第26話 黒白分明
終盤戦、古龍vsユイ。
主人公がようやくフルスロットルです。
リナ視点の三人称文章になります。
リナは一瞬、何が起こったのか分からなかった。
戦いに終止符を打つべく空を駆け、その先に見えたのは希望ではなく絶望で……しかし、それはすぐに目の前から遠ざかり。
目の端に、誰かの背中が見えた。
空中でくるくる回転しながら落ちていき、訳も分からないまま、まもなく地面に墜落することを直感して身を強張らせて___何か暖かいものに全身を包まれた。
いつの間にか閉じていた瞼を開けてみた時、最初に彼女の視界に入ってきたのは、何故か唯葉の顔だった。
そして、次の瞬間、世界から全ての色と音が消えた。
自分は……死んでしまったのだろうか。
一瞬見えた唯葉の姿は、走馬灯みたいなものだったのか。
ラウルをも巻き込んでしまったかもしれない。愚かな娘に過ぎた大役を任せてしまったばかりに。
___否。
「がァああああああああああッ!」
まるで別人のような咆哮を発する少年が、リナのすぐ前に立ち、剣を振るっていた___直上から襲い来る巨影に向かって。
ほぼ残像と化した斬撃と、黒龍の爪が衝突する。
地雷を踏み抜いたかの如き轟音と衝撃が撒き散らされ、周囲一帯が陥没した。状況把握が全くできず、地面に横たわったままのリナは、目の前で少年の両脚が血を噴きながら大地にめり込み、直後に火傷の跡に沿って赤い光筋が輝いて傷が塞がっていくのを見た。
並の人間では、力比べ以前に質量と強度の差でぺしゃんこになるだろう直滑降からの一撃。
その差をどうやって捩じ伏せたのか。
唯葉は、古龍の攻撃を真正面から受け切っていた。
「村長、アウローラ、リナを!!」
古龍を睨みながら少年はそう叫ぶ。
そのまま伸し掛かってくる古龍の体重を吸い込むように体を反転させ、唯葉は回し蹴りを古龍の腹に叩き込んだ。
それは古龍の装甲を破るに遠く及ばない一撃だったが、腹に宿す子供を守る本能か、古龍は仰け反った体をそのまま宙返りさせ衝撃を受け流しながら唯葉から距離を取った。
十メートルの距離を挟んで、唯葉と古龍は対峙する。
「リナ、下がるぞ」
背後からの声と共に、白い竜鱗に覆われた腕がリナを抱え上げてひとっ飛びで唯葉のログハウス前まで後退した。
それに追随するもう一つの白い影。
古龍に吹っ飛ばされた二人の獣人が、いつの間にか戻っていた。村長もアウローラも傷だらけで、戦闘不能寸前の様相だ。
リナはおもむろに顔を上げて村長を見た。
「……なにが、起きたの?」
「古龍の隠し球だ。生き残れたのは奇跡だな」
唯葉と古龍が、互いに睨み合ったまま、等距離を保ちながら円を描くように横へ回り込み始めていた。
まるで天敵同士の猛獣のような気迫を漲らせる両者。
だが、この場には何かが足りなかった___リナは首を巡らせ、唯葉と古龍、村長とアウローラを順繰りに見る。
そこで違和感に気付いた。
「お父さんは……?」
「……」
村長は答えなかった。
代わりに応じたのはアウローラだった。
「ラウルは死んだ。お前を庇ってね」
その言葉は、リナの頭を滑らかに通り抜けていった。
意味ははっきりと分かった。自分の父親は、もうこの世にいないという……しかし、実感が湧かない。
勝手に死んだことにすんじゃねえ!とか言って、アウローラの頭を引っ叩くラウルの姿が目に見えるようで。
だがそこに彼はいない。
何故、という心の疑問に対して、リナは自己完結していた。
あの二段構えのブレス___ラウルは自らの身を呈して、リナを守り、そして命を散らしたのだ。
「……リナ」
「黙って。……大丈夫。今は、まだ、大丈夫よ」
幸か不幸か、リナの心は現状の目的を見失わずにいる。
が、その安定も長く持ちそうにない。
ラウルが死んだ、自分のせいで……その自覚、罪悪感が、リナの心を押し潰そうとしている。
(ダメ……違う。今、私がやるべきことを。古龍はまだ生きてる、戦わなきゃ、唯葉が………っ)
そう、唯葉___彼まで失うわけにはいかない。
一時的な精神的支柱を得たリナは、辛うじて前を向いていた。
下唇をきつく噛みながら戦意を保とうとする彼女を、アウローラと村長が奇妙な目で見つめる中、
『リナちゃん、ボクに協力して』
いつの間にか、リナの横に魔導書が浮かんでいた。
『今の古龍はある程度の魔法が使えるようになってる。古龍の中の自我が薄れ、暴走した本能に体の制御が乗っ取られ始めて、新たな魔力回路を構築してるんだ。マスターを守らなきゃ』
後半のほとんどが理解不能の言語だった。
だが、最後の言葉、マスター___唯葉を守るという点の気持ちに関してだけが互いに一致していた。
それなら断る理由などない。リナは小さく頷く。
「……分かったわ。何をすればいいの?」
『近接戦闘の心得についてはリナちゃんの方が弁えてるはずだよ。戦いの中で生じるマスターの隙や死角を片っ端から潰して、最大限の援護を。古龍は頭が回る、さっきの二連ブレスみたいな不意打ちをしてくるとも限らないからね』
血の巡りが悪い頭で、リナは必死にルシの言葉を咀嚼する。
要するに、自分の二の足を踏まないようにすると。
『もし古龍がまたブレスを吐こうものなら、いいかい、マスターは絶対また無茶をする。後ろにボクらがいるから』
「……そうね」
『ボクにもやるべきことがある。ただ、その間、ボクはマスターを守ることができない』
ルシは一旦言葉を切って、古龍と対峙するご主人の方を向く。
『……だからその時は、リナちゃんができるだけマスターの負担を軽くしてあげて。魔力の少ないボクにはできないことだ』
その声には、わずかな悔しさが滲んでいた。
ルシは再度リナに向き直り、ぺこりと頭を下げた。
『マスターのこと……お願いします』
リナはその言葉に、肯定を返すことができなかった。
むしろ、自分の中で渦巻く暗い感情が種に水をやったかのように芽を伸ばしてますます戦意が衰えていく。
ラウルを死なせてしまった自分が、唯葉を守ることなんてできるのだろうか。他の人に頼むべきではないのか?
