レオナルド視点 カミールの隠れ家と精霊の声
宣言通り、カミールには俺とティナを匿うつもりがあるらしい。
近くの町まで乗せてもらえれば助かるぐらいに思っていたのだが、日が沈む頃になって馬車は街道を外れて川岸へと下りた。
こんなところに何の用事があるのかと思えば、川岸には見張りらしい男と一艘の船が隠されていた。
「船に乗り換えるのか?」
「いや、いつも馬車ごと運んでいるよ」
「馬車を載せるには小さな船に見えるんだが……」
「見た目は小さいけれど、僕の船は結構力持ちなんだ。動力がついているからね」
「えんじん……?」
聞き覚えのない単語のはずなのだが、どこかで聞いたことがある気もする。
さてどこで聞いたのか、と思い返せば、俺の周囲で聞き覚えのない単語が出てくる時は、いつでもティナの口からだ。
『エンジン』という単語は、ティナがラガレットへと向かう船の上で言っていた気がする。
――そもそも動力は『エンジン』の方……?
河馬を繋いだ船の足が速い、とティナが興奮しながら言っていた。
動力を積んだ船のようだ、と。
その動力についてを説明しようとしていたティナの口から、『エンジン』や『モーター』といった単語が出てきたはずだ。
……なぜカミールの口から、ティナの前の知識と同じ言葉が出てくるんだ?
疑問には思うのだが、黙って船へと馬車が積み込まれる作業を見守る。
ここで問答をするよりも、早くティナを休ませてやりたい。
馬車を載せた船は、カミールが言うように力持ちであるようだ。
静かな振動と音が船底から響き、川の流れに逆らって川上へと移動する。
川沿いに生えた木々が窓の向こうを流れて行くのを見るかぎり、速度は河馬に引かせるよりも早い。
月が真上に昇る頃には、川を遡りきって洞窟へと到着した。
「……見張りの兵が、ズーガリー帝国の正規兵の装備を着ているんだが?」
「ああ、本物だよ。彼らの給金はズーガリー帝国から出ている」
見張りがズーガリー帝国の兵士である。
そんなことを平然と言いながら、俺とティナを捕まえてはいない。しばらく匿ってやろう、というのだからカミールには混乱させられる。
人のよさそうな老人ではあるのだが、周囲を固めるものが俺とティナが信用するには抵抗のあるものばかりだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。みんなここでの暮らしに馴染み過ぎて、僕を裏切ることはできないから」
「……怪しげな薬で支配でもしているのか?」
「麻薬に手を出した覚えはないかな。ある意味、麻薬よりも中毒性のあるものだけどね。お嬢さんが回復するまではここで生活してもらうから、あとで説明するよ」
まずはこっちだ、と馬車から降りて洞窟の中に作られた門へと案内される。
洞窟の中に門だ。
ご丁寧に、門番のための小屋まで作られていた。
「カミール爺さん、その人たちは?」
「街道で拾ったんだ。お嬢さんが体調を崩して難儀しているようだったから、連れて来た。しばらくここで療養するよう、誘ってきたよ」
「そりゃ、運がいいんだか、悪いんだか。ここでの暮らしに慣れちまったら、外になんて戻りたくなくなるぜ」
慣れ過ぎないように気をつけろよ、と朗らかな笑みを浮かべた門番に中へと送り出される。
怪しげな薬で支配しているのではなく、ここでの暮らしに慣れること自体がまずいらしい。
いったい何のことかと眉を顰めつつ、門の中へと一歩足を踏み入れた。
……ん?
門の向こうへと足を踏み入れた途端に、周囲の雰囲気が変わる。
目に見える世界は薄暗い洞窟の中、とこれまで見えていたとおりの物なのだが、妙な気配とざわめきが酷い。
周囲にそれほど人がいるわけではないのだが、雑踏にでも紛れ込んでしまった気分だ。
――王だ。
――王が来たよ。
――違うよ。王じゃないよ。
――王じゃないなら、誰だっけ?
