カルロッタ視点 鳥籠の人形姫 2
「あら、可愛いレースね。オレリアンレースだったかしら。エドガーが買って来たの?」
「……がいます。わたくしが、じぶんで、つくった……ました」
クリスティーナの髪にボビンレースのリボンを見つけ、思わず手に取ろうと手を伸ばし、すぐに下ろす。
どうにも鉄格子が邪魔だ。
クリスティーナに鳥籠から出て来るよう促すことはできないだろうか。
「そういえば、少し前からボビンレースの指南書が売られるようになってきたわね。システィーナ様は、もうこんなにも綺麗に織れているの。すごいわね」
実際にボビンレースを織っているところを見せてくれないかしら、と言うと、クリスティーナはコクリと頷く。
仔犬のぬいぐるみを片手で持つと、空いた手を私の手へと伸ばしてきて、クリスティーナも鉄格子に阻まれた。
……心を失っている、と報告にはあったようなのだけど?
呼びかければクリスティーナは返事をする。
最初はただの反射かとも思ったのだが、聞いたことへはちゃんと答えを返してくれるので、ものを考えることもできているようだ。
鉄格子を邪魔だと考えたのは、クリスティーナも同じだったらしい。
むぅっとわずかに眉を寄せると、二度、三度と鉄格子を押した。
……押したぐらいでは、どうにもならないと思うのだけど?
さて、クリスティーナはどういう行動に出るのか。
そう興味をもって見守っていると、クリスティーナは鳥籠の扉の前へと移動した。
……やっぱり、心を失っているっていうのは違うみたいね。
クリスティーナはしっかりと自分で考えて行動している。
鉄格子が通れないのなら扉から出入りすればいいのだ、と考えて行動を改めることぐらいはできるのだ。
家族の元へと返してやれば、いずれ心身の健康も取り戻せるだろう。
カチャカチャ、とクリスティーナが扉を押す音が響く。
鍵がかけられているという話は報告にもあったので知っているが、これはさすがに指摘しない方が不自然だろう。
先ほどエドガーから聞いたばかりの『システィーナ』についての『設定』と、現在鳥籠に鍵がかけられているという状況は一致しない。
「……鳥籠へ入れたのはシスティーナ様を安心させるためで、システィーナ様が自分から扉を開けて出てくるのを待っている、と先ほどは言っていなかったかしら?」
ねえ、エドガー? と先ほどから驚きどおしのエドガーへと顔だけ振り返る。
エドガーは悪趣味な鳥籠へとクリスティーナを閉じ込めているのではなく、システィーナを安心させてやるために鳥籠を用意したと言っていた。
その鳥籠に、中から開けられないよう鍵がかけられているというのは、少し辻褄が合わない。
「先ほどカルロッタ様も御覧になられたでしょう? 近頃はシスティーナ目当ての来客が多いので、安全のために外から鍵をかけてあったのですよ」
今開けてやるから少し離れなさい、とエドガーが言うと、クリスティーナは素直に扉から離れる。
たったこれだけの動作だったのだが、エドガーはなんとも言えない複雑そうな顔をした。
普段はクリスティーナから、たったこれだけの反応すら返されていないのだろう。
カチャリと音を立てて鍵が開くと、クリスティーナは鳥籠から身を乗り出して私の手を引く。
引かれるままに鳥籠の中へと入ると、大人が入るには狭い籠だ。
聞いている年齢より小さな体格のクリスティーナなら問題なく過ごせるだろうが、この鳥籠の中で一日過ごせと言われれば、私ならば息苦しさに暴れだしてしまうかもしれない。
「……れ、を。糸巻を、コロコロ……する」
図案の描かれた紙を固定した枕を手にとり、クリスティーナはボビンレースを実践して見せてくれた。
クリスティーナ一人が滞在することしか想定されていない鳥籠の中に、私が座れる椅子などない。
そんなことにまでは気がつかないクリスティーナは、いつも使っているらしい椅子へと座って糸巻を転がす。
真新しい糸巻は、最近になってエドガーが作らせたものだろう。
糸巻と考えるには派手な、エドガー好みの装飾がされていた。
「システィーナ様は手先が器用なのね。コロコロといい音だこと」
「……だまだ。オレリアさん、もっといい音」
クリスティーナは顔をあげずに糸巻を転がしているのだが、不意にオレリアの名が飛び出し、私の方が驚いてしまう。
オレリアが大切に慈しんだ子ということで、会って話しをしてみたいと思っていたのだが、こうも突然願いが叶うとは思ってもいなかった。
思ってもいなかった幸運には違いないのだが、ここでこのままオレリアの話をするわけにはいかない。
