画廊にて
同じ宿泊施設に滞在していると知った以上、挨拶をしないわけにはいかないと言って、レオナルドは隣の客室に滞在中のエセルの元へと挨拶に行った。
私も付いて行こうとしたのだが、珍しくも明確にお断りされてしまったので、おとなしく留守番をする。
すでに一度たっぷりと甘えたあとなので、レオナルドと離れても特に寂しくはなかった。
暖炉の前に陣取り、刺繍をする。
久しぶりの寛ぎタイムだ。
これで打ち身の痛みがなければ最高である。
レオナルドが隣の客室から戻ってくる頃には私の心のスーパー甘えん坊タイムもすっかり落ち着いていて、いつものテンションでレオナルドを迎えたら逆に寂しがられた。
……や、四六時中べったりと纏わりつかれたら、いくら可愛い妹でも邪魔だと思うよ?
それに、いつもべったりと甘える私など、私ではないと思う。
レオナルドが戻った翌日、再びジェミヤンの画廊へ向かうことになった。
今回の騒動の話を聞きに行きたいのと、レオナルドが街に滞在すると知られているのなら一声もかけないのは不味い、とのことだった。
……知人が多いと大変そうだね。
移動の途中で立ち寄った。
お荷物である妹がいたために宿を取った。
ただそれだけのことなのだが、レオナルドにはあちらこちらに立てなければいけない顔があるらしい。
移動の際に馬車の窓から外を眺めてみたが、先日の様子ととくに変わりは無い。
川から青年の死体が見つかっただとか、路地裏に女性の死体が捨てられていただとか、それなりにショッキングな事件があったはずなのだが、まるで何事もなかったかのようだ。
……というか、噂にもならないぐらい内々で処理した、とか?
詳しい話はこれから聞く予定なのだが、ラガレットの領主も犯人確保に動いているらしいのだ。
領主の娘を誘拐しようとしたかもしれない青年が死体で発見されたことなど、誰も好んで話題にしないのかもしれない。
「……なんで画廊に来たんですか?」
領主に用があるのだから、訪ねるべきは屋敷の方だと思うのだが。
領主に会いに行くと言い出したレオナルドに、ホテルの用意した御者が連れてきたのはこの画廊だった。
画廊の所有者が領主だとは聞いていたが、まさか毎日画廊に滞在しているはずはない。
「ジェミヤン殿は祖父が王族の流れを組む方だったんだが……」
「あ、なんだか嫌な予感がしてきました」
……王族の流れっていうと、遡るとアルフレッド様の親戚筋ってことですね。
「……その予感はたぶん間違ってはいないが、ジェミヤン殿に関してはそれほど心配することでもない」
この国の王族の方々は、とにかく愛情が強い方たちばかりらしい。
何か一つの物に熱をあげると、いっそ偏執狂と呼べるほどそればかりに打ち込むのだとか。
エセルと現国王陛下は性質が似ていたらしく、愛情のベクトルがすべての国民に向けられていて、逆に家族には冷たいのだそうだ。
アルフレッドの愛情はアルフただ一人に向けられていて、王都では後継者としては不適格であると判断されている。
ディートの父親である第一王子は王族の特徴である偏った愛情の片鱗を見せず、善良ではあるがそれだけで、第二王子は者ではなく物へ対する愛情が凄まじいとのことだった。
この王族の血ともいうべき性質は、ジェミヤンにもしっかり現れているらしい。
ジェミヤンが愛しているのは、絵画や彫像といった芸術品に類されるものなのだとか。
ジェミヤンの画廊は、彼が愛する芸術作品たちを飾り、若き芸術家とその賛助者の出会いの場となる。
そして、彼等の出会いからこの世に新たな芸術品が生み出されることに、無上の喜びを感じているのだとかなんとか。
……うん、やっぱり変な人だった。恐るべし、王族の血!
芸術品をこよなく愛するジェミヤンは、ラガレットの街に滞在している間はほぼ画廊に寝泊りしているらしい。
バシリアたち家族は、郊外に建てられた本宅で暮らしているようだ。
今はシードルの宿泊施設にディートが滞在しているため、ディートとの繋がりを持たせようと例外的にバシリアも街の中に滞在しているとのことだった。
ほとんど画廊に居ると評判のジェミヤンは、本当に画廊に滞在していたらしい。
レオナルドが面会を求めるとすぐに場が整えられ、普段は商談のために使うらしい応接室へと案内された。
「……あれ?」
レオナルドに続いて応接室へと入ると、頭に大きなリボンを付けたバシリアがジェミヤンの横に立っている。
リボンも服も可愛いのだが、きつめの顔つきにフリルとレースがたっぷりと使われた服は少しだけ不釣合いで、男の子のように短い髪へと飾られた大きなリボンには違和感があった。
……髪が長ければ、リボンも似合いそうなんだけどね?
