ロイ・マクエル受難の日々㉛
第53話
「ハウンズ・マーク・ザイン」
「ユークリッド王をあの、助けてあげませんかがぁ? マ、マーク兄さんっ!ぁあっァ鼻!兄さん鼻!鼻ぁ〜!」
マーク・ザインの目が煌めく様に光ったと思った瞬間、マークの右手がロイ・マクエルの顔面を捉えていた。ロイはピクリとも動けない。
『助けてあげませんか』とロイが言い終わらない内にマークの早業が炸裂。瞬きする間もなくロイの右の鼻穴に、マークの人差し指が深々と鋭く突き入れられていたのだった。因み指は第2関節まで到達していた。
マークはそのまま徐々にゆっくりと、鼻骨を持ち上げる様にロイの鼻を上に持ち上げていく。事情を知らない人間が見たら思わず噴き出すほど滑稽な姿勢になっていた。
「・・・ロイ。お前は一体何を言ってるんだ?コラ。『ユークリッド王を討ち、トウ・ユーナを助ける』そうではなかったのか〜? んんんー。そうか痴呆か? 痴呆なのか? 13歳にして要介護認定か? 早期に治療が必要だなやむを得ない」
「兄さん、痛い痛い。コレって治療じゃない! コレは痴態。最初の『ち』しかあってない! おまけに滑稽過ぎるよこの体勢は! ま、まさかこれは前衛的芸術への不埒なる挑戦?僕も閃いた! タイトルは『煌めく指先、キラメキーノ』って、やかましいわ! いだいいだい指グリグリはやめてぇぇ」
ナナメ上な事を言い出したロイに毒気を抜かれたマーク・ザインは指を引き抜いた。ロイは『あふぅ』と声を漏らして蹲る。
マークは『ある意味快感』と蹲ったまま呟くロイの言葉を聞かなかったことにして話を進める。
「で? そのお願いの理由はなんだ、ロイ。トウ・オーカを始め箔山の民も巻き込んだ戦なんだぞ? おそらく大勢が命を落とす。安い哀れみの気持ちから言っているのならば話にもならん」
マーク・ザインは少し殺気を込めて言い放った。此方にとっては乾坤一擲の賭けになる戦だ。マークもだがロイ・マクエルは作戦上、一番危険な死地に立つ事になっていた。敵の大将の命を救う気持ちなど自軍の中には全く不必要な事だった。
「・・・・・・・・・」
無言で見つめてくるロイの瞳は澄んでいて、こちらの心の奥底までを覗き込まれている様に感じた。そして瞳の光は頑強な意思も感じさせる。マークは微かに苛立った、確かにこの戦には引っ掛るところがある。だがどうしようもない事なのだ。
本当の性根や志がどうであれ、ユークリッド王は命を奪われるだけの事をしてきたのだ。もう取り返しがつくとも思えない。
「・・・理由を聞かせろ、ロイ。何故、あの魔王を生かす気になった?」
マークにとっては所詮ユークリッド王など路傍の石であり、ロイ・マクエルには自分の戦いに集中して欲しかった。もしも甘い考えから来ているのならば、此処でその考えを叩き潰しておいた方が良い。マークは改めて鋭くロイを睨みつけた。
「・・・血で血を洗う様な復讐劇からは何も生み出さない。マーク兄さんならわかると思う。僕を、迷いの森に居た僕を見てきた兄さんならば、」
復讐を遂げても何も残りはしなかった。ただ血塗れの手だけが残り、憎悪と殺人と云う悔恨がどこまでも心を苛み続ける。憎しみは連鎖し、そして狂っていくのだ。
・・・かつてリリアーヌ先生や母様の仇討ちで両手を血に染めた僕にはそれが解るのだ。どこまでいっても救いはない。今回の戦は舵取りを一歩誤れば、ユークリッド国が憎しみの渦に巻き込まれ、そして行き着く先は、亡国にまで至るかもしれない。
そんな、悪い予感じみたものがロイには感じとれた。ならばそうならない様に動く必要があると、ロイは兄に声をかけたのだった。
「トウ・ユーナの引き渡しを防ぐだけでこの戦、止めておけと云うのだな?ロイ」
「戦だから難しいのは分かります。でも、マーク兄さんならば出来ると思う。上手くこの戦を終わらせる事が・・・あと、」
「あと?」
「救われないままで生きてきた。迷いの森に居た僕みたいなユークリッド王を、生まれ変わらせてあげて欲しい。本当はコッチがお願いの本命なんだよね。へへへ」
この野郎、難しい事をあっさり言ってくれる。マークは大きなため息とともに思わず天を仰ぐ。これは、難題だ。
「・・・・言っておくがあくまで可能ならばやってもいいだ。それは納得しておけよ? ロイ」
