ジャン=ジャック視点 ジャスパーと皇城への通路
夏だというのに未だそこかしこへと残る雪には、館への侵入を阻まれたり、そもそも野宿が困難なほどに気温が低かったりと、いろいろ苦労をさせられた。
だが、雪は完全に俺の敵ではなかったらしい。
月明かりを反射する一面の雪は、明かりを灯すことができない現状ではとても役に立ってくれていた。
さすがに月明かりの遮られる森や林の中へと入れば視界は闇に包まれるが、それ以外の場所からは意外によく見える。
特にかがり火の焚かれた城壁の上などは、見張りの兵の数までかぞえることができた。
……さすがに皇城の兵士ともなれば、賄賂でコロッとはいかねーよな。
試してみたい気はするが、賄賂が通じなかった場合に冗談ではすまない。
危ない橋を渡る暇があったら、地道に侵入路を探した方が建設的だろう。
……でけぇ城にゃ、抜け道がお約束なんだけどなァ?
近くに枯れ井戸や洞窟などないだろうか、と身を隠しながら皇城の周辺を探る。
雪のせいでどうしても足跡が残るが、城壁からの死角を計算して林や低木の陰を移動した。
……うん?
かすかに雪を踏む音が近づいてきた気がして、低木の陰へと身を潜める。
息を殺して足音の主を確認すると、そりを引きながら皇城の背後を守る森へと姿を現したのはジャスパーだった。
……なんでアイツがこんなトコにいんだ?
エドガー邸にいたはずのジャスパーが皇城の裏にある森へとやって来るのは、少しおかしい。
必ずなんらかの目的があるはずだと考えて、こっそりと跡を追うことにする。
広大な森を当てもなく、あるかないかも判らない隠し通路を探すよりも、なんらかの手掛かりになりそうな気がしたのだ。
……変だな。
ジャスパーの歩みには、迷いがない。
少なくとも俺と同じように皇城へと侵入すべく、隠し通路の出入り口を探しに来た、という様子ではなかった。
どちらかというと、最初から目的地があって真っ直ぐにそこを目指している、といった感じの歩みだ。
……なんでこんなトコを知ってンだ?
跡をつけられているとも知らずに、ジャスパーは木々に隠された社の扉を開く。
大人が屈まなければ通れないような狭い扉ではあったが、そこから奥へと入ることができるようで、ジャスパーは躊躇いなく中へと入っていった。
……コヨルナハルの祠か。こりゃ、つまり……探していた抜け穴か。
破壊と再生の神コヨルナハルの社は、災害のあった土地では復興を祈って真っ先に建てられる。
対して、城や王族の子が育てられる居城に作られるコヨルナハルの社は、抜け道への目印であることが多い。
反乱などで王に何かあった場合にいち早く逃げ延び、再起を図るための抜け道だ。
……こりゃ、黙って見送るわけにもいかねェよな。
目隠しのつもりか、ジャスパーが祠の入り口に立てかけていったそりをずらして中を覗き込む。
入り口は狭いが、中はそれなりの広さがありそうだ。
ジャスパーの足音がもう随分と先から聞こえ、音を立てずに入れば尾行に気付かれることもないだろう。
……団長には、ちぃっとばかりキツイか?
