秘密のお茶会 3
ディートフリートの教育の進度や離宮での暮らしに不自由がないか等、お菓子を戴きつつ話していると、侍従が一人エルヴィスへと耳打ちをする。
侍従が去っていくとエルヴィスが立ち上がり、それに倣ってグロリアーナも立ち上がった。
なんとなくそうするべきだと気付けたのは、淑女教育の賜物か、元・日本人としての空気を読むスキルかはわからない。
私とほぼ同時にフェリシアも腰を上げたので、立ち上がったのは正解のはずだ。
扉を向いて正面に立つエルヴィスに、護衛として扉付近に立っていたレオナルドたち白銀の騎士がこれから来る者を迎えるように並ぶ。
……今日は本当に何の日?
事前になにも聞いていなかった私としては、ひたすら困惑するしかない。
白銀の騎士が立ち並び、エルヴィスが出迎えた新たな来客は、侍女を一人連れた国王クリストフだった。
クリストフが応接室に入ってくると、グロリアーナがクリストフの豪奢なマントを脱がせる。
そういうことは侍女の仕事だと思うのだが、クリストフが連れて来た侍女は箱で両手が塞がっているため、クリストフの世話はできない。
ではナディーンがするべきではないのか、とも思うのだが、グロリアーナが甲斐甲斐しく夫の世話を焼く様をみて微笑んでいた。
もしかしたら今日の応接室は私的な空間ということで、妻が夫の世話を焼いているだけ、ということなのかもしれない。
「私はお邪魔をしない方がよろしいわね」
クリストフのマントを自身の侍女へと手渡して、グロリアーナが退室の礼を取る。
妃の離宮へ来ているはずなのだが、その妃が『邪魔』になるお茶会とはどういうことだろうか。
不安になってレオナルドへと視線を向けたのだが、妃が退室するお茶会に警護とはいえ余人は入れぬということか、白銀の騎士たちもが退室を促されていた。
……え? 待って。ホントに、なんのお話が始まるの?
部屋の中に残されたのは私とフェリシア、エルヴィスとナディーン、それからクリストフと彼が連れて来た侍女だけだ。
グロリアーナすら追い出す場に、クリストフの侍女は置かれるような人物らしい。
「……アルフレッドは元気にしているか?」
ナディーンによって淹れなおされたお茶を一口飲むと、同じように口を湿らせていたクリストフがそう切り出した。
なんだか不思議な質問だな、とは思ったのだが、聞かれているのはどうやら私だったようなので、少し考えてみる。
「アルフレッド様ならグルノールの街へ向かわれたと思うのですが、出立前に会われなかったのですか?」
そもそも父親であるクリストフは私よりアルフレッドと会う機会が多いだろうに、息子は元気か、と私に聞くとはどういうことだろうか。
頭の中が疑問符で占められた私に、疑問への回答はエルヴィスが教えてくれた。
「父上が今おっしゃられたのは、グルノールの街に居る方のアルフレッドだ。今はアルフと名乗っているのだったか?」
レオナルドに付けてグルノールの街へと行って以来、アルフは王都へも、実家へも私的な手紙は一度も送っていないらしい。
定期的に報告書のような手紙は届くのだが、元気にしているだとかの私的な文面は一切ないようだ。
私生活がまるで見えてこないため、気になっていたのだとか。
「こちらの侍女はクラリス。后の侍女をしているが、アルフレッドの乳母をしていた」
「アルフレッド様の乳母というと……アルフさんのお母様、ですか?」
「そういうことになる」
クラリスと紹介された侍女が僅かに頭を下げる。
アルフの母親と聞き、改めて観察してみるのだが、あまり似ている気がしない。
どちらかと言えば平凡な顔立ちの女性だ。
アルフと似ているところを無理矢理探すのなら、髪の色ぐらいだろうか。
……アルフさん、お父さん似なんですね。
母親がアルフレッドの乳母だった、自身はアルフレッドの乳兄弟だった。
そういった話は聞いたことがあるが、父親については一度も聞いたことがなかった気がする。
グルノールへ戻った暁には、なにかの機会にでも聞いてみるのも面白いかもしれない。
……あと、クリストフ様が突然アルフさんのこと聞いてきた理由もわかったよ。アルフさんのお母さんに、アルフさんのことを聞かせてあげたかったんだね。
そうと解れば、話せることはたくさんある。
アルフの近況を語ればいいだけなので、簡単だ。
「アルフさんは元気ですよ。親切で、優しくて、紳士で……これは拗ねそうだから内緒ですけど、レオナルドお兄様より頼りになります」
グルノールではレオナルドを叱ってくれる貴重な人材である、とも続けたら、クラリスは困ったように微笑む。
その笑った顔の雰囲気がアルフに似ていたので、間違いなく親子なのだろうと思った。
「今日この茶会へと乗り込んできた用件は、もう一つある」
ひとしきりグルノールでのアルフの様子を語ったあと、姿勢を正したクリストフに、私の背筋も自然と伸びる。
妻の侍女へとアルフの近況を聞かせるためだけに、国王が人払いなどするわけがない。
「こちらをどうぞ」
そう言って目の前へと置かれたのは、クラリスが運んできた箱だった。
なんだろう? と身を乗り出して覗き込むと、クラリスが箱の蓋を開けて中身を見せてくれる。
「書類、ですか?」
箱の中へとほぼ隙間なく詰められた紙の束は、どう見ても書類だ。
それもパラパラと捲って見た内容によれば、報告書の類に近い。
……なんで私に報告書?
