使用人
バルトにもただいま、とハグをしてから馬車に乗り込む。
二台の馬車でグルノールの城門を抜ければ、懐かしい我が家はすぐだった。
城主の館の門をくぐった辺りで小窓から顔を出すと、門番と目が合う。
門番のパールは私と目が合うと驚いたように目を丸くしていたので、ただいまと言って手を振っておいた。
「ただいま帰りましたー!」
エスコートに差し出されたレオナルドの腕をすり抜けて馬車のステップを下りる。
そのまま体当たりをする勢いで、出迎えのタビサに抱きついていると、私の声が聞こえたのか館の中から黒い仔犬が飛び出してきた。
「コクまろもただいまー」
まずは抱き上げよう、とタビサから体を離して腕を伸ばしたら逃げられる。
コクまろは捕まるまいと逃げてはいるのだが、尻尾は忙しく振られたままなので喜んでいることは間違いがない。
そのまま仔犬を捕まえようと何度も腕を伸ばしては逃げられてと繰り返し、追いかけっこになり始めたところでレオナルドが馬車から降りてきた。
「あ、レオはまだダメです!」
「うん?」
荷物を下ろし始めたバルトとカリーサを後ろに、レオナルドが私に制止されて足を止める。
ついでに、私から逃げ回っていた仔犬も、遊びが終わったと理解したのか逃げ回るのを止めた。
「まだですよ、少し待ってください」
そう言って玄関の中へと駆け込む。
後に続いてコクまろが入ってくるのを確認して、玄関の扉を閉めた。
「もういいですよ。帰ってきてください」
扉の向こうにいるレオナルドに声をかけ、しばし待つ。
そうすると、戸惑った顔をしたレオナルドが玄関の扉を開けて顔を出した。
「ティナ? 何の意味が……」
「おかえりなさい」
長旅お疲れ様でした、とさもちゃんと留守番をしていた顔をしてレオナルドを出迎える。
本来はレオナルド不在の館を守りながら冬を過ごしていたはずなので、私が一緒に帰ってくるのはおかしいのだ。
それをこうして改めて出迎えることで、なかったかのように振舞ってみる。
ようはただの子どもの遊びだ。
どうやら私はようやくグルノールの街へと帰ってこられたという開放感から、思いのほか浮かれているらしい。
突然ままごとを振られたレオナルドは瞬いて固まっていたが、ややあってから苦笑いを浮かべた。
「……ただいま、ティナ」
「……さて、まずはカリーサの部屋だが」
馬車から荷物が下ろされるのを眺めていると、レオナルドが少し考える素振りをみせる。
カリーサは突然借りられるようになった人材のため、部屋がないのかもしれない。
そう思って聞いてみたところ、部屋自体は事前に連絡をしてあったため、使用人の離れにちゃんと用意されているとのことだった。
「だったら、なにを悩んでいるんですか?」
「カリーサは厳密には使用人じゃないからな。一応、本人の希望を聞いた方がいいかと思ったんだが……」
「……ブラウニーって、なんですか? 最初はバルトたちの名前かと思ったんですけど、違うってのはもう知ってます」
「そうか、ティナは使用人を知らなかったか」
父親が貴族とはいえ、平民として生きることを選んだ父親が教えるはずもないか、と一人納得したように頷いたあと、レオナルドは使用人について教えてくれた。
レオナルドは使用人と呼んでいるが、使用人とは微妙に扱いが違う。
口の悪い人間は『ブラウニー』を館奴隷や銭奴隷と呼ぶらしい。
意味としては、館で買った奴隷、金銭で買った奴隷になる。
「……レオはバルトたちを買ったんですか?」
「バルトたちを買ったのは何代か前の館の主で、バルトたちを売ったのはバルトたち本人だぞ」
人が人を売り買いする、という事実がなんとなく受け入れがたく、つい責めるような目でレオナルドを見てしまったのだろう。
レオナルドは困ったような顔をして、私の頭を撫でた。
「当時の事情をわざわざ掘り返そうとは思わないが、バルトたちは自分たちの意思で館に勤めている。イリダルだってそうだ」
「イリダルもお金で自分を売ったんですか?」
「イリダルは金で売ったというよりも、館の備品になるのが目的だったがな」
「備品?」