芸術を愛するらしいジェミヤンは、娘に似合っていない服装については何も思わないのだろうか。
不思議に思って首を傾げていると、バシリアがツカツカと応接室を縦断して私の方へと歩いてきた。
身構えるよりも早くサッと私の手を取り、背後の扉へと引っ張り始める。
「行きますわよ!」
「え? なに? なんですか?」
「大人同士の話し合いに、子どもは退屈だろうから画廊を案内してあげなさい、とお父様が仰ったのです。わたくしが案内して差し上げるのですから、ありがたく思いなさい」
私としては一応被害者なので、その後の話を聞きたいと思っていたのだが。
昨日まで情報が遮断されていたように、ジェミヤンには私に聞かせるべき話ではない、と判断されているようだ。
……お話、聞きたいんだけどなぁ?
ぐいぐいと勢いよく私を引っ張るバシリアに、レオナルドの視線が保護者の見守りモードになった。
きっと「子ども同士仲が良くて微笑ましい」だとか「やっぱり友だちなんじゃないか」とか、事実とは違うあさってなことを考えているに違いない。
「レ……」
「行きますわよ!」
なんとかバシリアを引き離してもらおうとレオナルドに手を伸ばしたのだが、その手はバシリアに掴まれた。
両手を引っ張られてしまっては、もう助けは望めないだろう。
……うん、確かにちょっと粗暴だ。
近頃はディートに連れ回されておとなしくしていた印象があるのだが、ディートがいない場では初対面の時同様に元気すぎる女の子のようだった。
……まあ、いいか。あとでレオから聞けば。
レオナルドはレオナルドで私に情報を隠しそうではあるのだが。
この場でぐずって応接室に居残るのは、あまり褒められた行動ではないだろう。
なにより、引っ張られすぎて転ぶ前に自分で歩いた方がいい。
そう腹を決めて、バシリアと画廊を散策することにした。
「……あなたの服って、どこの仕立屋を使っていますの?」
「はい?」
画廊を案内する、という話だったのだが、いくつかの絵画を鑑賞していると、それまでは絵の作者や技法についてのうんちくを聞かせてくれていたバシリアがこんなことを言い始めた。
「髪飾りは? 靴屋はどこを利用していますの?」
「ええっと……?」
なにやら必死の形相で詰め寄られ、見かねたカリーサが間に入ってきてくれた。
バシリアの剣幕に驚き、固まってしまっていたので、正直助かる。
助かったとは思うのだが、何故かカリーサは自慢げに胸を張った。
「ティナお嬢様の本日のお召し物は、イリダル謹製です!」
「……イリダル? 聞いたことのないお店の名前ね?」
そんな店がラガレットにあったかしら? と考え始めたバシリアと、そんなバシリアには気づかずにイリダルの縫製技術の素晴らしさを懇々と語るカリーサが実に対照的である。
内容としては、おしゃれ談義だろうか。
バシリアはどうも私の服や靴に興味があるらしい。
というよりも、二人の会話に耳を澄ませていると、最近の服や頭のリボンは私を意識しての装いらしいとわかった。
……何故に私の真似っこ?
私の服装は、基本的には保護者の趣味である。
人気の仕立屋という概念はグルノールの街にもあったが、店を名前で選んだことはない。
レオナルドに連れて行かれた仕立屋で、レオナルドが選んだデザイン画から私の服は作られている。
私の好みも一応は聞かれるのだが、選ぶ物が地味すぎる、とレオナルドがフリルやレースを追加するので、あまり自分で選んだという気はしない。
……でも、仕立屋の名前を聞いてきた理由はわかった。同じ店で服を仕立てたいんだね。
ストレートにそう指摘したらバシリアが拗ねそうな気がするので、絵画を眺めるふりをして二人の会話に聞き耳を立てる。
……あ、この絵。
やっぱり素敵、と刺繍で縫い取られた風景画で足を止める。
色鮮やかな糸の流れに、つい聞き耳を立てるのも忘れて見入っていると、いつの間におしゃれ談義がお開きになったのか、バシリアの声が意外に近い位置から聞こえてきた。
「その絵が気に入りましたの?」
「え? 気に入ったって言うか……こんな風に縫えたら素敵だな、って」
「そういえば、ディートフリート様が何度お誘いしても、刺繍がしたい、刺繍がしたい、って言っていましたわね」
ふむ、と小首を傾げて、バシリアが片手を挙げる。
そうすると、どこに控えていたのか正装を纏った壮年の男性が優雅な足運びでやって来た。
「お父様からの伝言ですわ。『我が領内にて誘拐騒ぎなどと、迷惑をかけた。お詫びに気に入った絵画を贈ろう』とのことです」
この刺繍の絵画でいいわね、と言って、バシリアが男性に指示を出し始めた。
辞退する間もなく壁から外される絵画に、ジェミヤンの本気を知る。
……絵画大好きって人が、お詫びにその絵画をくれるって……別にジェミヤン様は悪くないのに。
貴族や大人の面子によるものか、一つも非のないジェミヤンに『お詫び』として贈り物をされるのには違和感があった。
