第20話 遅すぎた想い
読んでくださり、ありがとうございます。
お楽しみ頂けていたら嬉しいです。
「ただいま! ……ジル? ねぇ、ジル?」
明るく声をかけたミラは、いつまでも返ってこないジルの言葉に不安げに部屋の中へと足を進める。
散らばったブレスレット、麻ひもなどが散乱する床に、ミラの顔が青ざめる。
みゃうと小さな声が聞こえ、慌てて駆けよると二匹の子猫がベッドの下に隠れていた。
「ジル……、どうしよう。誰かが連れて行った……?」
ベッドの下に両腕を伸ばし、子猫を抱きしめながらミラは迷う。
ミラとジルが双子であることは誰にも打ち明けてこなかった。
まして、男女の双子であることが知れれば、最悪この街で暮らせなくなる可能性すらあるのだ。
そんな中、誰に助けを求めればよいのだろう。
早くジルを助けに行かねばという焦り、その一方で真実を知れば、拒絶される不安もまたミラの胸によぎる。
そのとき、みゃうみゃうと鳴き声を上げる双子の子猫にミラは目を落とす。
オスとメスの双子の子猫、それを嫌悪することなかった人物の顔がミラの頭に浮かぶ。
「……リード様、リード様ならもしかして……」
子猫に不快な顔一つ浮かべることなく、この家までミラを送ってくれたギルバート。その後、彼はジルとも対面をした。
あの日、ミラを案じ、慌てたジルはフードを被ることなく、ギルバートの前に現れた。
ジルの顔を直接見たのだ。当然、ギルバートはミラとジルが双子であることに気付いていただろう。
その後、なにも口を挟むことなく帰っていったのは彼の気遣いなのだ。
「でも……、ジルが男の子だってことは知らないよね……」
再び持ち上がった不安をミラは立ち切るように、首を振る。
ギルバートが子猫達とミラを送りながら口にしたのは、男女の双子が不吉だという迷信を否定する言葉だ。
彼自身が何度かそんな迷信を払拭すべきだとミラの前で言っていたではないか。
なにより、今頼れる人はミラには彼しかいないのだ。
「よし、お水やご飯を用意するから、ここで待っててね。必ず、必ずジルを連れて戻ってくるからね」
ミラはそう言うと家を後にし、ギルバートの元へと駆けていく。
以前、彼が身を置く宿の場所は聞いていた。
もう夜も遅い。暗い道をただひたすら走っていくミラの頭にあるのはジルのことだけだ。
共に育った家族であり、兄であるジル。双子でなければ、自分と似ていなければと今日ほど思ったことはない。
駆けていくミラの頬には涙が伝う。
もつれそうになる足に力を入れ、ミラはギルバートの元へと急ぐのであった。
*****
突然、自分がミラではないと名乗ったことに連れさらった男達もジェイクも動揺を隠せない。
薄茶の髪に焦げ茶の瞳、ジェイクの記憶に残るミラの面影を残す目の前の人物。
しかし、本人はミラではなく双子の兄ジルだと名乗るのだ。
「じ、冗談だろう? ここから逃げ出すためにそんな嘘で僕を誤魔化すつもりか!」
「冗談ならどんなに楽だったろうね。私とミラは男女の双子だよ。それは変えようのない事実なんだ」
ジルの言葉に周囲の男達の中には不快そうに眉をしかめる者までいる。
そんな者を心底軽蔑したようにジルは笑う。
こういう者達、そしてその悪意からミラとジルを守るため、両親が双子、それも男女であることを隠そうと懸命に守ってくれたのだ。
「そう、こんなふうに双子が不吉の象徴のように考える者がいる。だから、両親はミラと私を入れ替えながら育ててきたんだよ。幸か不幸か、私の方が体が弱く、成長も遅い。だから、私達は姉妹になったんだ」
「なら、兄妹でいいはずだろう! やっぱり君はミラなんじゃないか? 僕の気を逸らそうとそんな嘘をついているんだ!」
ミラが双子であることを未だ信じられないジェイクの言葉に、冷たい視線をジルは送る。記憶にある優しい少女の鋭い視線に、ジェイクはひやりと氷を当てられたような思いである。
「そうだね、顔が似ていても兄妹で通せたはずだよ。叔父がいなければね」
「叔父……? フォスター伯爵のことか?」
理解できないジェイクを冷ややかな目で見つめたジルは口を開く。
「いいかい? 男児であれば叔父の嫡男の地位が揺らぎかねないだろう? 少ない可能性でも自分に不都合であれば握りつぶす」
「……それは……」
ジェイクは否定する言葉を持たない。
父であるゴードンと似た雰囲気を持つ男であったフォスター伯爵は、ミラの力はないとわかると彼女を屋敷から追い出したと聞く。
ジルの両親が彼を守るため、男児であることを隠す理由がそこにはある。
「でも、ミラに全属性だとわかった。ミラと引き離されたあの日のことを忘れたことはないよ。ミラが戻ってきた……いや、君達がミラを放り出した日のこともね」
「そ、それは違う! 仕方のないことだったんだ……!」
ミラと同じ顔をしたジルの言葉、それはまるでミラ本人が責め立てているかのようだ。ジェイクは否定するが、ジルの眼差しはさらに冷ややかなものになる。
「――大体、どうして君は今さらミラが必要だなんて口に出来るの? どうやら父とは違う形で愚からしい」
一度手放したものに今更執着を見せるジェイク。それは彼の身勝手さに他ならない。ジルの言葉に激高したジェイクは手を伸ばし、ジルの襟元をぐいと引っ張る。
