レオナルド視点 ティナと精霊 1
ノックの音で目を覚ますと、ティナの青い目と目が合った。
俺の胸を枕に眠っていたティナは、俺より早く目を覚ましていたようで、ジッと俺の顔を見つめている。
「起こしてくれてよかったんだぞ?」
一人だけ目が覚めていたのなら退屈だっただろう、と胸の上にあるティナの頭を撫でると、ティナは無言で首を振った。
一晩寝て覚めたぐらいでは、ティナの調子は戻らないようだ。
「誰かきた」
「そうだな。ティナはまだ寝てていいぞ」
ノックの相手を出迎えようとベッドから降りると、ティナが昨夜と同様に俺の後をついて歩く。
昨夜はそのまま眠ってしまったため、ティナの頭に結ばれたリボンが少し歪んでいた。
それをちょっと直してから、扉を開ける。
扉の外にはズーガリー帝国の正規兵の制服を着た男が、ワゴンに食事を載せて待っていた。
「カミールじいさんの客ってアンタか? 調子の悪い妹が目を覚ますまでは離れられないだろうから、ってじいさんから食事を運んでやれって言われて来たんだが……可愛いな。なんだ、目を覚ましてるじゃないか」
話の途中から腰を曲げて男がティナの顔を覗きこむ。
俺の後ろにくっついていたティナは、ぬっと知らない男に覗き込まれて俺の背中へと隠れてしまった。
「……妹は人見知りなんだ。気を悪くしないでくれ」
「んじゃ、もうしばらく食堂にはこれねーか。食堂ならもうちっといろんなもんが出せるんだが……」
食べ終わったらワゴンを部屋の外に出しておいてくれよ、と言って去っていく男の背を見送り、ワゴンを部屋の中へと引き入れる。
ワゴンの上に載っているのは、俺の分の朝食と帽子を被ったキノコの精霊だった。
「一応聞いておきたいんだが、食事の中に何か混ぜ物は?」
――しょっぱいの、からいの、にゅるにゅるしたの……。
「聞き方が悪かったな」
しょっぱいのは塩で、辛いのは胡椒、にゅるにゅるしたものはサラダの味付けだろう。
小さなキノコでできた指で指折り数えながら朝食の調味料をあげる精霊に、聞き方を変える。
「食べたら毒のあるものは?」
――ないよー。
そのあたりは見張っていたので大丈夫、とキノコの精霊は胸をそらした。
なぜこうも尽くしてくれるのかは相変わらず謎なのだが、人間から見えない精霊が相手の出方を見張ってくれるということはありがたい。
短く礼を言うと、キノコの精霊は誇らしげに笑って食堂へと戻っていった。
「……食事はそれほど違いがないな」
「ちがい?」
食器棚から皿とコップを取り出し、ティナの分を取り分ける。
ティナがどのぐらい食べられるのかは判らなかったので、パンとサラダを少しずつ皿に盛った。
朝食の献立は、硬いパンとスープ、腸詰肉とサラダだ。
ズーガリー帝国で兵士に用意される物と考えれば、いい物の部類だった。
転生者が囲われた洞窟の警備は、ズーガリー帝国にとって重要な職務なのだろう。
兵の扱いも、他よりいいようだ。
「ここの匿ってくれたカミールが転生者だって話だったからな。部屋の中にも珍しいものがいっぱいあるだろう?」
だから食事も変わった物が出てくるかと思ったのだが、意外に普通だ。
黒くて硬いパンはイヴィジア王国の平民が普通に食べているし、騎士団でも携帯食として扱っている。
腸詰肉だって、それほど珍しいものではない。
「ハンドルを回しただけでお湯が出てくるんだから、パンぐらい簡単に焼けそうな何かが出てきても驚かないが……」
パンは外から仕入れているのだろう。
パンが固いのは、輸送のために日持ちするよう水分を極力減らして作るからだ。
そのまま食べると口の中の水分を奪われてしまうので、小さく千切ったパンをティナのスープへと入れる。
こうしておくとパンがスープを吸い込んで柔らかく、食べやすくなるのだ。
今のティナには丁度いいだろう。
ちびちびと食事を摂るティナを見守りながら、昨夜のうちに運ばれてきた食材を頭の中で並べる。
一応自炊もできるように、と肉や野菜、小麦粉などが運び込まれているので、久しぶりの料理に挑戦するのもいいかもしれない。
ティナがある程度回復するまでは、俺も部屋からは離れられないのだ。
……スコーンでも挑戦してみようか。
ティナがオレリアの焼いたスコーンを飛び上がって喜び、対抗して翌日オレリアからレシピを聞き出してスコーンを作った覚えがある。
ティナには不評だったようだが、ワイヤック谷以来俺はスコーンを焼いていない。
今ならもう少し上手く作れるような気がした。
