噂の黒兎
ミーア様の追及を避けるために執務室を飛び出た。美しい蒼星石の瞳にはしっかりと食ってやるという肉食の意志が宿っていた。なるほど、これが狩られる側の気持ちという奴か。お兄様大好きミーア様は主のこととなると凄まじい殺気を飛ばしてくるから恐ろしい。
主の傍を離れるのは余りよろしくないけれど、ナナキの代わりにフィオさんが傍に居る。彼女もまた優秀な騎士だ。恐らくミーア様と同じタイミングで帝国騎士の試験を受けるのだろうけど、あれだけの実力があれば問題ないだろう。まったく、天才というものは世の中に溢れている。
一先ずはほとぼりが冷めるまでロイヤル・ストリートの情景を眺めようと思う。
賑わうフレイラインのメインストリート。紳士淑女の皆さまは笑顔を浮かべて今この時を楽しんでいる。貴重な貴金属だったり、美しいドレスだったり。もちろん値段はとても安いなんて呼べるものではないのだろうけど、ここに居る方々は貴族の都で生まれた本物の貴族の皆さまだ。
それはもう湯水のようにお金を使う。このうちのどれだけが主の元へと入るのだろう。そういう難しそうなことはナナキの管轄外。であれば、無駄に考えることもないのかもしれない。ナナキが心配しなくとも、アルフレイド家の再興は主が成し遂げるだろう。本当にご立派な方だ。
「……やれやれ」
ただやはり、主が栄光への道を進んでいる様を見て気に入らない、という幼稚な連中も出てくるものだ。威風堂々と正面からアイナ・アイナを倒したというのに。それに意義を唱えるのであれば同様に正面から来るべきではないのか。それが誇りというものだ。誇りなき虫は大人しく地べたを這っていれば良いものを。
アルフレイド商会のエリアで不穏な気配を発するとは愚かものめ。
アイナ・アイナの後釜が主では納得がいかないという者は多いのだろう。よろしい、ならばそれをナナキが払おう。幾らでも、何度でも。それこそ尽きるまで。誇り高き我が主を阻む誇りなき意志には消えてもらう。それは主に不要なものだ。
「――――アルフレイド商会に何か御用でしょうか」
ナナキは雷、天災である。恐れ慄け震えて眠れ。
「げ、げぇッ!? クロウサギッ!?」
シフトチェンジ、モードラビット。漆黒のラビットスマイル。不届きものにグゥグゥ!
「ごッ!?」
顎先をラビットパンチ。不届きものはがくりと膝を折って地べたに倒れる。きっと何が起きたのかもわからないうちに夢の世界へ飛びたてたことだろう。痛みもなかった筈だ。悪行そのものにどうこう言うつもりはないが、相手は選んだ方が良い。
「俺らの仕事がなくなっちまいますって、ナナさんよ」
「遅いですね、アイバス。ちょっと上を向いて頂けますか」
「いきなり殺そうとしないでくれよ……」
元アイナ・アイナの配下アイバス。残った二十数名の仲間たちと共にアルフレイド商会のエリアで警備を担当している。そう、つまりこの男は我が主から見事に採用を手に入れたということ。本人単体の実力としてはナナキの見立てではあるがアキハさんよりやや下と言ったところか。十分に豪傑である。
その部下たちもアイナ・アイナの下でそれなりの修羅場を潜ってきたのか、そこそこのレベルと言える。とはいえこちらは余り宛にはできないだろう。せめて帝国騎士と戦えるだけの力があればナナキも考えを改めるのだけど。
「それで警備隊長様は何をしているのですか」
「そこに転がってるのをしょっ引きに来たんだけどな、既にクロウサギ様にやられててね」
アルフレイド商会のクロウサギ。
ええ、そうですとも。全てはミーア様の責任だと言えるだろう。彼女は人目など気にせず平然としてナナキをウサギさん扱いをする。わかりやすいキャロット付きである。更にはこの目立つ黒い髪。気が付けばいつの間にかクロウサギの名称が一人歩きしてしまった。ブラックラビットナナキ。
どうだろうか友よ、ナナキはウサギさんなのだろうか。だとしたら大変だ、ナナキは何百もの仲間を食べてしまった。うん、なに可愛い? 君は正直な神様だね。てれてれしちゃう。
