意地悪フェリシア
「それで、お客様を喜ばせることはできたのかしら?」
「おおむね好評だったように思います。さすがのバシリア様も、ご自身の手でケーキを作るのは珍しい体験だったのでしょう」
フェリシアの侍女に案内された客間で、今日のお茶会の成果を報告する。
ケーキを作ったあとはテーブルを片付けている間に散歩をして、その際にレオナルドの全裸像を見つけた話もした。
「……そういえば、ミミズクのケーキはいかがでしたか? 大人の女性向けを意識して、料理人にお酒を使ってもらったのですけど」
「とても美味しかったわ。ナイフで切り分けるとプサル・ブランデーの香りが広がって……チョコレートで香りを閉じ込めるというのは、いい趣向ね」
まだ残っているので味をみてみるか、と誘われれば、飛びつくしかないだろう。
私はフェリシアのケーキを組み立てただけで、味見はしていないのだ。
「いただきまーす」
「クリスティーナ」
侍女の用意してくれたミミズクケーキを、フォークで一口サイズに切って口へと運ぶ。
あーんっと大きく開いた口にチョコレートの味が広がるかと思ったのだが、舌の上へとケーキを乗せる前にフェリシアに呼び止められてしまった。
「余ったケーキはどうしたの? お菓子や果物を用意していたようだから、貴女とバシリアだけでは食べきれないでしょう」
「お客様にお出しした残りは侍女や使用人に下げ渡すことがある、とヘルミーネ先生に教わりましたから、そのようにいたしました」
組み合わせられるように、とスポンジケーキだけでも色や形の違いで何種類か用意した。
クリームやジャムも数種類用意したし、飾りつけにはクッキーやノラカムまでそろえてある。
当然私とバシリアの胃袋へ納めるには無理のある量だ。
今回のケーキ作りは、余ったお菓子は侍女や使用人に下げ渡す、とヘルミーネから教わっていたからこそ実行できた趣向でもある。
それでは改めていただきます、とケーキを口へと運ぶ。
そんなはずはないと思うのだが、またも舌の上へとケーキを下ろす直前でフェリシアに呼び止められた。
「バシリアに持たせたケーキは、スポンジを二色使った、と言っていたわね?」
「……はい。スポンジを薄く切ってもらって、市松模様に……えっと、切った時にモザイク柄に見えるように組み立てました」
市松模様と言っても判らないだろう、とモザイクに言い換える。
そういえば、せっかくの仕掛けだったというのに、ケーキを切って驚くバシリアの顔を見逃してしまった。
「二色の土台を使ったということは……一つ分は余っているのかしら?」
「はい。それも後で使用人たちが食べることになると思いますが……?」
私の返事を聞いて、フェリシアが自分の侍女へと目配せをするのが判る。
ほんの一瞬のことだったのだが、侍女が一人小さく頭を下げて退室していった。
「……モザイク柄が、見たかったのですか?」
「そうね。クリスティーナが頑張ったようだから、見ておきたいわ」
……なにか変だな?
もう少し詳しくお茶会について聞かせてほしい。
そう改まった姿勢で言われてしまえば、ケーキを刺したフォークは一度下ろすしかないだろう。
真面目な話だというのなら、お菓子をつまみながらというわけにはいかないはずだ。
「バシリア様に趣向の説明をするために、ヘンリエタのケーキを作りました」
選んだスポンジ、挟んだクリームやお酒については料理人に任せたこと、ミミズクの顔を作る際には台所女中が作業をしたこと等、聞かれるままに答える。
あまりに細かなことを聞かれるので、さすがにこれがただのお茶会報告でないということは判った。
私が気付いていない、もしくは、私の知らないところで、今日のお茶会には何かがあったのかもしれない。
「……では、お茶会で実際に食べたものはバシリアが作ったケーキで、クリスティーナのケーキはお土産として持ち帰ったのね?」
「はい。帰りがけにヴァレーリエが箱に詰めて渡していました」
そういえば、ケーキに合うお茶だと茶葉も渡していたな、と思いだし、追加する。
茶葉の銘柄を聞かれることになったが、そこまでは判らないのでヴァレーリエに聞いてほしいとも答えた。
バシリアが到着してから帰るまでの出来事を、できるだけ詳細に聞かれるまま答え、フェリシアの侍女に差し出されたお茶で喉を湿らせる。
話しすぎて喉が渇いたのだが、少々苦いお茶でゴクゴクと飲むことはできなかった。
……それでは改めまして、いただきまーす。
声に出したらまた止められそうな気がしたので、無言で皿の上に置いていたフォークへと手を伸ばす。
今度こそ味見をするぞ、と思っていたのだが、フォークへと伸ばした私の手はむなしく宙をつかむ。
すっと皿が空中に浮いたかと思えば、フェリシアの侍女がケーキの載った皿をさげているところだった。
「あ、あぅ……ケーキ……」
まだ味をみていません、と非難を込めて侍女を見上げるのだが、侍女はフェリシアの侍女だ。
私の泣き落としなど効くわけもなかった。
「今日はもうバシリアのケーキを食べているでしょう? 夕食に影響するから、やめておきなさい」
「一口だけでも……っ!」
「また同じものを作らせればいいわ。チョコレートのスポンジに、プサルベリーのジャム、クリスティーナが食べるのなら、プサル・ブランデーはプサル酒に変えた方がいいわね」
季節の果物は使っていないので、いつでも作れるといってフェリシアは綺麗に微笑む。
どうやら一口たりとも私にミミズクケーキを食べさせてくれる気はないようだ。
……意地悪? 意地悪なの?
