老英雄リターンズ
「梟の姫君は我等が女神に続いて、今度はテーブルにドレスを着させることにしたのだとか」
フェリシアの茶会にて、フェリシア信者の紳士にこんなことを聞かれ、しばし考える。
相変わらず私がやることについては、どこかから情報が漏れているようだ。
今回の場合は同じ離宮内のことなので、普通に商人を呼んだということが知られているだけかもしれないが、后の解毒薬について調べていることを知られるのは少し困ることになるかもしれない。
流していい情報と、流されて困る情報のコントロールは急務だ。
……淑女って大変だね。
平民であれば考えなくてもいいことまで計算にいれて行動しなければならない。
私が平穏に暮らすためには貴族に嫁ぐか、このままレオナルドの家の子でいることになるので、必要な苦労だと覚悟を決めて向き合う。
平穏な未来のためには、絶対に必要になる技術だ。
さて、なんと説明すれば通じるだろうか、と首を傾げる間にムクムクと悪戯心が湧きあがってきた。
暇を持て余した貴族を相手にコタツの有用性を真面目に説くよりは、面白おかしく聞かせた方がいいかもしれない。
「……テーブルにドレスを着せるのではなく、炬燵を作ろうとしています。炬燵というのは冬から春にかけて姿を見せる異国の妖霊のことです」
四速歩行の妖霊なのだが、基本はじっと獲物が罠に嵌るのも待ち続け、人間の足を好んで飲み込み、一度囚われた人間は二度と炬燵から開放されることはなく、異国では炬燵に囚われた人間の魂は妖霊『こたつむり』として転生し、次の犠牲者を求めて雪崩とともに雪山を駆け下りてくるのだ、と思いつくままに適当なことを言ってみる。
最初は笑って聞いていた紳士だったが、最後の方には腰が引けていたので不思議に思っていると、仮にも精霊の寵児である私の言うことだから、と途中から信じ始めてしまったらしい。
彼はこの冬、異国の妖霊炬燵に怯えて暮らすことになったようだ。
……精霊の寵児だからって、普段から精霊が見えるわけじゃないんだけどね?
精霊らしいものを見たことなど、神王祭で精霊に攫われた一度だけである。
それも、あとから考えればあれは精霊だったのだろう、と思えるぐらいで、その時には何も疑問に思いもしなかった。
その後、追想祭で神王様本人と遭遇するだなどという不思議体験も経験しているが、それだけだ。
いたって普通の人間と変わらない。
……や、二度も不思議体験してるってだけで、普通じゃない気もするけどね。
願わくは、二度あることが三度あったり、三度目の正直なんてことがないことを祈る。
私は今生を、ただ平穏に生きていきたいのだ。
分不相応な肩書きなど、これ以上はお断りである。
フェリシアが炬燵に興味を持ったので、注文書を作る際に作った草案の綴られた紙をウルリーカに持ってきてもらう。
構造や使用目的を説明すると、フェリシア信者の何人かが食いついてきた。
女性の感想としては、テーブルを美しく飾るところが素晴らしい、と。
男性の感想としては、靴を脱いで入るというところに浪漫を感じるらしい。
……靴を脱ぐってあれですね。普通はベッドとお風呂ぐらいでしか靴は脱がないから、炬燵に一緒に入るってだけで一定以上の親密度が必要的な?
恋人たちの逢引空間とでもいうのだろうか。
本来は冬を暖かく過ごしたかっただけなのだが、私の意図とは違う広がり方をしそうである。
「クリスティーナお嬢様」
湯たんぽには拘らないのか、せっかくなら動物の形をした陶器製の湯たんぽを入れてはどうだろうか、とある物で済ませることしか考えない私では思い付かない案が出始めたところで、珍しくもスティーナがやって来た。
急ぎの用事だろうか、と紳士たちの話しの輪から離れて用件を聞く。
「ベルトラン・カンタール様がお越しになっておられます」
「ベルトラン様が、ですか……?」
……え? やだ。なんで王都にいるってばれてるんだろ?
