46 竜皇陛下、荒れる
「ちっ……!」
エフィニアを乗せた馬車は、猛スピードで通りを駆け抜けていく。
だが、もちろんこのまま逃がすつもりは無い。
ちょうど馬車の進路には、グルメ街の入り口となる巨大なアーチがそびえたっている。
グレンディルは素早く精神を集中させ、魔術を放った。
「雷よ」
放ったのは、ほんの単純な雷の魔術だ。
だが、膨大な魔力を秘めるグレンディルの手にかかれば、簡単な魔術でも地形を変えるほどの一撃になる。
ほんの一瞬で辺りに暗雲が立ち込めたかと思うと、轟音と共にアーチめがけて巨大な雷が命中した。
その衝撃でアーチは砕け散り、道を塞ぐようにがれきの山を作り出す。
アーチめがけて爆走していた馬車も、慌てたように動きを止めようとし、勢い余って横転した。
「ここは危ないから近寄るな」
何だなんだとざわめく通行人にそう伝え、グレンディルはあたりに素早く遮蔽効果のある結界を張った。
これで、外の者は中に立ち入ることはできず、中で何が起こっているかもわからない。
準備を整え、グレンディルは素早く結界の中へと足を踏み入れた。
「くっ、どうなってんだ!?」
「馬車は捨てろ! このまま逃げるぞ!!」
「女はどうした!?」
横転した馬車から、慌てたように何人かの男たちが這い出てくる。
遅れて出てきた男の小脇には、ぐったりと動かないエフィニアが抱えられていた。
その姿を見た瞬間、グレンディルに心臓が止まりそうな強い衝撃が走る。
――番が、何者かに傷つけられた。
そう理解した途端、体中が燃えるような怒りに包まれる。
番を傷つけられた竜の、本能的な怒りだった。
「なっ、なんだてめ――ぐぎゃあ!」
一瞬でエフィニアを抱える男の背後を取り、エフィニアを奪還する。
そして驚き振り返った男の頭を掴み、いとも簡単に地面に叩きつけた。
「何だこいつ!?」
「なんでもいい! 女を取り返せ!!」
取り返す……?
何をおかしなことを。
エフィニアはグレンディルの番なのだ。
他の誰にも、渡すわけがない。
奪いに来るというのなら、容赦なく潰すまでだ。
「番を守る」という原始的な本能に突き動かされるまま、グレンディルは「敵」に対峙する。
目の前の男たちには、姿を変えているのでそこにいるのが皇帝だとはわからないだろう。
だが、圧倒的強者のオーラは隠せない。
屈強な竜族であるはずの男たちも、敵に回してはならない竜の逆鱗に触れてしまったことに気づいたのだろう。
まるで子犬のように身を縮こませ、地面にひれ伏した。
だが、そのくらいでグレンディルの怒りは収まらない。
「俺の番に手を出すとは、いい度胸だな。……愚行の代償は、その身であがなえ」
片手でエフィニアを抱え、もう片方の手で震えあがる男の首を掴み、ギリギリと締め付けながら持ち上げる。
「ヒッ、お助けを……!」
「黙れ」
男の首を掴む手に魔力を込めれば、グレンディルの手に炎が宿る。
じわじわと焼かれるような痛みに男は苦悶の声を上げ、グレンディルが一息に命を刈り取ろうと、力を籠める直前に――。
「へい、か……おやめください」
耳に届くのは、この世界のどんな音楽よりも心地の良い声。
反射的に視線をやれば、エフィニアがしっかり目を開けてグレンディルを見つめていた。
エフィニアの声が耳に届いた途端、燃え盛る業火のような怒りが一瞬で凪いでいく。
手を放すと、持ち上げられていた男は潰れたカエルのような声を上げて地面に落下した。
「ここで殺してしまっては、陛下の名に傷がつきます。それに、この方たちの目的や背景もわからずじまいになってしまいますわ」
宥めるようにグレンディルの腕に触れて、エフィニアはそう諭す。
グレンディルはしっかりと両手でエフィニアを抱えなおし、そっと胸元に抱き寄せた。
「……済まなかった」
「陛下のせいではありませんわ」
エフィニアは王女として、誘拐された際の対処法や心得るべきことも学んでいる。
だから、存外冷静でいられる自覚はあるのだが……何故だろう。
(陛下に抱きしめられるのが、こんなに落ち着くなんて……)
最初に出会った時には、いきなり噛みついたりなんかして。
ひどいことも言われて、ひどい扱いも受けて……。
なんて、最低な男なのだろうと思った。
もう一切、かかわりを持ちたくないと思った。
それなのに、どうして……。
(今はこの人の傍が、心地よく感じてしまうのかしら……)
もしかしたら、これが番の本能というものなのだろうか。
それとも……。
(……なんでもいいわ。今だけ、今だけだから…………)
そっと胸元に顔を寄せ、守るように抱き留める腕に身をゆだね、エフィニアはそっと目を閉じた。