味見をするかと誘ってきたのはフェリシアなのだが、目の前にケーキをぶら下げてからはお預けばかりだ。
タイミングよく声をかけられたせいで、一口も食べることができてはいない。
「ヘンリエター」
味見したいぞ、と甘ったれた声を出してみる。
そもそも味見をするかとケーキを用意してくれたのはフェリシアなのに、と訴えてみるのだが、これも効果はない。
レオナルドであればイチコロなのだが、私のおねだりなど女神の美貌を持つフェリシアにはまったく通じなかった。
「はいはい。夕食まで口が寂しいのなら、お茶をしっかり飲んでいきなさい」
「このお茶、苦いですよ」
「良薬は口に苦し、と昔から言うでしょう? ちゃんと最後まで飲んでおきなさい」
さすがにここまで言われれば、なにかおかしいと気が付く。
そもそも王爵であるフェリシアの侍女が、意味もなく苦すぎるお茶など淹れるわけがないのだ。
なにか意味があって、私へと出されているのだろう。
ならば、とケーキについては一度諦めて、素直に苦いお茶を飲む。
ミミズクケーキの作り方はわかっているのだから、フェリシアの言うように後日料理人に作ってもらえばいいだけだ。
苦い苦いと悲鳴をあげながらお茶を一杯飲みきると、口直しにと侍女が飴を一つ出してくれた。
やはり、夕食前なので控えろ、というのは口実だったようだ。
「……あれ? ヴァレーリエではないのですか?」
寝酒ならぬおやすみ前のホットミルクを運んできたスティーナに、お礼を言ってコップを受け取りつつ、ヴァレーリエの様子を聞く。
普段、私の口へと入るものを用意するのはヴァレーリエだ。
華爵のスティーナに、こういった仕事が割り振られるのは珍しい。
「ヴァレーリエは、フェリシア様に呼ばれて少し離れております」
「そうですか。……あれ?」
ヴァレーリエでないことには納得をして、ホットミルクを一口くちに含む。
鼻を抜けていくほのかな蜂蜜の香りに、違和感を覚えて眉を顰めた。
……気のせい? なんだか、いつもと違うような?
違和感のせいで飲み込むのがためらわれ、口へミルクを留めたまましばし考える。
吐き出すにしても、なにか入れ物がほしいし、ただの気のせいであった場合にはミルクが勿体無い。
どうしたものかと困っていると、私の異変に気が付いてくれたらしい。
護衛として扉の横に控えていたアーロンがハンカチを貸してくれた。
「これに吐いてください」
「……ん」
気は引けるが、困っていたのも確かなので、お言葉に甘えて口の中のミルクを吐き出させていただく。
その間にアーロンは私の手からコップを奪い、ホットミルクの匂いを嗅いだ。
「おかしな臭いはしないが……?」
「気のせいでしょうか? いつもと違う匂いがしたので、変だなって思ったのですが」
「なにか変わったことをしたか?」
私とアーロンから同時に視線を向けられ、スティーナがびくりと肩を震わせる。
スティーナにしてみれば、ヴァレーリエの不在の穴埋めとしてホットミルクを用意しただけなので、いつもと匂いが違うと言われても判らないのだろう。
「私はヴァレーリエの代わりにミルクを用意しただけで……、ミルクと蜂蜜の準備はヴァレーリエがしていましたし、おかしなことは何も……」
「ミルクと蜂蜜はどこにある?」
「ティナお嬢様用の地下食料庫へ戻しました。蜂蜜はサザラント産のアナホナン蜂蜜です」
「……ジゼル」
アーロンの一声で、ジゼルが動く。
部屋を飛び出していったジゼルが声をかけたのか、少しするとワゴンを押したウルリーカが部屋へやってきた。
……あれ? この匂い、最近どこかで嗅いだような?