私とオレリアの間に交流があっただなんて、エドガーに知られては警戒されるだけだ。
いざクリスティーナを連れ出す機会が来たとして、私が警戒されていてはジン親分たちの足を引っ張ってしまうこともあるかもしれない。
……クリスティーナさんと賢女さまについてお話しするのは、私の城へお招きした後でゆっくりといたしましょう。
今はまだ、精霊のような美少女がいるという噂に興味を持ってやって来ただけ、という体裁をとっているのだ。
クリスティーナを迎えに来た者たちと繋がりがある、と警戒されるわけにはいかなかった。
「システィーナ様は素直で可愛らしい子ね。取り澄ました精霊の姫君だとか、人形のような姫だと聞いていたのだけど、やっぱり可愛らしい人間の女の子だったわ」
長く居ては準備も整っていないというのに連れ帰りたくなってしまう、とクリスティーナの頭を撫でてから鳥籠を出る。
わずかに苛立ちを滲ませた顔をしたエドガーが扉の向こうで待っていたが、その顔はすぐに驚きに変わった。
「……あら、システィーナ様」
「……」
腰の辺りに違和感を覚え、そちらへ視線を落とすとクリスティーナの手がある。
ボビンレースを織り始めてからはまったく顔をあげなかったのだが、私が帰るとなると糸巻を放り出して追いかけてくれたようだ。
糸巻は放り出しても仔犬のぬいぐるみは抱きしめたまま、というところがまた可愛らしい。
……このまま連れて帰りたい。
切実に、そう思う。
「……連れて帰っては駄目かしら?」
内心にだけ留めておこうと思った本音が、つい口からこぼれ出る。
当然のことながら、この切実な訴えはエドガーに却下されてしまった。
帰っちゃ嫌です、とくっついてくるクリスティーナは可愛いのだが、まだクリスティーナを確保した後の準備は十分に整っていない。
連れて帰れたとしても、再びエドガー邸へと送り届けることになるだろう。
……そんなことになったら、ジン親分さんが大変でしょうね。
降って湧いた幸運で予期せず取り戻せた妹を、誘拐犯の元へと帰さなければならないのだ。
凶悪な顔のわりに冷静な判断ができるようなのだが、最悪クリスティーナを連れて無茶な逃走をはかることもありえる。
間近く見ることのできたクリスティーナの様子からは、それはおすすめできない。
どこへ帰るにしても、クリスティーナには旅に耐えられるだけの体力があるようには見えなかった。
これがアウグーン領内であれば多少の無茶も通るのだが、残念ながらここは帝国内のさまざまな貴族が集まる帝都だ。
勢力図が複雑に絡まりあっていて、自領にいる時のような無茶ができる貴族はいない。
帝都で無茶がまかり通る者といえば、皇帝エデルトルートぐらいのものだろう。
玄関先に停めた馬車の前までついて来たクリスティーナを、エドガーが肩へと手を置いて押しとどめる。
ついていけないのなら捕まえればいいのだ、とばかりにクリスティーナの手が伸ばされるのだが、今はまだ捕まるわけにはいかなかった。
「システィーナ様、次に来る時はもっと大きなぬいぐるみを持ってきますね」
「……」
だから今日はお別れです、と言い聞かせるのだが、クリスティーナは何も言わない。
鳥籠の中でボビンレースを織っている時は小さな声でいろいろと話していたのだが、拗ねてしまったようだ。
ジッと青い瞳で見上げてくる様子が可愛らしくて、何度でも思う。
「連れて帰っちゃ駄目かしら?」
「駄目です」
つい洩れてしまう本音に、すかさずエドガーが言葉を被せてくる。
どうやらクリスティーナに群がる来客も困るが、私のようにクリスティーナを手懐けてしまう来客も困るようだ。
……まあ、そうでしょうね。エドガー好みの美少女に私がこれだけ懐かれれば、エドガーとしては面白くないでしょうね。
クリスティーナが挨拶を返しただけで、エドガーは驚いていた。
普段のクリスティーナは、報告にあったように無感動・無表情で過ごしているのだろう。
いっそ神秘的とも言える整った容姿に、人形のような無表情。
ジッとしているだけならば普段どおりの『システィーナ』でいいだろうが、エドガーは今日知ってしまった。
クリスティーナはちゃんと挨拶を返し、それなりの会話が可能である、と。
そして、それらの行動を自分へは示さず、今日会ったばかりの私へと行なった。
今頃は自分が誘拐犯であると思いだしているのかもしれない。
自分がクリスティーナに好かれるはずなどなく、挨拶すら返したくない人間であるのだ、と。
