ロイ・マクエル受難の日々㊱
第58話
「いつか見た笑顔」
ユークリッド王が騎乗しているトウ・オーカの前に立ち、怯む事無く無言で見上げた。そんなユークリッド王の姿に鼻を鳴らしてオーカが口を開いた。
「ふん。小賢しいなユークリッド。昔の事など何一つ話さなかったお前が、饒舌に己の過去を語ったではないか?」
「……お前の方は少し変わったなオーカ。落ち着いている。我を前にしようとも血気に逸らない。むしろ心気が澄んで冷静さが増している。一体何があった?」
「ちっ、そうゆう物言いが小面憎いというのさ。過去の話はそれなりに聴けた話ではあったがそんなことで己のしてきた事が全てチャラにはなるわけではない」
オーカは手に持つ大戟をワザとユークリッド王の眼前を通り抜けるように振り回すと左脇に挟んで構えた。トウ・オーカの身体からは強烈な闘気が放たれ、気迫も漲っている。
ユークリッド王も負けじと気を放つ。だが王の体は既にボロボロで、オーカの闘気に比べその闘気は弱々しく、戦っても勝敗は誰の目にも明らかに見えた。
「……これは貴殿の目論見どおりということなのか? マーク・ザイン?」
「……目論見とは? イル・バンバ殿。聞いている内容が抽象的に過ぎます」
ユークリッド王とトウ・オーカから少し距離をとった二人が探り合うように話し始める。
「お主は元々箔山の民の依頼で動いておるのだろう? トウ・オーカに王を討たせて彼女をユークリッド国の新たな王に据える。それが貴殿らの最終目的ではないのか?」
「ふむ。確かにオーカ殿にユークリッド王を討たせるならばそういうことは可能ですね。ただそれは目的ではありません」
「お主は王を殺そうと思えば殺せた。それがわざわざ生かした。リーレンも儂も、結局王は討てなかった。どうにも読めんなマーク・ザイン。お主、いや貴殿らの本当の目的とは……一体何だ?」
元々は『ユークリッド王を助けたい』そんな事を言い出した馬鹿がいたせいなのだが、今はそれが正解であったとマークは思っていた。
「確かに王を殺すつもりはありませんでした。悪評高くともユークリッド王を討ったならばそれが新たな争いの火種になりましょう。それにお二方にとってはユークリッド王は孫も同然。最後は情が足枷となり討てなくなることも予想の範疇ではありました。もしお二方が討ち果たす覚悟で剣をふるっていたらそれを私は止めたでしょうね」
「増々わからんな、目的が。……まあ察しの通り情けない話だが、幾ら外道と言われ様ともバルサラは儂ら2人、いや乳母も含めると3人かな。3人で育てたようなものだ。この国に平和と安寧をもたらす英雄にしたいという3人の夢をあの子に託した。だがあれは優し過ぎた。仁の心で全てを背負い、そして壊れた。儂らが壊したようなもので、それが新たな悲劇を生んでしまった」
あのトウ・オーカたちが花蘇芳に代わってユークリッド国に刺さった棘になってしまった。オーカも含め多くの女性たちに花蘇芳の嫌疑を掛けて尋問や拷問にかけた。死に至った者も多い。王の【女狩り】とはその実、そんな女達を秘密裏に集める為に行なわれたものなのだ。
国内に花蘇芳の如き内通者を多数抱えている事が公になれば、国内情勢や治安が乱れて他国からのさらなる密偵呼び、他国との戦争すら招きかねない。我らの起こした今回の反乱とは比べ物にならない戦禍が国を襲うだろう。
其れを恐れたからこそバルサラは【王の痴情による女集め】の体を取ることにしたのだ。上手いやり方ではあったがやはり多くの歪みを生んだ。トウ・オーカやアビスの姉などがそうだ。
最後まで花蘇芳の嫌疑が晴れず拷問を受け続けた者や、身内に類が及ばぬ様にと尋問期間に服毒自殺をするものも多かった。儂は王の烏からの報告を聞いたに過ぎないが、4年余りの間に多くの拷問官が離脱していた。筆舌に尽くしがたい行為が行われていたはずで、王が壊れて歪んでいったのは間違いなくこの時だと思う。
「確かにユークリッド王の少年時代と王になった後とでは人が変わったかの様な豹変ぶりですね。壊れた……ですか、なるほど」
「馬鹿げた理想や夢を孫に背負わせ、外道であるかのように仕立てた。そして今回の反乱はその業ごと、儂の手で葬るつもりでいたのだよ。ははは、孫を使えるだけ使って用済みとならば始末する。非道い逆臣よ、イル・バンバと云う男は。死ぬべき外道は儂の方であろう? マーク・ザイン」
