アンノウン・エルテル
「――――アイーシャ・ナイトレイ。貴女は五帝になりなさい」
かつて、ナナキに同じことを言った奴がいた。
年老いた死に損ない。あの男のことは決して好きにはなれなかったけれど、彼は最期まで誇りを貫き、そしてナナキへと懇願した。約束というには余りに一方的過ぎたそれを、ナナキが果たしてやる義務はない。あの男はナナキの敵だった。それを変えることはできない。
だから、これはただの気まぐれだ。ただ、都合が良かっただけ。その程度の理由で良いと言うのなら、奴との約束を果たしてやるのも悪くはない。そう思った。
「私が……五帝に……?」
「もちろん、今すぐにというわけではありませんよ」
今の彼女にその力はないし、今はまだナナキもその座を譲ることはできない。主と皇帝陛下の間の取り決めがある間、私は雷帝ナナキとしてこの帝都を守護しなければならないのだから。これを破れば主に不利益が生まれる。それはナナキの望むことではない。
だから、アイーシャが五帝となるのは全てが終わった後の話だ。
「今日から貴女は私の後継者です。貴女の力が五帝に足るまで、私が貴女を鍛えましょう」
「…………アンタは、いったい何なんだ」
満身創痍ながら、彼女は支えていたナナキの手を振り払い、自らの足で再び地に立ちながら聞いた。なるほど、思い返せば名前すら名乗っていない。加えて今の戦闘に、五帝への勧誘だ。警戒されるのも無理はない。
とはいえ、察しが悪すぎるのも考え物だ。度を過ぎては使い物にならない。そもそも、最初に人の話を聞かなかったのはアイーシャなのだから、これくらいの苦難は甘んじて受け入れるべきだとナナキは思うのだ。強者が理不尽を押しつけるのは世の常だ。諦めて。
「では改めて、自己紹介をさせて頂きましょう」
人と人との付き合いは何事も挨拶から始まるとは心より尊敬する姉の教えだ。今後のアイーシャとの付き合いを考えれば、円滑な師弟関係はナナキとしても望むところ。ともすれば、ここは一つ師匠としての最初の仕事に努めるとしよう。
「私は五帝が一人、雷帝ナナキと申します」
「なッ――――」
やはり、気付いてはいなかったらしい。一歩下がり、深く腰を折ることで礼を尽くしてみせれば、アイーシャは驚愕を露わにした。
「雷帝ナナキだと? アンタがあの雷帝ナナキ?」
「ええ」
「こんな子供が……マジかよ……」
誰が子供か。
ナナキは今年でもう十六になる立派なレディだ。子供というのはまだ自立できない人を差す言葉であるのだから、ナナキには当て嵌まらない。何せナナキはお母様と死に別れたあの日から、一人であの森を生き抜いたのだから。それからエンビィという掛け替えのない姉に出会い、お母様が美しいと言った世界のことを知った。それを見て、歩き、考え、今ここに至っている。ナナキは自分の足で立ち、ここまで歩いてきているのだ。お子様呼ばわりはすぐにでも撤回して頂こう。
「いいですか、アイーシャ。私はこれから貴女の師となるのですから、子供扱いはやめなさい」
「いや、そもそも私は何も承諾してないんだが」
もっともだ。ここまでの話は全てナナキが勝手に試し、勝手に期待し、勝手に進めているだけのこと。だから、もしもアイーシャがそんなものに興味はないと言うのなら、ナナキは引き下がろう。
「断るのであれば別に構いませんよ。今の貴女は、物のついでですから」
何故なら、これはナナキの気まぐれだ。固執するものではないし、今の彼女はそうまでするほどのものではない。ただハーミィを探している中で、たまたまアイーシャという才能を見つけただけの話。それを輝かしいと、美しいとは思うが意志のない者のそれを伸ばしてやろうとは思わない。
「あぁん?」
どうやらついでと言ったのが気に触ったらしく、アイーシャは露骨に不満そうな声を出した。とはいえ、事実は事実だ。このナナキが負け犬に気を遣ってやる必要は一切ない。ここは帝都のセントラル、才能の終着点だ。年齢も性別も壁にはならないし、言い訳にもできない残酷な場所。敵わない者には敵わない、それを突きつけられる場所なのだから。
「悔しいのなら物のついでではなく、目的となるくらいには強くなりなさい」
「勝手な話だな」
「ええ、もちろん。ですから断るのならばご自由に。貴女が強さを求めないのであれば、私は貴女に関わらない。私は天才なので時間を費やすのにも相応のモノを求めます。貴女を強くする時間があれば、私は何でもできる」