苛立つジェイクを前に、ジルは笑う。
「……ミラはここにいない。君はミラと私を間違えたんだよ? 長年、慕うミラと初めて出会った私とをね」
「――うるさい、うるさい! うるさい! 黙るんだ!」
鈍い音が響き、ジルの頬には赤い跡が残る。ジェイクがジルの頬を打ったのだ。
驚く使用人達だが、この場で最もその行為に驚いていたのはジェイク自身であろう。振り上げた手を下ろした先の少年ジルは、軽蔑の眼差しをジェイクに向ける。
薄茶の細い髪に焦げ茶の瞳、愛らしい顔立ちはミラのものと同じ。その瞳はジェイクを見据える。
鋭い視線は今の行い、そしてあの日の自分を責め立てているかのようだ。
髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、ジェイクはジルの視線から逃げるように後ずさりする。
「違う……! あれは仕方なかったんだ……! 父上が決定したこと、それは絶対なんだ……僕には従う以外の選択肢はない……!」
ジェイクを支配していた父ゴードンはもういない。
だが、父に管理され続けたジェイクの中にも後悔は残る。望んでも手に入れられなかった者、禁じられた物に対する執着は今も彼を縛りつけ、苛む。
その最たるものが優しく隣を歩いてくれていた婚約者ミラなのだ。
「ミラ? ……今、ミラの声が聞こえた……!」
ふらりと入り口を振り返り、微笑むジェイクは奇異な印象を皆に与えた。
人を拘束し、攫うという緊迫した状況下の中、頬を染め、幸福そうな表情を浮かべるジェイクはふらふらと入り口のドアへと歩き出す。
そのとき、ドアが打ち破られ、男達がなだれ込む。
彼らが持っているのは農具である鍬や太い木の棒だ。使用人達は逃げだす者もいれば、立ち向かう者もいて、古い家屋の中では突如男達の乱闘が始まる。
「ジル!」
そんな中を一人の少女がジルの名を呼び、彼の元へと駆けつける。
後ろ手に縛られた少年と同じ顔をした少女、双子の妹ミラである。
涙をぼろぼろと零しながら、ミラはジルをぎゅっと抱きしめた。その無防備な背中を守るようにギルバートがミラの前に立つ。
「君はジェイク、マッキンリー伯爵公で間違いないか?」
ミラとジルを守るように背にするギルバートはまだ剣の柄を握ることはない。
目の前に立つ男はマッキンリー家を継いだ者、伯爵という身分を持つのだ。
軽率に刃を向けることは出来ない。
しかし、そう問われた本人はギルバートや周りの者達など見えていないかのように、ふわりと笑う。
「ミラ……! 来てくれたんだね」
柔和な笑みを浮かべるジェイク、その微笑みはかつてのジェイクと変わりないものだ。周囲の喧騒も、立ちはだかる騎士も彼の目には入らない。
この場に不釣り合いな穏やかな微笑みは、ミラに恐怖を与えるには十分なものである。
「やっと会えたね、ミラ。お願いがあるんだ。僕のために祈ってくれないか?」
「まだそんなことを……!」
苛立つジルを押さえ、ミラはジェイクを見つめた。
数年ぶりに見るジェイクの姿に受ける印象は奇妙さだ。
こんな状況で笑っていられる彼をミラは恐ろしいと感じる。
ジルを連れさらったことなど気に留めることもなく、ミラに笑顔を向け、自分のために祈り、付与を与えてほしいと彼は口にしたのだ。
「……出来ないわ」
「どうして? どうしてだい、ミラ。それだけの力が君にはあるだろう?」
純粋に意味がわからないというジェイクの眼差しに、ミラは目を逸らしたくなる。
叔父の家に引き取られた辛い日々の中、ジェイクの存在はミラの支えであった。
優しいジェイクを慕う自分がかつていたことも事実なのだ。
しかし、目の前の彼はあの頃とは違う。そして、ミラ自身もあの頃とは違うのだ。
「彼女の力は彼女の思うままにならない。ミラの心が伴わなければ力を行使できないんだ」
ミラの前に立つギルバートが口にした言葉にジェイクは首を傾げる。
笑おうとしたのだろう、その表情は歪み、引きつる。
ギルバートの言葉に背中を押されたミラは、キッとジェイクを見据えた。
「あたしは……あたしはもう昔とは違う。もう、あなたの幸せを心から願うことは出来ない!」
ミラからの拒絶に絶叫したジェイクが彼女に飛びかかろうとするのを、ギルバートが自分の体を盾にして防ごうとする。
貴族である彼を切ることはできない。そのため、自らの体でミラを守ることにしたのだ。ジェイクの表情の恐ろしさにミラは体を動かすことすらできない。
そのとき、ジェイクの体が後ろへと倒れ込む。
「……ジル!」
後ろ手に縛られたままのジルが飛び出し、ジェイクの足元へと体ごとぶつける。
ジェイクごとジルは転がり、地面へと叩きつけられる。
周囲にいた男達がジェイクに飛びかかり、彼を押さえつけた。
ミラは転がったまま起き上がれないジルに駆け寄り、身を起こす。
「ジル! 怪我はない⁉」
「……大丈夫。ミラを守るのはまだ私の役目だから」
その言葉にギルバートは目を見開いた後、ふっと笑う。
ジルはむっとした表情を浮かべるが、ミラはジルに抱きついたまま、大声をあげて泣き出す。
こうしてミラとジル、二人の兄妹は互いの無事を確かめ合うのだった。
明日も更新します。