拾い取れた言葉としては、こんな感じだ。
俺のことを『王』と呼んでいるあたり、また神王と間違えているのかもしれない。
もしくは、昨夜のように神王が俺の中にいるか、だ。
……つまり、これは精霊の声か。
ざわめきを人ならざるものの声、と理解してしまえば、あとは早かった。
この妙な気配は精霊の気配で、理由は判らないのだがこの洞窟に多くの精霊が集まっているのだろう。
そう一応の理解をすると、視界が一段明るくなった気がする。
そしてその明るくなった視界には、鳥の羽を生やしたトカゲや小鬼、蜻蛉の翅を生やした小さな女の子がいた。
……なんだ、これは?
どうやら、ついに精霊が見えるようになってしまったらしい。
こんなものがこれまでに見えたことはないので、この場所が特別なのか、昨夜の影響だろう。
これらの精霊が見えているのは俺だけなのか、とティナに聞いてみたい気がしたが、ティナはまだ目を覚ます気配がない。
それではカミールはどうなのだろうか、と視線を向けるのだが、カミールは精霊になどお構いなしに歩き始めていた。
「入り口はあまり堂々と弄れていないから少し暗いけど、中はそれほど気にならないはずだ」
こっちだよ、と案内されるままに薄暗い通路を進むと、鉄の扉に行き当たる。
カミールが開けるには無理がある、と手伝いを申し出ようと思ったのだが、鉄の扉はひとりでに左右へと開いた。
いったいどういう仕組みなのか、と興味は湧いたが、それ以上に扉の中の空間に驚かされる。
「明るい、な」
「洞窟の中だからね。人が生活するためには、もう少し光が欲しくなる。照明は一番に整備したよ」
鉄の扉の向こうは、洞窟の中だというのに不思議と明るかった。
なぜ明るいのかと思えば、床のいたるところが光っている。
その光を白い岩壁が反射し、全体を明るく見せているのだろう。
「大昔は洞窟を利用した牢だったようだけど、今は僕の隠れ家さ。岩壁がなかなか味を出していると思うんだけど、どうだろう? 中は迷路のようになっているから、あとで地図を描いてあげよう」
「こちらの道は? こちらの道だけ光の色が違うようだが……」
さあ、こちらだ、とカミールが足を踏み出した通路とは反対側の通路の床に、緑色の光の線が走る。
まるで「こっちへおいで」と誘うように、一定の間隔で光は通路を走っていた。
……というより、おもいきり呼んでるな。
緑色の光が誘うように通路を走っているのだが、光の上には先ほど見た小鬼がいて、俺の顔を見上げてニコニコと笑いながら手招きをしている。
どうやら、あの通路の先へと俺を案内したいようだ。
「これは……変だね。おかしいなぁ? 今までこの精霊灯が点いたことは一度もなかったんだけど……?」
「精霊灯? ランタンが下に設置してあるのではないのか?」
「ランタン型の照明はあるけど、洞窟でランタンは使っていないよ。火事になったら怖いからね」
「とりあえず、この先へと誘われているように見えるんだが……」
「この先にあるのはゲストルームだよ。あとで案内するけど、今はこっちだ。先に君の肩の治療をしよう」
光の誘導に従わないのは、俺の治療のためである。
そうカミールが言うと、手招きをしている小鬼が瞬き、軽く頭を掻く。
それからトテテと短い足で俺の目の前を通り過ぎると、今度はカミールが進もうとしていた通路へと立って手招きを始めた。
小鬼の移動に合わせ、通路の緑色の光も消え、カミールが進もうとしていた通路に同じような緑色の光が走り始める。
「……君は精霊に好かれているのかな?」
「精霊に好かれているとすれば、妹だ。妹が精霊の寵児で、いろいろと不思議なことに巻き込まれる体質をしている」
通路を走る緑色の光が、俺の都合に合わせて切り替わった、とカミールにも判ったのだろう。
俺の顔を見上げてしみじみと首を傾げている。
「精霊の寵児というだけで精霊灯がつくのなら、僕が移動するたびについているはずだよ」
こんな反応は初めてだ、としきりに足元の光を気にするカミールに続いて通路を歩く。
この緑色の光は本当に俺を誘導しているようで、振り返ると通ってきた通路の光は消えていた。
「精霊灯、というのは? ランタンとは違うのか?」
