精霊の寵児 2
嵐のようなアラベラの相手は疲れた。
彼女はどうやら研究対象を前にすると周囲が見えなくなる性質らしい。
時々思いだしたかのように冷静になって姿勢を正すのだが、すぐに興奮状態に戻って早口で研究についてを語り始めるので、すべてが台無しだ。
そして、ニルスはそんなアラベラに慣れているらしく、特に取り乱す様子も、疲れる様子もなかった。
もしかしたら、メンヒシュミ教会の研究者たちのお手伝いという仕事は、アラベラのような人物たちの手綱を握る、という仕事なのかもしれない。
今日はもう刺繍の続きをする気にもなれなくて、お行儀悪くも長椅子に寝そべる。
でろーんっとだらしなく伸びる片手が長椅子から落ちると、コクまろがペロペロと舐めてきて可愛い。
なんとなく、元気付けられている気がした。
ヘルミーネに見つかれば間違いなく叱られる姿勢だが、なんだか行儀良く椅子に座る元気もないので仕方がない。
……転生者って、そうと気づかれなくても精霊の寵児だなんて呼ばれてるんだね。
仔犬に手を舐められながら、ぼんやりとアラベラの暴走で思いだした事柄についてを考えてみる。
条件が異世界の魂を持っている者に限られるのなら、そういうことになるだろう。
精霊の寵児はイコールで結んで転生者だ。
……でも、変な現象だね?
耳で聞こうとしても聞き取れず、文字に書けば塗りつぶされたように見えて読むことができない名前。
しかもその現象が起こるのは、精霊の寵児限定である。
元からのこの世界の住民には普通に聞けるし読めてもいるというのが、さらに不思議だ。
……あ、この方法で転生者って結構探せる?
方法として定着してしまうのは、あまり喜ばしいことではないのかもしれない。
とはいえ、転生者は意外に多いとも聞いた気がした。
それらすべてが前の世界の記憶を残しているわけではないのだ、とも。
……そんなに心配しなくていいのかな?
そんなことを考えながら、ラガレットの画廊で見た一枚の絵を思いだす。
あの絵を見た時は、あの時の青年だと思ったのだが、今思い返すと特徴が一致するだけで似てはいなかった気がする。
……でも、あの絵はあの人だって、わかったんだよね。
これも不思議現象の一つだろうか。
顔はまったくの別人であったのに、私はあの絵に描かれた人物をあの時の青年だと認識した。
普通に考えればおかしな話だ。
鬱々と数日考え込んでしまったが、オレリアに贈る予定の刺繍は完成した。
材料費アルフもちの、図案デザインはヘルミーネといった、実に華やかなハンカチだ。
少しオレリアに渡すには派手すぎる気がするが、レース編みをしていることから実は可愛いもの好きの可能性もあるので、案外喜んでくれるかもしれない。
本人が持って似合うものと、好きなものは別だっていいのだ。
刺繍の完成を喜んでいると、メール城砦へと視察に出ていたレオナルドが帰還する。
今度の視察は私というお荷物がいなかったため、レオナルドの移動も早い。
帰宅したレオナルドを玄関ホールで待ち構え、お帰りなさいとハグをする。
お互いにもう慣れたもので、そのまま抱き上げられて居間へと移動した。
「ティナにお土産だ」
「あ、この缶見たことあります!」
お土産だ、と手渡された缶には見覚えがあった。
オレリアの家にいた頃、レストハム騎士団のユルゲンが持ってきてくれた飴の缶と同じ物だ。
さっそく缶を開けてみると、透明な飴玉の中央に小さな花が閉じ込められている。
相変わらず可愛い飴玉だ。
……オレリアさん元気かなぁ?
コロコロと口の中で飴を転がしながらレオナルドの話に耳を傾ける。
当然仕事に関わる話はでてこないのだが、レストハム騎士団が拠点としているメール城砦周辺にある観光地や名産品などについて語っているところから考えるに、これは次の冬への布石だろうか。
次こそは一緒に冬の旅行に行こう、という。
……あの方角に行くんなら、どうせならオレリアさんのところで冬を過ごしたいかも?