悪いのは誘拐を目論んだ人物だというのに、怪我をした私と、まったく関係のないジェミヤンだけが損をしている。
「……そんなに気を使ってくれなくてもいいですよ」
申し訳なくなって、遅れながら辞退してみたのだが、バシリアはツンと横を向いてこれを却下した。
「お詫びの気持ちだそうですから、淑女たるもの黙って受け取っておくものですわ」
刺繍で描かれた絵画が梱包のために運び出されていくのを見送ったあと、画廊散策を再開した。
相変わらずバシリアからの私の服装に関する質問を、本来なら私が答えるべきだとは思うのだがカリーサが答えている。
カリーサの方が私より詳しいので、これについては仕方がない。
……あれ? あそこで絵を描いてる人がいるね。
年齢は十五・六歳だろうか。
いかにも画家を目指して勉強中、といった風体の少年がイーゼルに向って立てかけたスケッチブックらしき紙の束へと熱心に描き込んでいた。
目の前で絵を書く少年に興味を引かれ、でも話しかけて邪魔をしてはいけないな、と考えてこっそりと背後に回る。
少年の肩越しに覗き込んだスケッチブックには、何故かレオナルドの姿が描かれていた。
「……なんで裸なんですか?」
「うえっ!?」
つい声に出してしまい、少年はビクリと震えて椅子から転がり落ちる。
しまった、驚かせてしまった、とは思ったのだが、そんなことよりも少年の描いていたものが気になった。
どこからどう見てもレオナルドだと思うのだが、何故か服を着ていない。
「これは、その……っ!」
バッとスケッチブックを隠そうとする少年に、横からカリーサの手が伸びる方が早かった。
カリーサの手を介して私へと渡ったスケッチブックに、無許可ながら中身を確認させてもらう。
レオナルドが裸なのは数枚で、先に描いたと思われるものはちゃんと服を着ていた。
……この服、今日のレオの服だ。
しどろもどろとレオナルドのヌードデッサンを描いていたことについての説明と謝罪を聞かせてくれた少年によると、レオナルドを見たのは今日が初めてだったらしい。
馬車から降りて画廊へと入ってくる姿を見かけ、服に隠されていても判るレオナルドの彫刻のような筋肉を纏った肉体に創作意欲を刺激された、とのことだった。
最初は見たままを写し取ろうとしたため服を着ており、次第に服の皺等から筋肉のつき方を想像で補いつつ、このヌードデッサンに仕上がったのだとか。
……身内の裸を想像で描かれるとか、結構微妙な気分だね。
私とレオナルドが逆の立場であれば、レオナルドはこの少年に間違いなくなんらかの制裁を行なっていただろう。
芸術的であっても、なくても、だ。
……でも、これ……すごく上手くて怒れないんだけど。
身内の裸と思えば微妙な気分にしかならないが、それらの微妙な気分を抑え付けられる画力があるというのか、雰囲気があるというのか、なんとなく文句も言い難い出来だ。
あまりにも上手く描かれたレオナルドの素描に、ポロリと漏れたのは自分でも意外な言葉だった。
「これ、ください」
言ってしまったあとに、すぐ訂正を入れる。
このままであったら、男性のヌードデッサン画を欲しがる怪しい幼女でしかない。
「じゃなくて、ですね! レオはわたしのお兄ちゃんなので、一枚ください」
服を着たのがいいです、と付け加えると、少年の方もなんとなく私の言葉が理解できてきたようだ。
簡潔に言い直すのなら、モデルの身内なので一枚ください、になる。
もちろん紙代ぐらいは払う気だ。
「……じゃあ、きみを描かせてくれたら一枚あげるよ」
「脱ぎません!」
少しだけ考える素振りをみせた少年に、間を開けずに答える。
さすがにヌードモデルはお断りだ。
「いや、脱がなくても裸は描けるし……じゃなくて、裸が描きたいわけじゃなくて」
すでに結構な枚数レオナルドを描いたため、そろそろ違うモデルが描きたくなってきたらしい。
そこでたまたま話しかけてきた私に、素描一枚と引き換えにモデルを依頼してきた、ということだった。
「……そういうことでしたら、お引き受けします。ちょうど暇でしたからね」
レオナルドとジェミヤンの話が終わるまで、画廊内を回って時間を潰す必要がある。
その暇つぶしになるのなら、案外悪くはない取引だ。
刺繍の絵画を運んでいった壮年の男性が用意してくれた椅子に座り、絵描きの少年と向き合う。
これは時間がかかりそうだ、とバシリアが肩を竦めるのが視界の端に見えた。
――明確な記憶があるのは、ここまでだ。
次に意識が覚醒した時、ガタゴトとひどく揺れる場所でうつ伏せの状態に寝かせられていた。
こんな状況ですが、明日の更新はお休みします。
バシリアはディートの好みがティナだと思っているので、とりあえずティナの外見から取り入れたい。
誤字脱字はまた後日!
誤字脱字、みつけたものは修正しました。