「……ぎ、いつ、ですか? あした?」
「少し忙しいから、すぐには来られないかもしれないわね」
次はいつ来るのか、と孫娘が幼い頃に言っていたようなことを聞かれ、少し考える。
お茶会の予定などはいくらでも変更できるが、これから忙しくなるのはクリスティーナを奪い返し、移動のための体力がつくまで館で療養させるための準備だ。
これは後回しにするどころか、前倒しで進めたい予定だった。
「すぐに来るのは難しそうだから、今度はシスティーナ様が遊びに来てくれるかしら?」
「……いく、ます」
すぐに答えが返って来たので、少し機嫌が直ってきたようだ。
心なしかクリスティーナの表情が明るくなり、かと思ったらわずかに顔を歪ませる。
微かな変化だったため見落としそうになったのだが、正面からクリスティーナを見ていたから判った。
エドガーがクリスティーナの肩を掴む手に力を込めたため、痛かったのだろう。
「カルロッタ様、システィーナはまだ外へ出せるような状態ではありません」
「あら、いいじゃないの。私に懐いてくれているようだし、外へ出る練習だと思って」
不安なようだったら貴方も一緒にいらっしゃい、と口から自然に出た言葉に、これはいい考えだと笑みを浮かべる。
エドガーへ向けた『いい考え』としては、親戚筋の人間なのだから、クリスティーナが多少の粗相をしても見逃せる。
他所の家へと呼ばれた時に粗相をするよりは、私の家で一度練習をしておいた方がいいだろう、という至極真っ当なものだ。
エドガーへと向けることができない『いい考え』は、館へ帰ってからジン親分とチャックへと話して聞かせる。
「クリスティーナさんへは『遊びに来てね』と誘っておいたので、その時にでも奪い取る算段をつけましょう」
可愛らしい少女である、と話には聞いていたが、実物は噂以上に可愛らしかった。
そう実際のクリスティーナに会った感想を洩らすと、ジン親分はエドガーが可愛らしく感じるほどの憎しみと苦渋に満ちた顔をする。
クリスティーナの情報は少しでも欲しいが、自分自身は遠眼鏡を使って遠くからしか見ることができていない、というのが悔しいのだろう。
妹を誘拐されたというジン親分を苛めるのは可哀想だったので、ここは素直にクリスティーナがどう愛らしかったのかを詳しく話して聞かせた。
少しでも慰めになればと思ったのだが、傷口に塩を塗り込むだけの行為だったのかもしれない。
クリスティーナの仕草や、仔犬のぬいぐるみを喜んでいたというくだりにはほっこりとした笑みを浮かべるのだが、かと思えば素手で熊も殴り殺しそうな顔をして黙り込む。
クリスティーナと触れ合ってきたという私に嫉妬し、そんなことをしても何にもならない。むしろ、お門違いな嫉妬であると自覚し、自己嫌悪に陥っているのだろう。
……エドガーも、酷いことをしたものね。
こんな妹思いの男から、その妹を奪ったのだ。
それなりの報いは受けるべきだろう。
「雪のせいで侵入が困難なら、館の外へと誘い出せばいいのです。クリスティーナさんが一人で訪ねてきたのなら、そのまま我が家に滞在していただきましょう」
クリスティーナが徒歩で来ることはありえないので、馬車が訪問の途中で、あるいは帰宅の途中で盗賊にでも襲われ、そのまま連れ攫われたことにすればいい。
エドガーがクリスティーナに同行してきた場合も同じことだ。
帰り道ででも山賊に馬車を襲わせ、クリスティーナを奪えばいい。
これならば私の関与を疑われることなく、クリスティーナとエドガーを引き離すことができるだろう。
あとはほとぼりが冷めるまで館へクリスティーナを隠し、少し体力がついたらアウグーン領へと移動する。
幸いなことに、ジン親分にはすぐに動かせる山賊の配下が七十人もいるし、金を使って人を雇っているのはエドガーだ。
エドガー邸にいるらしい共犯の薬師に、人を雇って動かすだけの力は無い。
エドガーさえ動きを封じられれば、クリスティーナを奪い返すことは可能なはずである。
普通に考えれば親戚筋の若者を山賊に襲わせるなんて、となるところだが、ジン親分の配下は義賊だ。
もとより不用な殺人など犯さない者たちであるので、襲撃させることについては心配いらない。
クリスティーナを奪った後は、馬車の車輪を外すなり、馬車へとエドガーを閉じ込めるなりとして自分たちが逃げる時間を稼ぎつつ、できるだけ被害を出さないよう働いてくれるだろう。
……エドガーにはいい薬になるでしょう。
前回の続きなので、短めです。
誤字脱字はまた後日。




