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グルノールの転生少女 ~ないない尽くしの異世界転生~  作者: ありの みえ
第7章 王都プロヴァル

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離宮の侍女たち

 毛足の長い絨毯は、普段は人の足音を吸収してくれるのだが、さすがに床へと耳をつけた状態でなら、部屋へ近づいてくる人間の足音が聞こえた。

 扉のむこうから少しくぐもったレオナルドと女性の声が聞こえたと思ったのだが、直後に頭へと衝撃が走る。


「痛……つぅううううぅ」


 ゴツンと実にいい音がした。

 反射的に両手でおでこを押さえつつ上を見ると、少しだけ開いた扉の隙間から、ヘルミーネが私を見下ろしているのが見える。


 ……しまった、寝過ごした。


 床で寝れば怒られるだろう、なんてことは考えなくとも判る。

 レオナルドが扉のむこうにいるから、と扉の側で寝ることにしたが、ヘルミーネが起き出してくる前にはベッドに戻ろうと思っていたのに熟睡しすぎた。

 足音にもぼんやりとしか目が覚めず、開かれた扉がおでこに当たって、文字通り叩き起こされるまで眠ってしまっていたというのは、完全に私の失敗だ。


 ……あれ? なんか変だな?


 おでこをぶつけたせいもあると思うのだが、ぐわんぐわんと目が回る。

 額の痛みで意識が覚醒へと向かうのに引きずられるようにして、体が重いことに気が付いた。


「そのようなところで何をなさっているのですか、ティナお嬢様」


「おあよーごらいます、ヘりゅミーネせんせい」


 あ、舌が回らない。

 そう気が付いた時には、体の重さにも、思考がいまいち纏まらないことにも納得がいった。

 なんということはない。

 長期間移動をした翌日は、ほとんど毎回熱を出して寝込んでいる。

 今回はたまたま一日遅れで熱が出てきただけだ。


「ティナ、大丈夫か?」


「んー、らいじょうぶれす」


 とりあえず姿勢を正して粛々とヘルミーネの小言を聞こうと思うのだが、体が重くて動かない。

 ぐてっと床へと寝転がったままの私に、レオナルドはすぐに室内へと入って来て私の体を抱き上げた。


「体温が高いな」


「床でなど寝ているからです。なぜ、淑女が床でなど……いいえ、わかりました。説明はいりません」


 とにかくベッドへ、とレオナルドに抱き運ばれて、ベッドの上へ横になる。

 すぐにヘルミーネが拾ってきた掛け布と枕が用意され、肩まで掛け布をかけられた。


「レオの手、熱くてきもちわるい……」


 熱を測るためだとは思うのだが、体温の高いレオナルドの手が額に乗せられて、少し気持ち悪い。

 カリーサやタビサの手は冷たくて気持ちよかったのだが、熱がある時にレオナルドの手はあまりありがたくない。


 緩慢な動作でレオナルドの手を払うと、今度はヘルミーネの手が額に乗せられる。

 ヘルミーネの手は、冷たくて気持ちよかった。


「……薬師くすしを呼んでくる」


ですよ」


 熱くて気持ち悪い、と手を払ったあとなのだが、腰を浮かしたレオナルドの袖口を捕まえる。

 熱いレオナルドの手で額に触れられても嬉しくはないが、側からいなくなるというのも嫌だ。

 離宮には大勢の使用人がいるのだから、薬師が必要ならばそのうちの誰かを遣いに出せばいい。

 なにもレオナルドが私の側を離れる必要はないはずだ。


「……ティナは環境の変化に弱いな」


「子どもれすからね」


 私が休みやすいように、とベッドのクッションを調整してから、ヘルミーネは朝食の予定を変更するために厨房へ向かった。

 薬師を呼びへも、ヘルミーネが使用人に言付けてくれるようだ。


「だんろの探検は、わたしが治るまで、まっててくらさいね」


「いや、暖炉の確認は早急に必要だろう。今日にも確認はしておいた方がいい」


「わかりましら。ならわたしもいっしょに行きましゅ」


 ていっと力いっぱい腕で掛け布を払い除ける。

 体に力が入らないせいで、体の上から掛け布を退かすことはできなかったが、両手を外に出すことには成功した。

 一緒に行く、と両手をふらふらと前に突き出して彷徨わせると、怒った顔を作ったレオナルドが「ダメだ」と言いながら掛け布を直す。


