繋がる聖火
◇
アウロラの遺体を埋葬した後。
ジュールとエルンは一緒に吹雪の中を歩いていた。
ジュールの大きな背中に庇われるようにして、エルンがトコトコ後ろを追っている。
彼女の背中には、回収された聖剣二振りがあった。エルンはどこに向かって歩いているのかもわからないまま、目の前の背中に言う。
「あの、助けていただいて、本当にありがとうございました。それから――」
「いや、そんなに何度も謝られても困る。俺にも騙されていた負い目はあるし、結局のところアンタも騙されていたんだ。あのレイオンとかいう勇者もどきが、虚偽の悪神〈カー〉とやらだったのだから。どちらか一方の責任とは言えない。それにラーズのことは、謝ってもらって許せるかと言われると、正直難しい」
「はい……」
「そう辛気臭い顔をするな。そうだ。ここは一つ、俺が面白い話をしてやろう」
「あっいえ、お気になさらずに……」
「遠慮は無用だ。今飛び切り笑える話をしてやる」
「いやあの、今あんまりそういう気分じゃ……」
「俺たちは今、どこに向かっているんだ?」
「全然笑えない話じゃないですか!! というか、それ本気で言ってます!?」
「あははっ、こう吹雪いちゃ右も左もわからんな!」
「どんだけ吹雪いても右と左はわかるでしょ! わからないのは東西です!」
「どっちが西で、どっちが東だ?」
エルンは「本気で言ってないよね?」とジュールの外套を引っ張った。
ジュールはマジな顔で笑いながら答える。
「食料は五日分あるし、ここに暖炉もどき人間もいる。心配するな。凍死することだけはまずない。それになんだ、なんといっても俺は勇者だ。何とかなるだろう」
「自称でしょ! それ〈自称勇者〉でしょ!」
「同じようなものだ。アンタだって〈自称乙女〉だ」
「辞書乙女ッッ!!」
「まぁ、あれだ。経験的に真っすぐ歩いていれば、どこかには辿り着く」
「計画性が皆無ッ! さては貴方、お馬鹿さんですねッ!?」
「俺がお馬鹿さんならアンタは残念なお嬢さんだ」
「きぃいいいい、なんて無礼な男ッ!」
エルンはジュールの後ろで地団太を踏んでいる。
ジュールは久しぶりに騒がしい旅路に笑い声を上げながら、「そもそも、辞書乙女が何かを知らない」と大きな声で言う。
エルンは「前に名乗りませんでしたっけ?」と渋々そうな顔で説明する。
「剣の聖女一統に属する――」
「その〈剣の聖女一統〉とはなんだ。有名なのか?」
「市井の人には知られていないと思いますが、各地の領主や王族だったら、名前くらい知ってるはずです」
「じゃあ、田舎猟師の俺は知る由もないな」
「やっぱり、自称勇者なんじゃないですか……」
「勇者というのは、血筋や生まれではない」
「はぁ、さようですか」
「なんかアンタ、前会ったときと雰囲気が違わないか?」
ジュールはエルンの雑な対応にそう言った。
まぁ、変にかしこまられるより、これくらいの方がずっと気楽ではあった。
「相手によってある程度は変えますよ。ええっと、剣の聖女一統というのは、わかりやすい表現を使えば、秘密結社のようなものです。実際は山奥の小さな集落です」
「なるほど、辞書乙女というのは、秘密結社の構成員なわけだ」
「そうです。剣の聖女一統の役割は、強大な力を持つ〈聖剣〉を世間から隠匿・管理し、世界に危機が迫ったときにだけ、資格ある勇者に聖剣を授けることです。辞書乙女は貸し与えた聖剣について歩き、その行末を見届ける人物のことです」
「世界の危機か。まさしく今がそうだと思うのだが、アンタらは何をしているんだ?」
「これでも精一杯やってたんですぅ!! 私、結構頑張ってたんですよぅ!?」
「いや、責めたわけじゃないんだが……」
頑張ってたアピールをする残念なエルンを見て、ジュールは、「このチンチクリンに聖剣とか任せてしまって、本当に大丈夫か?」とそこはかとない不安を覚えた。
ちっこい背中で揺れる二振りの聖剣を不安な気持ちで見守りながら、さらに尋ねる。
「アンタの頑張りは理解したが(してない)、アンタの本拠地は何をしている?」