ロイ・マクエルはゆっくり頷くと、にこやかに笑った。
・・・そういや俺もお前も、お祖父様に救われて今があったのだったな。マーク・ザインはロイ・マクエルを睨みながらゆっくりと右手の指をピースサインのように構える。流石にロイも今度は鼻周りを警戒していた。
「言っておくがユークリッド王の事を死ぬほど憎んでるトウ・オーカの説得はお前がやれよ、ロイ。戦で怪我でもして、それをたてにでも説得するんだな。・・・なんなら看病してもらう名目で一夜を共に過すとかはどうだ? おー、凄いぞ一石二鳥だ! 上手くやれば姉妹揃ってお前に惚れるぞ! 最高じゃないか!」
「なぁぁぁぁ!?・・・な、なるほどぉ兄さん~〜!!マジか〜!そんな手がぁァあっァァ」
ロイの隙を突き、マークは再びロイ鼻の穴に人差し指と中指を瞬時に突き立て持ち上げた。奇声が響く。さすが思春期少年、エロい話に直ぐに浮かれる。これは貸しだからな、ロイ。しっかり返せよ。マークは鼻釣りしたロイを天高く持ち上げた。
奇声が嬌声に変わったあたりでマークはロイを地面に降ろした。ロイは両鼻から鼻水を垂らしながらも『姉妹丼・・・』『18禁・・・』と呟いていた。ロイの呆けた顔にマークは思わず吹き出した。やはり思った通り、世界を面白くしてくれそうだよお前は。
今度はマーク・ザインがにこやかに笑いながらロイ・マクエルの手を取り立たせてやる。
しょうがない。総大将の命令だ、上手くやるさ。但し、俺なりのやり方でだ。マークはガシガシと頭を掻くと、素早く馬に乗り込み箔山峡谷の林を後にしたのだった。
川を越えた丘ではガラコ軍、ユークリッド軍、そしてアズ軍もいつの間にか戦の手を止めていた。三軍の精鋭が集まるその丘の中央にユークリッド王とマーク・ザインが互いに馬に乗り、対峙していた。
マークの口元には薄ら笑いが浮かんでいる。
「薄汚い目付きだ、ユークリッド王。いや怯えた畜生の目かな。お前は本当に王なのか? 悪い冗談だな。ただのケモノだ、お前は。臭い匂いがする盛りのついた獣だ」
「・・・止めろ、暴言は聞くに耐えん。男と男の戦いに言葉はいらん。ただ己のが誇りと、志を賭けて戦え」
先程から黒いフードの男から浴びせられるのは酷い侮辱の言葉ばかりだった。槍が軋んだ音を立てている。ユークリッド王は先程から全力に近い力で槍を握りしめていた。唇を噛み締め、冷静に言い返す。
「ハハハ。誇りだと? いかんな可笑しくて俺の腹が捩れそうだ。女の手籠めにしか能がない外道が誇り? なんの誇りだ?媚笑いの誇りか?」
「っ!いい加減、口を閉じろ! それでも武人か! 武人であるならば最低限の礼儀ぐらいは心得ておろう!!」
「臭いケモノに礼がいるのか? 俺は盛った狂犬などに尽くす礼など持ち合わせてはいない。こんなケモノを生かす為に死んだ友とやらはとんだマヌケだな。憐れで無意味な人生だった。ハハハハハハ」
抑えていた感情が弾け飛んだ。ユークリッド王は両足で力一杯、馬の腹を締め上げた、同時に馬が飛ぶように駆ける。雄叫びとともに正面に居た男に向けて、ユークリッド王の右手から旋風を纏った渾身の槍が突き出された。
人馬一体の螺旋槍がフードの男の胴体を貫いた。
・・・・・・・・・・・かのように見えた。
目の前に、30cm程の棒切れが4つ舞っている。ユークリッド王の槍はマーク・ザインに届く前に槍の尖端から手元まで曲刀によって寸断するように断ち切られていた。目にも留まらぬ光芒一閃の剣だった。
ユークリッド王はその斬撃に我が目を疑った。こんな剣技があるのか。もはや剣術といった類いを超えている。あまりに現実離れした光景に、ユークリッド王の動きが一瞬止まった。
次の瞬間、右の脇腹に衝撃が走り身体がくの字に曲がる。そのまま髪の毛を掴まれ馬上から引き落とされた。咄嗟に受け身を取ると跳ね起きて黒いフードの男の騎馬から間をとる。腰の剣を抜き放ち、正眼に構えた。
たった一度の突きで息が上がっている。全身も汗に塗れていた。ただ、脇腹はどうやら曲刀の峰打ちだったようで痛みはあるが斬られてはいない。あれ程の剣技ならば、槍を切り飛ばした時や、我が止まった時に容易く胴を両断出来た筈だ。何故峰打ち?