この世界でもアルビノと呼ぶのかはわからなかったが、白い髪と赤い目を持つイリダルは、肌がとても弱いらしい。
普通に生きるだけでも塗り薬が必要になり、その薬代を稼ぐのが普通の方法では難しい。ならば、と館に自分を売って備品となり、備品管理の名の下に自分の塗薬代を館の主に出させようと目論んだのだとか。
……とりあえず、イリダルが私の思う『人身売買』とか『奴隷売買』と違う位置にいるのは判った。
奴隷だとか、買ったとかいう言葉が出てきたので引いてしまったが、レオナルドの話によると『ブラウニー』の販売者は当人たちだ。
買い手を選ぶ権利が、商品である売り手の方にあるのは大きい。
「カリーサが違う、っていうのはなんでですか?」
「カリーサたち姉妹は……話してあったか? 赤ん坊の頃に三つ子であることが理由で捨てられていたところを、当時のマンデーズ砦の主に拾われ、育てられた」
「……養子ですか?」
「違う。拾った子を育てただけで、養子にはしなかった」
赤ん坊を拾って育てるのなら、それは養い子だと思うのだが、どうやら違うらしい。
三つ子が理由で捨てられるなんて、初めて聞いた。
三つ子を捨てるというのなら、もしかしたら双子は不吉だ、とかの迷信もあるのかもしれない。
当時の館の主の考えはわからないが、孤児院に連れて行かなかった理由もその辺りにあるのだろう。
思考がそれつつあるのを自覚し始めたところで、話がカリーサたちに戻った。
アリーサがそれまでの三姉妹の養育費として自分を売り、館の使用人になることを選んだのだ、と。
他の姉妹には、それまでにかけられた費用など気にせず外へ出て行けるように、と。
……結局、三つ子ってことを嫌がられて他の就職先は見つからなかったんだね。
職が見つからないのと同じ理由で、姉妹には結婚相手も見つからないらしい。
それを考えるのなら、今回のグルノール行きはアリーサにとって姉妹を外に出すいい機会だったのだろう。
マンデーズの街の外で、一人で行動するカリーサが三つ子だと知られることはない。
この街でなら、カリーサはカリーサ個人として生きられるだろう、と。
「えっと……使用人は館で買ったから、館の主の意思に逆らえない。でもカリーサは使用人だから、ある程度自分の意思が尊重される、ってこと?」
「だいたいそんな感じかな」
……だいたい、ってことは、これも完全に正解じゃないのか。
深く考えることになんとなく抵抗があって、レオナルドの言葉を飲み込んでおくことにする。
折角レオナルドが子ども向けに言葉を噛み砕いてくれたのだ。
多少でも聞こえが良い方が、精神衛生上に良いのだろう。
ちょうどカリーサが私の服が詰まった鞄を持って来たので、呼びかける。
部屋の希望を聞いてみた。
「……としては、離れに部屋をいただくより、お仕えするお嬢様のお部屋に近い方が」
「わたしの部屋の近く、ですか?」
空いている部屋ならば沢山ある。
なにしろ三階の住人は私とヘルミーネしかいないのだ。
「今夜からでも使える部屋となると、屋根裏に掃除された部屋が……」
「そこはわたしの部屋ですっ!!」
なんてことを言い出すのか、と素知らぬ顔で私の部屋をカリーサに与えようとしたレオナルドの脛を蹴る。
残念なことに、今日の靴はマンデーズの館で用意された物だったため、それほどダメージは与えられなかった。
「ティナ、屋根裏部屋はもともと使用人の部屋だと……」
「今はわたしの部屋です」
春になったらまた使ってもいい、という約束で冬の間は取り上げられた部屋だったはずだ。
なんだったら靴を履き替えてもいい、とさらなる足への攻撃をほのめかすと、レオナルドも外聞の悪い私の部屋をどさくさ紛れに取り上げることは諦めたようだ。
非常に不本意そうな顔をしながら、別の屋根裏部屋を掃除して使うといい、とカリーサに鍵を渡した。
カリーサはグルノールの街では私の子守女中になるらしい。
タビサとバルトの仕事を少しでも軽減させるために連れてきたので、私がヘルミーネの授業を受けている時間は館の仕事を手伝い、屋根裏部屋の掃除をすることになった。
二階の住人と化しているアルフや白銀の騎士たちに、帰還の挨拶と心配をかけてしまったことについてを詫びる。