なんの報告書なのだろうか、と適当な単語を拾い読む。
嘔吐、こん睡状態、吐血、湿疹、体温の低下といった、どうにも不穏な単語が拾い取れる報告書だった。
「これは、なんの報告書ですか?」
「我が后エヴェリーナの容態を記録したものだ」
「容態、ですか?」
アルフレッドとフェリシアの母親であるエヴェリーナには、一度も会っていない。
普通に考えたら平民である私がお后様に会う機会があるはずなどないのだが、この国の王族は私の考える普通とは少々どころではなく違う。
面白がって離宮へと乗り込んできても不思議はないかとも思えるのだが、それがなかった。
ではエヴェリーナはいかにも貴族といった選民意識の塊のような后なのだろうか、とも可能性としては考えることができるのだが、そんな后であればアルフレッドのような自由すぎる息子に耐えられるわけがない。
ならばなぜ姿を見せないのか、と考えて、その理由はこの報告書にあるのだろう。
容態を記録したという報告書が、束なんて可愛らしい量ではなく存在していた。
「エヴェリーナはなんというか……臥せがちな生活を送っている」
実家の身分から正妻扱いで『お后様』と呼ばれてはいるが、その存在感は驚くほど薄い。
年中ベッドに臥せっているような生活ぶりで、王城内ですら滅多に姿を見ることができない后とのことだった。
ただ己の不調には敏感なようで、調子を崩さないようにと周囲も本人も気にかけて生活をしている。
その成果が現れて、短期間とはいえベッドから離れて生活をすることもあるのだが、ほんの少し油断をするとまた直ぐにベッドの住人となってしまう。
長くそんな生活を続けているようだ。
……なんでそんな話を私に聞かせるんだろうね?
そうは思うのだが、神妙な顔をして話を聞いておく。
ただの世間話で聞かせる内容でないということぐらいは、いくらなんでも判る。
「お后さまは、もともと体の弱い方だったのですか?」
「元から病弱であれば、五人も子をもうけたりしない。嫁入り前も健康で、滅多に病になどかからなかったそうだ」
そもそも、不健康な娘であれば王子の嫁になど薦められるはずもない。
そう続いた言葉には、頷くしかなかった。
他に妃が二人いるとはいえ、正妻の産んだ子も当然欲しかったはずだ。
子を授かれるかどうかも怪しい病弱な娘など、王子に差し出すわけがない。
……でも、以前は健康だったのに、今は臥せがちな生活って……?