「簡単に言うと、ランタンは蝋燭やアルコールに火をつけて明かりにするけど、精霊灯は精霊の力を借りて明かりを灯している、かな?」
「精霊の力を? そんなことができるのか?」
「神話の神王は精霊の力を自在に扱っていたそうだから、できるはずなんだけどなぁ……」
理屈の上では完成しているはずなのだが、普段はまったく反応しないらしい。
反応しない時点で完成していないのではと思うのだが、こうして今はカミールの想定どおりの働きをしているので、やはり『精霊灯』は完成していたのだろう。
灯りのつかない精霊灯を、どうして理屈の上では完成していると言えたのかといえば、カミールの操作どおりには動かないのだが、時折明かりが灯るということはあったらしい。
……精霊の悪戯、ってやつだな。
道具としては完成しているが、精霊から力を借りるということができていないのだろう。
どういうわけか、ここの精霊は俺を歓迎しているようだ。
そのため、ここにある設備を使って俺をもてなそうとしているのだと思う。
「狼男を銀の銃弾で倒そうとか、あの若様も面白いことをしたね」
ティナを診察室の長椅子へと寝かせ、俺は診察台へと横になる。
少し沁みると消毒液をかけられた後は、カミールによる肩に入った異物の除去作業だ。
グリグリと肩の中で器具が動いている感触があるが、叫び声は飲み込む。
俺の絶叫などでティナを叩き起こしたくはない。
「ジャスパーは銃を若様に与えたのか。困ったな……ジャスパーみたいに川底に沈んでくれていればいいけど、あれが帝国兵に回収されたら面倒だ」
「……銃、とは?」
痛みを紛らわすように、カミールの呟きへと相槌を打つ。
少しでも気を紛らわせなければ、肩を抉られる痛みで気が変になりそうだ。
……あと、そこのたぶん精霊。薬におかしな効果を付加させようとするな。
消毒液の入っている壺の周囲で、木の根っこのような精霊が五人――五匹?――クルクルと踊っていた。
精霊が動くたびに光の粒が壺の上に発生し、中の消毒液へと降り注いでいる。
あの状態の消毒液が、元と同じものとは考え難い。
「銃というより、君たちには『火を噴く筒』と言った方が判りやすいかな? 転生者カミロがこの世界にもたらせた災厄の一つだが、それを私が昔作った」
復活させた『火を噴く筒』こと『銃』を手土産に先々代の皇帝へと取り入り、資金援助を得て好き勝手に研究を続けている、とカミールは続ける。
この洞窟も、秘密裏に研究ができるように、と当時の皇帝が用意した場所だったらしい。
「……帝国は、あんな武器を量産したのか?」
「それはカミロの失敗だね。先に失敗している先人がいるのだから、同じことはしないよ」
すでにズーガリー帝国には銃が大量にあるのか、と聞けば、カミールは苦笑いを浮かべる。
カミロという先人がいたので、同じ失敗はしない、と。
「もちろん、エデルにもその前の皇帝にも銃を作れとは言われてきたけど、僕が作った銃は三丁だけだよ」
皇帝へと自分を売り込むために一丁、ジャスパーに持たせた一丁、あとは手元に一丁だけ残しているらしい。
その手元の一丁は取り上げられなかったのか、と聞くと、カミールは笑った。
「寄越せとは言われたけど、弾の出ない銃など、用はないそうだよ」
同じものばかり作っても芸がない、とカミールは三丁めの銃をそれまでのものとは少し変わった作りにしたらしい。
銀色の弾を飛ばすのではなく、周囲の精霊の力を取り込み、それを弾として飛ばす銃なのだそうだ。
「……それは、先ほどの精霊灯のようなものでは? となると……」
「そうだ。精霊灯と同じで、皇帝が引き金を引いても、僕が引き金を引いても、銃からは何も出てこなかった」
いやぁ、あの時の皇帝は凄い顔で怒ったなぁ、と笑うカミールの背後で精霊たちが両手で口を塞いだり、耳を塞いだりとしている。
どうやら精霊たちにとっては、この話題はされたくないものらしい。
……精霊の力を借りる……?
不快気な顔をしている精霊たちに、カミールから聞いた話を反芻する。
カミールは精霊の力を借りる、神話の神王もやっていた、と言っていたが、神話といえばこれに近い話がある。
……カミールの研究は、ひょっとしたら完成させてはいけないものでは?