ついに来たかと思う反面、純粋な疑問が湧く。
こちらから積極的に連絡を入れるつもりなどないのだが、なぜベルトランは王都に私がいると知っているのだろうか。
黒犬がしゃべれるのならベルトランへと私の情報を持ち帰ることも可能かもしれないが、黒犬は書類の山の警備を任せて以来離宮の外へは出ていない。
ベルトランの元へも帰っていないはずだ。
「ベルトラン様は、どのようにしてわたくしが王都にいると知ったのでしょう?」
「失礼ながら、クリスティーナお嬢様がレオナルド様の妹君であられることは、知っている者は知っております。先日も白銀の騎士の詰め所へ行かれたようですし、レオナルド様は王都に滞在されているだけでも目立つ方ですから」
王都での移動はほとんどレオナルドが同行してくれていたし、レオナルドは闘技大会で優勝もしている。
元からレオナルドと私が兄妹として暮らしていることを知っているベルトランならば、レオナルドが王都に滞在していることから、私が王都にいることに気付いたとしても不思議はない。
レオナルドの王都での滞在先を探せば離宮に辿りつくことは簡単だろうし、その離宮の主の容姿についても簡単に知ることができただろう。
困ったことに、外見目当ての恋文騒動があったぐらいだ。
「……お約束のない方とはお会いできません、と追い返してください」
「私もそのように申しましたが、自分はクリスティーナお嬢様の祖父である、と言い張って聞き入れてくださいません。祖父が孫娘の顔を見に来るのに、約束など必要はないだろう、と」
……なるほど。祖父と言い張るから、追い返せなくてここまで話を持ってきたんですね。
つくづく困った御老人である。
ついでに言えば、今回は私が孫であると確信しているようなので、追い払うのに手間がかかりそうだ。
「わたくしに祖父などいません、と追い返してください。それでも引かないようでしたら、離宮の警備をしている白騎士に突き出してあげてください」
「そのような遠まわしな方法をとる必要はなくてよ」
「フェリ……ヘンリエタ?」
フェリシア様、と呼びそうになり、ヘンリエタと言い直す。
話しの輪から離れた私がなかなか戻らないので、心配をして見に来てくれたようだ。
「私の茶会のお客様を、約束も無しに連れ出そうだなんて、無作法にもほどがあります」
そう言って追い返してやりなさい、とフェリシアは胸を張る。
フェリシアによると、フェリシアの離宮滞在はこういう時のための厄除けの目的があったそうだ。
王爵をもった王族以上に権力を握った者など、現国王陛下ぐらいで、大概の者はひと睨みで黙らせることができる、と。
ベルトランとの関係については報告が来ているが、ベルトランの家族がどうなったかも知っている。
そのため、いかに血の繋がった祖父と孫であろうとも、私が望まない限りは接触を制限してくれる予定でいるようだ。
「ヘンリエタ、素敵すぎますっ!」
「私が素敵なのは真理ですけれど、もっと褒めてもよろしくてよ」
最大限の感謝を込めて心のままにフェリシアを讃えると、フェリシアは艶やかに微笑む。
もっと褒めろという発言はどうかと思うのだが、嫌味も卑しさもまったく感じないのだからすごい。
ただ素直に、もっと褒めても良い、と思っているだけなのだろう。
第六王女という看板を盾に、ベルトランを追い返す。
玄関で少々騒いだようなのだが、トドメはナディーンがさした。
若い侍女が相手なら無理が通ると思ったのかベルトランは中々引き下がらなかったのだが、離宮を守るナディーンは玄関先で騒ぎを起こすベルトランを許しはしなかった。
一度アーロンを借りに私のところへと来たかと思ったら、すぐに何もなかったかのような顔でアーロンを返しにくる。
詳しい話をナディーンは聞かせてくれなかったのだが、アーロンが教えてくれた。
ナディーンの捨て台詞は、指一本でも触れてこよう物なら傷害罪で捕縛してやったものを、だそうだ。
ベルトランとナディーンがどういった関係なのかはわからなかったが、ナディーンの登場でベルトランはまず頭が痛そうな顔をし、それでも私への面会を申し込み、その場で却下するナディーンに掴みかかろうとして、直前で踏みとどまったらしい。
知人であったらしいナディーンの目論見に、ベルトランは気がついていたのだろう。
離宮の主は約束のない者とは会わない、今は第六王女の茶会に呼ばれている。そう繰り返すナディーンに、ベルトランは渋々ではあったがおとなしく引き下がったようだ。
……離宮には優秀な人材を用意してくれたってアルフレッド様が言ってたけど、まさかベルトラン様を口だけで退散させる人がいるとは思わなかった。
甘やかしモードに入ればレオナルドが可愛く思える糖度具合のナディーンだったが、仕事はきっちりこなすし、しめるべき時の対応は実に素晴らしい。
ディートフリートを我儘暴君に育てた乳母と聞けばどうかと思ったのだが、この神対応を聞いてしまえば、オレリアと友人だったらしいというのにも納得できる気がした。
……どっちもしめるべき相手には手厳しいからね!