「英雄ねぇ。それで? 次はどうする? 虫けら」
黒いフードの男は馬から飛び降りると剣を一閃して我を睨めつけた。残忍に歪んだ口元。嘲りの浮かぶ瞳。ユークリッド王の背中に戦慄が走った。嬲る、つもりなのだ。この我を。
手足を無くして悶え苦しむ小虫の姿が一瞬、脳裏に浮かんだ。逃げ出しかける足を必死に留める。
「お?なんだ? もう逃げ出す算段か? なにが英雄だ、くだらん。やはりお前の友は単なる阿呆だったな。で、乳母とやらも生きていたら今頃は手籠めにでもしていたんだろう? 先に死んでいてよかったな」
その言葉を聞いた瞬間に黒い殺意が全身を駆け巡る。気づいたら狂った様な叫び声をあげていた。前を向く。ユークリッドの目の中にはフードの男以外の全てが消えていた。
・・・今、自分が変わった事だけはっきりと解る。人でない単なる殺意の塊。ヒトの形をしたケモノ。狂った獣に。
「・・・ゆくぞ。フードの男」
「・・・来い。ユークリッド王」
ユークリッドは無言で走り込みフードの男に斬りかかった。交錯する。曲刀の一撃で左肩の骨が砕けた。同時に男の右腕からは血が噴いた。互いにその場で振り返る。どちらも致命傷ではない。再び対峙する。ここで殺す。もう迷いはない。
再び切り結んだ。2合、3合と撃ち合いが続く。肘、肩、胸と衝撃が走る。痛みはない。肚の底から湧き立つ黒い塊が心を支配した。もはや恐怖も、怯えもなかった。ケモノなのだ。何かが目から零れ落ちる。黒い殺意の一部が水となって瞳から流れ落ちる。ユークリッドはそれに構うことなく男に飛び込んだ。
アビスは二人の戦いを30m程離れた場所から見つめていた。何も出来ぬままにただ立ち尽くす。見れば周りの兵たちも動きを止めて、二人の戦いを見ている。ユークリッド兵たちが主の一騎打ちを汚すまいと矛を収め、劣勢だったガラコ軍や、戦にやや消極的なアズ軍も戦いを中断した形になっていた。全軍がこの二人の戦いを見ていた。
足元が少し震えている。すぐとなりにイル・バンバがいるが、唸り声を上げながら固まっている。一歩も動けない様だった。黒いフードの男マーク・ザインは驚くほどの強者で、同時に全く容赦の無い、冷酷な男だった。
マーク・ザインはユークリッド王の心を抉るような言葉を次々に浴びせていて、それはさながら錆びついた鉈で心を無造作に斬り付けるようだった。決して反論できない様に狡猾に、そして非情に切り刻んでいた。
今も二人の間に幾つもの旋風が巻き起こり剣戟音と呻き声が交錯している。
ユークリッド王の剣は一太刀一太刀が鋭いもので兵の2、3人ぐらいなら簡単に両断するほどだ。
だが、マーク・ザインは王の剣のほぼ全てを弾き飛ばし、腕、肩、肘と峰打ちで撃ち抜いている。撃たれる度にユークリッド王の口からは呻き声があがる。動きの不自然さから既に幾つかの骨が砕けているだろう。
それでも王は諦めない。命を削りながら剣を振っている、既に血塗れだった。このまま、ユークリッド王は死ぬかもしれない。アビスはそう思った。
「アビス、儂のことは良い。リーレンの元に行ってやれ。あ奴、下手をしたら王を守りに飛び出しかねん。目的を忘れておるやも」
「バ、バンバ殿、・・・わ、解りました。リーレン様の元に戻ります。せ、戦局は不透明です。ご武運を」
「リーレンを頼む、アビス」
アビスは飛ぶように馬を走らせ、リーレンの元に向かった。そして考えていた。ユークリッド王の悪行は決して許されないし、私も許す気はない。だが王の不遇もリーレン様から聞いていた。少なくない民が王に同情的な気持ちを持っている事も知っている。
この不幸で悲しい連鎖の行き着く先は、ユークリッド王の死以外はあり得ないはずなのだ。私も、無惨に殺された娘たちも、遺族も、それを望むだろう。だが、涙を流しながらボロボロになってでも剣を振るう今の王の姿に、何故か憎しみの心が鈍り始めている。何故こんな事になってしまったのか? どうすればいいのか? なにが正解なのか? 頭が混乱しそうだった。
「お姉ちゃん・・・」
誰かこの、覚める事のない悪夢から救って欲しい。視線を上げて空を見た。視界が滲む、いつの間にか涙が零れていた。誰かの嗚咽が聞こえてくる。哀しみの嗚咽。
・・・それは、自分の嗚咽なのだった。
実は次話においてある事を企画しております。
何をしているかは直接次話をご覧下さいませ。
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これからも「超絶!コミュ障騎士!」を
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