気がつけばマンデーズ
……あれ?
目が覚めたら知らない場所にいた。
ぬくぬくと暖かい毛布の中であることは解るのだが、天井に見覚えがない。
……どこだっけ?
ぼんやりとした頭で、見慣れぬ天井を見上げる。
知らない場所にいるというのに不安を感じないのは、レオナルドの匂いがするからだろうか。
……うん? レオ?
なんでこんなにもレオナルドの匂いがするのか、と考えて次第に記憶が鮮明になってくる。
レオナルドの匂いぐらい染み付いているだろう。
ここはレオナルドのベッドだ。
もぞもぞと身じろぐと、煩いのか隣で寝ているレオナルドの腕が伸びてきた。
緩慢な動作で頭を撫でられるのだが、充分な睡眠をとった幼女の眠気はすっかり覚めている。
頭を撫でられたぐらいでは、二度寝へは誘われない。
レオナルドの腕を払うように勢いよく跳ね起きると、毛布が捲れた。
使用人によって暖かな部屋に整えられてはいるが、やはり毛布から出れば寒いのだろう。
反射的に縮こまったレオナルドに、毛布をかけ直そうとして止めた。
今日も私の天邪鬼は元気だ。
いっそ無防備に眠るレオナルドの上にダイブしてやっても面白そうだったが、さすがにそれは可哀想な気がしたので止めておく。
私に出来るささやかな悪戯など、捲くれた毛布を直さない程度だ。
ベッドから降りると、足音で気が付いたのか、アリーサが部屋に入ってきた。
着替えを手伝ってもらって、髪も綺麗に編みこみ終わると、最後に黒い猫耳を付けられる。
鏡に映る姿は文句なく可愛らしい猫耳幼女なのだが、お祭りでもないのに仮装をしなければならない、というのは少しだけ恥ずかしかった。
……いまいち実感はないんだけど、これでレオが安心するなら、いいかな?
記憶は未だに曖昧ながら、周囲の話によると、どうやら私は精霊に攫われたことになっているようだ。
そうでなければ、グルノールからマンデーズまでの移動時間が説明できない、と。
……や、精霊に攫われた、ってこと自体説明がつかない現象だと思うけどね。
当日のことを思いだそうとは思うのだが、どうにも記憶が曖昧だった。
ヘルミーネと三羽烏亭に行ったことまでは鮮明に思いだせるのだが、その後の記憶が曖昧だ。気が付いたら暗くて狭い暖炉の中に閉じ込められていた。
あとはどうにも、癇癪だろうか。
それとも甘ったれた感情か、ただひたすらにレオナルドに甘えた。
もしかしたら一生分は我儘を言ったかもしれない。
どうにも自分で歯止めが利かなかったのだから仕方がないが、思い返すだけで穴を掘って埋まりたい程に恥ずかしかった。
……もう二度とレオには我儘言わないようにしよう。
そうは思うのだが、それはそれで寂しいと、レオナルドが煩そうではある。
……我儘はたまに、にします。
最後に腰へと猫の尻尾を付けて、私の身支度が整う。
また精霊に攫われないように、と春華祭までは仮装をするのが私の義務だ。
……罰ゲームすぎるよ。
そうは思うのだが、私も一応は女の子だ。
気恥ずかしいのとは別に、心のどこかでこの可愛らしい装いを楽しんでもいた。
……レオが起きるまで、横で待っていようかな?
朝食はサリーサが主導で、カリーサがその手伝いをしている。
アリーサはレオナルドが目覚めたら身支度を整える仕事があるし、イリダルだって屋内の仕事は積極的に行っていた。
この館では、私がちょっと手伝いをしたい、と言い出す方が手間と迷惑をかけてしまうのだ。
おとなしくしているのが、一番周囲の邪魔にならない。
カリーサが用意してくれた私にも読める本を手に取り、レオナルドの眠るベッドへと戻る。
履いたばかりの靴を脱ぎ捨て、ベッドの上へとよじ登った。
寝そべるレオナルドを背もたれ代わりに、発音の練習も兼ねて小さな声で本を読み上げる。
叩き起こすのは忍びない気がするが、これならそのうちレオナルドも目を覚ますだろう。
急使としてグルノールからやって来た黒騎士は、私の顔を見るなり号泣した。
大人の男の人なのにひと目も憚らずおんおんと泣いて、私が泣かせたのかと思ったら申し訳なさすぎた。
あまりに申し訳ないので、急使と一緒にグルノールへ帰ろうかな、と思ったのだが、また知らないところで迷子になられては心配だから、とレオナルドに止められてしまった。
急使の騎士も、私がケロッとしているのを見て安心したようだった。
もう何があっても兄から離れないように、と念を押してグルノールへと帰っていった。
私は突然の闖入者のはずなのだが、マンデーズでの暮らしは穏やかなものだ。
過不足なく、快適に暮らせている。
……何故か私サイズの服が沢山あったりね。
日中ほとんどの時間を過ごす子供部屋には衣装部屋もちゃんとあって、その中には黒と橙色を基調としたものを中心に沢山の子供服が詰まっていた。
素直に受け止めるのなら、レオナルドの滞在に合わせて私が付いてくることを想定し、その滞在中の衣類を用意した、ということだと思う。
それにしたって数が多すぎる気はするが。
マンデーズでの滞在は二十日間ぐらいだと聞いているのだが、その二十日間すべて違う服を着ても、まだ袖を通していない服が出るだろう。
……なんでこんなにいっぱい服があるの……?