「把握していない隠し通路か何かがあるかもしれない、と知っていて放置はできないだろう。ティナは熱が下がるまで、ベッドから降りるのは禁止だ」


「わたしも探検したいです……」


「じゃあ、熱が引いたらゆっくり探検しよう。先にアーロンか誰かに調べさせはするが」


 それでいいな? と念を押されたので、不承ふしょう不承ぶしょう頷く。

 隠し通路だなどと面白そうなものを私も確認することができるのなら、一番乗りでなくても構わない。

 どのみち、不調がなかったとしても危険があるかもしれないから、と一番乗りはできないはずだ。



「レオは今日一日どうするんですか?」


「そうだな……」


 王都では特に予定も仕事もないので、私の護衛を兼ねて側にいる、とは言っていたが、私がベッドの住人となった以上は、レオナルドもずっと側にいるのは退屈だろう。

 ベッドにいるということは、移動もヘルミーネの授業もない、ということだ。


「甘えん坊な妹が一緒にいてほしそうな顔をしてるから、とりあえず今日一日は妹の部屋に拘束される予定だ」


 その方が安心して休めるだろう、と今度は頭を撫でるために手が伸びてきたので、されるがままにしておく。

 いろいろと不満もある兄だが、近頃はこうして私の望みに沿ってもくれるので、油断できない。

 このままでは、見事なブラコンを発症する予感がした。

 シスコンな兄と、ブラコンな妹で、困ったことに両思いだ。

 兄としては、これまでのポンコツ具合で丁度よかったのかもしれない。







 ヘルミーネの指示で変更された朝食は、実に食べやすいものだった。

 とにかく体力を回復させるために消化がいいものを、と薄味の野菜スープにパンを浸したものが出た。

 あとは違う栄養を、と昨日と同じ果物のジュースだ。

 今の私には、喉越しこそが正義である。


 朝食のあとは、お腹が落ち着くまではとクッションに寄りかかっておとなしく座っている。

 胃の中の物が逆流してこないようにと体を起こしているだけなので、座りながら眠っているようなものだ。

 レオナルドが同じ部屋にいてくれるのだが、睡眠の邪魔にならないように、と話しかけてくることもない。


 十分な時間をおいたし、と体を横たえようとした頃になって、使用人が呼びに言っていた薬師が離宮にやって来た。

 セドヴァラ教会まで行って往診してくれる薬師を連れてくるのかと思ったのだが、王城にはセドヴァラ教会から派遣してもらっている薬師が何人もいるのだと、レオナルドが教えてくれた。

 街まで薬師を呼びに出なくとも、王城の中にセドヴァラ教会の薬師がいるというのは、実に都合がいい。

 王や王族のために、賢女が王城に仕えていた時代もあるとのことだった。


 ……変なの。オレリアさんがお城にいた可能性もあったんだね。


 また少しだけ寂しくなってきたのは、体調不良で弱っているせいだろう。

 ヘルミーネにオレリアのレースのリボンを出してきてもらって、髪へと結んだ。


「……長旅の疲れが出たのでしょう。病気ではありませんので、薬は必要ありません。栄養のあるものを食べて、とにかく休むことですね」


 薬師の見立ては簡単なものだった。

 私も移動のあとに体調を崩すのはいつものことなので、この診断に不満はない。

 不満はないが、ナディーンはこの診断に不満があるようだった。

 本当にただの過労なのか、病気ではないのか、到着した翌日は元気だったのだ、と薬師に詰め寄っていて、少し薬師が気の毒なほどだ。

 付け加えるのなら、少々騒がしくてナディーンこそが私の頭痛の種になっている。

 薬師とナディーンが部屋を出たあと、ヘルミーネが退室を願ったので、任せた。

 ヘルミーネは私の家庭教師になる前にディートフリートの家庭教師をしていたと聞いている。

 ということは、ナディーンとも知人のはずである。

 あの剣幕のナディーンが薬師に無理難題をふっかけないかと、見張りに行ってくれたのだろう。







 薬師には休めと言われたので、素直に指示に従う。

 ヘルミーネがいないので侍女にクッションと枕を整え直してもらい、横になった。

 あとはもう熱が下がるまで、延々眠り続ける気まんまんである。

 無理に起きていてもできることはないし、回復が遠のくだけだ。


 目を閉じると、すぐに意識は遠のく。

 寝付けないと言って、ゴロゴロと寝返りを打つ必要もないぐらいだった。


 ……なんだろ?


