目隠し
熱が下がると、私の周囲からヴァレーリエの姿が消えた。
ホットミルクについては蜂蜜を切らしたためにいつもと違うものだった、という説明を寝込んでいる間にジゼルから聞いているのだが、ヴァレーリエがいなくなったということは、そういうことなのだろうか。
どうにも気になってウルリーカから話を聞いたところ、ヴァレーリエは実家の領地で病が発生し、その看病や薬の手配をする者がほしいということで、家へと呼び戻されたそうだ。
「病が発生って、薬は大丈夫なのですか?」
「ワーズ病のような難しい病ではありませんから、大丈夫なようですよ。セドヴァラ教会で処方していただける薬で治る病気です。あとは、闘病中に看病の手が必要になるのは、どの病気でも同じことですわ」
絶対に大丈夫です、とウルリーカが綺麗に笑う。
本当に大丈夫だから微笑んでいられるのか、淑女として仮面を貼り付けているだけなのかが、私にはまだ見分けることができない。
ただ漠然とした不安は拭い去ることができなくて、ムッと眉を寄せる。
「それよりも、そろそろレベッカを部屋へ入れてあげてはいかがですか?」
「レベッカは以前『病気の子どもの世話などみたくない』と言っていた気がするので、気を遣って遠ざけたのでが……」
「レベッカがお嬢様にそんなことを? いつのことですか?」
「離宮に来て直ぐですね。旅の疲れか、あの頃に熱を出して寝込んだことがあったでしょう?」
私が寝ていると思ったのか、侍女たちは実に伸び伸びと発言していた。
ウルリーカがレオナルドに熱視線を送っていたのも見ていたが、あえてこれには触れないでおく。
あれ以来ウルリーカがレオナルドにアプローチしているところは見ていない。
公私を分けてくれるのなら、あとは兄であるレオナルドの問題になるので、妹が口を出すことではないのだ。
……そういえば、あの時もヴァレーリエは真面目に看病してくれたんだよね。
突然用意されたどこの馬の骨とも判らない主に対して、あれだけ献身的に世話を焼いてくれたのだ。
領地で病が流行ったというのなら、ヴァレーリエを頼って呼び戻したくなるのも仕方がないのかもしれない。
離宮に来たばかりに寝込んだことを思いだし、そのまま思考が離宮から消えたヴァレーリエへと移る。
どんどん横へと逸れていく思考を、ウルリーカが呼び戻した。
「レベッカ本人には、お嬢様が知っているということは内緒にしてくださいませ」
そう前置いて聞かせてくれた内容は、レベッカの出自についてだ。
レベッカは忠爵家の者とはいえ、家督は叔母が継いでいるらしい。
この世界では神話の影響で、跡取りは女性が良いとされているので、それ自体は珍しいことではなかった。
家督を継げず、家を出ることになった父は気ままに恋に落ちた女性と結婚し、レベッカが生まれたらしい。
弟妹の数も多く、レベッカを含めて五人も子どもをもうけたのだとか。
そして、レベッカを除く弟妹と両親は、数年前に流行り病で他界し、レベッカ自身は叔母に引き取られることになった。
一人残ったレベッカは弟妹が死ぬまで看病をしつづけていたため、病気の子どもは家族を思いだして辛くなるそうだ。
新しい主人が大人であればなんともないのだが、レベッカにとっては『子どもであること』が問題だったらしい。
「……そんな話、聞かせてくれなきゃ判りませんよ」
働かない侍女など要らぬ、と早々に解雇しようとしていたことが思いだされる。
病気の子どもを見るのが辛いからと、病人を放置するのはどうかと思うのだが、レベッカだっていつかは結婚をして子どもを産む。
その時に、自分の子どもが病気になっても看病ができないというのは困るはずだ。
「そうですね。以前はスティーナに仕事を押し付けることで誤魔化していたようですが、……夏からお仕えしているお嬢様に今ではすっかり情が移り、姿が見えないのも不安なようですよ」
私がベッドから出るまで部屋へ来なくて良いと言ったため、部屋には入ってこられないのだが、レベッカは部屋の外でウロウロとしているらしい。
なにがあっても対応できるように、と果物や冷やしたレモン水など、私が好むものをすぐに用意できるよう準備して控えているのだとか。
……悪いことしたかな?
