84.リア充。
4月に入り、俺は中学生も受け持つ事になった。
毎日、テストを作る作業は大変だ。
しかし、それもまた楽しい。生徒達が問題を解いた時のあの晴々とした顔を思い浮かべながら、少し捻くれた問題を考えるんだ。
難しければ難しい程、解けた時の喜びはまた格別だ。
受験勉強をすっ飛ばしたとは言え、俺だって多少は答えを弾き出した時の達成感や感動といったものくらいは経験している。
俺はそんな喜びを生徒達に味わって貰いたいんだ。
かといって、闇雲に難しい問題は作らないさ。その辺は心得ている。
まぁ、神田先生のサポートがあってこそだがな。
とにかく今の俺は塾のバイトに、ゲイバーのバイト。
学校だってサボらずに行ってる。
図書室で生徒に配る問題を考えるのが日課になっているからな。
ヤッパ図書室はいいねぇ。
何たって仕事が捗る。
静寂に包まれた空間が自然に集中力を上げていく、あまりに没頭し過ぎて時間が経つの忘れてしまい、バイトに遅れそうになったことがしばしばあるが……。
ただただ、我武者羅に知識を詰め込むようなやり方は俺の好みではない。
所々に楽しい話や驚くような話を聞かせるのも勉強に興味を持たせるテクニックだ。
歴史上の人物なんかの、余り知られていないようなちょっとした面白い話をしてやると途端に食いついてくるガキ共……。
そんな奴らを毎日のように相手しているのが自分でも不思議なくらいだ。
ゲイバーの方へ行っても図書館通いが功を奏してか、自分でも面白いくらい話題に事欠くことがない。
お客さん相手に子供に話した面白話をすると結構受けるんだよなぁ、これが。
俺はいつからこんなに人楽しませるのが上手くなったんだ?
と、自分でも思うくらいだ。
一日なんて、あっという間だ。晴華との関係も良好だし♡
二つのバイトを掛け持ちして金銭的にも余裕ができ、計画性を持って性転換に向かって邁進してる。
ほんと、毎日がリアルに充実してる。
俺も4回生だ、この1年でこれが俺の大学生活の集大成だと言えるような結果を残したいなんて考える。
だが世間では、一瞬にして日本中を恐怖に包み込み人に悲しみと絶望、怒りという爪あとを残し過ぎ去っていったあの最大にして最悪の『東北地方太平洋沖地震』の話題は、まだまだ途絶えることはなかった。
あの大自然の驚異は俺達が余りにもちっぽけな存在だと、俺達に知らしめるには余りにも大き過ぎる犠牲を伴った。
おそらく日本国中がいや世界中が、今自分に何ができるだろうと考えたに違いない事は確かだ。
塾では子供達が、店ではスタッフ全員が募金を始め自分達が無事である事に、後ろめたさと安堵の思いを混ぜ合わせたような複雑な気持ちを抱える時期を過ごした。
俺は自分の生活に追われ目まぐるしく過ぎていく時間の中で、それでも今まで感じたことのない生きがいとやりがいを実感し奔走していた。
そんなある日、『今年の夏は暑いぞ』と噂されているのが事実だと感じるような、まだ6月だというのにクーラー全開でなければ過ごせない日のことだった。
学校に行くと一塊の学生達が校門の前で集合していた。
旅行か? 見知った顔がチラホラと見える。
4回生か……。もしかして……卒業旅行?
いいねぇ。だが今の俺にはそんな余裕はない。
俺は既に目標を掲げているんだもんねぇ。
俺がその一塊のグループの横を通り過ぎようとした時、誰かに呼ばれた。
「吉村!」
俺は声のする方を見たが……。
ん? 誰もこっちを見ていない。
気のせいか?
