勇者と悪神①
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聖剣の一振りで雷光が走り、別の一振りで教会が震える。
それぞれに語り継がれるだけの伝説を持つ超常の剣たちが、勇士と怪物の手に分かれて激しくぶつかり合っていた。これだけの数が同時に振るわれたのは、遥か昔に〈虚偽の悪神〉を封印したとき以来のことだろう。
血飛沫が舞い、それぞれの聖剣がその超常性を発揮した。
語り継がれる勇者たちの物語。
まるでそんな世界の光景だ。
エルンは教会の入り口に立って、入り乱れる剣たちを見つめていた。
彼女の視界に映るのは、ジュールを助けるために集まった勇士たち。
生まれも育ちもバラバラで、ここに集まるまでは顔を合わせたこともないものたちばかりだろう。けれど、その勇士たちは全員、ジュールによって繋がっていた。
彼の笑顔に救われて、彼の生きざまに火を灯されたものたちだ。
炎で繋がる勇士たちの戦いぶりは、確実に怪物の数を減らしていく。
「有象無象の魔力袋どもがッ、群れたぐらいでいい気になるなああッッッ」
虚偽の悪神が禍々しい靄を纏い変身した。
エルンが見たこともないような、巨大な怪物へと姿を変えていく。
教会の中を一周してあまりある長さを持つ、銀色の龍だ。
その銀色の龍が、大きく顎を開いた。天井近くの梁が凍り付き、空気が一層と冷たく乾燥する。それにジュールは、何が来るかわかっているように反応した。
銀色の龍が、口から輝くような冷気を放つ。
同時にジュールが、冷気を打ち消すように右腕の火炎を振るう。冷気と熱気がぶつかった瞬間、乳のように白く濃い蒸気が教会の講堂を覆った。
それこそが虚偽の悪神の狙いだった。
勇士たちが白い蒸気に視界を奪われていると、仲間の悲鳴が立て続けに起こった。勇士たちは異常を感じ取り、声を掛け合って連携を取ろうとした。
「何が起きている!?」
「周囲を警戒しろッ、目に頼らずに耳を使えッ!」
「二人組で背中合わせを作れッ、死角を作るなッ!」
けれど、連携を取り合おうとした勇士たちから、次々と凶刃に倒れていく。
エルンは虚偽の悪神の狙いに勘づいた。
視界を封じた隙を突き、あれは仲間の勇士の誰かに変身したのだ。そして、騙し討ちで勇士たちの連携を瓦解させている。怪物の常套手段だ。
疑心暗鬼によって人々の繋がりを断ち、人間の強みである〈連携〉を封じる。
一人一人では大型の獣にも劣る人間たちは、優れた協調性を発揮することで、多くの困難を乗り越えて栄えてきた。多くの人々が、同じ目的のために協力する――その絆こそが、人間の持つ最大の武器だ。
でも、虚偽の悪神はその武器を封じる。
仲間を疑わせて連携を崩し、人間を一人一人の弱い存在にしてしまう。
あれは今、ジュールが繋げた〈最強の武器〉を奪おうとしていた。
「……させるもんかッ!」
エルンは教会の床を這いつくばり、倒れた勇士の握っていた一振りの聖剣を探す。
辞書乙女と呼ばれるものたちは、聖剣の特性や伝説をすべて諳んじることができる。彼女たちは非常に優れた記憶力と、訓練によって習得された暗記術を持っていた。
エルンとてそれは例外ではない。
エルンは誰がどの聖剣を持ち、それぞれが教会のどの辺りで戦っていたか、すべて覚えていた。だから、乱戦の中でも目当ての聖剣を見つけ出すことができた。
エルンはその聖剣を握り締めると、じっと耳を澄ませる。次に彼女が探したのは、彼女にとって馴染み深い音だ。
生まれたときからずっと側にあった音色。
彼女の名前の由来にもなった、ある聖剣の放つ音――見つけた。
エルンは剣を握り締めて走り出す。エルンが愛した、彼女の見届けるはずだった聖剣〈エルンガスト〉の囀る方へ。
「私だけはその剣の囀りを聞き逃したりしないッ!」
誰かの背後に迫っていた一撃を、エルンの持つ聖剣が受け止めた。
エルンガストを持つ相手は、奇しくも彼女と同じ姿をしていた。
「よりにもよって、私に化けてたんだ……」
エルンはそう呟き、そうかと納得した。
仲間の油断を誘うなら、彼女の姿が一番わかりやすい。仲間の振りをするにしても、仲間だと認識されていなければ意味がない。
初対面の多いこの即席集団でも、他の人に比べて彼女の顔は覚えてもらいやすいはずだった。
「無理もないか、私って美少女だからね!」
エルンはそんな風に強がってみせる。
いつも笑っている、あの勇者のように。
もう一人の彼女――虚偽の悪神は、無表情にエルンガストを押し込んでいく。押し込みながら、エルンよりも体格のいい男性へと姿を変えていった。
「何もできない小娘がッ、私の絶望を広める語り部として見逃してやったが、邪魔立てするならこのまま無駄に死ね……」
エルンの腕力は悲しいかな女性の平均ほどもない。
戦闘は不向きというジュールの言葉は、嘘ではなかった。もう十秒と持ち堪えられそうもなく、両手はプルプルと振るえていた。そのとき、白い蒸気を割いて燃えるような大きな右手が、エルンの後ろから剣の柄を握り締めた。
「助かった、エルン」
ジュールがエルンガストを押し返しながら笑う。
虚偽の悪神が歯を剥き出しに吠えた。
「チッ、また貴様かあああ、贋作勇者ッッッ!」
「ジュールさん、この剣をッ!」
「ああ、わかっているともッ!」
ジュールはエルンの手からその聖剣を受け取る。
左手に勇者の剣、右手に結界剣を持ち、二振りの剣を振り上げて高らかに宣言した。
「四方を切り裂き陣を敷け、ジンバルドおッッ!!」
結界剣〈ジンバルド〉が、超常の力を解き放つ。
持ち主と持ち主の望む相手を、強制的に別空間へと連れていく結界術だ。
教会からジュールと悪神だけが消える。
エルンは彼らの立っていた場所にへたり込んだ。その両手はまだジンと痺れている。
「助かった、エルン……だってさ」
剣の聖女一統の聖地を出てから、エルンは一度だって泣いたことがない。
レイオンに裏切られても、故郷がダメになっていても、ずっと我慢してこられた。
辛いからって泣かない。泣いたって、どうにもなんないから。
だけど今、彼女はちょっぴり泣いてしまった。
ああ、私にもできたんだ。
私にだって、あの人を助けることができたんだ。
あの村で、虚偽の悪神と一緒に彼を追い詰めた。彼から大切な仲間を奪ってしまった。彼に最初の絶望を味合わせたそんな私でも、少しだけ彼の役に立てた。
「うぐっ……うう、ううう、あああああ」
エルンは溢れる涙を拭いながら、彼らのいなくなった場所を見て祈る。
両手を合わせて、彼女の勇者に向かって囁いた。
「あとは貴方が勝つだけですよぅ、勇者様」




