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約束と海①

        ◇


 リピュアは執務室に籠って、書類の山と睨めっこしていた。


 書類はどれも復興事業に関わるものたちだ。


 砦や道の修繕なり、食料の備蓄なり、市民に対する免税なり、公共事業の委託先なり、本来であれば議会を通じて決定するものだ。

 しかし、領主セイナルや議員の大半を失い、選挙を執り行う基盤もなくしてしまった白港では、臨時としてセイナルの後継人であるリピュアが意思決定を行っていた。ただし、「後に判断の妥当性を検証できるように書類を残す形で」という最低限の制限はあった。

 

 とはいえ、すべての案件をリピュア本人が検証し、判断しているわけではない。


 ほとんどの場合は、ボウエイなどの専門性を有する臣下が、出てきた問題を検証し、具体的な対応を立案し、実行可能な施策として落とし込んだものを、リピュアが「許可」か「差戻」の判断をするという形だ。


 その結果が、この書類の山なのだが。


「…………」


 リピュアは、執務室の椅子に深く腰掛け、顰め面をしている。

 その彼女の近くに、本来リピュア以上にこの仕事を引き受けるべき立場だった姉二人の姿はなかった。勿論、双子姫と呼ばれるアネットとジゼルも、リピュアに仕事を押し付けて遊び惚けているわけではない。彼女たちは主に外交面で活躍していた。白港以上に被害を被った近隣村落への援助や、復興を支援してくれるという他国との交渉などだ。

 まぁ、それを引き受けたのも、この書類仕事の山から逃げるためだったが。


「リ、リピュアの方がこういうのは似合うと思うの……」

「お、お父様を継ぐのは貴女しかいないと思うのよ……」


 引き攣った顔でそう言った姉たちの顔が、リピュアの脳裏に浮かぶ。普段は奔放だが、根が真面目なリピュアは、文句も言えずに抱え込むハメになっていた。


「おいおい、怖い顔で睨んだって書類の山は片付かんだろ……」


 リピュアがじっと書類を見ていると、執務室のドアを開ける男がいた。

 栗色の肌と灰色の髪を持つ、貴公子然とした青年だ。〈情熱の綺羅港〉という小国を治める血筋の三男坊で、〈ジュールの勇士〉の一人でもあるサラマンだ。

 リピュアとは六剣学園時代の級友であり、その縁で白港の復興支援に来ていたが、それから長らくこちらに居着いていた。


 リピュアは悪友同士ゆえのぞんざいな態度で彼をあしらった。


「何の用だ。見ての通り、私は多忙の身だ」

「俺の見立てだと、書類の山を睨んでいただけだが?」

「そうだ。書類を睨むのに忙しい」

「開き直るなよ。はぁ~、この俺がせっかく吉報を持って来てやったというのに」


 リピュアは、露骨にガッカリした芝居を決めるサラマンを無視して、書類を睨む仕事を再開する。サラマンは「興味を持て、俺の吉報にちょっとは興味を持て」とリピュアの座る椅子をガタガタ揺らした。

 リピュアはそちらを振り返りもせず、これ見よがしに興味のない顔で尋ねた。


「それで、貴殿の持ってきた吉報とは?」

「勇者殿の乗った船が――っておい、最後まで聞けよおい!」


 勇者という今では自他ともに認める〈彼〉の代名詞を聞くと、リピュアはすべての書類仕事を明日に回して港に駆け出していた。


        ◇


「ジュールだっ!」


 センチの元気な声が響くと、「おう」という力強い返事があった。

 白港の養育院に預けられているセンチは、一緒に暮らしている子どもたちの中から駆け出すと、ジュールに向かって飛びついた。ジュールは小動もせずに受け止めて、子猫でも持ち上げるように軽々とセンチを抱き上げる。


「元気にしていたか、センチ少年?」

「してた!」

「それはいいことだ!」

「そう、いいことだ!」


 ジュールがセンチを抱き上げてブンブン回っていると、養育院の子どもたちもわらわらと彼の足下に集まり出した。ジュールは両腕に子どもたちをたくさんぶら下げて、さらにブンブン回る。


 人間メリーゴーランド状態だ。


 子どもたちが「きゃっきゃっ」とはしゃぐ様子を、エルンはちょっと距離を置きながら見ていた。間違っても一緒くたにされないためだ。

 すると、センチがトコトコ歩み寄り、エルンを見て首を傾げた。


「混ざらないの?」

「混ざりません」

「どうして? 楽しいよ?」

「大人なので」


 エルンは即答した。けれど、センチには同い年くらいに見えるのか、しきりに「?」と首を捻っている。エルンは「()()()()()」と繰り返した。沽券に関わるらしい。

 ジュールが人間遊園地と化し、エルンがささやかな沽券の維持に努めていると、養育院の戸口の方からひょっこり耳が覗いた。


 銀色の綺麗な獣耳だ。


 中の様子を探っているのか、銀色の耳はひょこひょこと動いている。


「ああああ、リピュアだっ!」


 目聡いセンチが、一番に見つけて声を上げた。

 それに釣られて他の子どもたちも「本当だ!」「お姫様だ!」「お久しぶりだ!」「引きずり出せ!」と戸口のリピュアのもとに集まり、ジュールの方にぐいぐい引っ張る。

 リピュアは「心の準備が!」とか、「こっちのタイミングで!」とか、往生際の悪いことを言いながらジュールの前に引きずり出された。

 ジュールとリピュアの目が合い、ジュールは気軽に笑いながら言った。


「おう、久しぶりだな」

「はっ、あ、ああ、ええ、そうですね、はい――お久しぶりです」


 リピュアは、今さらどう繕っても手遅れだろうという感もないではなかったが、ツンと澄ました顔を作って応じた。

 ただ、直前までの乙女の顔っぷりを見ていたエルンは、「この姫あざとい、商業的なほどにあざとい……」と小さな声で呟いていた。


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