「言い切るかよ、普通」
「言い切れないのは貴女が弱いからです、アイーシャ。普通では五帝は務まらない」
そして、その境界を破るだけの才能を彼女は持っている。けれど、それを口に出してまで教えてやるのはサービスのし過ぎだ。ここから先は彼女が自分の意志で決めること。それこそが彼女のためになる。これこそ出来るメイドというものだろう。
「…………アンタに師事すれば、強くなれんのか?」
「それはアイーシャ次第ですね」
強さの基準など、人がそれぞれ定めるものだ。もし彼女の言うそれがナナキを差しているのであれば、安心すると良い。この身には誰も届きはしないのだから。誰かに先を越されることもなければ、永遠に追いつくこともない無限の回廊だ。それはきっと、ある意味幸せなことだよアイーシャ。
私の前にはもう、誰もいない。
「ともあれ、今はそのボロボロの身体を休めなさい。また後日、答えを聞きに参ります。それまでせいぜい悩みなさい、アイーシャ」
「年上を気軽に呼び捨てるんじゃねーよ。さんを付けろさんを」
「また来ます、アイーシャおばさん!」
「このやろッ!!」
◇
「――――ということでですね、こちら側に何人か置いた方が陛下としてもやりやすいのではないかと思うのですが」
「……つまり、宮廷給仕を引き抜きたいと?」
「有り体に言えば、そうなります」
所変わって陛下の御前。
ナナキは考えました。先ほどのアイーシャとの戦闘を察知した五帝が血眼になってその犯人を探している中、ハーミィを探し出すのは困難であると。であるならば、先に外堀を埋めてしまおうと思い至った次第である。そして、やはり物のついでにアイーシャの件も話しておけば完璧だ。ナナキ賢い。
「人選は済んでいるのか」
「はい。ハーミィという名の少女と、アイーシャ・ナイトレイという色々と乱暴な給仕を連れて行こうかなと考えております。もちろん、本人たちが了承すればですが」
「アイーシャ・ナイトレイ?」
ふと、陛下がアイーシャの名前を口にした。
「聞き覚えが?」
「ああ、何かと話題に挙がる。色々と惜しい問題児だとは聞いている。もっとも、どこぞの超問題児よりは遥かにマシらしいがな」
なるほど、やはりアイーシャの才能は前々から目は付けられていたらしい。そもそもの話、このセントラルに滞在することを許されている時点で並々ならぬ才能の持ち主であることは保証されているのだから、当然と言えば当然だ。だというのに評価は色々と惜しい、等とまたずいぶんと微妙な評価を受けているらしい。
察するに、あの性格のせいだろう。
この帝都は才能さえ在ればその質によってある程度のことは許容されるが、アイーシャのあの横柄な態度が許容されるには彼女の才能は些か物足りないと言ったところだろう。礼儀作法に口うるさい今の五帝の面々があの跳ねっ返りを伸ばそうとするとも思えない。あれで品行方正だったのなら、今頃はシルヴァかエンビィ、或いはサリアの後継者として鍛えられていただろう。
ところで、超問題児とは誰のことだろう。ナナキ、気になります。
「彼女の場合は引き抜きと言うより、後継者に据えるための引き継ぎでしょうか」
「ほう?」
さくっと本題に入ってみれば、陛下はやや目を細めながら呟いた。
「もちろん、五帝の座を譲るのは全ての戦いが終わった後ですので、ご安心下さい陛下。敵にならない限りは私は味方ですので」
「あの雷帝ナナキがずいぶんと仕事熱心なものだな。まだ何も始まってすらいないと言うのに、今から五帝の後継者を育てる等と……いったいどういう風の吹き回しだ?」
当然、陛下は訝しむ。ナナキとしても陛下の物言いに対しては心外な、と言いたいところではあるがこれまでのことを考えればわからなくもない。とはいえ、共闘関係になった以上、いつまでも互いの腹の中を探っていては不毛と言うものだ。だからナナキは、陛下のその質問に対して正直に答えることにした。
「恐らく、この戦いはそう長くは続きません」
ナナキが倒すべきは、ナナキの敵は、恐らく神ではない。何故ならあれは、神の名前ではなかったから。ではあの名前は、あの時聞いた名は、果たして何を差すのだろう。
それはきっと、どこかにいる誰か。
「――――陛下、エルテルという名前をご存じありませんか?」




