十秒クリーニング
「……ふむ」
なかなかどうして、上手くはいかないのだと知る。
暗がりの厨房に広がる惨状は正しく最悪なもの。飛び散った卵の殻、各所に跳ねた卵白。まずは一品と意気込んだ結果がこれでは目標にした料理が完成する頃にはいったいどうなることか。いつもならバカにしてくる友も今はどこかへと消えてしまい、ただ一人で立ち尽くす厨房で確かな無念を思う。
如何に才能溢れるナナキと言えど、相性の悪さや経験の不足から及ばない事柄は多々あるもの。たかだか料理と侮ったことを恥じるとしよう。なるほど、文明の料理のその味は高度な技術や多くの経験から成る至宝であったのだと改めて認識をした。であればナナキが及ばないのは必然、食べるだけでは身に付かない。
しかしそれも束の間だ、すぐに思い知らせてやる。
突破口は見えた、やはり何事も当たってみるまではわからない。食べられることもなく散っていた卵の皆さまには深くお詫び申し上げようと思う。しかしながら、同時に期待もして頂きたいのだ。ナナキは得たぞ、敬愛なるお母様すらもが終ぞ届かなかった料理への勝機。
失敗はしたが確信を得た。皆さまを驚嘆させる日を思えば心がダンシングナナキだ。
「むっ」
この気配、どうやら少し騒ぎすぎてしまったようだ。速やかにこの厨房へと向かって来る彼女はやはり優秀、このナナキの気配に気付くとはまったく以て見事。こうも迅速に動かれては花を持たせてあげたくなるというもの、ここは彼女の優秀さに唸るとしよう。ぐるるー。
大した間もおかずにやって来たのは小柄な少女。ナナキと違って夜目の効かない彼女はすぐに魔法で光を生んだ。その小さな手から放たれた光が天井の魔法石に吸い込まれれば、厨房の闇はそそくさと退散していった。かくしてご対面するのは才能ある幼き少女。
ナナキの黒髪ほどではないにしろ、それなりに珍しい灰色の髪を後ろで結った少女。背丈こそ低いものの、それは年齢によるものであって彼女の本質ではない。幼くも凛々しく、可愛らしくも美しいその顔立ちには確かな誇りが見える。身に纏うのは数多の才能と競い、そして勝利した彼女の誇りである宮廷給仕の制服。
「おはようございます、ハーミィ」
「…………何をしているのですか、ナナキ様」
どうやら敬称が付くようになったらしい。恐らくはエンビィから聞いたのであろう真実に、彼女は何を思ったのだろう。いや、それはきっと愚問。このナナキを射抜くその鋭い眼は全てを物語っているように思う。大いに結構、気に食わないのならいつでも来ると良い。誇りが在るのならそれに順ずるのは当然だ、ナナキはいつでもお相手仕る。
とはいえ彼女は宮廷給仕、短絡的な行動は取らないだろう。それならばいつも通りに対応を、気持ちを切り替え今日も頑張るマスターメイドナナキへと変身だ。本日最初の業務と致しましては、せっかくの美しい顔立ちを台無しにしているハーミィにお手本を見せることから始めようと思うのだ。笑顔のなんたるかをナナキが示そう。
全知全能のナナキスマイル。世界の皆さま、ナナキです。
見るが良い、この透き通るような破顔一笑。それが誰で在れ、何を想い、何を見て生きてきたのかはナナキの知るところではない。しかし、たった一度の笑顔を浮かべる余裕すらもないのならそれは脆弱だ。強者で在るナナキは笑おう、証のために。生まれも育ちも言い訳にはならない、笑うことのできない奴はただ弱いだけ。
「……何を笑っているのですか」
「いえ失礼、何をしているのかという問いでしたね」
表情に変化はなく、声も低い。どうやら気に入っては頂けなかった様子、残念ではあるが一先ずはハーミィの問いに答えることにする。とはいえ、これは答えるまでもないと思うのだけど。
「料理をしていました」
「……………………りょう……り?」
その間はなんだ、ナナキに何か文句でも。
ハーミィは怪訝そうな表情でゆっくりと厨房を見回して、再びナナキを見た。おおっと、勘違いしてもらっては困るよハーミィ。この惨状はナナキの経験が不足していたというだけのことであり、使った食材や道具に間違いはない。従ってナナキが厨房で行った行為は料理であると断定する。NNK、証明終了である。拍手をどうぞ。
