ロイ・マクエル受難の日々㉓
第45話
「憎しみの渦」
戦場の真っ只中で黒い髪が美しく舞っている。それは遠目からでも良く分かり、明らかに兵士たちの間に動揺が広がっていた。箔山治安部隊の黒旗と共に、凄まじい勢いで黒い軍勢がユークリッド軍に突っ込んできた。
戟が舞う事に兵士が二人三人と空中に吹き飛んでいた。止まる気配はない。チラチラと黒い塊の中から時折り見え隠れする赤い光。真っ赤に染まった紅蓮の瞳、その色は地獄の業火を思わせる。ユークリッド王は目を見開いてそれを見つめていた。
あれは、あの紅蓮の瞳には見覚えがあった。
【トウ・オーカ】だ。間違いない。わかった瞬間に思わず渇いた嗤いが出る、蹌踉めいて御車の手摺を掴んだ。
確かあ奴は殺した筈だ。直接 死を与えたわけでは無かったが心も身体もズタズタにしてやった。最後はブツブツ繰り言を繰り返す幽鬼のようになったので興味も失くし、城から追い出した。とっくに何処ぞで野垂れ死にしていると思っていた。
しかし今この戦場で真っ直ぐに、こちらを、我を見ている。最初に会った時と同じだった。何者をも焼き尽くす、赤き紅蓮の瞳。
その赤い瞳はアレに、あの女が我に向ける目に似ていた。我の母上にそっくりの赤い瞳なのだった。
思考が急激に冷めていく。しばらく命の危険に晒される事もなく過ごしていたので忘れていた。兵力は此方が上だ、冷静に対処すれば良いだけなのだ。
『何事も怒りに流されるな』『自分の力を何時も測りなさい』ここにきて思い出すのはとある女性の言葉だった。
父王に疎まれ母上に憎まれる王子、それが我だった。父母のどちらにも全く似ていない、そんなどうしようもない事が嫌われる理由なのだった。だから我はひたすら周りに媚び諂った。いつ廃嫡の憂き目に会ってもおかしく無い、そんな少年時代を過ごした。もちろん周囲はそんな我を嘲り嗤った。特に母上の取り巻きは我に汚物を投げ付ける悪辣さだった。我を怒らせ王に放逐させようとの魂胆が見え透いていた。それでも媚び続けた、決定的に嫌われては本当に放逐される可能性も有り得る。だからヘラヘラと嗤った、媚び嗤いを続けた。
【媚び嗤い王子】と周りから揶揄されていたのも知っていたが気にしなかった。ユークリッド父王に子供は我しかいない、必ず王に成れると信じていた。それを信じれたのはある女性が居たからだ。アヒルの子の我にも独りだけ味方がいた、それは乳母の女性だった。耐え抜く辛さで自暴自棄になりそうになる我を、いつも励ましてくれた。だから耐え抜けた。
そんな乳母が死罪となった。我が18の時だ。理由は我の養育不良だとの事で、母上が命じたそうだ。我を抱いた事もない母上が母とも慕った女性を殺した。
気が狂いそうになる憎悪も心の奥底にしまい込んだ。乳母の教え通りに怒りを抑える事が供養になると信じた。遺骸は我が埋めた。墓の前でも嗤って別れを告げた、咲いの華を手向けた。我にとっての慈しむべきただ一人の女性であった。
やがて媚び諂う王子は父王の病死で思いがけずあとを継いだ。だから王を継いだ後、すぐさま母上に死罪を命じた。母上の取り巻きの女と側近も同様に死罪にした。車裂きの刑。処刑場に響き渡る悲鳴と懇願の声、嗤って眺めた。我をいつも嗤った様にコイツラに只の嗤いを返した。毛の先ほどの悼みも無かった。
暴虐の誹りは出なかった。元々酷薄な王妃として国民の人気は無かったからだ。ならなぜさっさと王妃を国外追放にする様に動かなかったのか? 国民の声が大きければ前王も何かしら動いた筈で、そうすれば乳母も死なずに済んだのではなかったのか。
所詮は民草なぞは強きに靡くしかないのだ。我は既に王だ。我は我のやりたい様にやると決めた。
我を【媚び嗤い王子】と蔑んだのはほとんどが女どもだった。だったら思い知らせてやろうではないか。我が嗤い、女は泣き叫ぶ。それで丁度いい。
そしてあの女が来た。【トウ・オーカ】。それまでの女どもと違い、決して泣くことも媚びる事もなかった。そして母上と同じ赤い瞳。嫉妬と憎悪に心が染まった。その目を見る度、心の奥底から怒りが湧き出して来た。
言っておくが余り我を侮るなよ、オーカ。只の愚か者が謀略渦巻くの王宮の中で生き延びれる筈はないのだ。