ついでに言えば、クリストフのもう一人の妻であるグロリアーナは、話の邪魔であろう、と茶会から退席している。
妃同士は仲良くクリストフのフォローをしていたように思えるのだが、そこに后であるエヴェリーナが入ればまた違うのだろうか。
なんとも嫌な予感がして、自然と私の眉間に皺ができる。
「何者かが毒を盛っている、と私たちは考えている」
本人も周囲の人間も気をつけているが、それでも体調を崩すことを考えるに、王城内深くに潜り込んだ何者かがいるのだろう、とも。
「……そのような大事な話を、なぜわたくしのような子どもに話して聞かせるのですか?」
正直話が重すぎてしんどいです、という伸び伸び過ぎる感想は飲み込んだ。
どう考えても、転生者とはいえ十一歳の子どもに聞かせる内容ではない。
「聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読み解ければ、后の症状を和らげてやれるのではないか、と考えた。あの宝の山の中に、解毒薬があるやもしれぬ、と」
「聖人の秘術の中に解毒薬があるのなら、オレリアさんには頼らなかったのですか?」
「もちろん、以前からオレリアには手を借りていた。后が倒れるたびに持ち直してこられたのは、すべてオレリアの手腕によるものだと思っている。しかし……」
オレリアは死んだ、とクリストフは言う。
これまでエヴェリーナの命を守ってきたオレリアが他界し、次に何かあった時は后を失う時になるのではないか、と。
「アルフレッドがグルノールから戻るまでの期間、そなたには少し時間があろう。その時間を使ってこれらの記録に目を通し、聖人の研究資料を読み解く際には后の症状に効く解毒薬がないかと気にかけておいてほしい。私の望みはそれだけだ」
解毒薬への手がかりが欲しいが、その先は望まない。
調薬についてはセドヴァラ教会の手を借りることになるので、私が気にする必要はない、とクリストフは言う。
あくまで、手がかりを見つけるだけで良いのだ、と。
「記録に目を通しておくことは了解しましたが、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料に解毒薬があるとは限りませんよ?」
研究資料と呼ばれてはいるが、日記としての色合いも濃いのだ、と正直に研究資料の内容に触れる。
纏めれば分厚い本が何冊も作れそうな紙の束だったが、実際に拾い取れる薬の数は厚さから期待できる数ではないと思う。
「それでも構わないよ。后を生かしてくれる可能性があるのなら、私はそれに縋りたいのだ」
……少し過剰に期待されてませんかね? 聖人ユウタ・ヒラガさん。
国王ですらも頭を下げずにはいられないほどに期待され、求められている。
私に対する期待ではないのだが、それでも少しどころではなく重い。
聖人ユウタ・ヒラガは生前、こんな思いをしていたのだろうか。
「女の子が眉間に皺など寄せるものではなくてよ」
フェリシアの白い指で眉間を撫でられて、寄っていた私の眉が戻る。
離宮からの帰りの馬車に揺られている間に、つい考え込んでしまっていたようだ。
「聖人ユウタ・ヒラガの研究資料にみんなが期待するのは解るのですが、薬と解毒薬は同じものなのでしょうか?」
聖人ユウタ・ヒラガは病気を治すための薬を生み出した、とは聞いているが、毒に対する解毒薬を作ったという話は知らない。
解毒作用のある薬と考えるのなら可能性もあるかもしれないが、なんだかクリストフの口ぶりからは聖人の秘術の中に解毒方法があると確信していた気もする。
そして確信している可能性があるのなら、クリストフは毒の正体や、それを持っているかもしれない人物ぐらい特定していても不思議はない。
……あれ? 犯人探しじゃなくて、解毒薬を作るの? それって、イタチゴッコにならない?
解毒するたびに新たな毒を盛られては、いつまで経っても后は健康を取り戻せない。
ということは、やはり犯人の目星などついてはいないのだろうか。
なんだかわけが解らなくなって混乱する私に、フェリシアは僅かに柳眉を寄せた。
「賢者と魔女について聞いたことはない? 聖人ユウタ・ヒラガの秘術を正しく継いだ者が賢者や賢女と呼ばれ、それ以外の者は魔女と呼ばれた時代の話を」
「聞いたことがある気はします。たしか、半端な知識で秘術を行おうとして、薬が毒になってしまったって……あ」
言ってみて、気が付いた。
聖人ユウタ・ヒラガが作り出した薬と魔女が作った毒は、本を正せば同じ物だ。
手順等の、本当にささいな覚え間違いから、薬が毒に変化してしまったと聞いている。
「……だからオレリアさんには対処ができたのですね」
オレリアには、症状を聞けばどの薬が変化した毒だったのか判ったのだろう。
症状に合わせて処方をするため、どうしても時間はかかるが、それでもこれまではなんとかなってきたのだ。
そして、これまでエヴェリーナの命を守ってきたオレリアはもういない。
「クリストフ様は、毒を盛っている者についても心当たりがあったのでしょうか?」
「今から二十年ぐらい前に、一人の魔女が死んだわ」
会話の流れから、魔女とは時折オレリアが呼ばれていた物ではなく、毒を作ってしまった秘術の継承者のことだと判る。
が、魔女と呼ばれる者がほんの二十年前までいたことに少し驚く。
賢女が魔女と呼ばれた時代も、それが狩られた時代も、遠い昔のように感じていたのだ。
……でも、賢女がいたんだから、魔女がいてもおかしくない……のかな?