ナディーンとフェリシアがベルトランを追い払ってくれるため、私の離宮生活は意外にも平和に続く。
時折フェリシアの茶会に顔を出して気分転換をしつつ、ひたすらに書類へと目を通していたのだが、そろそろ本当にやれることがなくなりそうだ。
書類の読み込みも、過去に盛られた毒の症状も、オレリアの残した解毒薬の種類や名前も、必要と思われるものは全部書き出してある。
となれば、箱に詰めた書類の扱いに困ってしまった。
大切な書類であるし、いつまでも私が預かっているわけにはいかないだろう。
そうフェリシアに相談をしたところ、フェリシア自らが預かって、返却してくれることになった。
……これでひとまず安心だね。
フェリシアに預けておけば、大切な書類を私の責任で失くす危険も、盗まれる心配もない。
黒犬も晴れてお役御免である。
暑さが収まってほんのりと秋めいてきた頃、暇を持て余して庭の散策に出てみた。
グルノールの裏庭の花壇はタビサが管理していたため親しみがあったのだが、庭師に整えられた離宮の庭はなんとなく『他所のお庭』という気がして、散歩を日課にしたくはない。
今は『他所のお庭』と思っている場所が、そのうち『うちの庭』という認識に変わってしまうのではないかと怖かった。
……絶対グルノールに帰りますからね。離宮はやっぱり他所のお家ですよ。
馴染んでなるものか、と思いつつも庭に出てきたのは、この離宮の敷地内にレオナルドをモデルにした噴水があるはずだと思いだしたからだ。
午後の授業以外にやることがなくて、たまには外へ出るようにとレオナルドから言われてもいるので、件の噴水を探してみることにした。
……あと、見つけましたよと言って、冬に戻ってきたレオナルドさんの微妙な顔が見たい。
動機は完全に悪戯目的なのだが、引き籠りがちな私が自分から庭へと出ているのだ。
レオナルドもきっと喜んで羞恥に身悶えてくれるだろう。
……でも、歩いて探すとなると、疲れるね。
今日はここまでにしましょう、とジゼルに時間を告げられる。
エセルバートから離宮への招待状が届いているため、今日の散策は早めに切り上げた方がいい、と。
小さめの離宮にある四分割された庭とはいえ、子どもが歩いて回るには広すぎる庭だ。
とてもではないが、一度や二度の散策で見つけられるとは思えない。
そして、約束があるのなら早めはやめの行動を心がける必要があった。
離宮に戻ると、どうやら予定より少し遅れてしまったようだ。
ヴァレーリエとウルリーカの手によって大急ぎで余所行きの服へと着替えさせられ、迎えに来ていた馬車へと詰め込まれる。
今日はレオナルドがいないので、なんだか馬車の中が広く感じた。
「……面白そうなものを作らせているそうじゃな」
「エセルバート様の間者は見つけ出したはずですのに、まだ離宮のことが筒抜けなのですね」
「今回はわしが集めた情報ではないぞ。杖爵から広がり、貴族たちの間で噂になっておる」
「ということは、フェリシア様の信者から広がったのですね」
別に知られて困ることでもないが、なんとなく情報が筒抜けになっているというのは落ち着かない。
今はただ冬を快適に過ごしたいとテーブルの改造をしているだけだが、いずれは聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読み解くことになる。
その情報までなんの責任もなく外へと持ち出されては、それこそ賢女が魔女と呼ばれた時代の再来だ。
……情報の管理の徹底って、大事だよね。
さて、どうしたものかな、と逸れそうになる思考を棚へ上げ、まずは離宮への招待に応じた本来の目的を果たしておこうと思う。
本人のあまりの気さくさに忘れそうになってしまうのだが、エセルバートは前国王だ。
本当なら私のような平民が簡単に会える人間ではない。
「ナパジでは冬をどのように過ごしているのですか?」
畳の上を裸足では寒いだろう、と聞いてみる。
ついでにエセルバートの離宮中庭に建てられたもう一つの離宮は、寝殿造りだ。
