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15 心の鍵をあなたに





 

 二人の結婚式は春を待ってすぐに行われた。

 白のドレスに身を包んだアリシアは、ハルフェイノスに手を引かれて祭壇までの道を歩いた。


 エリアルとシャルロッテ、そしてもちろんハルフェイノスが張り切ったせいで、式は随分大きなものへとなってしまった。

 雪解けが遅れて式前日に漸く地方から辿り着いたランクスの家族達は、三男の式の規模に口をあんぐりと開けていた。

 披露宴はバーンズ家で盛大に行われた。二人だけの新しい新居は宴を催すには小さすぎ、またハルフェイノスが主催することを譲らなかったから。

 その披露宴に第一王子(レンディール)が一瞬顔を見せた時には、ランクスの姉がソファに向かって倒れた。

 その見事な倒れっぷりに「お義兄様のお姉様はプロですわね!」とシャルロッテが見事な感想を寄せたので、ランクスは笑いが止まらずに困った。隣で笑顔のアリシアもこっそりドレスの裾を握っていたので、必死で笑いを堪えていたに違いない。





「何故こんな日にあなたと二人で書斎に居なければならないのでしょうか?」

「良い質問だね。やはり慣習に則って初夜の心構えなどを伝授しようかと……」

「それは新婦が母親から受けるもんでしょうが! 何が悲しくて(新郎)あんた(新婦の父)と初夜に書斎で二人きりっ」


 今まで辛うじて保っていた敬語と敬意を取り払い、ランクスは突っ込みを入れてしまった。

 しかもハルフェイノスは未婚ではないか。


「何だランクス君、君には冗談も通じないのか。そんな度量の狭い男ではアリシアに嫌われてしまうよ?」

「ぐっ!」


 どうやらランクスが首を縦に振らなかった件を、未だに根に持っているらしい。


「こんな往生際の悪いことをしても、あなたの申し出を受ける気はありませんよ」

「そうか、地方子爵の三男坊には次期バーンズ侯爵家の家督は重すぎたようだね」


 はあ、とハルフェイノスはワザとらしい溜息を吐く。

 結婚の了承自体はわりと早く取り付けることが出来た。

 但しそこからバーンズ侯爵家の養子になる事を迫る、ハルフェイノスとの攻防戦に突入する羽目になった。

 戸籍にも貴族名鑑にも、アリシアはフェンクローク伯爵の実子として記載されている。どんなにあからさまに接しようと、二人は公式の場で親子として名乗りを上げる事は出来ないのだ。今までは後見人としての立場を最大限に利用して我を通していたハルフェイノスも、ランクスの妻となったアリシアには表向き今迄通りに接する事が難しくなる。

 アリシアにハルフェイノスの養女になる気はない。だからハルフェイノスはランクスを養子にして、自分の全てを二人に継がせようとこの数カ月働きかけていた。


「アリシアが断ったものを俺が受け取るはずがないでしょう」


『もちろんお父様のことも愛していますが、フェンクロークの家族の事も愛しているのです。解ってくださいますよね?』

 正式な養女にと望んだハルフェイノスに、そう言ってアリシアは父娘として接する事を決めながらも公では今まで通りの関係を続けたいと願った。

 突き放したのではなく、純粋にアリシアはハルフェイノスの幸せを望み、ルクレツィアならばそう願うだろうと考えた上で口にしたのだ。

 きっと彼女はハルフェイノスに新たな幸せを掴んで欲しいと望んだはずだと信じて。

 ランクスは黙ってアリシアの肩を抱き、その場に立ち会った。


「生活が楽になるよ」

「今だって困ってはいませんし、アリシアに苦労をかけるつもりもありません」

「貴族でいられる」


 確かにランクスは地方子爵の三男だ。継ぐ爵位などない。嫁いだ彼女も貴族ではなくなる。

 だが――


「それはそんなに価値のあるものですか?」

「いいや……」


 自分でも馬鹿らしい事を言ったと思ったのだろう。ハルフェイノスは首を振りながら自嘲気味に笑った。


「もういいじゃありませんか。あなたもアリシアも決着を付けたでしょう。家名なんて継がなくたって、アリシアはちゃんとあなたを想ってる」

「私ばかりが宝物を受け取っているんだ……せめてアリシアには何か残したい」


 ハルフェイノスは受け取るばかり。

 ルクレツィアからはアリシアを授けられ。アリシアからは家族の絆と前を向く勇気をもらった。


「残るのは形のあるものだけなんて限りませんよ。アリシアの探究心と完璧主義に俺は助けられてますけどね、時々やり過ぎなんじゃないかと叫びたくなる。誰に影響を受けたかなんて、言わなくても明らかです。彼女だってちゃんと受け取ってる」


