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Ⅶ 退却することも鬪いです。

ちょうどそれと同じ夜のことであった。


鉄筋コンクリートの建物が竝ぶ路地裏の奥――夜に押し潰されそうなほど(かし)いだ木造二階建てのアジトに猟人は帰ってきた。


八畳の居間に這入(はい)ると、そこには東と佐代子がいた。東は入れ歯を洗浄しており、佐代子は他の過激派の機関誌を読んでいる。隣の部屋からは柳田の譫言が聞こえていた。


猟人の顔を目の当たりにして、東は不安そうな表情となる。


「中央委員長同志、どうすただ? 何かえれえ(むずか)すう顔すてるだ。」


ううむと唸り、猟人はテーブルの前に坐る。


「ついさっき、金田一と会ってきたところだ。」


金田一は紅軍のメンバーであり、名目上の肩書は諜報委員である。北朝鮮への密航歴があり、先のテロにおいては朝鮮語による犯行声明文を書いた。諜報委員という――ほぼ役に立たない――肩書の手前、公安から疑われることを恐れ、アジトにはほぼ顔を出さない。


「公安からマークされているようだ。」


東は猟人の顔をじっと見つめ、そして問う。


「それは――金田一同志がか?」


だからそう言うておる――と猟人は言う。


「金田一によれば、最近、何者かから尾行されていたリ、近所で聴き込みが行なわれていたりしているらしい。一応は、できるだけ同志たちに接触しないように言っておいたが。」


古い電燈の光が瞬いた。


「一体、何でそんなことになっただか?」


「分からん。ただ、金田一の言うところによれば、朝鮮語の文法に致命的な誤りがあったらしい。南朝鮮では遣われていない言葉や、平壌(へいじょう)の方言を遣ってしまったと言っておった。」


だけれども――と東は言う。


「あのミスリードは上手くいってるど、おら佐代子さんから聞いただ。インダーネッドの莫迦どもは今でも騙されとるらすう。」


「それはあくまでも世間の目であって、公安の目じゃないわ。」


佐代子は能面のような顔を猟人に向けた。


「中央委員長同志――あの犯行声明文以外で、今回の暴力(ゲヴァルト)でいつもと違ったところはありませんでしたっけ?」


猟人は顎に手を当て、眉間の皺を深める。


(かん)入りの爆弾の中身が古くなっとったから、いくつか新しいのを作ったな。外務省に送りつけたのもそれだ。その原料は奥田に買いに行かせたのだっけ。あと、爆発のための仕掛け――あれの材料を買わせたのも奥田だったんじゃないのか?」


佐代子は東へと視線を遣る。


「奥田には、身元が割れないようちゃんと指導したの?」


言われて、東は急に動揺し始めた。回答に困ったような顔で、おろおろと視線を左右に揺らしている。奥田への軍事的指導は、軍事役員である東が担当していたからだ。


隣の部屋から聞こえる譫言がやや大きくなった。


「ああ――小隊長殿――消しゴムはもう充分であります――」


猟人はさらに眉間の皺を深める。


「これは――不味いことになったのではないか。」


「不味いですか?」


不味いな――と猟人は答える。


「今ごろは、爆発現場に残された化学反応から、爆薬の原料も割り出されとるだろう。それを元に、公安は爆薬の原料を買ったやつを片っ端から調べる。奥田にしろ、このアジトに出入りしていることは既に公安に知られとるはずだ。もし奥田がホームセンターか何かで原料を買っていたとしたら、間違いなく防犯カメラに写っとるな。」


紅軍はかつて、誰でも簡単に手に入れることのできる薬品――特に農薬など――から爆薬を作り出す方法を編み出していた。そのための指南書も地下で配布した。今回のテロで使用した爆弾も同形のものである。ただし、その手段はもう手垢がついており、何の薬品からどのような爆薬が作られるかは公安に既に知られている。


ましてや、今は金田一が疑われているのだ。


「もしそうだとしたら――発覚するのも時間の問題か。」


公安は莫迦ではない。今までの暴力斗争で、猟人は身を以てそれを知らされていた。ゆえに、自分たちの悪事が発覚しそうなときというのは何となく分かる。野生の勘のように、全身へと刷り込まれている。


ここ三十年間、紅軍は敗北の連続であった。いや、そもそも勝利と呼べるものを掴めたことすら少ない。それなのに、また新たに退却のための作戦を考えなければならないらしい。


「もし発覚してしまったら――今度はどこへアジトを移すべきか。それまでに、一体どれだけの革命戦士たちを逃がすことができるのか。」


今はとりあえず、そのことを考えなければならない。


しかし様々な記憶が去来して、思考を邪魔させた。貧しい人々が溢れていた敗戦後の風景、闇米を抱えて母親と共に官憲から逃げ回った夜、大学でマルクス主義に出会ったときのこと、社会に対して挑んだ暴力斗争の数々、総括した同志の歪んだ顔――。


全ては、猟人が生涯の全てを懸けて目指した夢――世界同時革命のためであった。世界の無産階級が団結して、赤旗の元に抑圧の社会を倒すことを夢見て駆け巡ってきた。


それが、こんなしょうもないミスで狼狽するまでに自分達は落ちぶれてしまったのか。悔しいというよりかは焦燥に駆られた。


そうだ――。


こんなはずではなかったのだ。


そうでなければ、自分の今までの人生は何であったのか。


このままでは、あの総括して生き埋めにした同志も、火炎瓶で火達磨にした機動隊員も、自分たちがただ残虐に殺したという以上の意味を持たないではないか。こんなはずではなかったはずだ――世界は共産主義化されなければならないのだ。


こんなはずでいいものか。そうでなければ、自分は英雄ではなくただの犯罪者だ。こんなはずではいけないのだ。


「退却することも(たたか)いです。」


猟人の思いを見抜いたかのように、佐代子は言う。


「我々は確かに老いたかもしれません。けれど――」


爆弾や化学兵器を使用すれば――。


「何度だって(たたか)えるはずです。」


その単語の一つ一つは、猟人の胸へと深く響き渡った。


「むしろ世間が我々を忘れた今だからこそ、帝国主義者や反動主義者を吹き飛ばし、革命の烽火(のろし)が上がったのだということを勤労大衆(プロレタリアート)の前に示すべきなのです。もし逃げるのだとしたら、そのあとでも決して遅くはありません。――違いますか?」


猟人のなかで長いあいだ眠っていた何かが目覚めた。


――確かにそうなのだ。


自分たちが今まで失敗してきたのは、大衆が怠惰で、革命の価値に気づいていなかったからだ。ならば、共産主義化できていなかった同志たちにかつてしたように、自分たちの存在を忘れてきた社会にもまた同じ『総括』を行うべきではないか。


――そのための退却戦ではないのか。

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