暗い表情で自嘲気味に笑うバンバの顔をマークは敢えて見なかった。武人の人生には常に黒い後悔が付きまとう。逃れようのない宿命のようなものだ。
戦乱の世に生まれてきた。それが全てなのだ。己の目指すべき道が武人としての先にあるのなら、これからも付きまとい続けるだろう。
「……それでバンバ殿は王を殺して自らも死ぬ気で陰腹を斬って戦場に来られた訳なんですね。決意は結構です。ですが王とあなたが死んではこの国は元の木阿弥。例えリーレン殿が王位を継ごうとも争いは絶えないでしょう。バンバ殿らしくない。良い選択ではないですよ」
「しかし、もはやバルサラの命は……」
トウ・オーカの前に立つユークリッド王は、立っているのも不思議なくらいの重症だ。死線を越える呼吸を使い、最後の誇りを保っているのは自らの所業の罪滅ぼしの為だ。あのままオーカに斬られて死ぬ気でいるのだろう。
「私に打ち据えられた事以上に、お二方の反乱は少なからずユークリッド王が自分を取り戻すきっかけを与えたと思います。決して無駄ではありません。王位は降りて貰いますが命だけは長らえる手筈は整えてあります。私も英雄となり得る者を殺したくはないですからね」
「手筈と!? それが貴殿の目的だったと言うのか? しかし待たれよ、トウ・オーカはあくまで王の首を取る気だぞ。いかに英雄として目覚めようと、オーカに対しどう詫びようと、彼女の怒りの炎は収まりはすまい。決して、止められぬ」
「その怒りの炎。消してしまえる人間がいるんですよ、イル・バンバ殿。オーカの騎馬をよく見てください、あれこそが私の主であり、今回の戦に於いて箔山軍と中央ギルド軍を束ねる総大将のロイ・マクエルです」
そう言ってマーク・ザインはトウ・オーカの後ろを指差した。バンバはそれを見て口を開けたまま固まった。オーカの後ろから何かしているロイの姿にマークも同じく一瞬固まる。
あ、あの馬鹿は一体全体、何をやってんだよ。……まあ待て待て慌てるな、想定内想定内。一応はフォローを入れておこう。誤解を生みかねないしな。マークは溜息をついた。
「いかに戦略、戦術を練ろうとも結局のところ人の想いが人を動かす。自分の想いをただ素直にぶつければいいのです。それこそが本来の人のありようだと思うのですよ、バンバ殿。た、多分」
「そ、それは、そう、かもしれぬが……」
言い訳じみた口調だったがマーク・ザインの言葉には不思議に説得力がある気がした。目の前の光景には一見首をかしげたものの、よくよく見るとあの少年の行為は素直に心配しての行為なのだと直ぐに判る。そもそも【平和】などと云うものはそんなに肩肘張ったものでなく、こうゆうものなのかもしれない。
自分が笑おうとしている事にバンバは気が付いた。皮肉な嗤いでなく馬鹿笑いのそれだ。声が出そうになる笑いは数年ぶりだった。
「はっはっはっ。さすがにそいつはイカン、少年。オーカ殿がブチ切れる前に止めておけ、首から上が無くなるぞ」
こんな馬鹿げた笑いも悪くないではないか。素直にそう思える自分が居た。馬鹿笑いと共にバンバは心の底に溜まっている黒い澱のような沈殿物が流れていくのを感じていた。
「…………おい、聞こえたかロイ・マクエル。何故にお前は後ろの肩口からアタシの胸元を覗き込んでいるんだ?」
トウ・オーカはユークリッド王を睨み付けながらも冷え冷えした声でロイに語りかける。ロイは後ろから右手でオーカの胸元の服を捲り上げて覗き込んでいる。どう観ても変質者の行為で、流石にオーカの額に青筋が浮かんでいた。
「い、いやオーカさん。鉄筆を胸元に仕込んでいるでしょ? それなのに大戟を振り回してとか危険です。き、き、綺麗なお、乙πに傷がついたら駄目ですので僕が取り除いておきます」
そう言ってロイは左手をオーカの胸元に差し入れるとモゾモゾと動かし始めた。ロイは大真面目な表情でやっているが、している事は完璧に痴漢のソレである。
「!?ちょっと待て!ま、待って待って!? だ、大丈夫だから。それに簡単に落ちないように谷間の奥に入れてあるから! ぜ、全部取り出すのなんて不味いから……」
「大丈夫じゃないです。お嫁に行く前の身体は綺麗なままでいないと。ぼ、僕がお、お婿さんならぜっ、絶対止めさせます」
その言葉にオーカの身体がピクリと跳ねた。胸元を覗いているロイには胸全体に刻まれた醜い入墨が観えているはずだ。その入墨を見てなおアタシの身体を綺麗な身体だと言ってくれるのか……。
