失伝の原因と予防薬の完成
報告書の作成もひとまず終わった。
これはアルフレッドへの個人的な報告書とは違い、クリストフやセドヴァラ教会といった多くの人間の目に触れるものになるので、と外へ出す前に白銀の騎士の検閲を挟む。
調薬知識のある薬師に見せるよりは、専門外の騎士に見せた方が情報の洩らしようがないという意味で安全かと思ったのだが、これが思いも寄らない効果をもたらしてくれた。
「お嬢さんの処方箋と薬師の処方箋で、内容が違うようだが……?」
どういうことだ、とジークヴァルトから戻された報告書と処方箋へと目を落とす。
同じムスタイン薬の処方箋なのだから、違いなどあるはずはないのだが、たしかに見比べてみると二つの処方箋には違いがあった。
別々に読めば意味が同じであるために気付かないが、一字一句同じかと見比べれば使われている単語に差がある。
私と薬師は意図が通じれば良い、とそれぞれ別に処方箋を書いたが、白銀の騎士であるジークヴァルトは専門外であるがゆえに文字が一字一句揃っていることに拘った。
それによって気付けたのだが、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料には素材を『粉砕する』と記載されていた物を、私は『粉ぐらいの大きさまで砕く』と書き、薬師は『砕く』とだけ書いている。
素材を細かくするという意味ではどちらも同じだが、『砕く』だけでは、どのぐらいの大きさまで砕けばいいのかが判らないだろう。
そうは思うのだが、一つ見えてきたことがある。
「……これが聖人ユウタ・ヒラガの秘術が失われていった理由でしょうか?」
「薬師が書き間違えたのか? ここで実際に作業をしておきながら、誤った処方箋を書くなど……」
「違います、ジーク様。わたくしも薬師も間違えてはいません」
間違えてはいないからこそ、むしろ問題だった。
なんと説明したら解りやすいだろうか、と考えて、塗板を借りることにする。
離れではみんなで作業をする際に、事前の説明として塗板を使っていたため、メンヒシュミ教会で私が使っていたものとは比べられない大きさの塗板があった。
「まず、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料にあった言葉はこう書きます」
塗板に『粉砕』と漢字を書く。
ジークヴァルトは日本語など読めないため、眉を寄せて首を傾げた。
「この二文字で『粉砕』と読みます。『粉』という字と『砕く』という文字で構成された単語です」
問題はこのあとだ。
「日本語では『粉砕』と書いただけで『粉のように細かく砕く』という意味になりますが、この大陸で使われているエラース語だと日本語のような『粉のように細かく砕く』という単語がなくて、ただの『砕く』になってしまうようです」
粉砕という単語がなくとも私は『粉ぐらいの大きさまで砕く』と説明を足したが、薬師は単純に粉砕という意味のつもりで『砕く』と書いた。
日本語に直してみれば『言葉が足りない』と感じるかもしれないが、エラース語としては間違いではない。
日本語に比べて単語が少ないというよりも、日本語の単語が多すぎるのだ。
「聖人ユウタ・ヒラガはエラース語が解らなかったと聞いたことがあるので、もしかしたら最初の翻訳の段階で処方箋に『抜け』があった可能性があるかもしれません」
だからこそ、書き写した処方箋の秘術は失われ、口伝での伝達方法が残っていたのかもしれない。
書面にしてしまえば情報に『抜け』が発生するが、口伝は師から弟子へ言葉と実際の作業を見せることで伝えられる。
文章として記録を残し、そこに『抜け』が発生していたとしても、師が見せる実作業としての情報は正しく伝わるのだ。
書面では『砕く』とだけ記載されるものも、実作業では『粉のように細かく砕く』さまを見せることができる。
薬師も私も間違えてはいない、という一応の納得が得られ、検閲してもらっていた報告書を返してもらう。
内容が違うと判ったからには、これをそのまま提出はできない。
「……とりあえず、処方箋の提出より先に言葉のすり合わせが必要みたいですね」
『粉砕』という単語がエラース語の中にないのなら、いっそ言葉を作ってしまおうか。
もしくは細かく説明を入れる等の工夫をする必要がある。
……日本語が読めるだけじゃ終わらなかった。これをエラース語に正しく直す必要がまだあったよ。
まずは新たに判明した問題点をまとめ、報告書を作成する。
いつもはアルフレッドへと相談するのだが、今はどこかへとグリニッジ疱瘡の予防薬を持って出かけているため、それもできない。
相談相手に困ってフェリシアへと案件を持ち込んだところ、私の報告書はそのままクリストフの元へと運ばれた。
「処方箋の作成はわたくしに、ムスタイン薬の調薬を学びたい薬師はまず王都まで来て実際の作業を学ぶこと、ですか」
聖人ユウタ・ヒラガの秘術が失われていった流れが判明して、クリストフとセドヴァラ教会が判断した今回の調薬技術の伝達方法がこれだ。
書面ではより言葉での説明を増やし、実際に調薬を身につけた薬師たちの実作業を見て学ばせる。
妥当といえば、妥当な方法だった。
これでムスタイン薬を作れる人間が増えれば、この冬のようにイヴィジア王国でのみムスタイン薬が使われるということもなくなるだろう。
……処方箋も、ボビンレースの指南書と同じ方法で試してみようかな?
