ロイ・マクエル受難の日々㊳
第60話
「皇女アリーナ」
───────────ユークリッド中央平原。
人の大きさの倍程もある狼たちが、飛ぶようロビンの横を次々と駈け抜けていく。エグルストン皇国が作り上げた戦に特化した軍用狼【軍狼】だった。
軍狼は獰猛で、一度急所に喰らい付いたら死ぬまで放さないと他国から恐れられていた。特に騎馬相手に無類の強さを誇る対騎馬隊の切り札でもある。
「どういう了見じゃ、ゴルヘックス。戦をしに来たわけではないのだぞ。……お主の返答如何によっては、儂にも考えがあるぞ」
狼たちが飛び出すのを見たロビン・ガトリンの雰囲気が一変した。一瞬だが、エグルストン皇王に向けて殺気をぶつけた。
【軍神】と呼ばれた老武人が刹那に放った殺気に、側に居たマグナは息を飲み、身体を凍り付かせた。心臓を鷲掴みにされたかのような感覚だった。
軍狼出撃の指示は、復唱を省略して自分が出した。とある事情があったとはいえ、独断先行である事を申し出て、この場を納めなけければならない。しかし、迫力に圧倒されて声が出なかった。
エグルストン皇王は軍神の殺気にも怯んだ様子はない。真っ向からそれを受け止めて、なお平然としている。
「そう血相を変えるなロビン、先ずは軍狼を用いてその50騎を止める事が目的よ。話はその後だ。あの軍狼たちを見れば、此方がエグルストン軍と一目で解ろうしな」
「確かに軍狼を見ればエグルストン軍と解るだろうが、あの軍狼たちはいきなり襲い掛からんじゃろうな? あんなのが30頭も一斉に掛かられたら儂でも危ういわ」
「調教は済んでおるし、賊徒1000を相手に無傷で追い込んだ実績もある。アリーナの近衛騎士団が躾ているあの軍狼たちは、あくまで威嚇や足止めを任務としておる。心配無用であろう」
「……誠であろうな、ゴーベ? 戯れ言で煙に巻き、追い付いたら血の海でした。では済まされんのだぞ?」
「ほう。一体どう済まさんと、言うのですかな?」
二人は互いに闘気を放ちつつ、睨み合うような格好になった。ロビン・ガトリンは剣を、エグルストン皇王は槍を、いつの間にか手にしていた。
【軍神】ロビン・ガトリンはいまだに語られる無敗の武人。しかしエグルストン皇王とて槍をとっては人後に落ちない強者だ。
50騎はもう目と鼻の先にまで近づいている。軍の司令塔が混乱しているのは不味い、何が起こるかわからないのが戦場だ。
マグナはなんとか二人を止める為に馬を進めようとするも、馬も本能的に恐ろしさがわかるのか近寄ろうとしない。
自分が発端での軍神と王の一騎打ち。ここまで来て、最悪の事態が起きようとしていた。
「得物を収めてください、ロビン様、お父様。誓って、軍狼たちに無用な殺戮などはさせません」
馬を止めて睨み合うロビン・ガトリンとエグルストン皇王の前に、腰まで伸びる銀色の髪を靡かせながら一騎の騎馬兵が進み出た。
彫像のように整った顔立ち。しかし尖った様な雰囲気ではなく、何処か角の取れた風貌の女性である。
「む。ようやく戻ったかアリーナちゃん。出陣から此処までどこに行っておったのかの?」
「少し気になったので馬車の様子を見に行っておりました。ロビン様、馬車に乗る彼女たちは、帰国を望みながらも不安が大きいのです。引き渡される前に、一人ひとりに声を掛けてきたのです」
そう言うとアリーナと呼ばれた女性は、朗らかに微笑んだ。曇りのない笑顔にロビンも皇王も毒気を抜かれたように闘気と武器を収めた。
「……彼女たちには『戦場ですが諍いなどは絶対に起こりません、安心してくださいね』そう言って励ましましたわ。そうなのでしょう?」
ふんわりと親しみやすく、人懐っこい笑顔が二人に向けられた。
「……だそうだ、ロビン。腕を上げた余の槍を見てもらえなかったのは少し残念だが、余計な諍いは避けねばなるまい」
「……まあアリーナちゃんがそう言うなら、信用しておくかの」
ロビン・ガトリンとエグルストン皇王はようやく完全に闘気を鎮めた。側で見ていたマグナもほっと胸を撫で下ろした。
それにしてもアリーナ様だった。昨日の会議では俘虜たちの世話役として一歩も引かなかったのに、この戦場に於いてはたった一言で、音に聞こえた武人2人に矛を収めさせてしまった。
堂々たる振る舞いに目頭が熱くなる。身分は違えどアリーナ皇女と私は幼い時分から共に育てられた、いわば幼馴染なのだ。