神王が精霊の力を借りた、という話は解かる。
精霊は神王の命令を聞いていたし、積極的に手助けもしていた。
けれど、神話には精霊の力を無理矢理奪ってとんでもない事態を引き起こした若者がいたはずだ。
そして、その時に力を奪われたのは精霊だけではない。
大地や人間の命も多く失われたとされている。
カミールが研究しているらしいものは、神話の若者が手にした武器に似ていた。
「さて、今日はあちこちの調子がいいみたいだから、こっちも試してみよう」
他人の体で何を勝手に試すつもりだ、と無事に銃弾の摘出された肩を庇う。
縫合はされているのだが、カミールはこの肩を使って何か実験をしたいらしい。
「大丈夫、痛くないよ。上手くいったら、怪我がたちどころに治るはずだ」
少し痒いかもしれないけれど、と言いながらカミールは手のひら部分に金属板のついた手袋というよりはミトンに近い道具を持ってくる。
俺に拒否権はないらしい。
しばらく世話になるのだから、このぐらいは付き合ってもいいか、と思ったのは、ミトンを持ったカミールの肩に草冠をのせた小さな老人が見えたからだ。
どうやら、また精霊が力を貸してくれるらしい。
カミールの実験は、残念ながら成功するのだろう。
「おや?」
ほんのりと緑色の光を発するミトンに、カミールは不思議そうに瞬く。
まさか本当に成功するとは思ってもみなかったのだろう。
カミールの作る道具は、完成しているらしいのだが、肝心の精霊に力を貸す意思がないためただのガラクタも同然だ。
それが今夜に限っては大盤振る舞いとばかりに精霊が力を貸してくれているため、カミールとしては驚きの連続なのだろう。
「……本当に一瞬で治ったな」
先にカミールが予想していたように、少しむず痒い。
治りかけの傷を覆った瘡蓋がむず痒くなるような感じだ。
我慢できないことはないが、とにかく本気で痒い。
不思議な光で傷が塞がったとしても、痒さを堪え切れなければ引っ掻き傷が残るだろう。
「正常に機能することなんて、なかったんだけどなぁ?」
「だったら、なんで他人の体で試した」
「貴重な実験台がいるんだから、試したいだろう?」
まさか護衛兼見張りの兵士へ故意に怪我を負わせるわけにはいかないし、と一応の良心は残っていたらしい。
俺へは問答無用で実験を行なったが、故意に怪我をさせてまでは実験しないようだ。
……善人なのか、研究馬鹿なのか。
判断に困ってミトンを片付けるカミールを眺めていると、実験の成功でカミールは興奮しているようだった。
俺に聞かせても満足のいく相槌なんて返ってくるはずがないと判りそうなものなのだが、カミールは饒舌に語る。
「今生の僕の研究テーマは、失われた精霊術の復活だからね。せっかく異世界に転生したんだから、魔法の一つや二つ使ってみたい! そう思うだろう?」
「悪いが、異世界に転生した覚えなど俺には……」
異世界に転生した覚えなどない。
そう返そうとして、遅れて気がついた。
「……異世界に転生? 貴方も転生者、なのか?」
「あれ? 言ってなかったかな? そうだよ。僕は転生者だ」
前世ではなく、何度か前の記憶だが、カミールにはドイツ人として生きた記憶があるらしい。
ドイツ人ということは、セドヴァラ教会が求める『ドイツ語が読める人材』でもある。
ズーガリー帝国の先々代皇帝に取り入って研究資金を得た、ということは、もしかしなくとも聖人ユウタ・ヒラガの秘術が失伝する前から転生者として存在していたはずだ。
先々代皇帝に囲われていなければ、聖人ユウタ・ヒラガの秘術の失伝は起こらず、先に失われていたドイツ語で処方箋が残されていたという秘術の復活もできていたはずである。
セドヴァラ教会が喉から手が出るほどに求めていた人材が、こんなところで死蔵されていた。
キリは悪いですが、時間切れです。
ティナ視点ならエンジンとか照明とか突っ込んでくれると思うのですが、レオナルドだと良く判っていないのでそのまま流されちゃいますね。
エンジンと聞いて想像するようなエンジンじゃないです。
わりと原始的な、単純な仕組みの動力程度です。
誤字脱字はまた後日。




