ロイ・マクエル受難の日々㉑
第43話
「原野にて」
立ち込める砂塵の中に光る旗が見え隠れしている。特徴的な黒地に金糸の花の旗物、あれは間違いなく箔山治安部隊の旗だ。
箔山峡谷の丘の上にいたレベルカは、その旗を見つけると息を呑んだ。自分でも驚くほど心臓の音が高まっている。息も苦しい。思考が一瞬混乱した。
焦る気持ちは抑えて、先ずは事実の情報を整理するんだ。レベルカは汗で濡れた両手を強く握り、目を瞑って下を向いた。
本当に、本当に死地から殿部隊が戻って来た。たった10騎で数百の敵騎兵の追撃を凌ぎ切り、見事に作戦を完遂してのけた。
戦術的には極めて危険な囮作戦。おびき寄せて使い棄てる死に兵にやらせるような作戦だった。確かに信じてはいた。だがやはりおおきな賭けではあったのだ。見事に勝った。
目を開けた。大きく息を吐く。しっかりと前を見た。旗が雄々しい程に翻っている。その旗に安堵を覚え、微かに羨望に似た思いも湧き起こる。
彼らは英雄だ。間違いなく。滲んでいた涙を右手で勢いよく拭い飛ばした。叫びたくなる衝動を必死に抑え込む。
直ぐに後方で待機していた5人の伝令兵に合図を送る。マリオ、ロイくん。今度は私たちの番よ。敵の騎兵隊を必ずこの峡谷で留めてみせる。この命に代えてでも。
レベルカも伝令に指示を出すと直ぐに丘の裏を駆け下りていく。身体中から闘志が漲っていた。気の毒だったわね、ユークリッド騎兵隊。ギルド工兵部隊はあなた達の考えている10倍は強いわよ。
レベルカと5人の伝令兵は、数秒で丘の奥に消えた。
「ユーナ! もうすぐ箔山峡谷に入る。路面が悪くて揺れるからしっかり棒に掴まっておいてくれ」
「わ、わかりましたです。あの、殿部隊のみんなは無事なんですか? ロイ・マクエルやマリオさんも」
トウ・ユーナを乗せた馬車が箔山峡谷に向けてひた走っている。砂塵で見づらい事も相まって、騎馬集団の先頭に立っている様にも見えた。目的の峡谷入り口までは四半里(1km)といったところで、ここまでユーナは何も聞かずじっと耐えていた。しかし馬車の騎手に声を掛けられて思わず彼らの事を聞かずにはいられなかった。
「殿部隊は無事だ。砂塵で薄ぼんやりとしか見えないが、聞こえる声は仲間の者だし今も箔山の旗差物は健在だ。あいつらがやってくれている」
トウ・ユーナはそれを聞いてほっと胸を撫で下ろした。良かった。みんな生きている。
実は3日前、自分がこの作戦の囮役になる事を聞いた時、私は単なる捨て石役だと思った。絶望と怒りで暗澹たる気持ちになった。そして胸に憎悪が渦を巻いた。
憤った私は後先も考えず、作戦会議後のハウンズ家の若い二人に噛み付いた。無謀で幼稚な作戦だと。人を道具にするなと。ロイ・マクエルもマークという人も、ただ頭を下げるだけだった。増々怒る私を嗜めたのはオーカ姉さまだった。
「此度の戦はみんなが賭けるのだユーナ、己の命を。15歳のお前には酷かも知れん。が耐えてくれ。それがお前にとっての戦いなのだ。私も自分にできる全てを、この戦いに注ぎ込むつもりだ」
姉の優しくも哀しげな、しかし揺るがぬ決意の瞳がじっと見つめて来た。それが私の心を貫いた。ようやくそれで理解した。この戦いの意味を。
「悔しさにも耐えた。惨めさにも耐えた。だが、お前だけは渡したくはない。私にとってトウ・ユーナだけが、最後に残った守るべき誇りそのものなのだ」
涙で姉の顔がよく見えなかった。この戦いは遊びでも駆け引きでもない。生きるか、死ぬか、なのだ。もう何も言えはしなかった。この作戦は箔山の人たちや協力してくれた人達が搾り出した乾坤一擲の賭けなのだ。
私は甘ったれた子供だ。そんな事すらも気づけなかった。私より2つも年下のロイ・マクエルは恐らく最も危険な場所に立つのだと姉さまに教えられた。私はさらに落ち込んだ。
今朝まで3日間ずっと恥ずかしくて家に籠もっていた。そして考えた。考えられるだけ考えた。私は最後の一瞬まで耐えて耐えて耐え抜くんだ。みんなの無事を信じ抜くんだ。
それが私にとっての戦いであると信じる事にした。箔山にみんなで帰り着き、笑顔を交わすその時まで。
箔山殿部隊10騎の横陣は、全く崩れてはいない。ギルドのマリオからの指示で、副隊長役の男は横陣をしっかり守ったまま騎馬を走らせていた。
