エセルバートの離宮 2
「わしはお嬢さんをかなり気に入っておるのじゃがな」
「気に入ってくださるのは嬉しいですけど、たまに見かける知人の孫ぐらいの距離感でいてください」
エセルバートの孫など、孫の嫁でも、養子縁組をしての孫でもお断りである。
血を分けた祖父と同じか、それ以上にやっかいな地位の祖父など、ありがた迷惑なだけだ。
……レオナルドさんの妹っていうのだって、けっこう大変だしね?
これまでは『子どもだから』と多くは求められなかったが、これからは違う。
年頃になるにつれて砦の主の妹に相応しい振る舞いを求められるようになるし、そのための淑女教育で実のところ一杯いっぱいだ。
国語や算数といった勉強だけならなんとかなるのだが、ヘルミーネが教えてくれるのは淑女としての立ち振る舞いやマナーといった礼儀作法が主である。
勉強とは違って対人で使うことになる知識なため、応用や例外が発生するので、身分差というものを本当の意味では理解できていない私には難しいのだ。
「……離宮はどうじゃ? 足りないものはないか? さっそく外から人を呼んでなにかさせておるようじゃが」
「わたくしとしては、昨日今日の離宮の動向までエセルバート様に筒抜けなことが気になります」
なぜ鍵屋を呼んで作業していることまで知られているのだろうか。
私は一日中離宮にいたが、他の離宮の様子など耳へは入ってこないし、知ろうとも思わなかった。
……エセルバート様の情報網が少なくとも一人、離宮にはいるってことかな?
貴族の情報の集め方を考えれば、そういうことなのだろう。
よく考えずとも私に与えられた離宮は、すべてが『与えられた』ものだ。
建物はもちろんのこと、そこで働く使用人も私の知らないところで用意され、そのまま働いている。
私の行動を見張りたければ、エセルバートには最初から使用人として誰かを入れておくことができたはずだ。
……そう考えると、ナディーンが解雇し辛い侍女っていうのも、誰か偉い人が用意した見張りの可能性もあるのか。
離宮の主は私だが、王城には私などより余程発言権のある人間がいる。
そんな人物が用意した人間であれば、私がなんと言おうともナディーンはあれこれと理由をつけて解雇しないだろう。
……私の立場って、なんなんだろうね?
離宮をポンと与えられたと思ったら、呼び出したはずの国王には放置されている。
微妙というか絶妙なラインナップの侍女を付けられ、二人の護衛も一人は白騎士だ。
第一王子から礼状を兼ねた贈り物が届いたり、第三王子がグルノールの街まで迎えに来たりと、息子と同格かそれ以上の扱いを受けている気もするのだが、与えられた離宮は調べてみれば謎の隠し通路があったりと警備面には不安がある。
なんとも奇妙な扱いだった。
「……あの離宮、随分と隠し扉や通路が多かったのですね」
離宮に人を呼んだ、と鍵屋について知られていたので、まずはその話をしてみることにした。
見取り図と古い設計図から隠し扉を見つけ、その先に鍵の在り処がわからない扉があった。
外からレオナルドが調べたところ、その扉には使われている形跡もあった、と。
「なんじゃと? まだあの通路を使っておったのか!」
扉は今も使われているようだ、と話した途端にエセルバートがくわっと目を見開いて怒り始めた。
どこが怒りのポイントなのかはいまいち理解できなかったが、エセルバートの反応から一つだけ安心できたことがある。
「エセルバート様は、鍵を持っている方に心当たりがあるのですか?」
「む? ……うむ、そうじゃな」
……あれ? なんでレオナルドさんを見るの?