 モソモソとした声が聞こえて、うっすらと意識が浮上する。

 今日は部屋のどこにレオナルドがいても見えるように、と天蓋を閉めていない。

 そのため薄く目を開けば、長椅子に座って紙の束を読んでいるレオナルドの姿を見つけることは容易だった。

 目が覚めるたびにレオナルドの姿を探しているが、たまに長椅子からベッドの縁や窓辺の机へと移動するぐらいで、やっていることはほとんど変わらない。

 本を読んでいるか、書類の束を読んでいるかだ。


「お待たせしてしまいまして申し訳ございません、レオナルド様。こちらが二十六年前に行われた大改修の資料になります」


 侍女の一人が手にした書類の束をレオナルドへと渡すのだが、その表情に違和感を覚える。

 私の記憶が確かであれば、彼女は私につけられた侍女の一人のはずなのだが、今レオナルドに見せているような柔らかな表情は一度も見たことがない。

 レオナルドへと呼びかける声も、女性特有の媚びたものだ。


 ……ウルリーカ、だっけ? カーヤと同じ気配がするよ。


 レオナルドはウルリーカの作った綺麗な微笑みには見向きもしないで、読み終わったらしい資料を彼女へと渡す。

 指示も短く「図書室へと返しておけ」と一言だけだ。

 自分の方へと顔もあげずに命じるレオナルドに、それでもウルリーカはうっとりと微笑んでいた。


 ……レオナルドさん、また変な女引っ掛けてない? だいじょうぶ?


 レオナルドのつれない態度にも、ウルリーカはめげないらしい。

 恭しく書類を抱いたかと思ったら、頬を染めてたっぷりレオナルドを見つめたあと、ベッドの中の私が目覚めていることに気がついて、一瞬だけ顔を歪めた。


 ……入れ替えてもいい、ってアルフレッド様は言ってたよね?


 職場恋愛はよろしくない、というのは、カリーサから聞いたアリーサの言葉だ。

 たしかに、この世界では職場での恋愛はよろしくないだろう。

 前世の一日八時間労働どころか、侍女や使用人の仕事は住み込みで二十四時間いつでも就業時間だ。

 そんな場所で社会人としての立場も忘れ、働かず、動かず、主筋の人間に色目を使うようでは困ってしまう。


 ……や、ヤキモチじゃないですよ。これは大事なことですよ。


 そうなんとなく自分に言い訳をして、もう少し観察をしてみることにした。

 なにしろ私の兄は、中身は多少残念な部分もあるが、パッと見ただけでは精悍な顔つきをしているし、身体つきもガッシリとしている。

 見た目以外にも、高給取りだとか、功績持ちだとか、恋人や夫にはもってこいの人材だ。

 年頃の娘がポッとなるのも解らなくはない。


 ……仕事と恋愛をちゃんと分けられる人だったら、今日のことは見なかったことにします。


 ヤキモチじゃないよ。離宮の主として当然の観察です、と脳内で言い訳を繰り返し、ウルリーカが部屋から出て行くのを待って、レオナルドに水が飲みたいと甘えた声を出す。

 周囲に侍女がいなければ、私の世話を焼いてくれるのはレオナルドだ。

 ここぞとばかりに甘えてやった。







 ……明日の朝には、熱が下がってるかな?


 夕方になると、かなり頭がすっきりとしてきた。

 朝ほど頭は重くなかったし、息苦しさも減っている。

 まだ少し体はだるいが、食欲も戻ってきている気がした。


 ……一日寝て熱が引いてくるとか、一応体力ついてきてるのかな?


