冬の思い出
一度世界が終わってから、人類にとっての当たり前は消えてしまった。
語り継がれているもののうち、どれだけが正しく伝えられているのかはわからない。神様と呼ばれる存在が現れた当時の記録はその大半が失われてしまった。彼らがどこからやってきて、何のために人を滅ぼそうとしたのか、その存在の正体すらもわからないまま。
私たちの今に確かに伝えられているのは、人類が神に抗う術もなかった時代の悲惨さだけだった。
一日で人口が二十億を切った。二日で当時最強だった国が滅びた。そして三日、人の世界は終わった。それからは神が神を殺す、神界戦争が始まったと聞く。人が支配していたその世界は神々の戦争の舞台となった。大陸は割れ、島は沈み、海は多くを飲み込んだ。
その戦争に多くの人間が巻き込まれ、死んだそうだ。神々の戦争が三大神の力により収束し、終わる頃には人間は絶滅寸前の状態だったと聞く。その苦難の道を歩んだ偉大な先人たちのおかげで、千年後の今は人類の人口は二億まで盛り返した。
「はい、ではここで問題です」
「お断りします!」
「ダメです」
「ダメかー」
ひやりと乾燥した空気が吹きすさぶ木枯らしの季節、その日はナナキに人類の歴史を教えていた。
日頃の大変な苦労の甲斐あって、ナナキも徐々に敬語が身に付き始めた。帝都に来て数ヵ月、文明の生活にもだいぶ慣れた頃のことだ。読書を好むナナキはよく歴史的な部分で詰まってしまい、読めなくなることが多い。その度に私に尋ねてくるのが通例だったのだが、良い機会だと思いその日はナナキに歴史の話をした。
「神界戦争が終わりおよそ九百年、つまり今から百年ほど前。散り散りになっていた人類を束ね、魔力というエネルギーを発見したすごい人が居ました。その人物の名前は?」
「ナナキ?」
「……一応聞くけどどうしてそう思ったの」
「ナナキよりすごい人はいないと思います」
「うん、今はそうなのかもしれないね、或いはね。でもね、これは百年前の話、最初に言ったよね」
「んな昔の話知るわけねーだろバーカ!」
「はい、おやつ無しね」
「あー!?」
ナナキは紛れもなく怪物、その力も思想も常識から隔絶している。だからと言って人類最後の砦でもある帝都でナナキを好き放題させるわけにもいかない。私だってただナナキと遊んでいたわけではない、数ヵ月も経てばナナキをある程度コントロールする方法も確立する。
お菓子や本、ナナキが興味を示すものを制限してしまえばある程度までは言うことを聞く。ただしこれは手に入れやすいものだと入手の方法をこっそり学んで勝手に調達し始めるので色々と注意が必要だった。有効なのはやはり本、それもシリーズものだ。一冊を読ませて続きを読みたければと、言うことを聞かせる。
最初の頃はこの小さな怪獣をどうしたものかと色々と試したけれど、一番やってはいけないのは食事を抜くことだった。ある日、言うことを聞かないナナキに食事抜きの罰を与えた。その結果、シルヴァは全治一ヵ月の怪我を負い、アルシャ=ジオは二週間の戦闘不能。皇帝陛下の住まう宮殿は半壊、帝都の対空魔法の結界は粉々に砕け散る等、本当に洒落にならない災厄が訪れた。
言い訳になってしまうけれど、私は餓えたナナキの凶暴性をまるで知らなかった。暴れ出したナナキに言葉は届かず、真っ先に鎮圧に向かったシルヴァは一瞬で顔面を砕かれて倒れた。ライコウとサリアは任務で帝都を離れていたために、私にはナナキを止める手立てが無かった。まあ、もしその時に四人が揃っていても止められなかったのだろうと、あの日に知ったのだけど。
ともあれ、その痛ましい悲劇によって監督不行き届きと各方面からお叱りを受けた私は死に物狂いで今の体制を確立した。
「百年前のすごい人、その名もフライム・G・フロスト様。フロスト帝国の初代皇帝」
「ナナキとどっちが偉いですか?」
「比べものにならないね」
「照れちゃうな」
「太々しいね」
ナナキに歴史を教えるという行為が成り立つのも私の努力の賜物だと、私は自負している。ところどころ天然だったり、ふざけたりはするけれど逃げ出したりはしない。敬語も覚え始め、文明の生活にも慣れ始め、知識も増えてきたと、そう感じた冬の始まりを覚えている。
ああ、それともう一つ。
「というか寒いッ!」
そう言ってナナキが飛びついてくる冬の始まりでもあった。帝都の冬はとても寒く、冬の始まりのその季節でも氷点下に達する。ハイエント=ヘリオス、炎の女神を連れている私には寒さは無縁のもので、私の近くはとても心地の良い温度なのだとか。
それからはナナキが離れない日々の始まり。
どこに行くにも引っ付いてきて、果てには任務で帝都の外へ行く時までもついてきた。可愛らしいくは思ったのだけど、さすがにそこまで張り付かれれば邪魔だった。とはいえ隙を見て逃げても秒も掛からずに追いつかれるし、無理やり引きはがそうとしてもバカみたいな速度で回避される。
その頃にはナナキ用に部屋も用意されていて、一緒に寝てはいなかったのだけど、朝になって毛布をめくれば必ずナナキが居た。読書やお菓子の制限でコントロールを試みるも、寒いのが苦手なのかこればかりは言うことを聞いてはくれなかった。
「イルヴェング=ナズグルに温めてもらいなよ。あれだけ強大な神様ならできるでしょ」
「今はいなせん」
「いません、ね」
「いません」
さすがに鬱陶しくなって私はナナキに一つの提案をした。ハイエント=ヘリオスのように炎を司る神ではないけれど、あれだけ強大な力を持つ神様ならナナキを寒さから守ることができる筈だ。当時の私はそんな軽い気持ちで提案をし、ナナキのその答えに対して安易に問い返した。
「そういえばナナキが戦う時にしか見かけないね。どこ行ってるのさ」
「――――お墓守ってる」
別に、変なことを聞いたわけではないと思う。気の遣い過ぎだというのも、わかっていた。けれどその言葉を聞いて勝手な想像をしてしまったのだ。私の想像、真実はどうかは知らない。けれど、もしかしたらと、一度でもそう思ってしまえば私はもうナナキを突き放すことはできなかった。
自然の中で暖を取る方法は少ないと思う。ナナキがイルヴェング=ナズグルなんて強大な神様に出会う前、そのずっと前。まだ守ってくれる誰かが居た頃に、ナナキはこうしてくっついて暖を取っていたのかもしれない。その大好きな人と。
勝手な同情は最低な人間のすることだ。
「……おいで、ナナキ」
「おー?」
だから私は最低で良い、そう思ってしまった。
結局私はナナキに甘く、引っ付くナナキを振り払えないまま冬の日々を過ごした。
「あら、今日も一緒なのね。フフ……フフフ……」
あとどうしてか、冬の間はサリアの笑い方が気持ち悪かった。