チラリとエセルバートの視線がレオナルドへと向き、つられて私もレオナルドの顔を見た。
護衛を兼ねて同行した保護者という立場のレオナルドは、椅子に座って客として遇されてはいるが、私とエセルバートの会話へは入ってこようとしない。
あくまで私宛の招待状であったため、自分はおまけだと割り切っているようだった。
「レオナルドお兄様が、鍵を持っているのですか?」
エセルバートの視線の意味を考えれば、こうなる。
もしくは、レオナルドの周辺にいる人物が持っているのか、レオナルドも持っている人間を知っていて黙っている、という場合か。
これは靴を履いたら洗礼を喰らわせるべきだろうか? と無意識に揺れていた片足に気が付く。
椅子に座って足をぷらぷらと動かすだなんて、子どものような真似を淑女がするわけにはいかないので、気がついたからには足に力を込めて止めた。
「そうレオナルドを睨んでやるな。離宮の鍵を持っているのは……おそらくは亡霊じゃ」
「え? わたくし、お化け屋敷を与えられたのですか?」
「亡霊というのは、ものの例えじゃよ」
「でも、亡霊だって仰ったではありませんか」
だったら離宮はお化け屋敷である。
大層なものを与えられてしまったので少し困っていたのだが、事故物件と思えば少しだけ気が楽になった。
よく考えれば、前の主が『破滅した王女』という要素だけでも十分な事故物件だ。
……日本だって、お化けの出る物件は家賃が安いらしいしね。
エセルバートに心当たりのある亡霊らしいので、本物の霊魂だとかそういった物ではないのだろう。
そこはほんの少しだけ安心できるような気もした。
「……しかし、そうか。まだあの離宮を使っておったのか。そしてお嬢さんは鍵屋を呼んだ、と。それは面白い。是非とも鍵を換えてやれ。あやつめの慌てる顔が是非とも見たいぞ」
「エセルバート様のお知り合いの方なのですか?」
そこまで確信をして、扉の鍵を換えることについて積極的なのだから、知った相手への悪戯でもあるのだろう。
疑わしいものを見る目で見つめてやると、エセルバートはゴホンとわざとらしい咳払いをして姿勢を正した。
「知り合いといえば、知り合いじゃが。まあ、お嬢さんに危害を加えたり、悪心を抱くものの手引きをしたりはせんから、そこだけは安心してよい」
「知らない人が自分の寝泊りしている離宮へ勝手に出入りしている、ってそれだけで安心なんてできませんけどね」
普通の感覚ではこうだ、と指摘する。
悪戯好きの男児の感覚で、侵入者なんてものを放置されたくはない。
「……では一筆書いてやろう。どうせ鍵の確認へ向かうのじゃろ? その時にでも、外側へと貼るがよい」
そう言ってエセルバートが用意させたのは紙とペンではなく、墨と筆だった。
もしやと思っている間に、畳の上へと文机が用意され、一筆したためる準備が整う。
……たまには顔を出せ、馬鹿者、か。
言葉から察するに、知り合いという少し離れた関係ではなく、親しい人物なのだろう。
本当に親しいのなら、是非とも鍵の回収もお願いしたいものである。
「……ところで、エセルバート様はどこから離宮の様子を仕入れていたのですか?」
「うん?」
日本にも墨と筆があり、書道という芸術の一つとして毛筆で字を習う時間があった。
文机へと広げられた道具に、そんな話へと移り、面白がったエセルバートの望むままに日本語で適当な文字を書いていたのだが、ふと思いだしたことを聞いてみる。
エセルバートの情報網に驚きはしたが、そもそも一番大事なことを聞いてはいなかった。
誰が離宮にいるエセルバートの情報網なのか、ということだ。
これが判れば、その人物を押さえればエセルバートへと情報が筒抜けになることはなくなる。
「お嬢さんは、そろそろ搦め手を覚えた方がよいな」
質問が直球過ぎるのは、そろそろやめた方がいいらしい。
年を重ねるということは、それなりの振る舞いを求められるようになって面倒だ。
「……教えてくださったら、日本語でエセルバート様の名前を書いて差し上げます」
少しカッコいい気がしませんか? と私としては痛くもなんともない提案をしてみる。
前世では外国人が微妙な漢字の書かれたTシャツを喜んで着ていたので、エセルバートも喜ぶかもしれない。
なにより、漢字を書く程度なら、この場に道具はすでに揃っている。
本当に気軽な提案だ。
「わしの名前は知っておるぞ。カタカナというもので、こう書くのじゃろ?」
日本語を正しく読み解ける者はいないが、一応は日本語も研究されている。
カタカナは知っていると言いながら、エセルバートは紙へと毛筆で確かに『エセルバート』と書いて見せた。
