レオナルド視点 ティナの行方とジゼルの報せ
「妹の好きな色さえ知らないだなんて、おかしなお兄さんだこと」
思いだしたかのように時折チクリとした苦言が出てくるのだが、カルロッタはおおむね上機嫌でティナのための部屋を整える。
アウグーン城へも手紙を送って指示を出している様子を見るに、カルロッタは相当ティナを気に入ってくれたらしい。
可愛い自慢の妹だが、療養後も「イヴィジア王国へ帰したくない」と言い出すのではないかと、今から少し不安にもなる。
こんな他愛のないことを不安に思えることが、幸せだ。
ティナの居場所が掴めるまでは、こんな他愛のないことに一喜一憂する自分など、思いだすこともできなかった。
……しかし、王都でもそうだったが、ティナの顔は危険だな。
可愛らしい容姿、という一点でのみ言えばいいことのように思えるのだが、見知らぬ複数の男たちの関心を惹き、惹きつけ過ぎてしまうというのは少し困った性質だ。
アルフレッドにも指摘されたが、ティナが平民男性へと嫁ぐことは難しいだろう。
イヴィジア王国はズーガリー帝国ほど身分差が顕著ではないが、それでも平民に対して無体を働く貴族はいる。
平民の美しすぎる妻など、貴族男性の悪心をくすぐるだけだ。
愛人として狙われ、あの手この手で夫から取り上げられる未来が簡単に想像できた。
……中身は少しお転婆な、普通の女の子なんだけどな?
ジャン=ジャックは外見詐欺だと言うのだが、俺は俺でティナの性格を愛らしいと思っている。
黙っていれば精霊のように神秘的な顔立ちに、時には悪童も泣かせるお転婆魂が宿っているだけだ。
ティナと普通に交流するようになれば、ティナへのおかしな信仰心など霧散する。
けれど、今のティナは我を出した行動を一切しない。
一日中おとなしく座っているようで、その容姿を目当てに群がる男たちの夢を壊すことはできずにいた。
これではティナの容姿に惹かれた男が増えはしても、減ることはないだろう。
……来客が減ったのはカルロッタ様が訪問した翌日だけ……だと思っていたんだが?
変だな、とエドガー邸の見張りをさせていた男からの報告に眉を寄せる。
普段であればエドガー邸の玄関には引きも切らせずに来客の馬車が停まるのだが、今日に限っては一台も馬車が来なかったようだ。
なにか、おかしい。
カルロッタ邸に異変が起きたのは、そう気がついた時だった。
「何事だ!?」
階下から聞こえてきた騒ぎに、報告書を置いて部屋を出る。
大股に歩いて階段を下りると、玄関ホールに黒犬と突然の侵入者を取り押さえようとしている使用人の姿があった。
「ああ、ジンさん。この犬が突然飛び込んで来たのですが……」
「その犬は連絡用に私が使っている犬だ。問題ない」
「ええ? 連絡用の犬というと……オスカーでしたか? あの犬はもっとおとなしかったはずですが」
「急ぎの報せだろう。……オスカー」
館に時折姿を見せる黒犬と本当に同じ犬だろうか、と使用人は戸惑っているようだ。
よく訓練された番犬である黒犬は、必要な時以外は居るのか居ないのかも判らない程におとなしい。
その黒犬が飛び込んでくれば、普段とは違う様子に戸惑うのも仕方がないことかもしれなかった。
「どうした、オスカー?」
何か報せがあるのだろう、と声をかけると、黒犬はスッと首を寄せてくる。
ティナなら撫でられたいのかと考えて黒犬の頭を撫で始めそうだったが、俺は違う。
すぐに黒犬の示しているもの――首輪の内側に挟み込まれた手紙――を見つけて首輪から抜き出した。
「何かあったのかしら?」
「……チャックからの報せです。ティナが兵士に皇城へと運ばれた、と」
ジャン=ジャックからの手紙には、要点だけが簡潔に書かれている。
ティナが檻に入れられて皇城へと運ばれたこと、ジャン=ジャックはそれを追って城を調べること、少し人数を寄こしてほしい、エドガー邸へも見張りの代えを送ってほしいと、要点だけを挙げるのならこの四つだ。
他にも幾つか気付いたことが書かれているが、今重要なのはティナの居場所だ。
エドガー邸のサンルームに居る限りは遠眼鏡で無事な姿を確認することもできたのだが、皇城へと移動させられては、姿を確認するどころか人づてに無事を確認することも難しい。
「エドガーが美少女を囲っている噂が、エデルトルート皇帝陛下の耳に入ったのね」
「エデルトルート皇帝といえば、女性だったはずだが……」
「美しいものを愛でるのに、男も女もないでしょう。……困ったこと」
美しいものとして奪ったのなら、ティナの身が傷つけられる心配はない。
美しいものを、美しいものとして観賞することが目的なので、美しいものに傷をつけ、その価値を下げるようなことはしないだろう。
けれど、皇帝の目的が美少女としてのティナではなく、転生者としてのティナであった場合には、身の安全は危ぶまれる。
「エデルトルート皇帝陛下はとにかく気性が激しく、また気も短いお方だから……」
幼い頃から皇位についていた影響もあると思うのだが、とにかく短気で自分の思い通りにならないことがあると癇癪を起こす皇帝らしい。
俺に合わせた行動を常に選択してきたティナならば皇帝の機嫌に合わせることもできただろうが、今のティナにはどう考えても無理だ。
皇帝の要求など聞けるはずもなく、勘気に触れるのが目に見えている。