俺は再び歩き出した。
「吉村!」
お、今度はちゃんと聞こえたぞ。
俺はもう一度振り返って声の主を探した。
すると20人ぐらいの人の間から、のそっと一人の男が姿を現したんだ。
「……上野」
「吉村……」
上野はバツ悪そうな顔をしながらも俺の方へ近寄ってきた。
俺はあのBBQでコイツが何を言ったのか、コイツのどんな言葉が雰囲気を悪くさせたのか詳細を聞くことはなかった。
長尾にしても彩にしても、頑なに口を閉ざしたんだ。
俺が思うに、俺に伝える為にその言葉を口にする事さえ憚られたんだろう。
だが、そんな言葉を吐いた当事者の上野が何故いきなり俺に声をかけてきたのか?
しかも、少し俯き加減で……、前に進むにも躊躇いがちに。
おいおい……。そんなに躊躇うんだったら何で声なんか掛けてくるんだよ。
そんな思いまでして話しかけられても嬉しくないぞ。
いったい、何の罰ゲームだよ。
俺は何にも知らないぞ。
「あの……。俺……」
上野は言葉に詰まりながら何かを言おうとしている。
だが、俺の顔をまともに見ようとはしない。
何だか知らないが意を決して言葉を吐き出そうとしてるように見えるんだが俺と目が合うとすぐに目を逸らしてしまうんだ。
あのさ~、俺は今忙しいんだけどぉ。
「吉村! スマン!」
上野はやっと言葉が出たかと思ったら、急に頭を下げた。
まぁこれで、大体の察しはついたがな……。
「はぁ? 何のことだ?」
「俺……あの時。実は……」
「あのな、言っとくけど俺は何にも聞いちゃいないぞ」
「え?」
「ああ。だがな、あんな空気を作り出したのはお前だと予想はしているがな」
「う、うん」
上野の目が、俺の機嫌を伺うような目つきになった。
媚びてんじゃねぇよ。
「だからお前が頭を下げる理由がわからない。かと言って、今更聞こうとも思わないし聞きたくもない。もう終わったことだ」
「だけど……」
「上野! お前何やってんだ?」
上野が何か弁解をしようとした時……。
柳が上野に声を掛け、まるで慌てているかのように走り寄ってきた。
「柳……」
上野は一瞬ギクッとして柳の方へ、そうっと顔を向けた。
柳は上野を凝視しながら近づいて来る。
その目は上野を射抜いてしまうんじゃないかと思えたぐらいだ。
上野は柳を見ながら後ずさりした。
当然、俺にぶつかってしまう。
柳の姿を目で捕らえた上野は明らかにうろたえていた。
何がコイツをそうさせたんだ?
柳は俺の前に立ち止まると上野から視線を外した。
そして、あの感じのいい笑顔で話しかけてきた。
「よっ! 久しぶりだな」
「ああ、そうだな。お前ら何やってんだ? サークルで旅行でも行くのか?」
「ボランティアだ。震災の現地へ行くんだよ」
「えぇ! まだ……危険なんじゃないのか?」
「災害はとまってるよ。それに危険だからって行かないなんておかしいだろ」
「まぁ……そうだよな」
俺は自分の浅はかさを恥じた。
「吉村は? 何処へ行くんだ?」
「図書室だ。バイトで使う資料をな……」
「そっか。……俺、ジッとしてられないんだ……」
「……」
柳は被災地へ行くことを決心した訳と自分の思いを滔々と述べた。
俺はこんなにも人に貢献することに生きがいとしている人間を始めて見た。
凄い!
本当にそう思ったんだ。
俺は俺自身のことだけで手一杯なのに……。
人っていうのは、ほんとにどこに目が行ってるのか解らないもんだ。
「上野も行くのか?」
「え? ああ……。何ができるか分からないけど……、やってみなくちゃ……」
俯いて、俺から目を逸らしているがコイツの信念が伝わって来る。
「頑張ってこいよ。俺の分まで……って言うのはズルイか……」
「いや、皆がそれぞれに今できることをすればいいと思うよ」
「そうか……。上野、お前はいい奴だよ」
俺がそう言うと上野は顎から何かに突き上げられたように顔を上げ、俺の目を見て初めて笑顔を見せた。
「ありがとう。俺は柳にお前の事を聞いて勇気を貰ったんだ。俺は吉村のように強くなりたい!」