副隊長は迷いの森の作戦にも参加していた黒服の生き残りの男で、トウ・オーカとユーナとは遠い親戚にあたる。
いまのところ横陣が崩れる要素はまるでなかった。理由は明白で、先程から此方の殿部隊に付いてる敵騎兵の15騎に襲いかかってくる様な気配がないからだ。
よって崩れる事もない。・・・この15騎は此方を襲う事は主たる目的ではない。我ら10騎の動きを監視している。その様な馬の駆け方だった。
奴らの目的や理由は簡単に思い当たる。私たち殿部隊がさらに後方にいるあの一騎、あの黒い巨馬を助けに行けないように遮るの事が目的だろう。
歯噛みした。此処からでは巨馬といえど砂塵であまり良くは見えない。しかし時折、剣撃の音と空に矢が飛び交うのが見て取れる。ほんの4~50m離れている程度だろう。かなり近くにいるのは間違いない。
横陣を解いて救援に行くことは出来る。だがそれは作戦の破たんを意味する。あくまで奴らの最終目的はトウ・ユーナなのだ。
陣を解いた瞬間この15騎はユーナの乗る馬車に殺到するだろう。この膠着は解けないのだ。・・・互いに睨み合いになる様に敵将に図られている。瞬時にその配置を考え付いたのだとしたら、卓越した手腕の戦術家だった。
・・・だがそれを差し引いたところで現状のこれはなんだ。誇りを重んじる箔山治安部隊が、一騎をまるで死に兵のように見捨てているも同然だった。助けを出さないとは、つまりはそうゆう事なのだ。
しかもそれが箔山の人間でもない若者と子供だ。完全に彼らに頼る形となっている。何が誇りを重んじるだ。我らは余りに無様で腰抜けな騎馬隊ではないか。まだ身を切られる方が何倍もマシだった。
「後方へ助けに出ます」「このままではアイツラが死んじまう、副隊長お願いします」
両隣の騎馬が叫ぶように声を上げた。思わず行け、と言いそうになる。耐えた。喉元まで出そうになる『全騎反転せよ』の言葉を飲み込んだ。
「・・・・・・・・・駄目だ。横陣を崩すな」
肚を据えろ。今は義憤と誇りを賭ける時では無い。あの二人を、ロイ・マクエル少年を信じ抜く時だ。踏み止まれ。簡単に殺られる少年ではない。
あの少年の事は勿論知っていた。初めて見たのは白面を被っていた時で、恐るべき武芸の少年だった。
5日前。私は迷いの森でロビン捕縛の任に当たっていた。その任務では箔山の精鋭兵が大勢命を落とした。その時彼はその中にあって剣を振るい、箔山の人間をかなりの数その手にかけていた。結果部隊は20名もの隊員を失う事になった。
その晩、悔しさを押し殺して我らの手で仲間たちを森に埋葬した。驚いたことにその手伝いの中に彼もいた。見掛けた瞬間に怒りが込み上げナイフに手をかけた。たがよく見ると真剣に手を合わせているのが遠目にもわかった。怒りも憎悪を収まった。
敵に手を合わせる。戦乱の世の常識では考えられない事だった。私はその場を動けなかった。
我らは戦を仕掛けて敗れた。彼にとって我々は、命を狙いに来た刺客であり、同情も祈りも不要の存在である筈だ。
例え無上にも遺体がうち捨てられたままであっても、それは戦場の習いのようなもので仕方の無い事なのだった。
・・・だがこの少年は何かが違った。その姿はおよそ武人や軍人の有り様とはかけ離れた異質なものだった。私は彼の行為に思わず魅せられた。いつの間にか共に埋葬を行なっていた。それは憎しみのくびきから解き放たれたような感覚で、とても好ましい感覚だった。
迷う事もなく私は殿部隊の参加に手を上げた。あのロイ・マクエル少年を死なせる訳にはいかない、そんな気がしたからだ。
・・・それなのに今、このザマである。悔しさが込み上げる。彼は決して失ってはならない人間だ。
無双の強さと哀しみを知っている少年。彼こそ英雄に成るべき男だった。君がくれたオーカ草は今も胸で見事に咲いている。散りはしない。だから必ず生きて戻って来い。私も必ず役目を果たす。男と男の約束だぞ。
副隊長は迷いを振り切るように前を向いた。
────────黒い雨が頭上から降り注いだ。
『ピュン』『ピュンピュン』『ピュンピュンピュン』『ピュンピュンピュンピュン』