オーカはむず痒いような、温かいような、不思議な気持ちに襲われた。何故か顔が赤くなっていく。感じた事のない感情を持て余す自分がいた。
「フ、フォフォ!! トウ・オーカめ!見損なったわ。そんなブサイクな餓鬼を侍らすなどと何が女傑か! いつもの鬼の様な顔はどうした!?!つつっ」
顔を真っ赤にして胸元を弄られているのに軽い抵抗しかしないトウ・オーカに言い様のない苛立ちをユークリッド王は覚えた。思わず罵声を浴びせていたが飛んできた鉄筆が額に当たり悶絶する。
その鉄筆はオーカに纏わりつく餓鬼が投げた様で、ユークリッド王は増々苛立った。
「こ、このが、餓鬼めが! さっさと退かぬか! 今はオーカと我は大事な話をだな……」
「オーカさんの笑顔って桜の花が咲くように華やかなんです。知っていましたか? ユークリッドさん」
「!!!」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・」」」
静かな語り口調だが、ロイ・マクエルの言葉にその場の全員が押し黙った。ユークリッド王は絶句したまま動きをピタリと止めた。
「オーカさんはもう貴方を許すと僕と約束してくれました。王宮の女性を解放することや貴方が王様を辞める事が条件ですが、もうここが争いを終わらせるいい機会だと僕は思います。貴方は生きて、心に溜まった倦みを落として下さい」
そのロイの言葉にユークリッド王は一言も返せなかった。トウ・オーカは憎んだ自分よりも餓鬼の言葉を優先したのだと理解し、その場で項垂れた。
ここに来る道程でロイ・マクエルはトウ・オーカへの説得に成功していた。
始めは助命にかなり渋ってはいた。けれど話の最中に胸ぐらを掴まれた時、胸に収めたままだったオーカさんのくれた花束や身体中傷だらけの状態で戦場に戻ってきた事に気付いて戦を長引かせたくないと了承してくれたのだ。僕の身体を気遣ってくれていた。
話の最後に見せてくれた笑顔はとても華やかで、僕は心を射たれた。乱暴な言葉使いで隠しているけどやっぱり優しい人なんだ、トウ・オーカと云う人は。
この人にはいつも笑顔でいて欲しいなと、心から思った。
「桜の、咲くような笑顔か……我、は見たことはない、な。人の笑顔すらも、もう遥かに遠い、昔の夢のようだ」
ユークリッド王は項垂れて下を向いたまま、言葉を零した。身体中から力が零れ抜けていくのが判る。命までが零れていくようだった。そのまま膝の力が抜け倒れ込もうとした時、誰かが身体を受け止めた。
受け止めたのはリーレンとアビスの二人だった。二人の目には涙が浮かんでいる。色んな想いが綯い交ぜになった瞳だった。その瞳を見た瞬間、数え切れ無い想いがユークリッドの胸に押し寄せた。二人の想いも複雑だ。決して一言ではその想いに答えることなどできそうもない。
敵か味方か。自分はいつも人をそうやって分けてきた。違うのだ。人はそれ程単純ではない。ようやくだがそれが解った気がした。
今は切実にこの国の民草、一人一人と話をしたいと思った。王などではなく、同じ民の一人として。自分が見失なったもの。忘れて来たものがそこにあるのかも知れない。
あのくそ餓鬼の言うとおり、やがては歪んだ心の倦みが流れ出て我は、いや、私は花の美しさにも気付ける男になれるのだろうか? 微かな羨望の眼差しをユークリッド王はロイ・マクエルに向けた。そして静かに口を開いた。
「…………ユークリッド国の国王をウルグ・リーレンに任せよう。アビス、オーカ、バンバ。その者たちで補佐を宜しく頼む」
ユークリッド王の口から出たその宣言に戦場がどよめきに包まれた。そのどよめきは意外と心地よい音楽の様に、バルサラの耳に入って来た。
昔見た乳母の柔らかい笑顔が何故か今、頭に浮かぶ。ひとすじの涙がバルサラの頬を流れ落ちていった。
────────────────同時刻。
ロイ・マクエル達がいる川沿いの丘から僅か3里ほど南に、精強無比な騎馬隊と一万程の軍勢が進んでいた。旗印は巨大な王冠。それは中央6ヶ国一の大国、【エグルストン皇国】のものであった。
最後までお読み頂き有難う御座いました。
評価ポイントやいいね、ブクマありがとうございます。第三部ラストスパートに入ってます。頑張って書いていきます。




