51.代償。
「基樹が……今日カズ兄を見たって『エライめかし込んで出かけたぞ。けど、何で女の格好なんだ? お前の兄ちゃんどうなってんだぁ?』って……どうしたらいい? どうしよう、カズ兄ぃ」
だぁ~! やっちまったよぉ。
晴華のOKで浮かれて、玄関出るとき……周りをよく見てなかったような気がする。
今までそんなことはなかった。
細心の注意をはらってだなぁ……。
くっ、甘かったか。
基樹は近所のガキんちょ。
麻由と同い年のコイツも幼馴染だ。
「ごめんよ。麻由……。俺が不注意だった。これからは気を……」
「遅いよ! 多分、もう基樹はおばちゃんに話してる筈だし。あんな小さな町内、噂なんかすぐに広まっちゃう……。これから……何、言われるか……。カズ兄ぃ……麻由、まだダメだよぉ」
「麻由……」
くそっ! 失敗した……。
晴華とのキスで天国に行ってた俺は、一気に地獄に突き落とされた。
「加州雄。ちょっと考えなきゃいけないわね、これからのこと。とりあえず帰ってこれる? 麻由は落ち着いたら先に帰すから。うちに来てよ」
「え? あ、あぁ。けど、今日の格好は……お前の母さんにも見せられない……」
いくらなんでも、これはムリだ。
おばさんの目がテン! になってしまう。
「いったいどんな格好してんのよ! 妹泣かしてまでしたかった格好なの? アンタにはルールってもんがないの?」
「ルールってなんだよ!」
「自分がやりたいことが100あったら、それに影響される物を100守るってルールよ!」
……言葉がなかった。
やっぱり……彩には勝てねぇ。
やりすぎた……。
調子に乗り過ぎたんだ。一人一人理解者を獲得したからって……何も変わりはしないのに。
俺は大手を振って歩けると思い込んでしまった。
世の中の人が皆、受け入れてくれてるような錯覚を起こしてしまった。
まだまだ……小さな世界をつくるきっかけを、やっと掴んだにすぎないのに。
「お前ん家、行くよ……」
「うん。晴華も来れるなら来てって、伝えて」
「わかった……」
晴華は自分も行くと言った。
色んなことを知りたいと、これからのことを考えたいと……。
とりあえず俺は、服を調達する事にした。
安売りのGパンとトレーナーを買って着替える。
その間に晴華は、化粧品売り場でメイク落としを買ってくれた。
コットンシートにクレンジングを含ませてあるタイプのだ。
これなら、簡単にメイク落としができる。
お俺は、パチンコ屋のトイレで化粧を落とした。
駅のトイレでと思ったんだが……。
お世辞にも綺麗と言えない所。悪臭も……。
前にヒロさんとパチンコしに来たとき、綺麗なトイレだなって関心したのを覚えていたんだ。
結構、大きな洗面台でジェット乾燥もついている。
そんなことはどうでもいいか。
俺は鏡を見ながら、メイクシートを何枚も使って化粧を落とした。
アイメイクが消え、口紅がなくなり……、ファンデーションを拭う。
ヘアゴムで髪の毛を束ね、温水で顔を洗った。
鏡に映った顔は……。
妹を泣かせたヒョロイ情けない、ただのバカヤロウの顔だった。
麻由……ごめんよぉ。
晴華と俺は電車に飛び乗った。
早く、早く! なんでこんなに遅いんだよ。電車のくせに……。
イライラする……。
俺が車両の扉に手を当てて外を見ていると、晴が自分の手を俺の手に重ねた。
「加州雄……。今は何を考えてもダメ。何も考えずに頭の中を空っぽにしとこ。彩と話したときに今考えた事が邪魔にならないように準備しとこ」
「あぁ、そうだな。今、何を考えても焦るばっかりだ。なんにも浮かんでなんかこないや」
すぅ~っ、はぁ~。深呼吸……。
……。焦りが消えた。
「麻由ちゃん……。心配だね」
「あぁ……」
それっきり俺たちは何も話さず……。
過ぎていく外の景色を眺めながら、線路の継ぎ目にぶつかる車輪の音を聞いていた。
カタンコトン……、カタンコトン……。
「こんばんは~!」
「こんばんは……」
「あら~! いらっしゃ~い! 晴華ちゃんと加州雄ちゃ~ん、久しぶりねぇ。どうしたの? 二人揃ってなんて。あっ、加州雄ちゃん。さっき、麻由ちゃんが来てたわよ」
