93 妖精王女、もやもやが止まらない
「話はグレンディルがまだ皇帝の座に就く前……皇位継承争いの頃にさかのぼります」
「皇位継承争い……」
マグナ帝国とは遠く離れた辺境の地――フィレンツィア王国に引きこもっていたエフィニアでさえ、その頃の話は聞いたことがある。
竜族の皇帝の代替わりの際には、後継者の座を巡って凄惨な争いが繰り広げられるのだという。
グレンディルが皇帝の座に就いた経緯はよく知らないが、きっと生半可な道ではなかったのだろう。
「先帝の突如とした退位宣言により、皇位継承争いは荒れに荒れました。先帝の一族である私やグレンディルだけではなく、腕に覚えのある者が『我こそが次の皇帝』だと名乗りを上げ……激しい争いが繰り広げられたのです」
「激しい争い……」
「はい……思い出したくもない、暗黒の時代でした」
グレンディルが皇帝の座に就いたのは、それほど昔のことではない。
今は華やかに見える帝都も、ほんの少し前までは荒れていたのだろうか。
「エフィニア王女もご存じのことかとは思いますが、グレンディルは竜族の中でも抜きんでた強さを持つ実力者です。若干寡黙で不器用なところはありますが、当時からグレンディルを推す声は大きかった」
「そうだったのですね……」
「えぇ。そして……エリザードはマグナ帝国のとある貴族の娘です」
厳重に閉じた宝箱の鍵を開くように、ベリウスは重々しく告げる。
「きっかけまでは知りませんが、彼女は他の多くの娘と同じように勇ましいグレンディルに恋をしました。しかし竜族の女性には珍しく、彼女は控え目でおとなしい性格で……想いを伝えることすらできなかった」
エフィニアの脳裏に、先ほど見たエリザードの姿が蘇る。
確かに不遜が服を着て歩いているようなミセリアと比べると、儚さやたおやかさを感じさせる女性だった。
正面からアプローチをするよりも、陰から見守る姿の方が板についていそうだ。
「それでもエリザードはいじらしく、いつもまっすぐにグレンディルだけを見つめていました。そしてある時、二人の間に転機が訪れた」
エフィニアは知らず知らずのうちに息をのんでいた。
隣に座るイオネラも、緊張したようにぷるぷると小刻みに震えている。
ベリウスはよりいっそう声を潜めるようにして、静かに告げる。
「これは我々竜族だけの特徴ではないと思っていますが……戦の後というのは、どうしても気が昂るものなのです。興奮状態、とでもいうべきなのでしょうか。たいていは酒宴とセットでもありますからね。……そんな時に、エリザードは初めてグレンディルの傍に近づいた」
エフィニアはぎゅっと膝に置いた手を握り締めた。
……ベリウスの話は、だいたいの部分がここに来る前にエフィニアが予想したものと相違はなかった。
だが実際にグレンディルの身内である者から聞かされると……案外ショックを受けるものなのだと思い知る。
「……二人の間にどんなやりとりがあったのかまでは存じません。エリザードも詳しく話そうとはしませんから。……結果として、エリザードはグレンディルの子を身籠りました」
「そう、だったのですね……」
「はい。その事実を知ったエリザードは大きなショックを受けたことでしょう。当時、まだ皇位継承争いに決着はついておらず、グレンディルの子を身籠っていると知られたらエリザード自身が危険にさらされる可能性もあった。それに……」
ベリウスは重いため息をつくと、渋い表情で続ける。
「……身内としてはお恥ずかしい限りですが、グレンディルはエリザードを恋人や妃として迎えるつもりがなかったのでしょう。彼女の生家は帝国の貴族の中では下位にあたりますからね。あくまで一夜のお遊び、もしかしたら顔も覚えていないのかもしれません」
「そんなっ……!」
グレンディルのあまりにも身勝手な態度に、エフィニアの中に憤りの感情があふれ出す。
ベリウス自身もグレンディルのそんな部分を苦々しく思っているのか、ぐっと強くこぶしを握っている。
「……エリザードの心情を考えると一発殴ってやりたくなりますよ。まぁ、きっと優しい彼女はそれを望まないでしょうけど。グレンディルの子を身籠ったエリザードは、何よりも子を守ることを選びました。グレンディルには何も告げずに傍を離れ、秘密裏にあの子を出産したのです」
……なんて強い女性なのだろう。
あの線が細くたおやかな体の中に、きっと強い芯を秘めているのだ。
エフィニアがもし同じ状況になったとしても、とても彼女のように耐え忍ぶ道を選べるとは思えなかった。
「私はひょんなことから彼女と知り合い、情勢が落ち着くまで自身の下で保護することにしました。弟の不始末は兄の私の責任でもありますから」
「……その事実を知る者は他にいらっしゃるのですか」
「ほんのわずかな、信頼できる私の側近だけです。……エリザードは頑なで用心深い。あのおちびさん自身にさえ、出生の秘密を話さなかった、はずなのですが――」
ベリウスはそこで一度言葉を止めると、鋭い目つきでどこかを見つめた。
「……どういうわけか、あの子は自分の父親のことを知ってしまった。そして、知ってしまったら父親のことが気になってしまったようで……ここを飛び出して行ってしまったのです」
「それで……」
ある日突然、クロは後宮に現れたのだろう。
あの子がどんな道筋を通って帝都にたどり着いたのかはわからない。
だがそんな幼子がたった一人で長旅をしてまでも……父親であるグレンディルに会いたかったのだろう。
(それなのに初対面の時の陛下のあの態度は何!? そりゃあクロだってショックを受けるわよ!!)
エフィニアの中でグレンディルに対する怒りが再燃する。
「あの子がいなくなった時のエリザードの憔悴っぷりときたら……とても見ていられませんでした。あの子の素性のこともあり、我々も大々的に捜索を行うこともできず、途方に暮れていたのですが……ここまで無事にあの子を連れ帰ってくださったエフィニア王女にはどれだけ感謝してもしきれません」
そう言ってため息をつくベリウスに、エフィニアはなんとも言えない気分を味わっていた。
……クロの素性はわかった。
エフィニアがあの子をここまで連れてきたのは正しい行いだった。
……なのに、何故かすっきりしない。
まるで喉に小魚の骨が引っ掛かっているような、もやもやが消えないのだ。