不思議に思ってレオナルドに聞いてみたら、自分は無実である、と主張されてしまった。
どうやらこの過剰気味な衣類の数は、カリーサとサリーサが用意したものらしい。
イリダルは一応数を減らす努力をしてくれたようだ。
レオナルドからは付いてこない予定である、と連絡があった旨を懇々と説明し、子どもの言うことだから直前で意見を変えるかも、という可能性を含めて数着だけ服を用意しておこう、と。
……まあ、そのイリダルも服の準備に参加したみたいだけどね。
イリダルに育てられたという三姉妹は、イリダルと同じ行動を取った。
数着という言葉を十着以下、と故意に受け止め、各自で九着作った。
三姉妹が各九着ではなく、イリダルを入れた四人で九着だ。
そこから誰かが「寝間着を忘れていた」と言い出して寝間着が洗い替えも含めて各二着増える。
他にも「神王祭の仮装は?」「部屋着だけではなく訪問着も必要なはず」とどんどん増えていったそうだ。
……お金があると、人は馬鹿になるってやつだね。
せめてお互いに相談をして服を用意すれば、ここまでの枚数にはならなかっただろう。
私の服代はみんなレオナルドの財布から出てくるのだが、レオナルドの給金は各砦でいただけることになっているらしかった。
ほとんど仕事をしていないはずの他の砦でも変わらない給金をもらえる、というのはどうにも納得できない。
レオナルド本人もそう思っているようで、各地のメンヒシュミ教会やセドヴァラ教会、孤児院へと寄付という形で使っているそうだ。
日ごろどんな散財生活をしていたのだろう、と思っていたのだが、レオナルドは私を引き取る前は地味な生活をしていたらしい。
お金を使う嫁も恋人もおらず、趣味といった趣味もない。
溜まる一方だったお金が、ようやく私に貢ぐことで地域に回るようになったそうだ。
……いいんだか、悪いんだか……?
まあ、レオナルド自身は幸せそうなので、良いのだろう。
私からみれば無駄遣いも多くて心配になるのだが。
「行ってらっしゃい」
バイバイ、と手を振って、レオナルドを館から押し出す。
こうでもしないと、レオナルドはなかなか仕事へと向かわない。
留守中の注意事項やらハグやらと延々続くのだ。
……なんだかグルノールにいた時より酷くなってる気がするね。
これも精霊に攫われたせいだろうか。
そうは思うのだが、これはさすがにどうしようもない。
精霊に攫われたのは、事故のようなものだ。
誰にも防ぎようはなかった。
……や、一応どうぶつの仮装をしてたら、避けられるって話だったけどね。
なんとなく気になって、猫耳をいじってみる。
やはりマンデーズでも質のいい物が用意されたらしく、毛ざわりは最高だ。
朝レオナルドを見送って、夜帰宅するレオナルドを出迎える。
私の生活はグルノールの館での暮らしとあまり変わらない。
違うことといえば、ヘルミーネの授業がないぐらいだろうか。
その代わりのように、カリーサが構ってくれるので退屈はしない。
「カリーサはセークが強いね。ヘルミーネ先生とも、いい勝負なんじゃないかな」
「……がと、ます。セーク、好き」
カリーサは強いね、と褒めたら、カリーサは恥ずかしそうに頬を赤らめる。
カリーサたち三姉妹は、顔こそ同じだったが、性格にはそれぞれ違いがあって見分けやすい。
カリーサは人見知りで、恥ずかしがり屋だ。
少し声が小さいが、我は強い。
主義主張もしっかりしていて、気が弱そうにみえて流されない。
……あと、子ども好き? 私の相手はほとんどカリーサがしてるよね。
盤上遊戯はどれも得意なようだ。
マンデーズ館には当然のこととしてリバーシ盤がなかったので、久しぶりに紙でコマを作ってリバーシを教えてみたのだが、もう私も勝てなくなった。
レオナルドなんて、相手にもならない。
サリーサは料理上手だ。
館で出てくる食事のほとんどはサリーサが作っている。
私の滞在に備えていろいろお菓子のレパートリーを増やしていたそうなので、毎日美味しいおやつが用意されていた。
「ティナお嬢様、プリンの味見をお願いしてもよろしいでしょうか」
「よろこんでー!」
私の滞在に備えて様々なお菓子のレシピを極めたと自称するサリーサは、お菓子作りに詳しく、勘も良い。
私が正しい分量を覚えていなくても、作り方さえ伝えられれば近い形のものを作り上げることができる素晴らしい人材だ。
……まさかプリンとはどんなお菓子か、と突然聞かれるとは思わなかったけどね。
サリーサがプリンに興味を持ったのは、レオナルドの差し金らしい。
食べ物の名前ばかりを連呼する私の寝言を聞いたレオナルドが、再現してやってくれ、とお願いしてくれたのだとか。
……まあ、メイユ村でお母さんが作ってくれたお菓子じゃなくて、前世で食べたお菓子だけど。