宗教『人信道』に帰依し、皇女の身分にありながら気さくで朗らかな性格は、貴族だけでなく下々の者たちからも敬愛されていた。
元花蘇芳の女性たちの悲劇をつぶさに聴き取り、一時は人間不信に陥るほどに苦しんでおられていた。しかし今の姿は一切の迷いがない。これまでの葛藤が嘘のような逞しさだった。
エグルストンの女神は、ようやく完全に復活されたのだ。しかし気は引き締めねばならない。
……幸いにも、ここまでは全ては上手く運んだ。しかしまだ、予断は許さない状況だ。あの男の最後を見届ける迄は。
マグナは馬を走らせながら、アリーナから3日前に打ち明けられた話を思い出していた。
二人で参加した昨日の【政務会議】。あの時から今回の謀は始まっていたのだ。
──────────エグルストン王宮、前日。
「私は反対です、お父様。彼女たちをユークリッド国に帰国させるなど」
艶めく銀髪を右手で払いながらスッと立ちあがった若い女性は、上座に座る皇王に向けてはっきりとそう言い切った。
周囲に座る男たちは困ったように顔を見合わせ、口を出さない。
女性は厳しい表情だ。色白で整った顔立ちが凛と引き締まっている。その表情からは、他を圧するような意志の強さも窺わせた。
そのまま次の発言もなく、会議の開かれている【政務御室】は軽い沈黙が続いた。
此処はエグルストン皇国内の王宮で、今はロビン・ガトリンがユークリッド国から言付かった同国から提供されていた開拓補助俘虜たちの返還についての会議中であった。
沈黙を続ける周囲を見回すと上座の皇王が口を開いた。
「よいかアリーナ。あの者たちは女俘虜として一時的に預かっているに過ぎない。帰りたくないならともかく帰国を希望するなら是非はない」
「まだ年端もいかぬ少女もいます。国に帰っても縁者が今も生きているかわからないのですよ? 身よりもなく路頭に迷うかもしれないような決断を、ここにいるお歴々はなんとも思わないのですか?」
長い銀髪以上に人を惹きつける蜂蜜色の瞳は、エグルストン皇王でもある父譲りだ。怒りを露わにしている最中でも、隠せない気品が滲み出ていた。
鼻の下を伸ばして宥めようと立ちあがった上級文官をアリーナはひと睨みで黙らせる。
皇王に堂々と意見を述べるこの若い女性こそ【エグルストン・ロンメルヘン・アリーナ】エグルストン皇国の第一皇女である
「控えよアリーナ。前日の会議でも今日でも反対は末席のお前だけだ。明日には返還の為に軍を動かす。お前は急ぎ南方の開拓地に入り、俘虜たちに無罪放免で帰国できる旨を伝えよ。よいな」
厳しい顔付きで上座の上段に座るエグルストン皇国皇王【エグルストン・ロンバルディア・ゴルヘックス】は末席に座るアリーナに向けてそう結論を突きつけた。
「……ロビン様のお話では俘虜を引き渡すのはユークリッド王を失脚させた逆臣たちと兵なのでしょう。そのような者たちなら、引き渡しが済むやいなや残虐な行為に到らないとは限りませんね。お父様」
「……なにが言いたい?アリーナ」
「曲がりなりにも平和な国エグルストン皇国の庇護下にあった女性たちです。引き渡しの際には酷い目に合わない様に皇国軍を用いての圧力をお願いします」
「……良いだろう、許可する。俘虜たちの開拓活動があったから南方の荒れ地が入植可能な住みやすい町となれた。それに近衛師団はあの近辺の出身者が多く、喜んでいると聞いている。護衛役には近衛師団に出てもらおう」
「家財を持ち出す馬車や当座の生活費もあるとなお良いかと存じます。」
「それは『人信道』の教えか? かの信仰は財を蓄えるものでは無かろう。これまでの働きに準じた報酬は良いが、家財は国からの支給品だ。この後入植地に転居を希望する者たちの為に家財は残すべきである」
皇王の話は道理を得ている。だが元花蘇芳だったこの女たちの世話役をしていたアリーナは、少しでも多くの財を持たせてやりたかったのだ。
犯罪者への労役活動を科され、ユークリッド国から送られてきた彼女たちだったが、決して凶悪犯罪者というわけでは無かった。
頻発する戦で親兄弟を亡くしたり、全ての財産を失ったりして生きるためにわずかに国の情報を他国に流しただけの若い女たちなのだ。
それがユークリッド王により国を追われ、数年もの間他国において無報酬で働かせられたのだ。食事と家は提供されたが先の見通しは全くなく、逃亡を図り死罪になった者も数人いた。
根本に目を向ける。本当に悪いのは誰なのか? 全てあの父子の王の責ではないのだろうか?
