エセルバートの離宮 1
……あれ? 誰ですか?
キュウベェが迎えに来ている、と聞いたので慌てて外出着に着替えて出たのだが、馬車の前に控えていたのは見知らぬ男だった。
私が『キュウベェ』と聞いて思いだせる顔ではない。
「レオナルドお兄様、大変です。キュウベェの顔が違います! エセルバート様の名を騙る誘拐の可能性が!」
外出を取りやめましょう、と提案をしたのだが、キュウベェ(偽)は苦笑いを浮かべ、レオナルドは困ったように私の肩を捕まえる。
どさくさに紛れて離宮の中へと逃げ込もうとしたのだが、これでは敵前逃亡は不可能だ。
とりあえずではあるが、迎えの人相が一致しないからと訴えても、今日の外出が取りやめにできないということだけはわかった。
「ティナ、よく見てごらん。キュウベェの顔は違うが、御者の顔はエセルバート様の御者と同じ顔をしているだろう?」
「御者の顔までなんて、覚えては……」
御者の顔など覚えてはいない。
そう思ったのだが、促されて改めて見た御者の顔にはなんとなく見覚えがあった。
ラガレットでの誘拐事件の折に、捕縛したウィリアムを馬車の中へと連れて来た大男だ。
「本当です。御者の方はラガレットで助けに来てくれた人ですね」
その節はお世話になりました、とお礼を言うと、御者の大男も頭を下げてくれる。
キュウベェの人相は一致しないが、御者の顔には見覚えがあるので、エセルバートの使者と考えて間違いはないのだろう。
「前任の『キュウベェ』は任を解かれましたので、今は私がキュウベェを名乗らせていただいております」
以後お見知りおきを、と丁寧に頭を下げる新・キュウベェは、顔こそ『うっかり』という単語が似合いそうな愛嬌のある顔つきをしているのだが、中身は以前のキュウベェとは随分違うようだ。
エセルバートの前では『うっかり』を演じるのかもしれないが、とりあえずエセルバートのいないこの場では紳士の対応である。
「ニクベンキで、シリーズごとに役者さんが変わるようなものですか?」
「しりーずごと、というものはよく解りませんが、エセルバート様のお供は不適格であると判断されれば取り替えられることがございます」
「……前のキュウベェは、何をして取り替えられたんですか?」
つい素が出てしまった。
新・キュウベェの言葉から察するに、つまりは家庭の都合だとか、体調不良だとかのやむを得ない事情ではなく、前・キュウベェはエセルバートの不興を買って替えられたということだ。
私からしてみれば余計なことばかりをしてくれた前・キュウベェだったが、うっかりポジションとして彼を雇用していたのはエセルバートだ。
うっかりでは許されない何かをしでかしたのだろう。
「前任者とはいえ、他人の噂をばら撒くのはあまり行儀の良いことではありませんので、理由まではご容赦ください」
「いいえ、わたくしの方こそ、お行儀の悪いことをしてしまいました」
ご主人様には内緒にしてくださいね、と淑女の仮面という名の猫を被りなおす。
つい素で聞いてしまったが、やんわりと窘められたのだから、こちらもそれを受け入れるべきだ。
他人の噂話など、根掘り葉掘り探るものではない。
……それに、情報集めは他者を使え、ってアルフさんにも教わったしね。
自分で噂話を聞いて回るということは、淑女としてあるまじき行為だ。
私が情報を集めたければ、離宮の侍女や使用人を手懐けて、彼女たちに情報を集めさせなければならない。
……そこまでする必要があるのかはわからないけどね。
顔を見せろ、と呼ばれたのだ。
用が済んだらすぐにでもグルノールの街へ帰りたい。
離宮での人脈形勢や王城の情報集めが、それほど私に役立つとは思えなかった。
……レオナルドさんの役に立つんなら、もう少し頑張ってみてもいいんだけど?
レオナルドはグルノール砦の主だ。
王都の情報など集めても、あまり役には立たないだろう。
レオナルドのエスコートで馬車へと乗り込む。
離宮へ来た時も思ったのだが、同じ王城内だからといって「ちょっと歩いて隣の離宮まで行って来ます」などと言える距離ではない。
特に私の離宮は正門から比較的近い場所にあるらしく、前国王であったエセルバートの離宮は逆に奥まった場所にある。
呼ばれたからといって、歩いて向かえば大人の足でも四時間はかかるそうだ。
……王城、広すぎるよっ!
もしかしなくとも、下手に離宮の敷地外へと出てしまえば迷子になるだろう。
しかも、生きて離宮に戻れる気もしない。
……そしてエセルバート様の離宮は大きいっ!
グルノールの館よりも大きな離宮を与えられて驚いていたのだが、エセルバートの離宮を見れば、私に与えられた離宮はまだ小さな離宮であったのだ、と実感できた。
馬車の窓から見える範囲で、私が滞在している離宮の三倍はある。
……離宮というより、すでにお城?