まったく記憶にないのだが、寝言で私はプリンを讃える歌をうたっていたらしい。
お菓子の他にもグラタンや海苔巻き、肉じゃがといった前世で好きだった物も連呼していたようだ。
……妹の寝言に聞き耳立てて、しかもしっかり覚えておくとか、レオは変態さんですね。
無意識の寝言など、うっかり聞こえてしまっても触れないでほしい。
その辺のデリカシーというか、配慮がレオナルドには足りない。
……でもいいです。おかげでプリンが食べれるんですから、今回のことは許してあげます。
でも次に私の寝言を他者に触れ回るようなことがあったら、それなりの仕返しをさせていただこうと思う。
「……ちょっと固いかも? でも美味しいです」
材料と作り方は覚えていたが、分量はまったくと言っていいほど覚えていなかった。
そのため、少しずつ改良をしていけばいいだろう、と今日のプリンは卵とミルクが一対一で砂糖はサリーサにお任せした。
カラメルの分量もわからなかったのだが、カラメルはカラメルという名前で普通に存在しているものだったらしい。
少なくともサリーサはカラメルについては私に何も聞かずに作り上げてくれた。
「失敗ですか」
「固いプリンもあるから、これはこれで美味しいよ」
サリーサも食べてみて、と促すと、サリーサは難しい顔をして固めのプリンを試食する。
きっと改良方法を考えているのだろう。
「次はミルクを増やしてみるとか?」
「そうですね。カラメルが甘いので、砂糖はもう少し減らしてもいいかもしれません」
もう一度プリンの完成形を教えてください、とサリーサが言い出したので、私も思いつく限りの改良方法と記憶にあるプリンについてを語ってみる。
研究熱心なサリーサなら、近いうちに理想のプリンを作り出してくれる気がした。
三姉妹のリーダー格らしいアリーサは、いつも働いている。
手が足りない時はサリーサの調理の補助もしているし、私やレオナルドの身支度を整えたり、部屋の温度を整えたりもアリーサがしていた。
……とにかく、見かけるたびに働いてるから、まだあまりお話したことないんだよね。
仕事の邪魔はしたくないので、アリーサにはなかなか話しかけられない。
ちょうど仕事の切れめだろうか、という瞬間に出くわした時もあるのだが、流れるような動作で次の仕事を始めてしまうので、雑談しましょうとは言い出しづらいのだ。
……そしてイリダルが苦手なのは、絶対第一印象が最悪だからだよね。
白い肌に白い髪、赤い目をしたイリダルは、アルビノだろうか。
肌が弱いと聞いているが、そんなことはどうでもいい。
真っ暗な暖炉の中から見た、薄暗い部屋に浮かび上がったあの白い顔と赤い目は、狭い部屋に閉じ込められて心細さ大爆発中だった私には恐怖以外のなにものでもなかった。
……顔見て力いっぱい絶叫してごめんなさい。
おもいきり失礼なことをしてしまった。
そうちゃんと謝りたいとは思っているのだが、あの赤い目を見るたびにあの日の恐怖を思いだしてしまって喉が引きつる。
廊下でイリダルに偶然にでも遭遇すると、私のお世話係なのか、大体傍にいるカリーサの後ろについ隠れてしまって、未だにちゃんと謝れないでいた。
イリダルの方も私が怖がっているのは承知してくれていて、あまり私の前に姿を見せないようにしてくれているようだ。
……でも、こうして別のお屋敷を見てみると、グルノールの館は人手が足りないってよくわかるね。
ここマンデーズの館には、通いの庭師や臨時で雇った馬丁がいた。
すべてをタビサとバルトの二人が行なっているグルノールの館は、もしかしなくともブラック企業であろう。
この館はまだ世話をする対象が私とレオナルドの二名だけだったが、グルノールの館には私たちの他に六人の大人と仔犬がいる。
明らかにオーバーワークだ。
……臨時で雇えるなら、増やした方がいいよね、やっぱり?
そうは思うのだが、またカーヤのような人間を雇い入れるようなことは避けたい。
となれば、それなりに時間をかけて探す必要があるし、時間をかけている間にジャスパーの写本作業が終わって白銀の騎士たちも王都へと帰ってしまうかもしれない。
……いっそ、花嫁修業とか言い包めて私がお手伝いしてみる?
主の妹を働かせるなんて、とまた辞退される気もするが。
下手な人間は家に入ってきてほしくない。
でもタビサたちの労働状況は気になる。
となれば、建て前さえ準備できれば、これが私としては一番いい解決方法な気がした。
そろそろ客人が増えすぎて、グルノールの館の管理・維持は二人だと難しいと思います(正論)
師走につき、隔日更新を目指していきます。
誤字脱字はまた後日。
誤字脱字、見つけたものは修正しました。