……うわっ、ホントにカタカナだ。
少し癖がある字ではあったが、読めないことはない。
なんだか悔しくなったので、少し意地悪をしたくもなった。
「でしたら、わたくしは漢字で書いて差し上げます」
「なに? 漢字でわしの名前が書けるのか?」
「もちろん当て字になりますけど、書けますよ」
意外に食いついてきたエセルバートに、さあ、どうだ、と畳み掛けてみる。
やはり漢字というものは、漢字文化圏にない者には面白く見えるようだ。
「手の内はあかせんが、まあ、いくつか助言は与えてやろう」
「助言ですか?」
そんなものより、排除すべき情報網を掴みたいのだが。
その対価では不満である、と眉を寄せると、エセルバートはこれで満足しておきなさい、と話を続けた。
「レベッカなる侍女を遠ざけたいとナディーンへ申し立てたようじゃが、仕事で失敗をしたのでないのなら今はやめておいた方がよいな」
「……働かない侍女ですよ?」
病気の子どもの世話などしたくはない、と自分より身分が下の別の侍女へと仕事を押し付けていた。
侍女の仕事は主の世話をすることだと思うのだが、その世話を他の者に押し付ける侍女など、いる必要があるのだろうか。
納得ができなくて聞き返すと、エセルバートは苦笑いを浮かべた。
「その侍女としては、お嬢さんの目がないところでは、であろう」
実際には私の目は覚めていたので私が知ることになったが、本音はどうあれ私が起きていると思えばレベッカは私の世話を自分でみたはずである、とエセルバートは言う。
さすがに主の目の前で仕事を放棄するようであれは遠慮なく解雇してもいいが、主の目がないと思っての気が抜けた行動だ。
貴族の娘が、より身分の低い娘に仕事を押し付けただけ、と言い換えればよくある話でしかない。
「でも、私のお世話をすることが、侍女の仕事ですよ?」
「そうじゃな。お嬢さんのお世話をするのが、侍女の仕事じゃ。お嬢さんが離宮にいる間は常にお嬢さんの要求に応えられるよう構えて、お嬢さんが出かけて離宮を留守にする時は、お嬢さんがいつ戻っても良いように部屋を整えたり、繕い物をしたりとしているはずじゃ」
……あれ?
ふと引っ掛かりを覚え、首を傾げる。
侍女や使用人たちの働き方については、以前にも考えたことがあったはずだ。
「すみません。考え直します。よく考えたら、侍女や使用人の拘束時間って、毎日二十四時間、ついでに休みなしですよね。労働基準法とか、この国にはないみたいだし」
「ろうどうきじゅんほう? がどういった物かは気になるが、今は聞かないことにしておこう。……侍女がつい気を抜きたくなる瞬間がある、ということは理解ができたか?」
「病気の子どもの世話をしたくない、ってレベッカ自体はどうかと思いますが、侍女に完璧を求めすぎたみたいです。彼女たちも人間ですし、労働形態を考えたら気を抜きたくなる時もある、って少し思いました」
冷静にこの国の侍女や使用人の雇用形態を考えれば、日本のブラック企業など可愛いものだ。
二十四時間職場へと拘束されているため、ある意味では残業というものが存在しない。
常に職場にあること自体が平常なのだ。
それらの勤務形態が、主が気まぐれにでも休暇を与えない限りはずっと続く。
「……では、レベッカについても納得できる言い方をしてやろう」
「レベッカについて納得できる気なんて全然しないのですが、聞かせていただきます」
病気の子どもの世話を放棄した人間に対して、どう説明をすれば納得ができるのか、と正座をして続きを待つ。
納得などできるわけがない、というあまりよくない自信もあった。
「それなりに働くのだから、新しい侍女のあてができるまで働かせておけばよい」
まだ私が王都に来て、たった数日だ。
その数日で解雇を決めるのは気が短すぎるし、かわりがすぐに見つかるわけではない。
ついでに言うのなら、私が見た素行はどうあれ、レベッカにはこれまで王城で働いてきたという事実がある。
となれば、それなりに有用な人間でもあるはずだ、と。
「第一、離宮に用意した人間は一部の侍女を除いてお嬢さんの手足となれる有能な者を揃えたつもりじゃ。一度の失態で切り捨てるには惜しい人材じゃぞ?」
性格の不一致についてはもうどうしようもないので、ナディーンに任せるといい、とエセルバートは結ぶ。
私は性格の面でもレベッカはどうかと思うのだが、エセルバートとしては病人の世話を嫌がるレベッカの性格には問題がないらしい。
それを補ってあまりある有能ななにかを秘めているのだとか。
……でも、たしかに? ウルリーカはあの一回以外はレオナルドさんに色目使ってないみたいだしね?