父と同じように、唯葉まで死なせてしまったら。
私は、どうすれば___。
『っ……来るよ。リナちゃん、頼んだからね!』
思考がまとまるどころか空中分解し始めたリナを置いて、ルシは闇に溶け込むように姿を消してしまっていた。
援護なんて自分にはできない、そんな考えが脳裏にこびり付いたまま、リナは泣きそうな顔で手に魔力を込めて前を見る。
唯葉と古龍は立ち止まっていた。
刀を下方に構える唯葉に、古龍は爪を正眼に向ける。すると唯葉は滑らかな足取りのまま刀を八双に構え直し、古龍は両爪を左右に広げて、それを予期していたかの如く少年は上段に刀をかざす。
間合いを見定め、次に行うのは優位の奪い合いだ。
両者共に相手を必殺せしめる技量と威力を持っているからこそ、最初の一撃から研ぎ澄まされていく。
さながら、達人同士の駆け引きのようだった。
(隙を潰すって……どうやって、どうすれば……このままじゃ唯葉が、また、私が、足を引っ張って……)
魔力を集中させた手を向けてみるも、今の唯葉に隙らしい隙など見当たらない。何をすればいいのかが分からない。
リナの呼吸が速まっていく。
脳裏にフラッシュバックするのは五年前の記憶だ。
焦土と化した村の光景。降り掛かる悪意の視線から自分を守ってくれた大きな背中。
だが、もうその背中が自分を守ってくれることはない。
それどころか、自分が彼を殺してしまった。
唯葉もまた、そうして死んでしまう。
自分を守ろうとした人が、みんな死んでいく。私がいなければ、ラウルだって死ぬこともなかったかもしれないのに。
「あ」
そして、リナは最後まで動けなかった。
一応ながらそれなりに積んできた戦いの経験が、一瞬だけ警報を発していたのは分かった。それでも動くことはできなかった。
片方の爪を引き絞るように構えた古龍に対し、唯葉は刀を逆手に握って防御の態勢を取っていた。突進攻撃を予想してカウンターで返り討ちにしようとしていたのだ。
唯葉は見えていなかった。
否、古龍が意図的に隠していたのだ。
他方の爪の先端が掠るように地面に触れていた。
そこから、小さな魔法陣が広がっていった。
何かを感じ取ったのか、唯葉はぎょっとした表情で足元の地面を見て___直後、小規模な爆発が少年を消し飛ばした。
(……ぁ)
右腕を突き出したまま、リナは呆然と立っていた。
世界の時間が止まっていた。
全てが終わってしまったような気がした。
いや、事実、もう終わりなのだ。
古龍に対抗し得る唯一の希望が潰えた。
わたしのせいで、またひとがしんでしまった___
「お前の『芯』を思い出せ、リナ」
___不気味なほどに静まり返ったリナの頭に、村長の静かな声が滑り込んできた。
その瞬間、停滞していた時が動き出す。
古龍が放った小芝居のような一撃。
最小限の魔力と動作、かつ少年を殺傷するに十分な威力を秘めた爆発。指定座標を直接爆破させる性質上、防御は不可能。
加えて唯葉は、魔法発動の予備動作すら認識できなかった。彼が肉片に変わるのはもはや必然と言って差し支えない。
にもかかわらず。
少年は、古龍の懐にいた。
直感で反応しても回避がままならなかったはずの一撃を、唯葉が避けることができたのは、単なる偶然だった。
何のことはない___ただ、ラウルを『転移』させた時の感覚を爆発の直前に感じ取っただけの話。
あの爆発は、古龍が咥内で作り出した超小型ブレスを『転送』の陰魔法でテレポートさせたものなのだ。距離を介さない瞬間移動において必ず生じる歪みの前兆を、少年は覚えていた。
覚えていたからこそ、少年は迷わず前へ進むことができた。
生死の境目となったのは、数時間も過ぎれば忘れていたであろう感覚の残留物だったのだ。
そして、ついに古龍の『刃圏』を突破せしめた少年。
漆黒の長い爪、硬い鱗に覆われた腕の、さらにその内側。
人の手に握られた剣が龍の心臓に届く距離。
そこは唯葉の間合いだった。
ガガガッキキキキキキン!と凄まじい剣戟の応酬が始まる。
元々、唯葉は全く好戦的な性格ではない。