その昔、ぬけぬけと英雄を騙った、あの愚王の。アリーナの強く握られた拳が、テーブルの下で白くなっていた。
「アリーナ様。かねてよりの…………」
アリーナの後ろに控えていた金髪ポニテの女性が、アリーナに小声で何かを耳打ちした。聞き終えたアリーナが皇王に話しかける。
「護衛の騎馬隊にはアリーナ近衛騎士団も随行させます。軍狼の働きを見せる機会もあるかと存じますわ。……それならばいかがでしょうか?お父様」
エグルストン皇王は少し息を吐くと諦めたように許可を出した。
「母に似たのか信仰心か……引くことを知らんのう。まあ良い、今回は許可しよう。好みの家財一つと馬車の準備。十分な報酬も持たせてやれ、アリーナ」
「寛大なご処置、有難うございます。慈悲深き賢王だと彼女たちも喜びます」
アリーナは【人信道】の礼儀に従い深々と頭を下げる。それでこの会議は終わりとなった。
「毎回毎回、皇王に噛みつくような真似はお辞めくださいアリーナ様。しかも重臣の皆様まで無用に貶めて。本当に『人信道』の信徒なのですか? それとも駄々っ子ちゃんですか」
「……マグナ、現在進行形で貴女も私を貶めてるわよ。それにああでも言わないと誰も真剣にならないでしょ? 私だって本当は、あんな言い方嫌よ」
会議に出ていた第一皇女のアリーナとお付き武官であるマグナ・スバルは皇女の執務室に戻って来ていた。
二人とも着替えを手伝うメイドを横に置いたまま、大急ぎで乗馬用の服に着替えている。
アリーナたちのやることは山積みだ。
先ず財務部に行き帰国者たちの報酬金を受取る。その足で自分の騎士団の団長に明日の出兵を伝えたら、輜重部隊屯所に行き、馬車と乗り手を借り受ける。
そのまま馬車を引き連れ馬を飛ばして南方の開拓地に赴かなければならない。今は昼過ぎだから彼の地に着くのは夕方頃になる。少しでも急がなければ彼女たちは夜通しの荷造りになってしまう。
「そういえばアリーナ様。妹のエリザヴェータ様は伴われないのですか?」
「きっと部屋にいないわ。おそらく作戦戦務部の奥に引き込もっているか、今はロビン様に懐いているので二人で城下を彷徨ているかよ。それに、あの子を連れて行きたくないの。マグナ」
「開拓村にもよく一緒に行きましたのに、最後ぐらいは別れの挨拶をさせてあげたいですね」
「残念だけどあの娘は『人信道』の信者ではないの。悩み事を聞いているふりをして他国の間者だった者の情報を聞きたがっていただけよ。いうなれば知的好奇心でしかない」
「そんな。俘虜たちの話を聞いて涙を浮かべたりしてましたし。13歳の少女には辛い話を懸命に受け止めているとしか感じませんでした」
「……あの子の見た目に騙されないでね。驚くほど頭が切れるのよ。『才媛』とか『天才』だとかはあの子のためにある言葉だと思うほどよ。それに姉妹でありながらも、あの子が何を考えているのか、想像もつかないわ」
マグナ・スバルは絶句していた。彼女は母親がユークリッド国出身なので、私と同じ世話役として、俘虜たちの世話を良くこなしていた。私と同様に【人信道】に帰依する信者でもあった。
しかも彼女は私のお付き武官であり、エリート兵士で剣もかなり遣えた。なので【アリーナ近衛騎士団】の副長も務めている。
ただ、根が純粋過ぎるところがあった。異母妹エリザヴェータの涙顔を簡単に信じてしまっている。
逆に団長の【オズワルド・フィン・ルーズリッター】は猜疑心のかたまり。女性であり、頼もしい女武人だが女性らしい慈悲深さには欠けた。例え女であれ国を裏切った者に係わる気はない、といった感じなのだった。