どこもかしこも風通しが良すぎて、冬はどう考えても寒いはずだった。
「冬もいただいた畳の上で過ごしたいのですが、さすがに寒い冬に裸足で過ごすことは無理そうだなと……」
炬燵を作ることになった経緯を加え、寒さ対策を相談してみる。
私の滞在する離宮は寝殿造りではないので、寒さ対策など本来は必要がないのだが、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料のために暖炉に火を入れないことを考えれば、どうしても必要になってくるはずだ。
「聖人の秘術は宝じゃが、お嬢さんの健康の方が大切じゃ。暖炉の火を控えるぐらいなら、冬の間の作業はやめておきなさい」
「でも、薬の処方箋が書かれているのですよ? 早く読んでおいた方がいいと思うのですが」
「民の命を救う薬はたしかに欲しいが、クリスティーナ。そなたの替えはない。多くの民のため、いつか聖人の秘術を甦らせるためには、今そなたを失うわけにはいかんじゃろう」
冬の間は完全に作業が止まろうとも、私の健康を第一に考えなければならないらしい。
理由を諭されれば理解もできるが、ただ何もしないというのは、それはそれで辛いものだ。
「ナパジの冬の過ごし方を聞きたいのじゃったな」
ナパジというよりは寝殿造りの離宮での過ごし方なのだが、エセルバートの解説にあわせて新キュウベェが御簾や蔀戸を実際に動かして教えてくれる。
やはり風通しの良い寝殿造りは寒さ対策が重要で、御簾や蔀戸だけでは足りず、断熱材代わりに布が張られたり、木戸が追加されたりするようだ。
「これはあくまでナパジの過ごし方であって、わしの冬の過ごし方は離宮の本館へ戻る! この一言じゃな」
「え? 冬はこの離宮では過ごされないのですか?」
それはそれで、なんだかがっかりだ。
思わず素で洩らしてしまうと、エセルバートは豪快に笑った。
「わしはナパジが好きじゃが、じゃからといって寒いのに無理をしてまでこちらの離宮で過ごそうとは思わん。こう見えて年寄りじゃからな。寒さは身にしみる」
無理をせず、しかし『好き』を楽しむ、とエセルバートは言う。
ナパジではこうだから、と変に凝って体調を崩すのは、マヌケのすることだ、と。
「暖炉の火を控えるぐらいなら、冬の作業はお勧めせん。が、火を使わぬ暖の取り方といえば、温石もお薦めじゃな」
「温石って……たしか、温めた石でしたか?」
「そうじゃ。石を温める際に火を使うが、これは厨房の竈の中にでも入れておけば良い。お嬢さんの身を温める時には、火を使わぬ暖の取り方になるじゃろう」
「それは、たしかに良い手かもしれません……」
「わしのお勧めは、冬は休みなさい、じゃがな」
あくまで暖炉の火を控えるぐらいならば冬の作業は休め、というエセルバートに、話題を逸らそうと炬燵についてを振ってみる。
ナパジなら電気炬燵は無理でも、炭を使うタイプの炬燵があるのではと思ったのだが、残念ながらまだ無いようだ。
火鉢で部屋や衣を温めて纏ったり、温石の世話になったりとしているらしい。
聞くだけの想像でしかないのだが、ナパジの冬は過酷だ。
「ご隠居、約束をなさっていたお客様がいらしてますが」
炬燵モドキの構造について説明していると、キュウベェが来客を報せる。
私以外とも約束があったのか、と驚きつつも、他に客が来るのなら私は帰った方がいいだろう。
そう思って退室の挨拶をしようとしたら、エセルバートに引き止められた。
「客は客でも、お嬢さんの客じゃ」
「わたくしにお客様、ですか……?」
……なんだろう。嫌な予感しかしないよ。
客と聞いて昨今すぐに思い浮かぶ顔はベルトランだ。
毎回追い返してはいるのだが、ほとんど連日のように離宮へとやってきている。
内心が表情に出てしまっていたのだろう。
エセルバートは苦笑いを浮かべながら、そんな顔をするな、と言った。
可愛い顔が台無しである、と。
ここしばらく第八王女が第六王女表記だった誤字発見してしまった……orz
そのうち直します。
誤字脱字はまた後日。