あの赤い瞳をズタズタに引き裂いてくれる。その後で両目を無くしたまま妹の破瓜の叫びを聞かせてやる、果たして泣き叫ばずにいられるか見物だ。
ユークリッド王は驚く程素早く、御車の上に登ると声を張り上げた。
「敵は寡兵である、部隊3つに分けて間を広くとって構築せよ。第一大隊、第二大隊の大盾隊は右から侵入した黒旗の先頭部隊を囲むように迎撃、抑え込め。同じ大隊の槍隊は速度が落ちる敵歩兵を両翼から突き崩せ。さらに後方の同弓隊は敵黒旗部隊全体に矢を放て、残った歩兵は盾の包囲を抜けた騎馬を押し包め」
ユークリッド兵達の表情が変わり始める。
「左からくる二振り剣の旗部隊には第三、第四大隊で当たれ。両部隊とも槍隊、歩兵隊、弓隊の三段陣。槍兵は槍衾で近づく敵軍に応戦。歩兵は小槍を使って簡易でいいので騎馬の足止め柵を作る、弓隊は後方から敵騎馬を狙い撃ち。抗しきれなくなったら槍隊は簡易柵の内側に退避、再び槍衾。どこかで止まったら一気に大盾隊で押し包め」
明確でよく通る声で発せられた指示は皆の耳に届いた。浮き足立っていた部隊は一瞬だけ戸惑う素振りを見せたが、三段陣はユークリッド軍の得意とする防御陣である。部隊内にいる歴戦の校尉や伍長は的確な指示だと受け取り、直ぐに動きだした。
「第五大隊は動きやすい散兵陣形を作って待機。崩れそうな陣があれば即座に救援に向かえ。勝ち戦ならば後詰ともなる。直ぐに臨戦体制を」
「「「応」」」
「それと第五大隊から峡谷に設けてある柵の撤去に一部隊向かわせよ」
ユークリッド軍が見違えるように動き出し、またたく間に陣形が展開されていく。さあどうするトウ・オーカよ。つけ上がった端女が。こっちの兵は5千は下らん。箔山の軍など2~300であろう、捻り潰してくれるわ。
ユークリッド王は御車の屋根に立ち上がり遠目にトウ・オーカを見据えた。
「あの無礼な女を捉えたら、両手足を縛りつけてすぐにここへ引立てよ」
先ずは久々に御車内で嬲りものにしてくれる。ユークリッド王はそう考えてほくそ笑んだ。
奇しくもそのセリフは2年前、ユークリッド王が奉公にきたトウ・オーカに始めて言い放った言葉と同じものなのだった。
トウ・オーカの戟がユークリッド兵を吹き飛ばし、跳ね上げた。既にオーカ率いる箔山治安部隊は、ユークリッド軍本隊の中程まで突き進んで来ていた。
10倍以上の兵力差があるが纏まりのない軍などなんら問題にならなかった。オーカの戟が振るわれる度に道が出来るといった状態になっていた。
・・・それがここにきて急激に進めなくなってきた。大盾兵が前面に出て来て上手く騎馬隊の速度が落とされ始めたのだ。速度がなくなり部隊が完全に包囲されたら終わる。理由はわからないがにわかにユークリッド軍本隊がしっかりしてきた。
腹の底からの雄叫びを上げる。そうだ奮い立て。飢えた野獣のケモノ。それこそが私、トウ・オーカだ。此処では引くことも諦めることも許されない。死力を振り絞ってでも進む時なのだ。
───────────伝令兵が林に潜んでいたトウ・オーカの元に次々に飛び込んできたのは20分ほど前だった。5度目の伝令兵が伝えたのはユークリッド騎兵隊の峡谷誘い込みの成功。それとユークリッド本隊が峡谷前で立ち往生しているとの報告だった。
その報告を聞いた瞬間、叫びとも雄叫びともつかない声がオーカの口から発せられた。沈黙のまま閉じられていた赤い瞳が鋭く開き、鈍く輝いた。
貯めに貯めてきた。その煮え滾る憎悪で気が触れそうになった事もあった。はち切れそうな激情を叩きつける時がようやく巡ってきたのだ。醜く刻まれた身体中からこれまでに無いほどの闘志が迸っている。
オーカはすぐさま騎馬に乗り、黒ずくめの箔山治安部隊に号令を出していた。
これまで箔山の民たちはユークリッドと云う国に、いや国王に踏みにじられ続けてきた。
ユークリッド王は箔山の村々の誇りも、自由も、笑顔も、夢も未来も奪いとった。その上で金を餌にいい様にあしらい、雁字搦めにして縛り付けたのだ。あの王が金が取れなくなって弱っていた箔山に付け込み、奴隷や女を狩る狩り場にしたのだ。
私は側室と言う名の娼婦にされた。それは戦場で生きてきた武人の私にとって、死よりも辛い日々だった。