そんな少年が初めて見せた攻撃性は、すぐ後ろにリナがいるからこその『本気』から『全力』へ切り替わった証左であり___それは確実に、内に秘めた潜在能力のポテンシャルを引き出し、本来の彼の戦闘力を発揮せしめていた。
更に、接近戦における古龍の武器、両腕の爪は、長く重い腕先で振り回されてこそ絶大な破壊力を発揮するが、一度間合いの内側に入られれば文字通り無用の長物に等しい。
古龍が態勢を整える時間すら与えず、少年は苛烈な連撃で怒濤のように畳み掛ける。
「そうやって、見ているだけでいいのか」
リナは、ゆらりと夢遊病者のように振り返った。
村長の赤い瞳が、リナを真っ直ぐに射抜いていた。
「ラウルは最後まで己の『芯』を貫いていた。だがそれは、ラウルだからこそできたことだと知れ。いくら固く強い信念を持とうともそれを為し得る力がなければ元の木阿弥だ」
「……」
「『芯』というのはそういうものだ。あくまで行動指針にすぎん。だから本当に大切なのは、その『芯』を十全に支えることができる確固たる礎だ。相応の努力と工夫を重ねることだ。信念はその上に立つ。土台が脆弱では話にならん」
「……」
「問おう、お前の『芯』はなんだ。その基盤にあるものはなんだ? お前の信念が簡単に揺らぐ程度のものだったのか?」
戦場が奏でる熾烈な剣戟音が、リナの耳から遠ざかった。
焼け野原となった村、ぺたりと座り込んだリナに襲い掛かろうとする黒い塊をラウルが押し留めている。
その背中は見る間に崩れ去り___しかし、代わりに小さな少年のものに形を変えた。彼は刀を振るって黒い塊を追い払おうとしているが、やがて彼の背中にも亀裂が走っていく。
幼いリナは手を伸ばすが、その指先は空を掴むばかりだった。
何もできずに。
___何も、できない?
……いや。
そんなはずは……ない。
積み重ねてきたものがある。一人で生きていかねばならなかったがために死に物狂いで身につけた、遍く経験と知識。
それは天稟術という形で開花した。
私のせいでラウルは死んだ……それを心の奥底に閉じ込めるべき過去と取るか、次に活かすべき経験と知識の一つと取るか。その死は終わりではなく、始まりなのかもしれない。
黒い塊と取っ組み合う唯葉の背後で、いつの間にか幼いリナの体は今の大きさに戻っていた。
あの頃の、無知で無力な子供ではない。
五年という歳月を経て、心身共に成長した自分。
ふと理解する。
今まで学び鍛えてきた、自分の力を自覚する。
ほぼ毎日のように魔獣と戦って、その中で研鑽された戦闘技術、経験則、身体、思考、生きるための力。
それらは全てしっかりと私の中に根付いている。
そして、それこそが私の礎だ。私の『芯』、大切な人を守りたいという思いを現実にするための基盤。ラウルの死を乗り越えたことで、その基盤はかつてなく強固なものとなった。
リナの揺らぎなき『芯』が、真っ直ぐに天を衝く。
「っ!!」
瞬間、リナは弾かれたように立ち上がる。
後退する古龍に追って絶え間の無く前進していた唯葉が、地面に縫い止められたかのように止まっていた。
愕然とした顔で下を見る唯葉。その両脚に、半透明の黒い触手が巻き付いている。
それは唯葉自身の『影』だった。
陰魔法『影結い』により、唯葉という存在が作り出す闇は古龍に操られ主人に牙を剥いていた。
致命的な隙。辛うじて反応した村長が剣を飛ばし援護を行うが、戦いの主導権は再び古龍に移ってしまっていた。
「ほら、いつまで悩んでんだい! お前もさっさと行きなァ!」
「分かってるわよ! 黙って寝てなさいこの熊女!」
アウローラの発破を受けて駆け出そうとした、その時。
不意に。
ラウルと交わした最後の会話が、脳裏を過った。
《お前の俺の娘で、俺はお前の父親だ。そんだけだ》
乱暴に撫でられた頭が、急に熱を持った気がした。
何か、堪え難い感情が胸中で暴れ回り___リナは魔狼のような咆哮と共に大地を蹴り飛ばした。
なびく髪に埋もれた髪飾りの石が、きらりと一瞬光っていた。
お読みくださり、ありがとうございます。