「もう少し俺らにも仕事を回してくれよ。食えなくなっちまう。持ってる奴は与えなきゃいけないんだぜ」
それならナナキには胸を――――いいや、何でもない。求める必要はないのだ。ナナキは成長期だから。ナナキは成長期だから。何回だって言うぞ。少しだけ悲しくなった、でもおかげでアイバスに与えるものが見つかった。どうか喜んでほしい。
「では死を与えます。受け取ってください」
「こいつ回収していきやーす」
はい、それならきびきびと。
◇
さてさて、そろそろミーア様もクールダウンした頃合いだろうか。どころか、少し時間を置きすぎたかもしれない。結果として不届きものを一人捕まえられたのだから良しとしたいところ。なんて、それは甘えである。
「むむっ」
ナナキレーダーに感有り。アルフレイド商会にそれなりの魔力の持ち主がいらっしゃった。ミーア様とアイバス、フィオさんの魔力は捕捉しているので新しい人間である。五時の方角、万が一があっては面倒だ。ナナキが確認に参る。参った。
「……アキハさん?」
首を傾げた。そこそこにお久しぶりの面会、ナナキとしてはとても嬉しい。けれど気になるのは、どうしてアキハさんが一人で歩いているのか、ということだ。アキハさんが仕えているのがヴィルモット・アルカーンのせいで色々と邪推してしまう。
「こんにちはナナさん。今日は使いです。ゼアン様にお取次ぎ頂けますか」
「こんにちは。ではご案内致します」
良かった、さすがにヴィルモット・アルカーンと言えどアキハさんを切る程バカではないらしい。ナナキの友人が不幸に出会わなくて良かった。もしアキハさんが無職になってしまったら、いっそアルフレイド家で雇ってみてはどうだろうか、というところまで考えていた。早とちりナナキ。
実際に、最近はナナキが主と共にこの執務室に居るので屋敷の家事が滞ることが多い。一人で奮闘するリドルフ執事長には頭が上がらない。けれど今や主は六大貴族と肩を並べるほどの財源を手にした強者。いつどこで誰が狙っているのかわからない。全てに対応できるのはナナキだけだ。
そうだよ友よ。ナナキは全てと言う。特別だから。
「……ゼアン様はご立派ですね」
「はい!」
言葉の意味もあまり考えずに即答してしまった。いけない、物を考えずに話すなんて。それではまるで子供だ。
「これだけのエリアを手中に収めるなんて。ヴィルモット様の反応、聞きたいですか?」
「想像が付きますので。ただ愚痴でしたらお聞きしますよ」
「では今度一緒に食事にでも行きましょう。そろそろ息抜きをしたいので」
「はい、ぜひ」
友達と食事の約束をしてしまった。このことをすぐにエンビィにでも報告をしたいけれど、残念ながら彼女はここに居ない。きっとびっくりして褒めてくれたかもしれない。このナナキが友達を作ったと言うのだから。
はいはい、張り合わない。めっ。
執務室までアキハさんを案内すれば、作業をしていた御二人の手が止まった。御二人は顔を見合わせてからアキハさんに向き合った。
「ヴィルモットは居ないのか。要件を聞こう」
アキハさんは一度だけ深く腰を折ってから、口を開いた。
「ヴィルモット様より伝言を預かっています」
「伝言? 書面じゃなくてわざわざ伝言……ね」
主は一度座り方を正した。この中で不穏な空気を読み取れない愚か者はいない。ミーア様がフィオさんを見れば、フィオさんは小さく頷きさりげなくアキハさんの退路を塞げるように少しずつ移動を開始した。できれば仲良くして頂きたい。
「それでは、ヴィルモット様からの伝言を申し上げます」
気付いているだろうに、アキハさんは気にする素振りも見せずに役目を果たそうとする。まず間違いなく戦闘になることはないだろう。彼女は人格者であり、不本意であれば主の命に従わないだけの誇りを持っている。警戒は最小限で良いのだ。
「――――――――何を知った、と」
大きな爆弾だった。