ウルリーカのことは、少し長い目で見てもいいかと思っている。
侍女や使用人の労働形態に思い至ってしまえば、出会い自体も少ないのだろう。
「エセルバート様は、随分ナディーンを買っていらっしゃるのですね」
ナディーンはエセルバートの曾孫であるディートフリートを我儘暴君に育てた乳母だと聞いているぞ、と指摘をしてみる。
乳母や使用人から引き離すため、とエセルバートがディートフリートを旅へと連れ回していたはずだ。
「……性根ばかりはどうにもならんが、ナディーンは乳母としては優秀じゃぞ」
「ディートフリート様を見ながら言ってくださいませ」
手紙から察するに、多少の改善は見られるようなのだが、あれでは将来的に王爵を得るのは難しいだろう。
ひと月ほどアルフレッドを側で見てきたからわかる。
王位継承権を得ることができるという王爵という立場は、身分に付随する責任の重さにも気づかず、権力だけを振り回す我儘な子どもに得られるものではない。
アルフレッドはアルフに関しては箍が外れた王子さまだったが、王爵としてはちゃんと尊敬もできる王子だった。
それらを考えるのなら、ナディーンはディートフリートに対して取り返しのつかないことをしている。
「では、そのナディーンがかのワイヤック谷の魔女の数少ない友人であった、という事実も教えておこう」
「……え?」
ナディーンを信頼しているらしいエセルバートになんだか納得できずにいたのだが、追加された情報に思考が止まる。
オレリアの友人と聞けば私でも無条件に信用したくなるが、ナディーンはディートフリートを我儘放題野放しに育てた乳母だと聞いた。
そんな子育てをする人物と、オレリアが友人関係だということからして、まず頭の中で繋がってくれない。
「オレリアさんがディートフリートと馬が合うはずはないと思うのですが……?」
むしろ、オレリアであればディートフリートのような子どもは杖で叩き出すだろう。
友人というからには、オレリアとナディーンの間には多少の交流だってあったはずだ。
とてもではないが、オレリアと馬の合う友人がディートフリートのような子どもを育て上げるとは思えない。
「優秀な乳母で、オレリアさんの友人で、でもディートフリートの躾けを怠って……?」
すべてを一人の人物として纏めるには無理がある。
特に、ディートフリートを我儘放題に育てたことは酷い。
世話をするはずの子どもを、あのような我儘暴君に育てたことは、乳母としてむしろ失格だろう。
……でも、故意にディートを暴君に育てたとしたら?
狙ってあの我儘暴君を作り上げたのだとしたら、それは確かに優秀な乳母なのかもしれない。
王族の子を預かる乳母としても、子どもの将来に関わる乳母としても、間違っているとは思うのだが。
「……わけがわからなくなってきました」
エセルバートの言うところ『優秀な乳母』に預けられたディートフリートは、王族としての将来をほぼ潰されている。
まだ成人までは数年あるし、死ぬ気でがんばれば挽回できるかもしれないが、どうしたってスタートが遅すぎるのだ。
……大体、王城で働いているっていうのに、王子さまの子どもにそんな躾けをするのが見逃されていること自体おかしいよね? あれ? なんで?
考えれば考えるほどわけがわからなくなり、目が回る。
少し眩暈がしてきたので、これ以上は考えないことにした。
結局、エセルバートからは離宮に紛れ込んでいる情報網については聞き出せなかった。
が、一応はためになる話を聞かせてもらったとも思うので、当て字で『似非留鳥』と漢字の名前を書く。
鳥はバードだったはずだが、キラキラネームなんてこんなものだ。
これで行くと私の今生の名前は茶葉だろうか。
ナは『菜』だと思うのだが、ティが『茶』しか思い浮かばなかったので、茶に合わせて菜を葉に換えた。
エセルバートは漢字の名前を大層お気に召したようだ。
お米を分けてくれると言っていたのだが、帰りには畳みを二畳追加で贈ってくれた。
これは早速部屋に敷いて、土足禁止スペースを作ろうと思う。
……まあ、オバケ避けのお札も貰ったし、いっか?
レオナルドの当て字はちょっと思い浮かびませんでした。
レオは獅子で固定だと思うんですけどね。
誤字脱字はまた後日。
明日の更新はお休みします。
誤字脱字、みつけたものは修正しました。