この抜け道のことを伝えれば、レオナルドもここから皇城へと侵入できるのではないだろうか。
そう思ったのだが、入り口が狭すぎてレオナルドには通り抜けることが困難だろう。
祠を破壊して入るという方法もあるが、それでは跡から足がついた場合に誤魔化しがきかない。
狭い入り口を抜けると、すぐに周囲を石組みで補強した部屋に出る。
奥には鉄板で補強された扉が見え、やはりこの道がいざという時の脱出路であることが判った。
鉄板で補強された扉は、城の中から逃げ延びて来た場合に、追っ手の追跡を阻むためのものだろう。
足音を頼りにジャスパーの跡を追いかける。
追跡者用の罠を警戒し、ジャスパーの足跡をなぞるように歩く。
そうして歩いているうちに目が慣れたのか、明り取りからのわずかな光で周囲の様子が判るようになった。
昼間のようにはっきり見えるとまではいえないが、狭い通路の形と仕掛け鏡と思われる一部の壁は判別ができる。
他に判るものといえば、石組みの間に隙間があるようで、風や細く光が入って来ている場所があるぐらいだ。
道に迷わないよう目印をつけながら通路を進み、ジャスパーの跡をつける。
俺は時折目印をつけなければ迷いそうだと思っているのだが、ジャスパーは周囲を気にする様子もなく進む。
隠し通路の入り口を知っていたこともおかしいが、その通路の中ですらも我が物顔で歩き回れるというのは不自然すぎた。
……たまに何かを確認はしてるンだよな。
光の漏れてくる石組みの前で足を止め、ジャスパーはその奥を覗き込んでいる。
ジャスパーが十分に離れたことを確認してから同じ場所を覗くと、牢屋の一室のようだった。
鉄格子の向こうにかがり火が見えたのだが、中に囚人はいない。
……ホント、便利な抜け道知っていやがったな、あいつ。
明かりの漏れている石組みを一つひとつ覗いたジャスパーは、どうやら通路の端まで歩いたようだ。
こちらへと戻ってくる気配がしたので、やり過ごすべく物陰を探す。
……たまに分かれ道はあるけど、道としてはなンもねェからな、隠し通路なだけに。
このままでは鉢合わせてしまう。
その場合は腕力にものを言わせればいいだけなのだが、見る限りジャスパーはこの隠し通路に詳しい。
ここで捕まえてしまうよりも、もう少し自由にさせて動向を探った方がいい気がした。
……じゃあ、ま。頑張るか。
潜む物陰がないのなら、仕方がない。
ここはひとつ腹を決めて、一か八かの隠れ方をするだけだ。
隠し通路なだけあって、左右の壁の間隔は狭い。
この狭さであれば、左右の壁に手足をついて上ることができるだろう。
あとは暗闇ということで、ジャスパーが上へと注意を向けないことを祈るだけだ。
そこに誰かいると思わなければ、人の感覚は案外鈍る。
ましてや、ここは隠し通路の中だ。
自分以外に人が潜んでいるなんて、ジャスパーは思いもしないのだろう。
訓練された兵士でもないジャスパーに、人の気配を読むことなどできなかったようだ。
さすがに真下をジャスパーが通る時には緊張したが、暗闇では下ばかりを見ているようで、ジャスパーが上を見上げることはなかった。
もう大丈夫かと思えるだけジャスパーが遠ざかるのを待って、音を立てないよう通路へと降りる。
足跡を頼りにジャスパーを追いかけると、今度は階段を見つけた。
遠ざかる足音に耳を澄ませるのだが、ジャスパーが立ち止まったり、道に迷ったりとしている様子はない。
時折通路を戻ってきてはまた別の階段を上がったり下がったりとするジャスパーは、隠し通路の中から何かを探しているのだろう。
何かというよりは、ティナを探していると考えて間違いないはずだ。
ティナの入った檻が兵士に運ばれていくところを見たが、兵士の出てきた扉の奥にはジャスパーの姿もあった。
とても当初からの予定通りであるという表情はしていなかったので、ティナを皇城へと運ばれたのはジャスパーにとっても不測の事態だったのだろう。
……足が止まったな。
ふとジャスパーの足音が止まった。
どうやらお目当ての部屋を探し当てたようだ。
足音を殺してジャスパーから見えないギリギリの位置まで近づき、息を潜めて様子を探る。
ジャスパーも中の様子を探っているようで、わずかに壁の向こうの声が聞こえてきた。
――すぐに薬師を呼べ!