 悔しいので口にしないが、二人はそっくりだと思う時がある。


「私はあの子に与えることが出来ているのかな」

「アリシアの欲しいものは、きっと貴方と一緒です」


 例えばいつでも受け止めてくれる存在。温かな手。優しい眼差し。

 それらはフェンクローク家の人間がずっとアリシアに与えて来たもの。

 これからランクスがアリシアと二人で築き上げていくもの。

 そこにハルフェイノスが加わってもいけない筈はない。注ぐ想いに家名など関係ないのだから。


「仕方が無いので『お姫様』呼びも許容しましょう」


 澄まして告げるランクスに、ハルフェイノスは声を上げて笑った。


「お許しが頂けたところで私もそろそろ意地悪を止めないとね。新居を整えてくれていたフェンクロークの家族も帰る頃だろう。馬車を表に回してある」

「ありがとうございます」

「祭壇で誓った通り、私の娘を生涯守ってやってくれ」

「この命の全てをかけて」



 駆け出すのではという急ぎ足で立ち去るランクスを見送りながら、ハルフェイノスはそっと引き出しを開け小物入れを取り出した。中には崩れ落ちそうな華奢な指輪。


 ルクレツィアの事は見つけ出した。

 数年内には裁判が行われる。第一王妃の暗殺事件と共に、ルクレツィアの身に起きた悲劇も公に出来る。

 第二王妃が望んだ王母の座は決して叶わない。最も愚かな王妃として、その名を一生歴史に刻むだろう。


 ――明日からはもう少し前を向いて歩もう。でも今夜までは、ルクレツィアの思い出だけに浸ってもいいだろうか。



 ・・・・・・・・・・



 暖炉の薪はパチパチと心地よい音を立て、部屋全体を暖めてくれている。春になったとはいえ、まだまだ夜は冷える。

 ここはアリシアとランクス、二人の家だ。

 特別局から近く、尚且つフェンクローク家からも離れすぎない場所に見つけ出した一軒家。小さいながらも裏庭まである。使用人も頼んであるが、彼らが来るのは明日の午後から。

 披露宴の後、一人ハルフェイノスの元に残されたランクスが戻ってきたのはつい先ほど。

 その姿を見届けてからシャルロッテとエリアルは、屋敷を整えたフェンクローク家の使用人を連れて引き上げて行った。地方から出てきたランクスの家族は昨日に続きフェンクローク邸に泊る事になっている。


「俺の奥さんは何をそんなに熱心に考えてるんだ?」

「ランクス様」


 いつの間にか戸締り確認をしていたランクスが寝室に戻って来ていた。開いた扉の横からアリシアに声をかける。

 手持ちランプだけの灯りに照らされた瞳は、初めて会ったあの時のように謎めいて見える。


「様はいらない、アリシア」

「ええ、ランクス」


 アリシアがくすりと笑うと、後ろ手で扉を閉めたランクスはゆっくりとした足取りで暖炉横の彼女の前までやってきた。

 ランクスが向き合うアリシアをそっと抱きしめる。その身体に力を抜いて寄りかかると、抱きしめる力が強くなった。この数カ月で、ランクスが愛情表現を隠さない人だと学んだ。

 抱きしめられる事もたくさんの口づけも、ドキドキしながらも抵抗なく受け入れるようになってしまった。

 その暖かさを感じながらアリシアは決心して口を開く。


「ずっと考えていた事があります。聞いてもらえますか?」

「もちろん」


 回されたランクスの腕の居心地の良さと胸の温かさにうっとりするけれど、ちゃんと目を見て話さなければいけない。胸に手を置いてすぐ近くのランクスの瞳を覗き込む。


「実母の事を知ってからずっと、父の計画を止めるつもりはありませんでした。彼の中にある想いは、私のそれとは濃度が全く違うからと勝手に決めつけて。犯人がこの世から消えるまで終わらないならば、それでも良いとさえ思っていました」