念のために飲んでおけ、と言って差し出されたカップを受け取り、中の液体を見下ろす。
見た目は紅茶となんら変わらない飲み物だが、なんとなく不吉な予感のする液体だった。
「……なんですか、これ」
「毒消しです。気のせいなら苦いだけの茶ですが、ホットミルクに異物が混入されていた場合には役に立ちます」
「苦いお茶……」
苦いと聞けば、不吉な予感の正体がわかった。
夕食の前に、フェリシアの侍女に飲まされたあの苦すぎるお茶だ。
あのお茶と同じ匂いが、手にしたカップから漂っていた。
「本日二杯目です……」
必要なこと、と諭されれば従うが、正直あまり飲みたい味ではない。
ちびちびと舌を湿らせるように毒消しらしいお茶を口に含み、舌が慣れたところでいっきに喉の奥へと流し込む。
普通のお茶のように、味や香りを楽しむ余裕などない苦さなのだ。
「苦かった……口の中が渋いです」
「今日二杯目、ですか? どこでこれを出されたか、覚えていますか?」
飴か何かで口直しをしたいところなのだが、アーロンがそれを許してはくれない。
耳ざとく私の愚痴を拾い、そこから重要と思われる箇所を拾いあげてきた。
「お茶会のあとにフェリシア様へ報告をしている時に、フェリシア様の侍女が出してくれました」
あの時のフェリシアも、最後まで飲めと言っていたので、毒消しとしての効果を求めていたのかもしれない。
……うん? なんでお茶会の報告に行って、毒消しなんて出されたの?
なにか変だぞ、と私が気づく頃には、アーロンは次の行動に移っていた。
空になったカップを私から取り上げると、一声もなくベッドの上へと運ばれる。
私がベッドへ放り込まれたのだと理解する頃には、天蓋が閉められていた。
「除け者ですか!? 説明を要求します!」
一度閉ざされた天幕を開き、アーロンの服を掴まえて引き止める。
早く寝ろ、という意思はわかったが、なんだかモヤモヤとした疑問が生まれたせいで、素直に寝る気にはなれない。
「フェリシア様、もしくはその周辺騎士への警告と事情説明。ホットミルクに異物が混入されているかの確認作業。そのどれもが一刻を争うので、お嬢様には黒犬を横にベッドでおとなしく眠っていていただきたい」
「……最初からそう説明してください」
何も言わずに突然ベッドへと放り込まれたので何事かと思ったが、説明されればちゃんと理解できる。
ようは、私の護衛は人手が足りない。
しかし、フェリシアへの報告のためにこの場を離れたい。
となれば、護衛対象である私がジッと動かない時間、たとえば睡眠時間を使ってそれらの用事を済ませたい、ということだろう。
少しの時間ぐらいならアーロンが側を離れても、黒犬がいるのでなんとかなる。
「おとなしくベッドで寝ていますから、明日の朝には説明してくださいね」
「不寝番にはハルトマン女史を呼びます。お嬢様はくれぐれもベッドから出ないでください」
「邪魔になるのは解っていますから、おとなしくしていますよ」
そう言ってアーロンを送り出すと、改めて天蓋を閉める。
なんだか離宮内でおかしなことが起こっているようだが、私にできることは、それらの対処にあたるアーロンたちの邪魔をしないことだ。
もどかしくはあるが、出しゃばっても邪魔にしかならないとは判るので、おとなしく毛布にもぐりこむ。
翌朝の私が熱を出したのは、寝つきが悪かったせいだと思う。
昼間はとにかくバシリアとはしゃいで遊び、夜は周囲で異変が起きているぞ、とあれこれ悩んで眠れなかったせいだ。
念のためにと苦い毒消しまで飲んで寝ている。
間違っても、ホットミルクに何かが混入していたのではない。
誤字脱字はまた今度。




