閑話:レオナルド視点 小さな淑女 4
「少し到着が遅れているようだが……、マンデーズ館のカリーサに王都へ来るよう手紙を送ってある」
そのうち王都に来るはずなので、少しは寂しくなくなるはずだ、と言うと、ティナは手放しで喜んだ。
喜びに任せて撫で回されることになった黒犬は、少し迷惑そうな顔をしているように見えた。
三姉妹の顔はみな同じで、主人に対する態度にも違いはないのだが、ティナはカリーサに対して特別に懐いているきらいがある。
ティナと同じく人見知りの傾向があるカリーサとは、気が合うのだろう。
逆だとは思うのだが、カリーサをつけている時のティナは時折カリーサを庇うように立つこともあった。
……まあ、カリーサならジゼルより頼りになるしな。
護衛的な意味でも、カリーサは頼りになる。
黒騎士の騎士団長に与えられる館に仕える姉妹は、赤ん坊の頃からイリダルに育てられた。
黒騎士が身近な存在であったため、館の主が騎士団長であるという性質のため、小さな頃から武術訓練も積んでいる。
残念ながら性別のせいで体格や筋力の付き方に難があり、黒騎士になることは適わなかったが、淑女の護衛としてそっと付けておくには十分な実力があった。
それこそ、お飾りと揶揄される白騎士より強い。
「カリーサはなぜ到着が遅れているのですか?」
ひとしきり黒犬を撫で回したあと、興奮の収まったティナが隣へと戻ってきた。
近頃は淑女らしい微笑が板についてきたのだが、今は素のティナだ。
ニコニコと子どもらしい笑みを浮かべている。
「アルフがなにか頼んでいたようだから、その影響だろう」
「アルフさんがですか?」
なんだろう? と首を傾げながらもティナは次の行動を考え始める。
女中が一人増えるとなると、部屋の準備が必要だ。
ヘルミーネの兼業を解き、家庭教師として離宮に滞在してもらうのなら、ヘルミーネの部屋を客間に移してもいい。
……使用人を増やす上での主の仕事も、もう解っているんだな。
離宮では新入りとなるカリーサの風当たりを考えれば、自分が贔屓をするわけにはいかない。
贔屓にならないよう個室は用意せず、誰かと同室になるのだが、誰と同室にしたらいいだろうか、とティナは頭を悩ませ始める。
本音としては、自分の部屋のすぐ横にある控えの間へと入れたいようだが、さすがに主の一番の信頼が新参の女中にあるともなれば、侍女たちが良い顔をしないだろう。
軋轢が生まれることは解りきったことなので、ナディーンも止めるはずだ。
うんうんと頭を悩ませるティナに、続きは教師役のヘルミーネを同行させて、ナディーンと直接話すといい、と教えておく。
本来は使用人である家庭教師を挟まず、主が離宮のまとめ役であるナディーンと二人で決める内容だ。
使用人たちの中の序列も、ティナはそろそろ意識した方がいい。
ルグミラマ砦から護衛の黒騎士が到着し、濃紺のマントを纏う。
できたばかりの弁当を鞄へと詰めていたティナは、俺のマントの色を見て眉を寄せた。
「……レオナルドお兄様、どちらの砦へお戻りですか?」
「ルグミラマ砦だが……」
「そうですか。わたくしはてっきりグルノールへ戻るのかと……」
故意にどこの砦へ行くかは告げていなかったのだが、さすがにマントの色を見ればグルノールへと戻るわけでないということは判る。
どちらも国境の砦は砦だが、ルグミラマ砦と国境を面するサエナード王国とは、現在非常に微妙な雰囲気になっていた。
だからこそ俺はルグミラマ砦へと向かう予定なのだが、快く砦へ戻ることを了承したティナは、グルノール砦へ戻ると思っていたのだろう。
若干どころではなく、笑顔が引きつっている。
わざとそう思うように誘導した自覚はあるので、黙って足を差し出したところ、特注靴の洗礼をいただくこととなった。
……ってか、いつもは一応加減をしていたってことか。
表情に出すのは不味いか、と痛みを無表情で堪えるのだが、それを見たティナは効いていないと思ったのか、今度は足を踏んでくる。
幸いなことに靴底にはこれといった細工はしていないので、なにか乗ったか? という程度の加重が感じられたぐらいだ。
「向かうのがルグミラマ砦なら、ルグミラマ砦だって、正直に言ってください」
そうと知っていれば護符の一つも用意したのに、といってティナは怒った。
離宮に引き籠りがちで滅多に外出など言い出さないティナだったが、俺のためになら買い物に出かけてもいいと思ってくれているようだ。
少しどころではなく嬉しいのだが、よく考えればティナは俺を驚かすために数ヶ月かけて刺繍で絵画を仕上げるような子だ。
兄として、非常に妹から愛されていると喜ぶところだろう。
「……ぐふっ」
「なんだか顔がムカつきました」
妹の愛を感じてにやけた瞬間に、ティナに出せる渾身の力で特注靴の洗礼をいただく。
愛を感じて痛いとはこのことか。
さすがに堪えきれずに腰を落としてうずくまると、少し俯いたティナの顔がよく見えた。