 どんな手段を使っても、ハルフェイノスは犯人を追いつめる。そして一生引きずるのだろうと思っていた。アリシアだってそれに付き合うつもりでいた。


「でもランクスと出会って、抑えていた色々な感情が溢れて。本当の気持ちに気付くことが出来ました。復讐よりも先に進む為の真実が欲しかった。父にも未来を見て欲しかったのです。

 ――それを口にする勇気をくれて、ありがとう」


 アリシア自身だって未来から目を背けていた。今日と同じ事をして、そんな毎日がずっとずっと続けばいいと思っていた。ランクスのひと押しが無ければきっと、それまでのまま距離感を残した親子関係から動けなかった。

 今だってたまにしか『父』とは呼べないけれど、それは照れてしまうから。

 ランクスが目を細めてアリシアを見つめる。その手は優しく背中を撫でてくれていた。


「ずっとお礼を言いたかったのです。あのグランドーの時だけじゃなくて、出会ってからずっと」

「どういたしまして……でいいのか? 俺の方は下心込みだったから、手放しで感謝されると何だか申し訳なくなってくるんだが。実際可愛い妻を手に入れている訳だし」


 そう言ってアリシアの頬にくすぐったくなるような触れるだけの口づけを落とす。


ルクレツィア()ハルフェイノス()、そして先代バーンズ侯爵(祖父)。バーンズ家に関わる人々はみんな、心を見せる勇気が足りなかったのかもしれません」


 それは職業病の様なものなのだろうか。

 ルクレツィアはハルフェイノスの未来を考え、最後までアリシアの事を隠そうとした。

 先代バーンズ侯爵は他家へと預けてすでに無関係のはずの孫に、息子に黙ってこっそりと会わずにはいられなかった。

 ハルフェイノスはルクレツィアへの想いから、最後まで実父とは和解出来なかった。

 みんな本当の想いを口にしていれば、もう少し違った形になっていたかもしれないのに。


「本当の信頼はその先にあるのだと思います。いつも心の扉を開け放って受け入れることが出来たなら、それは素敵な事だけれど。私にはまだ出来ません。だから私が扉を閉じてしまったら、そっと鍵で開けてください。あなただけが、私の心の鍵を開けられるから」


 あなたにだけは、全てを預けられるから。


「アリシアが俺に鍵を預けてくれるなら、俺は命を差し出そう。冗談で言ってる訳じゃない。君が死んでしまうと想像したあの時、俺は自分の心臓が本当に止まるかと思った。人生であんな恐怖を味わったのは初めてだ。お蔭でって言うのも変だが失ったら生きていけないと気付けた。だから俺の命は全部君のものだ。扉に鍵なんて掛かってないんだ、いつだって君に入って来て欲しいから」

「何それずるい……」


 アリシアは一生懸命考えて心の全てを差し出したつもりだったのに、更に多くを差し出されて、嬉しいやら悔しいやらで泣き笑いになってしまった。

 ぽろぽろとこぼれる涙を、ぺろりと舐めて拭われた。

 吃驚したアリシアの涙が引っ込んだら、クリアになった視界には満面の笑みのランクスが。


「あの時も泣いてる君をこうやって慰めたかった。今はもうその権利がある。それが嬉しくて堪らないんだ。これから生涯アリシアを守るのも喜ばせるのも、慰めるのだって俺の特権だ」


 どう言えばこの想いは伝わるのだろう。

 何処までも愛しくて、何処までも尊敬している人に。

 いつだって心を上向かせて、力いっぱい抱きしめてくれるあなたに。


「いつかあなたのように、鍵なんて掛かってないって言えるようになりたい。だからそれまで、一番側で待っていてください。私の愛しい旦那様」


 アリシアは初めて自分から口づけた。つま先立ちで首に手を回すと、ランクスが屈んでくれた。すぐに主導権を取られて抱き上げられてしまったけれど、少しだけ自分からも心の扉を開けた様な気がした。

 きっと時間はかかるけれど、いつか本当に鍵なんて必要なくなるかもしれない。



 だって二人はとっても幸せな夫婦になったのだから。



これにて完結となります。

最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。


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