なにか変だぞ、と首を捻りながらも、フェリシアの言葉の続きを聞く。
魔女が死んだことと、エヴェリーナが毒に臥せっていることが繋がらない。
「魔女はセドヴァラ教会に管理されて、いなくなったのではないのですか?」
魔女と賢女が氾濫したあと、聖人ユウタ・ヒラガの秘術はセドヴァラ教会が厳しく管理するようになったと聞いたことがある。
だとすれば、魔女の毒薬など当然管理されるか廃棄されているはずだ。
「情けない話なのだけど、毒は武器にもなるわ。人を生かす薬の方こそ残ってほしかったのだけれど、人を殺める毒の方こそ残ってしまったの」
「それは……なんとなく解るような気がします」
フェリシアが言うように、人を生かす薬の方が残ってくれる方がよかったが、人間はそんなに綺麗な生き物ではない。
家族のための薬ならほしいが、敵を癒すための薬など要らない。
自分の敵の口へと入れてやりたいのは、病を癒す薬ではなく、命を奪う毒だ。
人が毒の方を積極的に活用する道を選んだとしても、なんら不思議はない。
魔女と賢女をセドヴァラ教会が管理しても、扱いが難しい生かすための秘術はいつか失われ、扱いが数段楽な毒はこの世界に根付いてしまった。
聖人ユウタ・ヒラガが作り上げた時の原形はすでに失われ、それぞれの場所で毒として良くも悪くも活かされているのだろう。
「でも、二十年前の魔女の話が出てくるのはどうしてですか?」
「母上は何度も臥せっておられるけれど、始まりは二十年前の出来事だった気がするの」
おそらく最初に毒が盛られたのはアルフレッドに対してであろう、とフェリシアは言う。
不自然にアルフレッドが体調を崩し、心配したエヴェリーナが看病をすることでアルフレッドへと盛られていた毒に気が付いたのだそうだ。
「アルフレッド様にも毒が盛られていたのですか?」
「あの頃は正妻の産んだ神童だとかなんとか、アルフレッドは持ち上げられていたから……妬まれたのでしょうね」
「妬み……」
そんなに軽い口調で流してよいことなのだろうか。
そうは思うのだが、私がどうこう口を挟むことではないので、黙っておく。
信じられないほど気さくな王族だったので忘れていたが、やはり貴族という人種は油断のならない人間たちなのだろう。
「当然父上は犯人を探したわ。実行した侍女は自殺。毒の入手経路を洗い出して一人の魔女へと辿りついた頃には、その魔女も自ら作り出した毒をあおって死んでいたそうよ」
「口封じ、ですか?」
「他に考えられることはなかったわね。でも、証拠はまったく残されていなかった。悔しいことに、あの事件は犯人の服毒自殺として片付けられていてよ」
預かった記録の中に詳細が記されているのではないか、とフェリシアが言うので、思わず膝の上に乗せた箱へと視線を落とす。
大事なものなので、と荷台へは乗せずに座席へと持ち込んでいた。
アルフレッドの毒殺未遂がエヴェリーナへと盛られる毒の始まりではないのか、と考えているのはフェリシアだけではないらしい。
アルフレッドが毒を盛られた事件についての詳細は、一番上に乗せられていたのですぐに見ることができた。
「……うわ。真っ黒ですね。これ絶対、まだ犯人ピンピンしてるじゃないですか」
パラパラと捲った記録の中に、魔女の遺体がみつかった住処についての詳細があった。
火をつけられ荒らされた室内と、割られた薬ビン。
すぐには特定できなかったが、几帳面な魔女だったのか、材料などの仕入れについてを記帳したものが焼け跡から発見され、それらと照合することでいくつかの毒薬や本が持ち出されていると判明した。
これで魔女が犯人であり、事件が終わっただなどと考えられる間抜けがいたら、顔を見てみたい気がする。
……これ、解決済みとして片付けたアホは誰よ。まだまだ調査必要でしょ。
クラリスさんのどうでもいい秘密。
お后様の名前のはずだったんだけど、付けたこと忘れてジェネレーターで付けてしまったので(アホ)侍女の名前としてさい再利y...げふんっ。