「さあ、ポカーンとしてる暇は無いわよマグナ! 今は妹の事はいいからルーズリッター団長が師団本部に居るか確認をお願い。私は今から財務部に出向くから」
「し、承知しました。アリーナ様。あと、それ以外も、手筈通りで宜しいのですね?」
「ええ。そうよ。彼女たちの安息の為に」
二人は僅かに視線を交わした。明日、実行の日だ。
乗馬用の服に着替えを終えると、二人は貴人らしからぬ足取りで執務室から飛び出す。それぞれが別方向に駆け出して、すぐに見えなくなった。
勢いよく開け放たれたままになっていたドアを閉めようメイドが内側からドアノブに手を伸ばした時、ある人影に気付き声を掛けた。
「…………こ、これはエリザヴェータ様!? 白いベールを被られておられるので気付きませんでした。何かアリーナ様にご用事でしたか? 今からお出かけ」
「いいえ、特に。……姉は開拓村に行くのですね。声が漏れ聞こえてました。では失礼」
メイドの返事も待たずに【エリザヴェータ】と呼ばれた少女は返答を返した。白ベールを被ったその少女は黒い瞳を細めると、そのまま別方向に歩いて行ったのだった。
─────────再び、ユークリッド中央平原。
「おお、ようやく50騎が見えたぞ。どうやら上手く足止め出来たようだ。見よ、アリーナ。軍狼が遠巻きに取り囲んでおる。…………ん」
エグルストン皇王の言葉に、思考の奥から我に帰ったマグナは慌てて前方に目を向ける。アリーナやロビンも、同じ様に前方に目を凝らした。
確かに騎馬隊を狼たちが取り囲んでいるのが見える。が、マグナは少し違和感を覚えた。騎馬隊の中からは凄惨な悲鳴は勿論のこと、軍狼に囲まれた恐怖に慄くような雰囲気もない。
アリーナ様と私は顔を見合わせた。一体どうしたとゆうのだ。軍狼たちには密かにユークリッド王を始末する事を仕込み済みの筈なのだ。
私達が馬脚を速めてさらに50騎に近寄っていくと、にわかには信じられない状況が目に飛び込んできた。
軍狼が10頭ほど倒れている。取り囲んでいるように見える軍狼は20頭で、これは威嚇などではない。単に騎馬隊に怯えて、離れているだけのようだった。
考え難い今の状況にあ然とする。
エグルストン皇王は目を見開いて、ある一点を見つめている。横にいるロビン・ガトリンは、特に驚いた様子はなくキョロキョロと50騎の騎馬隊を確認しているようだった。
そしてさらに近づくにつれて私とアリーナ様は異彩を放つ、ある騎馬の存在に気が付いた。
馬の背に立つ一人の少年。飄々とした表情で軍狼たちを睥睨していた。取り囲む軍狼たちは尾を下げて、その子を見ている。
しかし一頭だけ、その少年の目の前で、尾を高々と上げて立っている軍狼がいた。
白銀の毛並みで殊更逞しい躯のその軍狼は、姿勢を低くして構えている。正に今、飛び掛かる寸前だ。
あの軍狼はアリーナ様の軍狼【ランエン】。エグルストン皇国の軍狼の中でも最強の狼だ。何故? あの少年に狙いを定めているのか?
「待ってランエン!」
アリーナはそう声を掛けようと手綱を引いた。だが余りに異様な光景に、馬の動きが鈍い。
【軍務上の事故を装い、軍狼を用いて世を乱す愚王ユークリッドを亡き者にする】
3日前に二人で立てた謀だった。それがとっくに潰えている事を私達が悟る前に、ランエンが雷光の如き素早さで少年に躍り掛かっていた。
最後までお読み頂き有難う御座いました。