いろいろ外へもらしてはいけない秘術や知識のせいで、無関係である私がオレリアの元へ遊びに行くことなど不可能だとは思うが。
希望としては、知らない土地で冬を過ごすよりはオレリアのところでのんびり過ごしたい。
……そうだ。アラベラさんのこと、レオにも話しておいた方がいいかもね。
うっかり転生者だなんて単語を出してしまったのだ。
変な伝わり方をする前に、レオナルドには自分から伝えておいた方がいいかもしれない。
もちろん、ある程度の都合が悪いことは伏せて、いい方向へ誤解してくれるように、だ。
「この前、メンヒシュミ教会の人が来たんですけど……」
「ああ、来たのか。ティナを探すのに精霊の寵児を借りたらしいから、いずれ来るとは思っていた」
「わたしを探すのに、ニルスを借りたんですか?」
そう言えば、そんなことを言っていた気がする。
すぐに話が違う方向へ行ってしまったため、詳しい話は聞けなかったが。
「神王祭の日に、アルフがメンヒシュミ教会へ助力を乞いに行ったらしい。結局ティナを見つけることはできなかったが……日暮れ頃にメンヒシュミ教会から行方不明の女児は無事暖炉へ戻った、と知らせが来たという話だった」
姿を見つけることは出来なかったが、無事であるという確信だけはあったので、少しだけ気が楽になったそうだ。
結局、マンデーズの街にいるというのが判ったのは一週間後だったが、急使の持ち込んだ情報も『ティナという女児がマンデーズの街に現れた』という確定情報だったため、それ以上気を揉むこともなかったのだとか。
さらに一週間ほどあとに戻った急使が、私の姿を確認しているのも大きい。
「街のみんなにも迷惑をかけました。お詫びは追想祭で働けばいい、ってアラベラさんが言ってたんですが?」
「ティナは精霊の寵児だからな。追想祭の仕事は義務みたいなものだと思って、引き受けるといい。俺が毎年ヒラヒラの服を着て見世物になっているようなものだ」
今年からはニルスと二人になる分、担当時間を決めて交代制にすれば、半分は遊べるはずだ、とレオナルドは言う。
どうやら、これまでは精霊の寵児が一人しかいなかったため、ニルスは追想祭で一日中働かされていたようだ。
「そうです、精霊の寵児です」
話そうとしていた内容から脱線し、慌てて軌道を修正する。
アルフが精霊の寵児を借りた、という内容も気にはなっていたが、まずは転生者についての報告が大事だ。
「アラベラさんとお話ししていて思いだしたんですけど、わたしは転生者みたいです」
「……ぶほっ!?」
出来る限り素知らぬ風を装って言ってみると、一瞬だけ瞬いたあと、レオナルドは盛大に口に含んでいた珈琲を噴出した。
私は隣に座っていたため無事だったが、周囲にはほんのりと珈琲の香りが漂う。
「大丈夫ですか?」
ゲホゲホと咳き込むレオナルドに、反射的に背中を擦る。
驚かせたのは私だが、まさかここまで驚くとは思っていなかった。
「……どこからそういう話になった?」
咳が落ち着くのを待って、改めて聞かれる。
私は今度こそ余計なことを言わないように考えながら、アラベラから聞いたことや、話しているうちに思いだした不思議な体験についてをレオナルドに説明した。
精霊はこの世界の人間を嫌っていて、そうでない者へは手を貸すことがあるらしい、と。
それらの情報を繋ぎ合わせると、精霊の寵児と呼ばれる存在は、もともと異世界から連れてこられた魂である、と。
「……それでティナが転生者、という話になるのか」
「実感はありませんけどね」
「俺は実感があるぞ?」
「え!? なんでですか?」
どこかでボロを出してしまったのだろうか。
驚いてまじまじとレオナルドを見上げると、少し悪戯っぽい顔をしたレオナルドと目が合った。
「ティナが精霊に愛されてるってのは、この間の誘拐騒ぎで実感した。なにしろ誘拐犯の馬車の車輪が壊れるわ、道を塞ぐように木は倒れてくるわ……ただの幸運では説明がつかないぐらいの幸運続きだった」
……あ、そっちのことですか。びっくりした。
てっきり転生者と実感されたのかと思ったのだが、レオナルドが実感していたのは精霊の寵児に現れる幸運の方だったらしい。
確かに、改めて聞いてみれば恐ろしいまでの幸運だ。
……ってか、あの時の馬車の故障って、そうだったんだね。
てっきりレオナルドが素手で木を殴り倒すぐらい暴れたのかと思っていたが、ただの幸運という名の偶然だったらしい。
それはそれで怖い気がするが、この場合の精霊からの寵愛は私へと向けられたものということになるので、そこは感謝しておくことにする。
……調子にのったらいけない気がするけど、助けてくれた精霊ありがとう!
どこにいるかもわからない精霊にこっそりと感謝していると、レオナルドの声が少し低くなった。
どうやら緊張しているらしいことは、なんとなく判る。
「ティナは……前世のことを覚えているのか?」
……やっぱりそれ聞かれますか。
ある程度は覚悟していたので、少し考える素振りをみせてから正直に答える。
「前世は覚えていませんよ」
あの不思議な青年の話を信じるのなら、私の中にある日本人としての記憶は、何回か前の人生のものだ。
正確には『前世』のものではない。
だからこう答えても嘘にはならないはずだ。
……屁理屈なのはわかってるけどね。
レオナルドの背後にいる者が日本人の転生者を求めていることは知っているが、全部が嘘ではないので、見逃してほしい。
いつかは話した方がいいのだろう、という気もしているが、レオナルドは公私をきっちり分ける人間だ。
誘拐犯に私を人質にされても怯まなかったように、妹と国益を天秤にかけたら国益を優先する可能性がある。
……レオに売られたら、さすがに泣くよ。
レオナルドにどこかへと売られたら、親に売られるのと同じぐらい悲しいと思う。
そのあとは絶対、もう誰も信じられなくなるだろう。
今の私は、それぐらいレオナルドを家族として信頼しているのだ。
「それにしても、面白いことがわかったな」
精霊の寵児として把握されている者は数少ないが、転生者はもっと少ない。
オレリアに続き、二十年前にも転生者がいたらしいのだが、普通一つの国にこうも続けて転生者が現れることはないのだとか。
……本当はもう一人いるんだけどね?
それも、レオナルドが探していた日本人の記憶を持った転生者が、すぐ傍にいる。
もしかしたら一生黙っていた方がいいことだ。
昨日の続きなので短いです。
「そこに生活している感」が欲しくて、名前付きのキャラが多いけど、何かの拍子に名前が思い出せなくて困ることがある昨今です。
レストハム騎士団の副団長って名前なんだっけ……? と五分考えた(アホ)
誤字脱字はまた後日!
誤字脱字、みつけたものは修正しました。