どうやら皇城に忍び込むことになりそうだ、とカルロッタの記憶を頼りに城の見取り図を描く。
カルロッタは貴族の一人として皇城へあがることがあるようなのだが、行動範囲は限られている。
下働きたちの空間である地下には入ったことがないし、牢屋になど近づく機会もない。
それでも地下へ続く階段のある位置などは想像がつくので、不確かな見取り図を作ることには活躍してくれた。
何もない状態で俺が忍び込むよりは、大まかな見取り図であっても役に立つ。
ジャン=ジャックの元へと配下を数人送り、エドガー邸へも見張りを送る。
何か続報がないかと見取り図を描きながら待っていると、階下が再び騒がしくなった。
今度は正面玄関の方向ではなく、裏口からだ。
「何が……」
「親分、大変だ!」
大変だ、と階段を駆け上がってきたのは、エドガー邸の見張りに向かわせた一人だった。
エドガー邸へは連絡用の黒犬と誰か一人、あるいは二人以上の人間で見張らせていたのだが、そのうちの一人だ。
「何があった?」
「夕方になって館から人が出てきて、なんか大きな荷物を捨てたから暗くなるのを待って確認したんだが……」
館からゴミとして捨てられた袋の中には、血まみれの女中が入っていたらしい。
それも、女中の特徴を聞く限りは、知人だ。
ティナを皇城へと攫われ、用済みになった途端に処分されたというところだろう。
「それで、その女中は?」
「なんとか息があったんで、セドヴァラ教会へ運びやした。ただ、薬師の野郎が治療費を払えるのか、これは貴族家の女中だろう。面倒ごとはごめんだ、とかゴネやがって……」
近頃のセドヴァラ教会の薬師は、ズーガリー帝国での治療行為を躊躇する。
ティナが誘拐されたことが原因の報復行動らしいのだが、そのティナをこれまで守ってきたジゼルがこれで治療をされないというのは困ってしまう。
ズーガリー帝国内だからとジゼルの治療まで拒否されては、元も子もない気がした。
「治療費については心配いらないわ。私の名を出して薬師にそう伝えなさい」
自分の評判がよければ治療を開始してくれるだろう、と引き出しを開けてカルロッタが財布を取り出す。
早く行け、と財布とともに背中を押されて館を飛び出し、セドヴァラ教会へと向かう道すがらジゼルの様子を聞いた。
ジゼルの回収は暗くなるのを待っていたために遅くなり、体は冷え切り、多くの血が失われているらしい。
薬師は治療を開始することは渋ったが、容態だけは診てくれたようだ。
もしかしたら、もう手遅れなので治療の必要はない、と知らせるための診察だったのかもしれない。
ジゼルは足の腱を切られており、全身に無数の切り傷、右手の薬指が切り取られていたようだ。
察するに、足の腱は逃げられぬように、無数の切り傷は嬲ることを目的に、右手の指を切ったのは自身の指を奪われたことへの復讐だろう。
これでジゼルは一命を取り留めたとしても、傷物の娘となってしまった。
何かの奇跡で傷跡が残らず癒えたとしても、失われた指だけはどうしようもない。
セドヴァラ教会へ到着すると、意外なことに治療の準備はすでに始められていた。
報復措置として治療を渋ってはいるが、薬師はやはり薬師だ。
助けを必要としている命が目の前にあるのなら、助けるための行動を起こさずにはいられなかったのだろう。
カルロッタの名前と財布を出すと、薬師は見るからにホッとした顔をして、すぐに治療へと取り掛かった。
普段であれば治療中の診察台へは近づけないのだが、薬師に呼ばれて近づく。
診察台に寝かされたジゼルは血の気の引いた顔をしていたが、俺の顔は判ったようだった。
「……ド、様……お嬢様が、城へ……」
「ああ。チャックから報告が来ている。今は人をやって調べているところだ」
ティナが皇城へと連れて行かれたことについては把握しているので安心していい、とジゼルに答える。
皇城へと攫われたことについては、すでに動き始めていた。
だからといって気が抜けて死なれても困るので、続ける言葉に詰まってしまう。
ジゼルには、ティナのためにも持ち直してもらわなければならないのだ。
カリーサを失ったティナが、このうえジゼルまで自分の誘拐に巻き込まれたせいで死んだなんて思いたくないだろう。
なんと話せばジゼルが安心し、しかし気を抜くことなく持ちこたえてくれるかと考えていると、沈黙をどう受け止めたのか、ジゼルが再び口を開く。
息も絶え絶えな小さな声に、口元へと耳を寄せれば薬師が眉を寄せた。
普段はあまり意識しないのだが、薬師に言わせれば、怪我人にとって口や手の消毒をしていない俺たちは汚く、治療に障りが出るらしい。
本当ならば俺はあまり今のジゼルに近づかない方がいいのだが、場合が場合だ。
何か言いたそうな顔をしている薬師は無視し、ジゼルの声に耳を傾ける。
「ジャス、パーは、クリ……様を、どこか……の場所へ、塔へ、移す……予定、だったようで……」
ジャスパーはティナをどこか別の場所へ、塔へ移す予定だったようだ、とつげて、ジゼルは意識を失った。
これだけは伝えなければ、と必死に意識を繋いでいたのだろう。
突然途切れた声に、伝えるべきことを伝えて満足してしまったかと慌てたが、わずかだがまだ息があった。
あとは本当に、薬師に任せるしかない。
短いですが、キリが良いので。
誤字脱字はまた後日。