あの王を地獄の業火で焼き払ってやりたかった。
心の奥底に鎮めていたマグマの如き憎悪の激情が、闘気と共に吹き出して止まらない。ユークリッド兵たちよ。トウ・オーカは一切の容赦はしない。此処で死ぬか逃げるか決めるがいい。
恐れる者は去れ。立ち止まるならば死ね。此処は戦場だ。強き者のみが生き残る聖地なるぞ。
オーカは馬上で武威の気を極限まで練り上げた。戟を両手で挟み込むように持ったオーカは信じられない速さで、手にした戟を上と下から挟み込む様に繰り出した。それは一頭の巨大なけものの顎と化した。大盾兵を、壁を、大きく噛み砕き、穿ち抜いた。
耳を劈く轟音。トウ・オーカの繰り出した戟に、ユークリッド兵は一瞬 怯んだ。その間隙をぬって騎馬が駆け抜ける。後ろからは箔山治安部隊の300がしっかり付いてきていた。
───────────箔山峡谷、中央部。
「降伏を入れてくれた事を感謝する。騎兵隊の全員を捕虜とすればユークリッド国との交渉もしやすいと思う。ギルドがこの戦に絡んでいたのは少し驚いたが、いい様に使ってくれ」
「・・・・・・・・・あっさり降伏してくれたのは助かりました。でも積極的な降伏は後で責任を取らされて死罪になるかもしれないわよ、バングラ・ランス将軍。それで良いのかしら?」
「もとより覚悟は出来ている。軍人だからな。一戦も矛を交えなかったわけではない。家族が連座される迄はいかぬと思う」
「神妙なのね。ところで黒い巨馬の騎手に矢を命中させたのは誰かしら? 矢の雨でなく馬が踵を返す一瞬を狙い撃ちにした神技のような矢だと聞いたわ」
箔山峡谷の中央部では降伏を申し出たバングラ将軍と騎兵たちの拘束をギルド傭兵達の手で終えていた。そして峡谷の谷に降りたギルドのフリス・レベルカ達によって捕虜の待遇などの話が進められていた。
「それは私だ。狙ったのは馬上に立っていた武人の方で、神技などではない。あの矢が外れたのはあなた方に運があったのだと思う」
『キンッ!!』
レベルカの剣が鞘から半分抜けた状態で止まっていた。隣にいたギルドマスターのフリス・ローエンがレベルカの右拳を掴んでいた。マリオは今、出血多量で危険な状態だった。ギルド医療部で傷口を治療中だ。
「・・・君の良い人だったのだな。済まない。あの武人も素晴らしい馬術の腕前だった。正直舌を巻いた」
「カッカッカッ。まあ世辞はよい。急いでいくつか聞きたい。今、箔山峡谷入り口にいるユークリッド軍の本隊には軍の指揮官クラスはおらんのかの?」
激昂冷めやらぬレベルカに代わり、ローエンがバングラ将軍から情報を聞き出しにかかった。
「降伏したとはいえ私もユークリッドの人間だ、祖国の情報は売れん。ただそれは必要のない情報だろう?峡谷の入り口を塞いでいるならユークリッド本隊は国に帰るだろう。流石に森や林を抜ける事はしないだろうから指揮できる者がいようがいまいが関係なくはないか?」
ローエンとレベルカは少し困った風で顔を見合わせた。その雰囲気にバングラ将軍はゴクリと唾を飲み込んだ。まさかとは思うが。本隊にも何かしら仕掛けるつもりか? 一国の正規軍だぞ?
「・・・義理を返すつもりで一つ忠告する。確かにユークリッド本隊に一軍を指揮できる者はいないが、王がいる。今は色に狂っているが一応は軍学を修めていて、私とも机上の軍事演習はよく行う」
ローエンとレベルカは真剣な表情で耳を傾けている。
「それに加えてユークリッド騎兵隊の一部隊を峡谷に入る前にとある場所に派遣している。それらが成ればもうギルドと箔山では手に負えなくなるぞ。何かを仕掛けるのは辞めておけ」
最大限の警告はした。それなのに表情を全く変えない2人からバングラ将軍はその心情が読み取れない。上手く言葉には出来ないがぞわりとする武人としての勘のような物が働いた。
いつの間にかバングラ将軍はじっとりとした汗をかいていた。何か大きな物に触れている、そんな不思議な感覚だけは感じ取れたのだった。
最後までお読み頂き有難う御座いました。
45話はある意味ユークリッド王編です。
あまり求められていないと思いましたが書きました。結果として女性が悪者的な感じになってしまいました。・・・すいません