「あぁ。はい、すみません。お邪魔しちゃって……」
「いいのよぉ。皆の顔が見られて嬉しいわぁ。ほんと、大きくなったわねぇ。加州雄ちゃんも一段と綺麗になってぇ」
「お母さん! もう、変な冗談言わないで。加州雄は男よ!」
「分かってるわよぉ。何、ムキになってるのぉ? 変な子ねぇ」
「二人共、早く上がって」
「あ、麻由は?」
「ついさっき、帰ったわ……」
「そっ……か。悪かったな……」
「……行くわよ」
彩は顔と声と態度で、思いっきり不機嫌さを表現している。
俺の心臓が、キューって音を立てて捻じれてるような気がした。
「加州雄……、あがらせて貰お」
晴華が俺の背中に手を当て、微笑んだ。
晴華ぁ。こんな苦しい時にもお前の笑顔は俺を潤してくれる。
お前は、俺のオアシスだぁ~。
だなんて、緩んだ顔をしている場合じゃない。
一瞬でも顔を緩ませたら、彩に引っ叩かれそうだ。
アイツは、絶対やる奴だ。うん。
どうしよう。バレちゃう……。カズ兄が病気だって……。
でも、普通の人はそんなにすぐに分かってくれないって……。
色々聞かれたらどうしよう? 麻由、ちゃんと答えられないよ。
ただ、オカマって言われちゃう。
そんなんじゃないのに……なんで、隠せないんだろう。隠さないんだろう。
こんなこと言ったら、カズ兄かわいそうだよね。
私達も変な目でみられるのかな? 怖いよ。
お化粧の仕方も教えてもらった。服も買ってもらった。
カズ兄はすっごく優しいんだよ。
基樹が『どうなってんだ?』っていった時、誤魔化さなくっちゃって思った。
そんなこと思っちゃダメだよね
カズ兄は堂々としたいんだよね。女の子として生きたいんだよね。
お母ちゃんとパパが心配してるの。二人で話してるの聞いたことある。
時々カズ兄に元に戻って欲しいって思うときあるの。でも、そんなこと言えない。でも基樹に言われたとき、恥ずかしいって思っちゃったの……。
友達に聞かれたら? 私、カズ兄を守れる?
彩ちゃん。私……麻由、まだダメだよ。まだ、強くなれないよ……。
「……こんな感じかな。麻由が言った言葉……全部ではないかも知れないけど、覚えてる言葉は全部言ったつもり。私は隠せないから、アンタにはちゃんと話すわ。それに、アンタはこれを聞く必要があると……思う。泣きながら、支離滅裂で……。私に縋りながら……震えて。これ見て」
彩が自分の両手首を俺たちに見せた。
まるで、太い紐で縛られていたような跡……。
所々に赤い爪跡らしきものもある。
麻由が握っていたのか?
こんなになるまで……。こんなに強く……。
俺は、何をしてたんだ。
何、後から駆けつけてんだ?
そのときに、傍にいなきゃ意味ないじゃん。
俺はいったい……。
「泣きながら……。一杯一杯……涙、流しながら。思いつめて……私の……手……強く強く……悲しそうに……私、全部……。受け……取れ……て、あげられ……てない……う、う、ぅ」
「彩……」
声を押し殺し泣き出した彩の肩を、晴華が優しく抱いている。
しばらくして、彩は顔を上げると俺を睨みつけ怒鳴った。
「なんでよ! 何であの子があんなに辛い思いしなくちゃならないのよぉ! なんで、あの子にアンタの代償払わすのよぉ! アンタが今まで辛かったのは分かった。ああ、大変でございましたわねぇ! でもあの子のせいじゃないじゃん! 家族だから? 家族は犠牲にならなくちゃいけないの? アンタは家族に守られなきゃいけないの? 男も女もない? じゃ何よ、人間だったら人間らしく自分の責任ぐらいとりなさいよ! アンタが家族、守ってみなさいよ! わぁ~!」
彩が大声で泣き出した。
結局、俺は何も言えず……。
ただ、突っ立ってただけだった。
家に戻って部屋に入ろうとした時、麻由が自分の部屋から出てきた。
「おかえり、カズ兄ぃ」
泣きはらした顔……。
そんな顔で俺に、笑いかけるなよ。
俺は思わず麻由を抱き締めた。
「ごめ……ん。麻由……」
「う……ん。大……好きだ……よ。カズ……兄」




