29 妖精王女、後宮のボスの誘いを跳ねのける
ミセリアは相も変わらず、真意の読めない笑みを浮かべていた。
強く問い詰めるでもなく、彼女はエフィニアの出方を見ている。
その態度が少し不気味で、エフィニアは言葉を選んで口を開いた。
「わたくしは後宮に入る経緯が少々複雑でしたので。陛下も心配してくださっていたようです」
当たり障りのない答えを返すと、ミセリアはにっこりと笑った。
「えぇ、何の準備もなく後宮に入られて、エフィニア様は大変苦労されているとお伺いしておりますわ。陛下が心配なさって当然でしょう。……この後宮は、甘くない場所ですから」
ミセリアがぼそりと呟いた言葉に、集まった側室たちがびくりと身を竦ませた。
明らかに空気が変わったのを感じ、エフィニアは背筋を正す。
「誠に残念ながら、側室同士で足を引っ張り合うような動きが少なくありませんの。……ドミティア」
「はいっ!」
ミセリアに名を呼ばれ、彼女の近くに座っていた側室の一人が勢いよく返事をした。
「ラドミア様が後宮を去られたのはいつだったかしら」
「三か月ほど前ですね。執拗な嫌がらせで心を病み、皇帝陛下の承諾を得て故郷へと戻られたと伺っております。
「そうね、ありがとう。……レナータ」
「は、はい!」
今度は、別の側室が震える声で返事をした。
「シャールカ様がいなくなられたのはいつだったかしら」
「半年ほど前です。何者かに毒を盛られたようで、喉をやられて……あぁ、あんなに綺麗な声で歌われる方でしたのに……」
ミセリアと周囲の者たちは、何人もの「消えた側室」の名を上げていく。
エフィニアはただ平然と、そのやり取りを聞いていた。
「ご理解いただけたかしら、エフィニア様。この後宮は綺麗な花園というだけではなく、少し足を踏み外せば奈落へと落ちる恐ろしい場所ですの。わたくし、ずっとエフィニア様のことを心配しておりましたのよ」
ミセリアはわざとらしく悲しそうな表情で、うっそりと囁く。
「どうでしょうか、エフィニア様。これからはもっとわたくしの傍にいらっしゃいな。わたくし、きっとエフィニア様をお守りして差し上げますわ。お住まいだって、わたくしの近くの邸に移られてはどうでしょう。……皇帝陛下の運命の番でいらっしゃるんですもの。エフィニア様が奏上すれば、陛下もきっと承諾なさるでしょう」
ミセリアの金色の目がきらりと光る。
その視線を受けて、エフィニアはすっと目を細めた。
要は、単純な話なのだ。
ミセリアはこのように後ろ盾の弱い側室に誘いをかけ、応じれば自らの傘下に、応じなければ消えた側室たちのように潰してきたのだろう。
もしかしたら女官長の妨害も、彼女の差し金なのかもしれない。
そうやって追い詰めて、狩りを行うのが彼女の手法。
今も「自らの下につき、皇帝に口利きしろ」と言いたいのだ。
(ミセリア様の下につけば、きっと後宮での私の安全は保障される)
ミセリアは後宮の最大派閥の長。
周囲に侍る側室のように、彼女の傘下に入るというのは身を護る有力な手段だ。
だが……。
「ご心配ありがとうございます、ミセリア様」
そう口にしたエフィニアの言葉に、ミセリアは満足げに微笑む。
だが次の瞬間、彼女の微笑みは凍り付いた。
「ですが、わたくしは今の屋敷が気に入っておりますの。ミセリア様のお誘いは大変ありがたいのですが、ご遠慮させていただきますわ」
一瞬にして笑みを凍らせたミセリアは、じっと金色の眼差しでエフィニアを見据える。
エフィニアも目をそらさず、まっすぐにミセリアを見つめ返した。
「……後悔しますわよ」
先ほどまでの友好的な態度は鳴りを潜めて、威圧を込めた低い声でミセリアがそう呟く。
「そうならないように努力しますわ」
エフィニアはにっこり笑ってそう返した。
ミセリアの傘下に入れば、エフィニアの安全は確保されるのかもしれない。
だが……。
(やり方が、気に入らないのよ……! フィレンツィアの王女として、こんな危険人物に与するわけにはいかないわ)
エフィニアにだって、王女としての矜持がある。
簡単に他者を傷つけ追い払うような者に、頭を垂れるわけにはいかないのだ。
(それに、皇帝の恋路に協力するって言っちゃったしね)
ミセリアは皇后を目指している。
その為、例の寵姫などはまっさきに排除しなければならない存在だろう。
一途な想いに身を焦がす皇帝と、汚い手を使ってでも皇后の座に昇り詰めようとするミセリア。
どちらを応援したいかと問われれば、皇帝の方に軍配があがるのだ。
(はぁ、どうせ今でも敵だらけなんだもの。今更よ)
凍り付くような視線でこちらを睨むミセリアに、エフィニアは内心でため息をついた。