空気を裂く鋭い音が耳に届く。黒い雨は十分な殺意を持って、僕たち二人と一頭を押し包んでくる。雨を躱す事は不可能だ、受けるしか無い。死が、すぐそばで微笑みかけてくる。
「ぬううぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
魂魄から捻り出すような雄叫びを上げ、頭上から降り注ぐ黒い矢の雨を無鳴剣で払い飛ばした。無数の矢の雨は周囲に力無く散らばる。すでにこの黒い矢の攻撃を10回近くは受けている。
「「おおおぉぉぉぉぉぉぉぉ」」
『ガインッ!』『ギンッッ!』
黒い矢の雨の後、必ず突撃騎兵による槍攻撃がある。左右から一撃離脱の形で行われていて、流石に此れは無鳴剣で弾くのが精一杯だった。時折騎手をしているマリオさんや馬の黒雲を狙って来るので尚更防戦一方になる。
既にここまでの矢の攻撃で、僕の身体や黒雲には数本の矢が突き立っていた。それでも黒雲は怯まず走り続けている。馬体の矢傷からは血が吹き出ていて相当な痛みがある筈だった。
全ての矢を防ぎたいが僅かな時間差で降りそそぐ矢なので、どうしても剣の一振りでは払い切れない。僕ひとりなら躱しつつ払えるだろうが今はそうもいかない。
矢を受けている黒雲だけでなくマリオさんはさらに危険な状態だ。左脇腹からの出血が酷いのだ。気力で手綱を握っているが今にも倒れそうで僕より数段状態が悪い。
ギリギリの攻防の中であっても騎手のマリオさんは矢の雨から最優先で守らなければならない。その焦りからかどうしても慎重に成らざるを得ず、さらに剣の出を遅らせる。少しずつ此方の力を削るような攻勢だった。
老練なやり口だ。弓矢と槍をうまく組み合わせこちらの武力をうまく殺している。赤いフサの敵将は歴戦の武人なのだ。
さっきの一騎駆けは上手く虚を突けただけの話だ。がっぷり4つに組み合っては数の差で揉み潰される。冷静に采配をとられるとやはり厳しい。
しかしある意味、此方の思惑どおりでもある。これだけ柔軟な采配を取れる人だ、もしユーナちゃんの馬車を標的と定めて動いていたら戦局はどう転んだかわからなかった。
俯瞰してみれば今の状況も、軍略的には決して悪くはない。後は僕ら二人と一頭が直ぐそこまで来た箔山峡谷に入れば良い。あと少しだけ耐え抜けばいいのだ。シンプルだ。耐えてみせる。
・・・・・・・・・・いや、待て。何かが。おかしい。
槍騎兵がいつの間にか大きく離れている。あそこまで離れてしまったら矢の攻撃後、即座に槍攻撃に繋げられない。離れる理由はなんだ? さっきから何度も突いてきた槍騎兵が今離れる理由。・・・矢を多めに打ち込むため巻き添えを恐れた。いやそれも不可解だ。
・・・ここまでの10回にも及ぶ矢の雨で、敵将はこのやり方では僕らに致命傷を与えられないと察する筈だ。よもやと思わせるのが矢に集中したあとの槍騎兵の突撃で、下がらせるよりこれらの攻撃を厚くするべきだ。
もうすぐそこは箔山峡谷だ、峡谷に入ったら左右の丘が邪魔でもう矢の雨は使えない。だのになぜ今、槍騎兵を下げるのだ。やはりおかしい。歴戦の武人。あの赤フサは何を考えている。
・・・知らず背中に冷たい汗が噴き出していた。
突如として空の4箇所から同時に黒い染みが湧き立った。全身を雷に撃たれたようになった。ここまでは全力の矢ではなかったのだ。
その黒い染みは近づくにつれて輪郭がはっきりしていく。染みは黒塗りの30本程の矢に変わりコチラに降り注いで来るのだった。そして驚くほどの正確さで僕らに襲いかかり、全力で防いでも少なくない被害を負わされる。是迄は1箇所からだけだった。
それが今、4箇所から同時に湧き起こったのだ。ゴクリと唾を飲み込んだ。単純に考えても100本以上の矢が間もなくコチラに降り注ぐだろう。完全に先手を、取られた。
弱らせるだけ弱らせて、獲物の足が鈍ったところを全力で仕留める。ケモノの如き狡猾さだった。なるほど、赤フサは紛うことなき強者だ。ロイはマリオの剣を右手に握ると呼吸を整える。
両手の剣を使い黒雲を守る。そして僕の身体を盾にマリオさんに向かう矢を止める。それで凌げる筈だ。
───────────1分後。
空を埋め尽くす黒い矢が飛来する。
矢は恐るべき正確さで寸分も違わず。
ロイとマリオ、黒雲を呑み込んでいった。