あまりの大きさに目を瞬かせていると、馬車が進行方向を変えた。
てっきり玄関へと横付けにされると思っていたのだが、馬車は大きく建物を迂回すると、離宮の中庭へと向かう。
……離宮の中に、また離宮?
そろそろ意味がわからなくなってきたのだが、一つだけ判ったこともある。
……エセルバート様の離宮は、離宮というより御殿だね。
中庭に、明らかに他の建物とは材質や様式の違う建物が立っている。
似たものをあげるとすれば、前世で歴史の教科書に載っていた、平安時代のお屋敷だろうか。
太い柱で屋根を支えた平屋で、壁の代わりに格子状の蔀戸と御簾が下がっていた。
……寝殿造り、って言うんだっけ?
前世の歴史の授業で習ったはずなのだが、くわしくは思いだせない。
とにかく、今生では初めて見る作りの屋敷だ。
「離れはエセルバート様のお好みで、ナパジの建物を再現しております」
……これ、私の知ってる『離れ』って規模じゃないよ。
キュウベェの解説に、目の前のお屋敷を見上げる。
しばらくして馬車が玄関と思われる一角へと止まると、今度は籠にスリッパを載せた和装にフリルのついたエプロンを付けた女中が出てきた。
「申し訳ございません。離れへはこちらの『室内履き』を履いて移動していただくことになります」
スリッパは、この世界では室内履きと言うらしい。
靴のまま履くことを考慮してか、私が前世で見たスリッパよりも作りが大きい。
「土足禁止、ということですね」
外国との交易が始まったばかりの頃の日本では、靴を履いたままで生活をする欧米人とのやり取りの中で、スリッパが生み出されたらしい。
外国からのお客様の靴を日本の風習にあわせて脱がせるのではなく、スリッパを履かせることで受け入れたのだとか。
……あ、キュウベェは靴下だね。
戸惑うレオナルドを横目にキュウベェや女中の足元を盗み見る。
室内履きが用意されているのは私たち『お客様』だけで、ここで仕事をしている使用人たちは靴を脱ぐだけのようだ。
「わたくしも室内履きは必要ありません。靴を預かっていただけますか」
「ご無理をなさらずとも……」
「少し懐かしいぐらいなので、大丈夫です」
まさか今さら日本のように靴を脱いで家に上がることになるとは思わなかったが、前世では普通のことだった。
私には、靴を脱いで屋敷に上がることへの忌避感はない。
靴を脱ぐのを女中に手伝ってもらい、脱いだ靴は籠の中へと預ける。
レオナルドはどうするのかと振り返ると、レオナルドはブーツのまま室内履きを履くことを選択したようだ。
「……裸足で歩くのも、気持ちいいですよ?」
正確には靴下を履いてはいるが。
靴と靴下では、足の感じる開放感はまるで違う。
「俺はティナの護衛も兼ねているからな。靴を脱いだせいで動きが鈍くなるのは困る」
「それもそうですね」
異文化すぎて戸惑っているのかと思ったのだが、レオナルドが靴を脱がない理由は別にあったようだ。
たしかに、裸足ではなにかあった時に動きが制限されるだろう。
「ご隠居、ティナお嬢さんをお連れしましたよ」
今度のキュウベェは、『うっかり』ではなく『しっかり』の間違いだと思う。
先ほどまでは『エセルバート様』と呼んでいたのだが、エセルバート本人への呼びかけは『ご隠居』と使い分けていた。
「うむ、入りなさい」
「失礼します」
応えがあったので部屋の中へと案内される。
部屋の中は外から見たまま、御簾が下ろされた風通しのいい寝殿造りそのままだった。
……不思議な部屋だなぁ。
建物こそ和風の寝殿造りなのだが、部屋の使い方は洋風とでもいうのか、今生の常識とあまり変わらない。
板の間の床が広がり、足の長いテーブルセットと、一部にだけ畳が敷かれていた。
……なぜ畳があの一部だけ? 一面畳じゃないの?