そのあとは部屋で少し休みたい気はしたが、久しぶりなのでと居間でコクまろを構ってやることにした。
今日はヘルミーネの授業もお休み、という話になっているので、行儀悪く床に座っていても怒られない。
レオナルドは私がコクまろと遊んでいる間に、アルフからこの冬の細々とした報告を受け始めた。
それらの仕事も、夕食の支度が出来たとカリーサが呼びに来た頃には終わったらしく、珍しくもアルフとレオナルドが並ぶ食卓となっている。
「そういえば、ラガレットの街でエセル様とディートに会いましたよ」
レオナルドからの報告は終わっているということで、食事中の主な話題は私の体験だった。
アルフはまず私の舌っ足らずが直っていることに驚き、遅れて私も思いだす。
たしか、精霊に攫われた不思議な世界で、姿の変わる青年に目隠しをされた、と。
あれがきっかけだと、なんとなく解った。
レオナルドは童心を取り戻したようだ、と言ったが、私としては気負いが消えた感じだろうか。
とにかく正しく発音しなければ、言葉を噛むのは恥かしい、という気負いが消えた。
言い間違いがなんだ、噛んだっていいじゃないか。子どもなのだから失敗ぐらいするさ、といい意味で開き直れたのだ。
マンデーズの街に着いてから、グルノールの街へ戻ってくるまでに起こったことを思いだすままに語る。
思いだすままに語っているので、時系列は見事にバラバラだ。
そしてバラバラな時系列から突然出てきたエセルの名前に、アルフ瞬いて驚いた。
「……エセル様とディートって、エセルバート様とディートフリート様か? それはまた……面倒そうな相手に……」
食事の手を止めて、アルフがこめかみを揉み解す。
どうやらアルフレッド以外の王族にも、アルフはなんらかの苦労をかけられているようだ。
同情と哀れみと慰めの混ざった複雑な視線で見つめられてしまった。
「面倒そうな人ですけど、もう会うこともないはずですから」
「もう会うこともないだろう……そんな希望的観測が通じる相手じゃないんだ、王族は」
「あー……」
アルフの言う『王族』はイコールで『アルフレッド』のことを指しているのだろうと、解りすぎるほどに解ってしまった。
ほんの短い付き合いでも疲れたアルフレッドだ。
ほとんど生まれた時からの付き合いらしいアルフは、私なんて想像もできないような苦労をしてきたのだろう。
「……ティナは相手が王族でも喜ばないんだな」
普通であれば王族と知り合いになった、なんて最高の伝手を手に入れたと喜びそうなところなのに、とアルフは首を傾げる。
「平民のわたしが王子さまに会ったことがある、なんて活かしようがありませんよ」
「平民、ね」
微妙なアクセントに、アルフは私が貴族の娘であると知っているのだろう、と確信した。
レオナルドが言いふらすようには思えないが、二人は友人で、団長と副団長という間柄でもある。
レオナルドがなにかしらのプライベートな相談をアルフにしていても、おかしくはない。
「ティナは自分を平民というけど、レオナルドの妹である以上は貴族と似たようなものだよ」
「……レオは平民ですよ?」
白銀の騎士は貴族と同等に扱われる、とは聞いたことがあるが。
今のレオナルドは黒騎士だ。
貴族ではない。
「聞いていないか? レオナルドは騎士を引退したらすぐにでも貴族になることが決まっている。五年前の戦果が功績と認められているんだ」
「……貴族って、平民が簡単になれるものなんですか?」
「簡単にはなれないが、平民が貴族になることはあるし、親のいないレオナルド自身が家長ってことになっているから、妹のティナも貴族の仲間入りだ」
功績が認められて頂く爵位は『功爵』と言うらしい。
公爵でも侯爵でもなく、功爵だ。
……あれ? なんか、貴族って思っていたのと違う?
ヘルミーネあたりは、また躾けが一からやり直しかと頭抱えていそうなティナの奔放っぷり。
この国の貴族設定語ろうとしたら長くなりそうなので、一旦切ります。
ティナの実家まで話しが進まなかった……
誤字脱字はまた後日。
誤字脱字、みつけたものは修正しました。