「と、とにかく……退室を願います」
「何故です?」
「このままでは朝食の支度に入れません。速やかに清掃をします」
なるほど、道理。
「清掃は私が行いますよ、ハーミィ」
しかしながら、これは譲れないものだ。この惨状はナナキの失敗、であればそれを人に押し付けるわけにはいかないのである。主たちの世話をエンビィに任されている以上、宮廷給仕としては正しい判断なのかもしれないがナナキとて譲ることはできない。それはナナキの誇りが許さない。
「……では二人で。余り時間もありません」
落としどころとしては妥当なのだろう。しかしそれは凡俗の基準だ、このナナキに当て嵌まるものではない。
「十秒、数えなさいハーミィ」
「……は?」
「さあ」
促せば、ハーミィは少しの間をおいて口を動かした。さあさあ、それではご覧頂こう。震天動地、せいぜい驚くとよろしい。その狭き世界をナナキが食い破ろう。
「一」
この身は神速、いいや神すら遅いのだからそれは相応しくない。何か良い言葉でもないものか。厨房を出て向かうのはこの屋敷のとある一室、これまた余り使うことはなかったが清掃道具がこの部屋にあることは知っている。必要な道具だけを手に取り眠る道具にアリーヴェデルチ、良い夢を。
「二」
戻ってくればカウントは二、世界とはかくも遅いものかと嘆くこと然り。まずは箒と塵取りを駆使して散らばった卵の殻を集める。一欠けらでも残すのであればそれは妥協と知れ、このナナキに相応しいものではない。素早く丁寧に、そして優雅に清掃を進めるのがマスターメイドと言うものだ。
「三」
掃き掃除が終わったのなら次はフライパンをささっと洗う。それから各所へと飛び散った卵の処理に入る。まずは雑巾を二枚用意、うち片方を水に濡らせてしっかりと絞る。
「四」
まずは台所を中心に拭き掃除を開始する。既に乾き始めた小癪な汚れに喝、どれだけ目立たない汚れであってもこのナナキの眼を誤魔化すことはできない。要所では洗剤を使い、綺麗に拭き取れば次は乾いた雑巾で仕上げ。これを飛び散った場所の数だけ繰り返す。造作もない。
「五」
雑巾に汚れが溜まったため一度洗い直す。ここまでで八割の肯定が終了したわけだが、この程度では些か物足りないというもの。やはりマスターメイドを自称するのであれば相応の仕事を行わなくてはならない。従って清掃の範囲をこの厨房全体とする。
「六」
まずは残りの卵の汚れを始末、お覚悟を。続いて天井、壁、台所、床と上から下へと清掃を始める。余り使われていないせいでしつこい油汚れもなくてとてもやりやすい。大きな冷蔵庫さん、クールな君には少しお退き頂いて、その後ろで巣くっている不浄も見逃さない。全てを塵取りで一掃した後は冷蔵庫を隅々までピカピカに磨く。
「七」
キ。
「八」
冷蔵庫を戻せば清掃は終了だ。ご覧頂きたい、このピカピカに輝く厨房を。それでは後片付けを開始する、速やかに移動。まずは雑巾以外の道具を先ほどの部屋へ持って行く。途中で暇そうに欠伸をしている友を発見。ハイ、元気? ナナキは元気。間抜けな顔にデコピンをプレゼント、様を見なさい。怒る友から逃げつつ先ほどの部屋に到着、清掃道具一式を元の場所へ。お勤めご苦労様でありました、ダスヴィダーニャ。
「九」
戻ってくれば最後のカウント。最後は使った雑巾を綺麗に洗ってお外に干すだけだ。頑張れ御日様ナナキの如く。未だ暗いお空に輝きを願った。サンシャインナナキ。
「十」
かくして清掃は終了、いかがだっただろうか。問いかけるようにしてハーミィを見れば、小さな宮廷給仕は驚きの表情でナナキを見ていた。どうやらナナキという存在を正しく理解して頂けた様子。そうともこれが天上だ、このナナキこそがその頂きに立っているのだ。
胸を張って堂々と、ハーミィからの賛辞を待つとしよう。
「どうして料理だけできないのですか?」
うるさいな。




