればさすがに大丈夫だろうと高を括っていたから快諾をした。一歩間違えば大惨事になっていたかと思うと、とてもじゃないが笑えない。
「良し! なら早くあのクソジジイ殺してテートに行くぞエンビィ!」
「――――ッ」
それがナナキの核なのだ。
ナナキの中心には必ず母親の言葉が在る。ナナキの考え方は酷く歪だ。それを形成したのは恐らく会ったこともない、もう会うことができない彼女だろう。引かれた境界を犯せばナナキはすぐにそれを殺す。そうすることで生き延びてきた。
だからナナキは敵と定義したものを必ず殺す。質の悪いことに、その力が在る。
彼女はただ、娘が生き残れるように最善を尽くしたのだろう。人間としての色々なものを犠牲にさせてまで、ナナキに生きてほしかったのだろう。結果としてナナキは強く育ち、彼女の思惑通りに生きているのだろう。でもそのおかげで、私たちの英雄は殺される。
ナナキの定義は現在でも変わらない。
『ナナキを殺そうとする奴、ナナキの邪魔をする奴――――』
全ては彼女の思い通りなのだ。境界を引いた、彼女の。
『――――ナナキが殺したい奴、それがナナキの敵だよエンビィ』
三つめがどうしようもなく救えない理由だった。イヴァール様はナナキの逆鱗に触れてしまっていた。彼女は恐らく敢えてナナキに対して道徳を教えなかった。倫理を教えなかった。それが生きるための弊害になることが多いからか、或いは娘を怪物にしたかったのか。
殺したければ殺せと、彼女は娘に呪いをかけた。
結果として、ナナキという怪物が生まれ落ちた。神話の雷すらをも撃ち破る強大な力を持ったその怪物には、どれだけ正しい言葉であっても効かない。こんな恐ろしい話があるだろうか。人間として生きていたら当然に持っている筈のものを徹底的に排除してある。
当時の私は、ナナキのその歪さを見て思ったんだ。
「ねえナナキ、イヴァール様は敵じゃないよ」
「敵だよ、あれは敵だ。だからぶっ殺す」
――――それじゃあダメだと、思ったんだ。
出会ったばかり、どころか従える神様を破壊されて組み伏せられている。そんな少女に対してどうしてそんな想いが沸き上がってきたのか、正直に言えば今でもわからないんだ。それでも、そのままにして放り出すことはできなかった。それは、私にはできなかったんだ。
良く分からない怒りだった。あんなに小さな女の子がそうやって生きてきたことに、そうやって殺してきたことに、そうしないと生きられないこの世界に。上手く説明できない怒りが在った。ただ一つだけ、私の心の中で言葉になったのは信念だった。
私が炎帝になったのは、こういうものを守るためじゃなかったのかと。
私たち五帝は帝都を守っているのではなく、世界を守護しているのだから。だから私は決意した。彼女が引いたその境界を、その呪いを私が解く。一人で生きていかなくても、みんなで生きていける方法があることをナナキに学ばせる。そう決めたんだ。
「――――ねえ、ナナキ」
「あん?」
そう、この日だよ。
私が姉になったのは。