大人に囲まれたティナは周囲の大人よりも背が低いため、俯いてしまえば表情は完全に見えなくなる。
腰を落としたために見えたティナの顔は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ティナ……」
「戦争、はじまるのですか?」
頬へと手を伸ばすと、まだ怒っているのか手を払われる。
そのまま袖口を掴まれてしまったので、目じりの涙をぬぐってやることもできなかった。
「レオ、死ぬの?」
「死なないよ」
「でも、戦争に行くんでしょ?」
「まだ戦にはならないよ。ただちょっと、睨みあってるだけだ」
でも、とティナの声が震える。
濃紺のマントを出掛けに付けたのは、完全に失敗だった。
まだ暑いから、と適当なことを言って、王城を離れてから纏えば、ティナがルグミラマ砦へと向かうことに気付くことはなかったはずだ。
オレリアの訃報を聞いた時に、ティナの落ち込み方は痛ましかった。
まだ人の死というものに敏感だったのだろう。
俺が死ぬわけでも、戦争が始まるわけでもないというのに、ティナは俺が死ぬのではないかと恐れている。
……まあ、そうだな。ティナの家族は、今は俺だけだからな。
血族という意味では、ベルトランも家族のはずだが、今は除外する。
ティナの家族は両親、祖父母のように慕っていた知人夫婦、妙に懐いたオレリアと、みんな死んでいる。
ティナが人の死に敏感になるのも、仕方がないことかもしれなかった。
……それを考えると、ベルトラン殿とティナは和解させた方がいいのか?
俺は現役の騎士として戦場に立つことがあるが、ベルトランは引退している。
少なくとも、ベルトランが戦場で死ぬことはないはずだ。
ただ、今度は老衰という避けられないものが付き纏う。
ベルトランと和解したら増える親戚の従兄弟も、体が弱くて年に何度も寝込むという話だ。
家族という頭数は増やせるが、死は普通より色濃く付き纏う家族だろう。
……ティナがうちの子のままでいれるのなら、ベルトラン殿との和解を考えてもいい。
ティナは自分の孫娘である、と取り上げられたあとに、ティナを放置もしくは構い殺されるのは避けたいが、ただ家族としてティナが困った時に頼れる人間が増えるだけならば歓迎しなくもない。
いずれにせよ、ティナの幸せが最優先だ。
「ティナ」
「ひゃわっ!?」
ひょいっと脇へと手を差し込んで、ティナを抱き上げる。
驚いたティナの顔から、涙の気配は引っ込んだ。
以前にも似たようなことがあった気がして記憶を探ると、初めて会った日を思いだす。
あの時も泣きはじめたティナに困り、とにかく泣きやませようと抱き上げたはずだ。
……背は伸びているはずなんだが、あまり重くなった気がしないな。
メイユ村での粗末な服とは違い、布を贅沢に使った服を着ているため、それだけでもティナの体重は増えているはずなのだが、重くなった気がしない。
これなら成人をすぎてもまだ抱き上げることができそうだ。
そんなことを考えていたら、ティナの手が伸びてきて俺の鼻をつねる。
「レオナルドお兄様、緊急時以外の抱っこは禁止です」
「緊急時だっただろ? 妹が泣きそうだった」
「泣きません」
ムッと唇を尖らせたティナが可愛かったので、腕に座らせて頬へとキスをした。
顔を離すとティナはなんとも複雑そうな顔をしてキスをした頬を手で包む。
……おや? 殴ってこないぞ。
不意打ちでキスをすると、ティナは驚くか恥らって叩いてくることが多いのだが、今日はそれがない。
ただ、なんとも言えないような顔で俺をジッと見つめたあと、下ろしてくれ、と合図をした。
「ティナ?」
「いってらっしゃいませ、レオナルドお兄様。お兄様の妹は一人でちゃんとお留守番できますので、ご安心ください」
そう言ってティナは淑女らしく静々と礼をとる。
教えられたとおりに振舞っているとは判るのだが、思わず見違える程に綺麗な礼だった。
急に大人びられた気がして、少し寂しい。
そんな気持ちを誤魔化すようにティナの頭へと手を載せると、小さな声で続けられた素のティナの言葉は震えていた。
「ちゃんと、帰ってきてね」
急に大人びた。
そう不安になったのだが、どうやらやせ我慢だったらしい。
頭を撫でられるとすぐに化けの皮が剥がれ、鼻を鳴らす妹が愛おしかった。
「とりあえずは秋の間だけだ。冬には戻ってくるから、心配はいらない」
柔らかなティナの髪を撫でながら心配はないと言い聞かせる。
そうすると、ティナは不安気に青い瞳を揺らしながらも顔を上げた。
誤字脱字はまた後日。
暑さにやられて睡眠不足です。
そんな理由で、しばらく不定期更新になるかと思います。
できる限り更新したいですが、1時半までに更新がなかったら、その日は更新ないと思ってください。
遅い時間まで粘るより、涼しい時間に寝て体力稼ぎます。
誤字脱字、みつけたものは修正しました。