そうは思うのだが、和室といえば畳が敷かれた部屋というイメージがありはするが、実は畳は贅沢品で、身分の高い人の席だとか、敷布団の下に敷くだけというような使い方だった、といつか聞いたことがある気もした。
そもそも、エセルバートのすることなのだから、これは和室ではなくナパジ風なのだろう。
日本の和室と同じだと考える方が無理がある。
「……珍しいかね?」
「珍しいというより、不思議な気がします」
挨拶をする前につい部屋へと目が行き、そのままぼんやりと室内を観察してしまった。
これはあとからヘルミーネによる反省会が開かれるかもしれない。
上位者を放置して、その部屋に見とれるだなどと、と。
「エセルバート様は、わたくしについてを聞きましたか?」
「息子からはなにも聞いていないが、おおよそのことは知っておると思うよ」
言葉を濁されはしたが、やはり私が日本人の転生者である、ということは知っているのだろう。
ほんの少しだけ、声にこちらを探るような響きが込められている気がした。
「ナパジは日本と似ているのでしょうか。エセルバート様のお部屋に畳があるので、びっくりしています」
「ニホンにも畳はあったのかね?」
「私が暮らしていた頃は随分減ったようですが、それでもほとんどの家にあったと思います。昔はもっと多かったでしょうが」
畳に惹かれてついそちらへと歩いて行きたくなるのだが、気を引き締めて踏みとどまる。
不思議な部屋に、つい挨拶を飛ばしてしまった。
まずは挨拶からやり直さなければ、あとでヘルミーネに怒られる。
「ええっと、……昼食へとお招きいただき、至極恭悦にごじゃいみゃ……ございます、エセルバート様」
「よいよい。ここはわしの離宮じゃ。堅苦しい挨拶など不要。いつものように、気軽に『おじいちゃん』と……」
「そのように呼んだ覚えは一度もございません」
エ・セ・ル・バ・ー・ト・様、と言葉を区切り、釘を刺す。
ラガレットで『エセル様』と呼んだ覚えはあるが、さすがに王城内で前国王を『エセル』だなどと愛称で呼べる気はしない。
「わたくしになにか御用ですか、エセルバート様」
呼び出しの理由はなんだ、と直球に聞いてみる。
堅苦しい挨拶は不要だとのお言葉なので、ありがたく言葉を少し崩させていただく。
貴族に対する話し言葉は練習中だが、とてもではないが王族相手に公式の場で会話ができるような教育は終わっていない。
そういう意味でなら、離宮へと呼び出されたのは幸運でもあった。
「そう怖い顔をしなさんな。おまえさんが王都に滞在すると小耳に挟んだものでな。昼食でも一緒にどうかと、招待しただけじゃ」
……本当にそれだけならいいんだけどね。
つい邪推したくなってしまうのは、なぜだろうか。
よく考えたら、私が来るという話をいったいどこで小耳に挟むのかも謎だ。
「三羽烏亭の常連であるのなら、わしの離宮の料理は口に合うはずじゃぞ?」
「三羽烏亭の、ですか?」
まずは席に着きなさい、と促されたので足の長いテーブルへと着く。
レオナルドが隣へと座ってから気がついたのだが、このテーブルは私とレオナルドのために用意されたのだろう。
室内履きを履いたままのレオナルドでは、畳に正座は難しいはずだ。
「わっ!? 煮物に焼き魚、和え物とお味噌汁に……白米様がっ! 梅干まであるっ!」
なんで? どうして? と並べられた食事とエセルバートの顔とを見比べる。
煮物や味噌汁はグルノールの街の三羽烏亭でもメニューに載っていたが、ふっくらと丸い白米は初めて見た。
少なくとも、三羽烏亭のメニューには載っていない。
「わしはティオールの三羽烏亭へ、何年か料理人を修行に出したからの。おかげで毎日のようにナパジ風味の料理が食べれる」
「料理人を修行に……? 料理人は、そうやって育てるのですか?」
「気にいった味の店がレシピを教えてくれることもあるが……三羽烏亭は料理法と調味料が少々違うからの。それらを叩き込むために、店へと修行に出した」
「……先の長そうな話です」
「なんぞ、急ぎの用事でもあるのかの?」
「急ぎというのか……」
離宮の料理が、味が濃すぎて口に合わないのだ、と正直に話してみる。
最初は王都の味付けがこうなのかと思っていたのだが、どうやら前の主の影響で味が濃くなっているようなのだ、とも。
「それは仕方がないの。料理人はまだお嬢さんの好みを探っている最中なのじゃから、しばらくは仕方がない」
味の好みを伝えるか、グルノールで食べていた料理のレシピを与えるといい、とエセルバートが教えてくれる。
主である私が料理をするわけにはいかないが、レシピを伝えるついでに好みも伝えられる方法だ、と。
「……どれ、米が気に入ったのなら、少し分けてやろう」
「エセル様素敵ですっ!」
なんて素敵な提案だろう。
100%の感謝と尊敬を込めてエセルバートを見上げたところ、エセルバートは簡単に尻尾を見せた。
「そんなに素敵な爺の孫にならんか?」
「それはお断りします!」
その手には乗りませんよ、と即座に手のひらを返す。
お米を分けてくれる素敵な老紳士ではあるが、エセルバートの孫にはなりたくない。
「わしの孫はそこそこ権力があって、お勧めの地位だと思うんじゃがな?」
「それに付随する責任も大きいじゃないですか。わたしは権力者になんてなりたくありません」
私としては身の丈にあった幸せと、食べていけるだけのお仕事があればいい。
贅沢を言うのなら、そこにレオナルドという家族も必要だ。
王族の身内になんてなって、引き離されたくはない。
終わる気がしないので、今日はここまで。
誤字脱字はまた後日。
誤字脱字、みつけたものは修正しました。