素人向けの指南書であるため、素人が読んで理解できなければ意味が無い。
そのため、カリーサとレベッカの協力を得て作っているボビンレースの指南書は、エルケに読んでもらって効果を確かめる予定だ。
それと同じことを、ムスタイン薬の処方箋でもやろうと思う。
聖人ユウタ・ヒラガの処方箋に、私が補足を書き込んだ物を見せて、実際に作業をしてもらう予定だ。
監督役は、すでにムスタイン薬を作れる薬師に協力してもらう。
彼等が見張ってくれるのなら、作業の手順を間違えてもすぐに気がつくはずだ。
そこで問題点があれば、処方箋の方を見直してもいい。
……見守る薬師は必要だから、ムスタイン薬を作れる薬師を増やすのなら、暇な今のうちだね。
なにしろ、グリニッジ疱瘡の予防薬は投薬実験中で、パント薬については素材が手に入らなくて来年まで作業はお預けだ。
ある意味では一年ほど時間ができてしまった。
やれることを、やれるうちに少しずつ進めておいた方がいいだろう。
セドヴァラ教会からムスタイン薬を学びたい薬師を一人呼び、調薬方法と処方箋を教える。
その一人を教材として薬師たちが伝え方を学び、教え終わると今度は二人セドヴァラ教会から薬師を呼んだ。
少しずつ教える人数を増やし、薬師一人につき一人へと指導する体制が整ってきた頃、アルフレッドが帰還した。
「効果が確認された。グリニッジ疱瘡の予防薬は、これにて完成とする」
直接ジークヴァルトの離れへとやって来たアルフレッドからの報告に、バルバラと薬師たちが歓声をあげる。
ムスタイン薬を学びに来ていたはずの薬師たちは、予防薬の処方箋も学べるのではないかと色めき立っていた。
グリニッジ疱瘡の予防薬は他国で必要になっている物なので、処方箋が完成すれば、それを身につけた薬師は他国へと移動することになるだろう。
もしかしたら、ここにいる薬師の半数ぐらいが他国で予防薬の処方箋を広めるために引き抜かれるかもしれない。
……必要なことだとは、判っているんだけどね。
すでに慣れた薬師が入れ替わるのは、私にとってはあまり喜ばしいことではない。
ただ、いつまでも人見知りだといって保護者の背中に隠れていられるような年齢ではないので、内心の不満は飲み込んだ。
「ところでアルフレッド様。どこにワーズ病の患者がいたのですか?」
「……内緒」
患者がいなければ投薬実験などできないだろう、と指摘すると、アルフレッドは片目を閉じて唇に人差し指を添える。
レオナルドより年上のいい大人のはずなのだが、顔が良いせいでどんなポーズでも様になるのだから、ずるい。
「アルフレッド様が危険なことをしたのでなければ、いいのですけどね」
「随分簡単に引いたな」
「前世でもありましたよ。危険な病気だけど研究のためには必要だから、ネズミとかにわざと病気を感染させて病原菌を保存する、って方法が」
「……クリスティーナがそれで納得できたのなら、それでいい」
「違うのですか?」
少しだけ引っ掛かりを覚える物言いに、アルフレッドを見上げる。
私の視線を受けたアルフレッドは、やはり詳細は教えてくれなかったのだが、大きくは外れていないと言った。
どうやらアルフレッドは、どこかでワーズ病の病原菌を保存していたようだ。
短いですが、次は季節が変わるのでこの辺で。