「剣の聖女一統の地は、どうやら一番最初に潰されてしまったみたいなんです。虚偽の悪神について、この世界で唯一詳しく知っている組織だったので……」
「その〈虚偽の悪神〉という名前だが、アンタたちはどうしてこの事件の元凶の名前を知っているんだ。誰も知らない怪現象だというのに」
「あっ、やっぱり知らないんですね。知らないくせによく戦ってましたね……」
「まぁ、ぶちのめすだけなら知らなくても出来る」
「普通は出来ないから、各地で大混乱中なんですけど……」
エルンがどうかしている人間を見る目でジュールを見上げる。
どうかしている人間であるところのジュールは、「首を刎ねたら死ぬ程度の相手だ」とどうかしている理屈で答えた。どうかしていた。
エルンは「どうかしてますね」と呆れながら、虚偽の悪神について話し出した。
「虚偽の悪神は、ずぅぅぅぅっと昔の時代に生きていた魔法使いなんです」
「又しても初耳の単語だな。魔法使い?」
「はい、人の心に生じる恐れや絶望、不安などを糧に超常の力を操っていた人間たちのことです。かつてはたくさんいたそうですが、虚偽の悪神はその中でも最悪の魔法使いで、一度は世界を絶望のどん底に突き落としたと言われています。
何十、何百という聖剣の力を借りてようやく封印できたという、恐ろしい存在です」
「そんなすごいヤツのことを、なんで誰も覚えていないんだ?」
「さっきも言った通り、魔法使いたちは人々の恐れを糧にしていたんです。人々が虚偽の悪神に怯え続ける限り、それに無限の力を与えてしまう。だから、昔の人たちはみんなで忘れてしまおうとしたんです。ただ、唯一の対抗手段である〈聖剣〉の管理者であった剣の聖女一統だけは、その存在を語り継いできました。虚偽の悪神が蘇ったときに備えて、対抗できる人が本当にゼロになっちゃわないように……」
「その悪神本人に聖剣を授けちゃったわけだが」
「うげっ!」
エルンは急所を突かれて、背中を丸めて咳払いする。
ジュールは、その背中を力強く叩きながら「まぁ、任せておけ」と笑った。
「俺は勇者だ。悪神は必ず倒す」
「はいはい、自称自称」
「それに実は予定なら一つある。春までに希望の砦に行くつもりだ」
「はて、希望の砦ですか?」
「勇者の行末を見届けるなら、ついて来るか?」
「はいはい、この西も東もわからない状況をどうにかできたのなら、どこへなりともついて行きますよぅ。まぁ、それに自称さん、少なくともハチャメチャに強いですし」
「ははっ、決まりだな」
「まだ決まってませんよぅ。本当にどこかに着くんでしょうね……?」
「あははははははっ!」
「あっ、笑って誤魔化すつもりですぅ!」
ジュールは大きな声で笑い、エルンは渋々みたいな顔をして後でこっそり笑った。こうして、ジュールとエルンは「砦を目指す」と言いながら、結局は各地を巡り歩くことになった。
その道中、怪物に追われる難民を見つけては片っ端から助けて回った。
中には聖剣を持つような怪物指揮官もいたが、関係なかった。
今のジュールはすべて踏み越えるだけだ。
やたらと罵り合い、笑い声を上げる二人組の噂は、助けられた難民たちの口伝いに各地へと広がっていく。かつては避けられたジュールの右腕も、隣に立つエルンが呑気全開な表情をしているおかげか、急に避けられなくなった。
そして、彼らの噂が広がるにつれて「それはかつて怪物を倒してくれた、あの馬鹿笑いする二人組ではないか?」と気づくものたちも現れた。
あの騒がしい勇者一行が帰って来た。
それを知った人々は、それぞれに武器を取った。
鍬を、鎌を、剣や槍、棍棒を持って立ち上がると、勇者一行が目指しているという〈希望の砦〉に駆けつけた。
砦では誰もが〈勇者のジュール〉を待っている。
「「「今度は共に戦う」」」
砦に集まった人々はそんな風に戦意を滾らせて、彼の来訪を待ち望んでいた。
かつて人々の希望であった勇者の噂が、より強固な炎となり人心に火を灯していた。
長い冬の終わりが近づく。
そして、雪解けの迫ったある日、噂の二人がその砦に辿り着いた。
「俺は勇者のジュールだ」
ジュールがいつもの名乗りを上げると、希望の砦は歓声で答えた。