――なんと脆弱な。この程度の責めで息を止めるとは。
聞こえてきた『息を止める』という不穏な単語に、腹の底が冷える。
遅かった。
間に合わなかったのか、という後悔で思考が占められ、一瞬何も考えられなくなる。
壁の向こうで息を止めた者がティナとは限らないのだが、人違いでなかった場合にレオナルドへとどう報告すればいいのかが判らない。
普段どおり冷静に振舞い、まずはイヴィジア王国へと戻って上の判断を仰ぐのか、怒りのままに帝都で暴れまわるのか。
……どっちも不味いだろう。
聞き間違いであってくれ、と願いながら煩く騒ぐ自分の心臓を宥める。
ここで俺が動揺したところで、何にもならない。
とにかく正しい情報を手に入れて、可能であればティナの確保を。
それが可能でなければ、レオナルドへと情報を届けなければならない。
――前の転生者も拷問で殺したことをお忘れか?
聞こえてきた男の声に、少なくとも『息を止めた』者が転生者であったことが判る。
これはもう、疑いようもなくティナの話だろう。
ティナが壁の向こうで、息を止めている。
――余が望んでいるのだ。余の望みを叶えられぬ無能が悪い。
――くはっ!?
女の声が聞こえ、次の瞬間に何か柔らかい物がぶつかる音がした。
それがよかったのか、大きく息を吐き出す音が聞こえたかと思ったら、続いて激しく咳き込む声が聞こえる。
その声は、聞き覚えのある少女の物だ。
……生きてるっ! つーか、死んでたよな、今!?
壁の向こうで何が行なわれているのかは知りたくもないし、許容もできないが、ティナが息を吹き返したことだけは感謝してもいい。
そして、あの壁の向こうにティナがいることと、ジャスパーがやはりティナを探していたということが確定した。
――なんだ、やはり生きているではないか。……続きを。
――陛下、どうぞお許しを。システィーナはまだ子どもです。これ以上の拷問は、本当に死んでしまいます。
――ならばおまえが代わりニホン語を読むのか?
壁の向こうから聞こえる会話から察するに、まだティナに対する拷問は続けられるらしい。
体力と筋力が落ちていると見ただけで判るティナに、一度は息を止めたと承知でなお行っていいことではない。
今度息が止まれば、二度と息を吹き返さない可能性だってあるのだ。
……こりゃ、安全かつ確実に取り戻すなんて、のん気に構えてられる状況じゃねーぞ!?
手筈を整えている間に、ティナは殺される。
弱りきって死ぬのではなく、拷問で殺される方が先だ。
――なんだ?
ゴツッと鈍い大きな音が聞こえたと思ったら、壺か瓶の割れるような鈍く高い音が響く。
続いて水面へと何か大きなものが落ちる音がして、水が零れる音が聞こえた。
――死んでおる。打ち所がよかったのだな。誰か、代わりの者を。
壁の向こうで誰かが死んだらしい。
代わりの者を、と言っていることから、少なくとも死んだのはティナではない。
ティナに変化があった場合は、先ほどのように薬師か医師を呼ぶはずだ。
――陛下、システィーナを少し休ませましょう。本当に死なれてしまっては、危険を冒して手に入れた意味がありません。
――おまえがそのように甘いことを言っておるから、いつまでも強情を張っておるのだ。
――初代の皇帝陛下が我を通した結果が、二百年前のカミロの死だとお忘れですか。
転生者カミロの死で、帝国の大陸制覇が二百年滞っている、と男の声が聞こえたかと思ったら、今度は何かを叩く音がした。
壁の向こうの様子を覗き見ることはできないが、音から察するに男が打たれた音だろう。
――余も暇ではないのだ。続きは二時間後だ。それまで牢にでも放り込んでおけ。
女の立ち去る音がすると、ジャスパーが再び動き始めた。
こちらへと戻って来るのが見えたので、少し離れてからまた壁を登ってやり過ごす。
来た道を戻るジャスパーを追うと、感覚的に隠し通路へと入ったジャスパーが真っ先に向ったあたりに戻った。
