73 妖精王女、冷や汗をかく
ほんの少し前まで、グレンディルの皇后の座に一番近いと言われていたのは、竜族の姫――ミセリアだった。
だがエフィニアの活躍により彼女が幾人もの寵姫を潰してきたという悪行が明るみに出て、彼女は現在、罪を償うために後宮を出て労役についている。
ミセリアを熱心に信奉している寵姫の中には、彼女についていく者もいた。
だが後宮に残った多くの寵姫は、ミセリアという船頭を失い右往左往している。
自身が皇后候補として名乗り出るか、それとも他の有力な候補につくか……彼女たちも大いに悩んだことだろう。
それだけなら別に、エフィニアだって「大変ねー」とお茶を飲みながら眺めていられたのだが……どうやら、エフィニア自身もいつのまにやら巻き込まれてしまっていたらしい。
元々「反・ミセリア派」としてエフィニアを担ぎ上げる寵姫もいて、いつしか(エフィニアの意志とは裏腹に)派閥のようなものができあがってしまった。
そこに、目を着けられてしまったのだ。
少し前まで「ミセリア派」だった寵姫の一部が、今度は「エフィニア派」を名乗ってこうして押しかけてくるのである。
長い物には巻かれろ精神ここに極まれりだ。
平穏な生活を望むエフィニアからすれば、たまったものではない。
とりあえず、今日は邸宅の中で籠城することとしよう。
必死に詰め寄る寵姫たちにお帰り頂こうとするイオネラの声を聞きながら、エフィニアは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
◇◇◇
「でも、こうしてエフィニア様に戻ってきていただいて嬉しいですわ」
「えぇ、エフィニア様がいないとやはり活気がありませんもの」
「アドリアナ様、コーラリア様……ありがとうございます」
本日は、(アポなしで早朝からよく知らない寵姫に襲撃されることを思えば)比較的穏やかなお茶会だ。
参加メンバーは、妖鳥族のアドリアナ、人魚族のコーラリアなど、元からエフィニア派を自称する気心の知れたものばかり。
皇后候補として祭り上げられるのは不本意だが、やはり情報収集は重要だ。
「それで……どうですか? ミセリア様が去られた後の後宮は」
声を潜めてそう問うと、待ってましたとばかりにアドリアナがさえずり始める。
「それはもう……大混乱状態ですわ! 寵姫だけでなく、女官の中にもミセリア様が皇后になられると信じて疑わない者が多かったようですから。寄る辺を失くして皆右往左往です」
「なるほど……」
それほどに、ミセリアが後宮を去った影響は強いのだろう。
エフィニアとてミセリアのやった「側室潰し」を肯定するつもりは微塵もないが、少なくとも彼女には竜族の姫という地位と、派閥をまとめ上げるだけの人望とカリスマがあった。
クリーンな手だけを使ってのし上がってくれれば、彼女ほど皇后の座にふさわしい存在はいなかっただろうに。
(そんな御方がいなくなったのだから、それはもう大変よね)
この機会に派閥を強めようと暗躍する者や、他の有力な皇后候補に取り入ろうとする者など、それはもう群雄割拠の様相を呈しているようだ。
「でも、わたくしたちは絶対にエフィニア様がお戻りになられると信じておりました! だから――」
「えぇ、戻ってきたようでとっても嬉しいわ」
急にこの場にいないはずの第三者の声が割って入り、一堂に緊張が走る。
エフィニアはどこか懐かしさすら覚えながら、声の方へと視線を向けた。
現在エフィニアたちがいるのは、後宮の一角にある小規模な庭園の中だ。
つまり、誰が乱入して来てもおかしくはないのだが――。
「お久しぶりです、レオノール様」
エフィニアがそう挨拶すると、いつもながらに派手な衣装を身に纏う獣人族の姫――レオノールがふん、と鼻を鳴らす。
「あらあら、怯えてド田舎に逃げ帰ったかと思ったのに、戻って来るなんて案外勇気があるのね」
「あまりにもド田舎なので退屈なんですもの。ここにいた方が毎日刺激的です」
「ふぅん、その強がりがいつまで持つかしらね。……よく聞きなさい」
レオノールは手にした扇をビシッとエフィニアに突きつけ、勇ましく告げる。
「あの傲慢トカゲ女を追っ払ったからって調子に乗るんじゃないわよ。皇后になるのはこの私、レオノールなのだから。あんたなんていつでも叩き潰してやるわ!」
あまりにも直球な宣戦布告。ミセリアの計略を凝らしたやり方に比べると、潔すぎてすがすがしさすら感じられる。
だからこそ、エフィニアも立ち上がり丁寧に礼をした。
「どうぞ、お手柔らかにお願いいたします」
「いいじゃない。そのくらい生意気な方が潰し甲斐があるわ。首を洗って待ってなさい!」
尾を引くような高笑いを残して、レオノールは颯爽と去っていった。
すぐに彼女の取り巻きや侍女たちが後を追いかけていく。
だが、その中の一人が思い出したようにエフィニアに近づいてきた。
「レオノール様はああ仰っておりますが、本当はエフィニア様がお戻りになってたいそう喜んでいらっしゃるのです」
「え?」
「エフィニア様がいないときは毎日つまらなそうにして、覇気がありませんでしたもの。我々も心配で心配で……ですから、これからも仲良くしてくださいね!」
ぺこぺこと頭を下げながら、獣人族の侍女は嬉しそうにレオノールの後を追いかけていった。
(どこをどう見たら「仲良く」見えるのかしら……)
エフィニアがよく知らないだけで、獣人族の間ではこのくらいバチバチした関係も「仲が良い」に分類されるのだろうか。
まったく、異文化コミュニケーションは難しい。
「うふふ、大人気ですね、エフィニア様!」
「……そう見えますか?」
くすくすと笑うアドリアナにそう返すと、彼女は何でもないことのように言ってのける。
「エフィニア様が不在の間、ほぼ毎日のようにレオノール様に聞かれましたもの。『エフィニア様はいつ戻って来るのか』って」
「……本当ですか?」
「えぇ! レオノール様もあの調子ですから、ミセリア様の次は彼女につき従うことにする側室もちらほらいるのですが……わたくしの見立てでは、彼女は皇后になるよりもエフィニア様と競い合う方に楽しみを見出していらっしゃるのでは」
アドリアナのとんでもない分析に、エフィニアは少し気恥しくなってイオネラの淹れてくれたお茶を口に運ぶ。
(まったく……理解できないわ)
だが不思議と、悪い気はしなかった。
いつの間にか、エフィニア自身もこの場所の空気に染まってきているのかもしれない。
そんなエフィニアをキラキラした目で見つめながら、アドリアナはとんでもないことを口にした。
「ですから、エフィニア様……これからはよりいっそう、皇后候補として気が抜けませんわね! わたくしたちは一丸となってエフィニア様を応援いたしますから、どうぞ遠慮なく戦いに身を投じてくださいませ!」
「…………善処するわ」
元祖エフィニア派の側室たちから期待に満ちた目を向けられ、エフィニアは内心冷や汗をかきながらそう返すことしかできなかった。