 以前は三日ほど寝込んでいた気がするのだが、今回は一番辛かったのは今朝だと思う。

 夕方には食欲が戻ってきているので、あとは回復するだけのはずだ。


 ……たまには熱を出すのもいいね。


 否、熱など出さないに越したことはないが。

 今回に限っては、実に有意義な経験ができたと思う。


 ……もう一人は、レオナルドさんの侍女だったね。


 私が寝ていると思ってか、侍女たちは実に素直な一面を見せてくれた。

 レオナルドに色目を使っているのが一目瞭然だったのは、ウルリーカの他に一人、以前の離宮の主に仕えていたという侍女だ。

 ウルリーカは、まだ容疑者でしかない。

 うっとりと熱っぽい視線でレオナルドを見つめていただけだ。

 しかし、レオナルド付きの侍女は真っ黒すぎて、思わずその場で笑ってしまい、寝言として誤魔化すのに苦労させられた。

 今まさに自分へと迫っている侍女を無視して、レオナルドが私の元へと「起きたのか?」と寄ってきたのだ。

 私でなくとも、きっと笑う。


 ……や、だって、あんなにはっきりと勘違いのしようがないほどド直球な夜のお誘いをして、サラッと流されるとか、寝たふりして聞き流すの無理。ギャグかと思った。


 よく断った、とレオナルドを誉めてやるべきか、娼婦の世話になっていることを思えば、職場とプライベートをきっちり分けているだけかは、この際触れないことにしておく。

 少なくとも、レオナルドは職場で主筋の男に色目を使ってくるような侍女の相手はしないとわかっただけでもいい。

 私だって、公私のけじめを付けない姉などお断りである。


 ……真面目に私のお世話をしてくれたのって、ヴァレーリエだけだね。


 意外だったのだが、ヴァレーリエは杖爵の娘だ。

 私に付けられた四人の侍女の中で一番爵位が高いのだが、一番真面目に侍女として働いてくれていた。

 華爵であれば功績の一つも立てようとはりきって働くのも納得ができるのだが、安泰といって良い杖爵家の娘が、侍女として真摯に働いているのがなんとも不思議だ。


 ……偏見、かな。ヴァレーリエのことは、もっとちゃんと見よう。


 初日の茶会で茶器を鳴らした侍女は、華爵家のスティーナだったらしい。

 彼女は解雇を恐れてか、無駄口は一切叩かずに私の世話をしてくれた。

 もう少し話してくれてもいいとは思うのだが、私だって初対面の人は苦手だ。

 スティーナの元からの性格か、人見知りをしているのかはわからないが、真面目に働いている人間は私だって応援したい。

 王都にいる間はお世話になることになるのだから、少しだけ打ち解けたいと思った。


 ……レベッカは……うん、もういいや。体調が戻ったら、解雇の方法を聞いてお引取り願おう。


 主の兄を口説く侍女もどうかと思うのだが、レベッカはさらに酷い。

 レオナルドに色目を使ったわけではないが、彼女とはお近づきになりたくない。


 レオナルドだって人間だ。

 どうしたって一日中同じ部屋にいることはできない。

 具体例を挙げるとしたら、排泄のために席を外す必要はどうしてもあったし、それについては私だって了解している。

 人間として、自然の摂理だ。

 それらの理由でレオナルドが部屋を空けた少しの時間に、レベッカは素敵な本性を見せてくれた。


 曰く、私が離宮へと何かおかしな病気を持ち込んだのではないか。

 自分まで移らないだろうか。

 嫌だ。こんな子どもの世話などしたくはない。


 ――こんな内容を、私が目覚めているとも知らずにレベッカは枕元でボソボソと囁いてくれた。

 しかも、その時間の私の世話はレベッカの担当だったのだが、病人の世話などしたくはない、と華爵家で自分より下位であるという理由でスティーナへと仕事を押し付けたのだ。


 ……仕事をしない侍女なんて、いりませんよ。


 熱で体がだるくて重いのはつらいが、良い成果が得られた一日ではあった。

 アルフレッドは入れ替えてもいいと言っていたので、レベッカを筆頭に何人かにはお引取り願おう。

 単純な身の回りの世話だけならヘルミーネで足りるし、自分でもある程度はできる。

 四人の侍女というのは、最初から多すぎなのだ。







「……というわけで、実に有意義な一日でした」


 夕食のあと、少し体が楽になったので、ベッドの上にリバーシ盤を広げてレオナルドに遊んでもらう。

 一日中寝ていたので、夕食後はさすがにすぐには眠れない、と甘えてみたのだ。


「ティナはけっこう起きていたんだな」


「時々ですよ。時々目が覚めた時に、彼女たちの人間性? が見えちゃっただけです」


 一日の成果報告として、侍女たちが本日見せた行動についてをレオナルドへと報告する。

 レオナルド付きの侍女の行動については、あえて触れなかった。

 レオナルドが自分でなんとかするだろう、とまは静観する予定だ。


「アルフレッド様は入れ替えてもいい、って言っていましたけど、解雇は誰に相談したらいいですか?」


 職場で男に色目を使う侍女も、病気の子どもの世話を放棄するような侍女も、私は必要ないと思っている。

 もっと言えば、こういった人間性に問題のある人間は、周囲の正常な人間にまで悪い影響を及ぼす。

 これは不味いと気がついたのなら、情がわいて切り捨てられなくなる前に決断した方がいい。


「アルフレッド様に相談したら、それは解雇の相談ではなく、そのまま最後通告になるから……まずはナディーンへ、か?」


 ナディーンがまとめ役である、とアルフレッドから聞いている。

 離宮の人事については、ナディーンに任せればいい、とも。


 そのあとは、レオナルドとヘルミーネに相談しつつ、ナディーンへの報告内容を精査した。

 ウルリーカは様子見として報告のみ、レベッカは解雇か離宮からの職場移動を希望してみる。

 なにやら裏があるような気がするナディーンが、どういった反応を返してくれるのか、少しだけ楽しみだった。

誤字脱字はまた後日。

誤字脱字、みつけたものは修正しました。

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[一言] 兄のポンコツ度が下がるとブラコン度が上がる なるほど
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