最初に見たのは牢屋だったはずなので、ティナの放り込まれる牢屋を探りに来たのだろう。
しばらくすると壁の向こうで足音が聞こえる。
鉄格子の扉が開く音とまた閉じる音、鍵のかけられる音がして、足音が遠ざかっていった。
石組みの隙間から牢の中を確認し、ジャスパーはまた来た道を戻って行く。
すぐに追いかけようかとも思ったが、先にティナの所在を確認することにした。
……いた。ティナっこだ。
薄暗い牢の中に、ぐったりと石畳の上に横たわるティナの姿がある。
エドガー邸では長い銀髪のカツラを付けていたのだが、今は生来の黒髪をしていた。
出会った頃よりも短い黒髪は、本来の色とは違ったカツラを美しく被せるために切られているのだろう。
……濡れたままじゃ、次の拷問の前に体が冷えて死ぬぞ。
先ほどの壁の向こうでは、どうやら水責めが行なわれていたらしい。
黒髪が顔にべったりとくっついていて、服も水を吸って肌に張り付いている。
暑い夏の昼間であれば濡れた服などすぐに乾くだろうが、ここは夏でも雪の残る極寒の帝都トラルバッハだ。
濡れた体で暖を取ることもできない牢屋の床へと放置されれば、体温を奪われて死ぬだけである。
……だめだ。あるのは覗き窓だけだな。ってか、ここに牢への出口があったら、ジャスパーのヤツが使ってっか。
壁を一通り調べあげ、牢へと続く隠し扉がないことを確認する。
ここから牢の中へと入れれば、すぐにでもティナを回収したいところなのだが、少し回り道をする必要がありそうだ。
……ジャスパーなら、なんか知ってるか?
ジャスパーは不自然なまでにこの隠し通路を知り尽くしているようだった。
牢へと近い出口を知っていたとしても、不思議はない気がする。
……ってか、たぶんそっちへ向ったよな。あの様子から察するに。
ティナの入れられた牢を確認してジャスパーは通路を戻っていった。
ということは、どこかに牢へと続く出口があるのだろう。
足音と足跡を頼りにジャスパーを追いかけると、突き当たりにたどり着いた。
ジャスパーは跡を追っている俺とは違い、自分の足跡を隠す必要がないので、戻る足跡がない以上はこの壁の向こうへ消えたと考えていいはずだ。
どこかに仕掛けがないだろうか、と壁を調べると、仕掛け扉を発見した。
扉の向こうを覗くと、明らかに通路とは作りの違う部屋に出る。
薄暗い物置のような部屋だったが、足元には黒い足跡がついていた。
どうやらここが皇城の中へと続く出口の一つであるらしい。
城の中へと入ってしまえば、あとはなんとなく構造が判る。
牢や使用人たちが働く区画が地下で、騎士や兵がいるのが一階。
貴族や皇帝がいるのは、二階以上の階上だ。
……ってことは、まずは報告だな。
ティナについてはジャスパーが動いていると判っている。
二時間以内に取り戻す必要はあるが、一人で突っ走っても行き詰るであろうことは判っていた。
レオナルドへも連絡を入れておいたので、そろそろ誰か応援が来ているかもしれない。
目印を頼りに隠し通路を戻る。
コヨルナハルの社から出てカルロッタ邸を目指すと、すぐにレオナルドの配下となっている山賊たちと遭遇した。
やはりレオナルドは、こちらへと人員を送ってくれていたらしい。
山賊へとコヨルナハルの社とその先にある通路を教え、ティナの見張りに二人向わせる。
一人は動きがあった時に俺たちへと知らせる用で、もう一人はティナを追う用だ。
残りは通路を通って皇城の中へと乗り込むぞ、と言い掛けたところへ、レオナルドが姿を現した。
近頃はカルロッタの従者として振舞っていたため、貴族の前にも出られる格好をしていたのだが、今は完全に戦闘態勢だ。
傭兵として誂えた装備に、剃ってしまった髭の代わりか黒狼の毛皮を頭から被っている。
この姿を見て、イヴィジア王国の白銀の騎士だと思う人間はいないだろう。
どこからどう見ても、立派な山賊の親玉だ。
左右の壁に手を突いて壁登り、は子どものころ実際に(略)
誤字脱字はまた後日。