病人の看病が嫌なら、と遠ざけたのだが、逆に気になって扉から離れられなくなっているらしい。
もしかしなくとも、レベッカのトラウマ克服の機会を奪ってしまった気がした。
いつもはヴァレーリエがしてくれていたのだが、レベッカの編み込みもすごい。
さすがに精緻すぎるボビンレースは怖くて使えないが、髪と一緒にリボンを編み込んだ今日の私は華やかなハーフアップだ。
黒一色の髪にリボンが編みこまれているおかげで、鏡に映る自分の姿がなんとも新鮮だった。
着替えて髪も整えたので、とアーロンを呼んで報告を聞く。
フェリシアのところで毒消しを飲まされたりと、私の知らない所でいろいろ起こっているようなのだが、それらについての報告が、寝込んでいたせいで何も聞かせてもらえていなかった。
「何かあったようですが……」
「ホットミルクのことならば、先に報告のあった通りです。蜂蜜の産地と花の種類が違っただけで、問題は――」
「それ以外のことです。誤魔化さないでください」
誤魔化そうとしている。
直感的にそう悟り、眉を寄せてアーロンを見上げた。
私の目力など普段から騎士たち強面に囲まれているアーロンにはなんということもないだろうが、騙されてはやらないぞという意思表示は大事だ。
「フェリシア様に毒消しをいただいた理由は判ったのですか?」
「それはティナお嬢様の勘違いです。毒消しの苦味と、フェリシア様の所で出された苦いお茶が、お嬢様の頭の中で繋がっただけで、別物でした」
ジッと注意深く見つめているのだが、アーロンは眉一つ動かさない。
これでは嘘かどうかも見分けることが難しかった。
「……フェリシア様に確認をしても、大丈夫ですか?」
「かまいませんよ。同じ答えをいただけるでしょう」
……つまり、口裏を合わせる打ち合わせ済み、ってことですね。
なんとも腑に落ちなくて、唇を尖らせてアーロンを見上げる。
さて、どう責めれば口を割るだろうか、と考えて、私にはもう一人護衛に騎士が付けられていたことを思いだした。
「ジゼルは何か聞いていませんか?」
「え、えっと……はい。ホットミルクは産地と花の種類の違う蜂蜜を使ってしまっただけで、フェリシア様の所で出されたお茶は、ただの苦いお茶でした」
急に話を振られて少し戸惑いはしたが、答えはほぼアーロンと同じものだった。
そう、ほとんど同じだ。
普通同じ事柄を話すにしても、話す人間が違えば要点が置かれる場所も微妙に変わってくる。
それなのに、アーロンとジゼルはほとんど同じことしか言っていない。
……あらかじめ答えを用意してました、ってバレバレですよ!
さて、どうやって本当のことを聞き出そうか。
標的はどう考えてもジゼルだろう。
アーロンよりかは、ジゼルの方がうっかり口を滑らせてくれそうだ。
……ごめんね、ジゼル。ちょっと揺さぶらせていただきます。
さすがに故意に他人を中傷することは気が引けたので、心の中で先に謝っておく。
私が子どもであるということで二人とも本当の話を聞かせてくれないのだと思うのだが、大切な話であるのなら私だってちゃんと聞いておきたい。
「ジゼル、それは本当の話ですか? それとも、戦力外として本当のことを聞かされていないのですか?」
「それは……っ」
言葉に詰まったので、やはりアーロンの説明は嘘なのだろう。
本当の話であれば「本当です」と答えるだけでいいし、後ろめたいことがあるのなら挑発に乗って本当のことをしゃべってくれるかもしれない。
こんな子どもの浅知恵でしかない挑発だったのだが、ジゼルは見事に耐え抜いた。
反論したげに唇を震わせてはいるが、二人が隠していることは欠片も口にしていない。
「……ヴァレーリエは?」
「ウルリーカが報告したように、実家の領地へと呼び戻されました」
何かがあったらしい私の周囲と、それに合わせたかのように周囲から消えたヴァレーリエ。
なんの関係もないと思えるほど、私は単純な子どもではない。
ジッと諦め悪くアーロンの目を見つめてみるが、憎らしいほどに凪いでいた。
アーロンの話が嘘でも本当でも、私に聞かせる内容はこれだけなのだろう。
「ヴァレーリエには、また会えますか?」
せめてこれだけは、と思い聞いてみる。
これだけ徹底して情報を伏せられ、知らぬ存ぜぬ、領地へ帰ったと教えられるのだから、何かがあったらしい中心近くにヴァレーリエがいた、もしくはいたことを疑われているのだろう。
そのために私から遠ざけられたのだ。
諦め悪くアーロンの目を見つめていると、一瞬だけアーロンの黒い目が揺らぐ。
顔は相変わらず無表情を作っていたのだが、長い沈黙のあと、一言だけアーロンは彼の言葉で呟いた。
疑いが晴れれば、と。
時間切れ。
誤字脱字はまた後日。