……いや、ここのオーブンは勝手が違いそうだからな。生地は作れても、上手く焼ける気がしないか。
オーブンについても精霊に相談できないだろうか、と思考がそれ始めたところで再び扉がノックされる。
今度はなんだろう、と腰をあげて扉の前まで移動すると、食事の手を止めてティナが俺の後ろについて来た。
……ここでもか。
扉を開けると先ほどの男と、その背後に数人の男がいる。
男たちは俺の顔を見るとあからさまに落胆の色を見せ、俺の背中にティナが隠れていることに気がつくと、揃って相好を崩して目線を下げた。
グルノール砦でも見た光景だ。
洞窟も一応は兵士に警備される軍事施設と考えていいのだろう。
男ばかりの職場にティナのような可愛い少女が来ているということで、ティナの顔を見に来たのだ。
「……何か?」
「いや、妹ちゃんの分の食事がなかっただろう。食堂から持ってきてやったぞ」
ホラ、と俺を無視してティナへと差し出されたのは、小さな二段のパンケーキが載った皿だ。
蜂蜜とバターを添えた甘味で、ティナの気を引こうとしているのだろう。
……ま、ティナには逆効果だけどな。
知らない男たちに顔を覗き込まれ、ティナは完全に萎縮していた。
以前であれば愛想笑いの一つもしていたのだが、今のティナにそんな余裕はない。
男たちから顔を隠すように、俺の背中へとおでこをグリグリと押し付けてくる。
「ありゃ、隠れちゃった」
「妹は人見知りだと言っただろう」
散れ散れ、とパンケーキの載った皿だけ受け取って男たちを追い払う。
ティナだけを見に来た男たちは、俺の背中に隠れられはしたが、一目ぐらいは見ることができたティナに満足しておおむねおとなしく帰っていく。
その背中を見送ってから、ティナに朝食の載ったテーブルへと戻るよう促した。
「パンケーキ、食べるか?」
テーブルへと戻ると、男たちからの貢物であるパンケーキをティナの前へと置く。
今はティナが少しでも多く食べてくれるのなら、朝食が甘いものになっても仕方がない気がする。
パンケーキを切るためにナイフを用意してやると、ティナは小さく切って蜂蜜がたっぷりと浸み込んだパンケーキを一切れ口へと運んだ。
以前であれば蜂蜜に対しては踊りだしそうな勢いで喜んでいたのだが、今は無言である。
ティナの様子のおかしさは、こんなところにも出ていた。
……っていうか、これ絶対ティナのために焼いてきたよな?
そうでなければ、ここの食堂にはパンケーキが普通に存在していて、兵士たちが真顔で蜂蜜たっぷりのパンケーキを日常的に食べているということになる。
まだ見てはいないが、食堂というからにはそれなりの広さがある空間で男たちがひしめき合っているのだろう。
一斉にパンケーキを食べる男たちの姿を想像して、なんとも言えない微妙な気分になった。
「……半分レオにあげます」
つっとティナが皿を押し、俺へとパンケーキを差し出してくる。
ティナは半分と言ったが、ティナが食べたのは最初に切った小さな一切れだけだ。
半分なんて量ではない。
「ほとんど食べてないじゃないか」
「おなか、いっぱい。全部は無理」
パンケーキの皿を俺へとよこし、もう食事はおしまいかと思ったのだが、先のスープとパンを食べ始めたので、ティナなりに考えての行動なのだろう。
蜂蜜がたっぷりとかけられた甘いおやつは食事にはならない、と。
――残すの?
――もういらない?
――食べていい?
食事を再開したティナを見つめていると、テーブルの端に小さな手がいくつも見える。
覗きこむと、小鬼や羽を生やしたトカゲがテーブルの上に登ってこようとしているのが見えた。
「食べたければ、食べてもいいぞ」
ほら、とティナから押しやられた皿をテーブルの端へと寄せる。
食べていいという許可が出た精霊たちは、わらわらと歓声をあげてパンケーキへと群がった。
どうやら甘いものが好きらしい。
「レオは、誰とお話ししてるの?」
「うん? そういえば、ティナに聞いていなかったな」
不思議そうな顔をして見上げてくるティナに、こちらもわずかに首を傾げる。
昨日からあまりにも精霊に纏わりつかれ過ぎて、これまでの常識を忘れかけていた。
「ここに精霊がいるんだが……ティナにも見えるか?」
「……何もいないよ」
パンケーキの載った皿を見るよう促してみるのだが、ティナは一度チラリと皿を見ただけで、すぐに視線を俺へと戻す。
本当になにも見えていないようで、ティナをからかうように小鬼が目の前で踊り始めたのだが、ティナの視線はジッと俺へと向けられていた。
……変だな? なんで俺にだけ見えているんだ?
精霊の寵児とされるティナに見えていないということは、他の人間にも見えてはいないのだろう。
転生者という意味でならカミールも精霊の寵児のはずだが、足元にいる精霊が見えていないようだった。
――今の世界で僕らが見えてるのは、きみだけだよ。
――王様の血を引く一族だって、僕らのことは見えたり見えなかったりだよ。
くるくるとテーブルの上を踊りながら、節をつけて言葉を紡ぐ。
まるで歌うように出てきた言葉は、なんとなく不穏なものだ。
……精霊が言う王様は、神王のことか、精霊の王のことか……?
そのどちらとしても、なぜ自分に精霊が見えているのかということについての答えではない。
――不思議そうだね。
――不思議そうだ。
――なんでか教えてあげようか?
――名前をくれたら教えてあげる。
ぽんっと飛び出してきた要求は、俺の名前をよこせというものだ。
油断も隙もない。
こうやって有耶無耶のうちに俺から名前を奪いたいのだろう。
逆に考えれば、精霊が個人に対してこれほどこだわることも珍しい。
神王が言うことには、精霊はそれほど人間に対して関心を持っていないそうなのだ。
気にいった人間へは気まぐれに幸運を運ぶこともあるが、エノメナの花の精霊のように個人へ張り付いて守護するものはほとんどいない。
取り付いた人間を守るだけなら神王も動かないが、他者に対して報復を行なうようになったら話は変わる。
人間と精霊の間を取り持つことは、神話の時代に神王が神から与えられた役割の一つだ。
「カミールはどこまで信用していいんだろうな?」
「転生者のおじいさん?」
「ティナと俺をここに匿ってくれている人だ」
ぼんやりとはしているが、ティナの頭はそれなりにはっきりもしているようだった。
昨夜から少しずつ話しているこれまでの経緯を、ちゃんと理解している。
……そして食べる手が止まったな。
スープに浸したパンは食べ終わったようなのだが、スープ自体は残っている。
サラダは少しだけ減っていたが、腸詰肉には手が出ていない。
――カミロはおおむね、しょうじきもの。
――カミロはきみとちがって、嘘もつかない。
「カミロ? カミールだろ」
ティナの残したスープを狙って精霊たちがコップの近くで踊り始める。
せめてスープぐらいは完食してほしかったので、コップの周辺へと群がった精霊は軽く手で追い払い、代わりにサラダと手を付けていない腸詰肉の載った皿をテーブルの端へと置いてやった。
――カミール? カミロじゃなかった?
――カミロ? カミールじゃなかった?
――どっちだっけ?
――どっちだった?
不思議だね、と顔を見合わせ始めた精霊たちに、寄り始めた眉間の皺を伸ばす。
カミールとカミロを混ぜ始めたのは彼らの方なのだが、自分たちでもよくわかっていないようだ。
……ん?
テーブルの端でなにやら相談を始めた精霊たちを視界におさめつつ、ティナの変化に気がつく。
ティナはムッと眉を寄せ、両頬をパンパンに膨らませていた。
……懐かしいな。いつの間にかやらなくなってたけど、十歳ぐらいまでは怒ると頬を膨らませて……?
可愛いな、とティナの仕草にほっこりと和みかけ、思いだす。
ティナが頬を膨らませるのは、怒っている時だ。
……突然何に怒って……? 精霊か? 精霊とばかり話していたから、やきもちを焼いたのか?
他に思い浮かぶことがないので、ティナに見えていないらしい精霊と話していたことが原因だろうとあたりをつける。
完全に拗ねられても困るので、スープに浮かんだニンジンをフォークに刺してティナの口へと運んだ。
……あ、食べた。
口元へと持ってこられたニンジンを、ティナは不機嫌そうな顔をしたまま口の中へと迎え入れる。
眉根は寄せられたままだったのだが、ニンジンはゆっくりと咀嚼されて喉の奥へと押し込まれていった。
……口まで運んでやれば、食べるんだろうか?
ティナの食べる量が増えるのなら、喜ばしい発見なのだが。
食べさせすぎて吐かせてしまっても体に悪いので、注意は必要だ。
どのぐらいまでなら食べさせても大丈夫だろうか、と真剣に悩み始めたところで、ニンジンを完全に食べ終わったらしいティナが口を開けた。
どうやらまだ食べてくれる気があるらしい。
もしくは、甘えているのだろう。
自分から口を開いてくれたので、と少しずつスープをティナの口へと運ぶ。
ティナが自分で口を開いている間は大丈夫だろう、とコップへ移したスープをすべて食べさせることに成功したのだが、これは失敗だった。
今のティナにとっては、最初に自分で食べるのをやめた量で本当にいっぱいだったのだろう。
食後少ししてから、ティナは食べたものをすべて戻した。
誤字脱字はまた後日。




