精霊に攫われた子ども 2
「このまま いっしょに いようよ」
「ぼくらと いっしょ きっと たのしい」
二匹の猫が両肩に座り、かわるがわる私を誘う。
可愛らしい猫のお誘いなら乗ってもいい気がするが、その結果に待っているのは私の『死』だ。
猫が可愛いからといって、安易に乗るわけにはいかない。
「……それもいいかもね。このまま精霊の世界に旅立つのなら、僕が君の魂を真っ白にしてあげるよ。次の転生では日本人であったことなんて綺麗に忘れて、普通の子どもとして両親を愛せるように」
何気なくつぶやかれた言葉だとは思うのだが、青年の言葉に思わす背筋を伸ばす。
今生の両親に愛された覚えはあるが、私からも素直に両親を愛せた、と自信をもっては答えられない。
前世の記憶があるせいで、生まれた時からどこかで他人だと思っていた。
自分の親だと思えるようになったのは、生まれてから何年も経ったあとだ。
甘え方だって、前世の記憶が邪魔をして本物の子どものようには甘えられなかった気がする。
「転生者は不幸なことだと思う。前の記憶があるせいで、親をすぐに親と認識できなかったり、言葉が不自由になったりする。君が今夜精霊に攫われたのだって、前世では大人だったという自負のせいじゃないかな?」
大人なのに猫耳を付けるだなんて、恥ずかしい、と。
そんなことを考え、仮装を避けたのではないかと青年に指摘される。
私の選択としては少しだけ理由は違ったが、最終的に仮装を避けたという意味でなら青年の指摘どおりだ。
私が『前世の記憶がある私』だからこそ、仮装を避けた。
口調も表情も優しいのだが、青年の言っていることはすごく厳しい気がする。
合理主義とも言えるかもしれない。
……このまま死んじゃえば、次はすぐに言葉が聞き取れなかったり、転生者だってバレて売られる心配をしなくていいのか。
一考する価値のある提案だった。
少なくとも、メイユ村にいた頃の私であれば、深く考えずに飛びついた気がする。
残された両親が悲しむ、だなんて当たり前のことも考えずに。
「ぼくらと いっしょに くらそう」
「さびしく ないよ ぼくらは みんな きらいだけど きみの しってるひとも いる」
「わたしの知ってる人?」
肩で囁き続ける猫の言葉に、ふと周囲が騒がしくなる。
今まで私と猫たちと不思議な青年しかいない街並みだったのだが、白い人影が私たちを避けて歩いていた。
「え? なに? 突然人が……」
どのぐらい人影があるのだろう、と少しだけ路地や通りを覗いてみる。
何十、何百という数え切れないほどの白い影が、列を作って一定の方向へと歩いていた。
「さいしょから いた」
「みえて なかった だけ」
「あっち みる」
「しってるひと いる」
促されるままに猫の示す方向を見ると、白い影の頭部分がぼんやりと輪郭を結ぶ。
色は真っ白なままなのだが、見覚えのある顔だ。
顔の主を思いだそうと見つめていると、青年の顔とは逆に白い影の輪郭は鮮明になってくる。
「……村長?」
メイユ村で散々両親に不利益を運んできた顔が、そこにはあった。
すぐ近くに小さな白い影もあったため、もしやと思ってそちらにも注意を向ける。
段々はっきりと見えてきた小さな白い影の顔は、村長の孫と同じ顔をしていた。
「マルセルが、なんで……?」
普段は見えないモノが見えている。
それが解った。
どうやら精霊に攫われているらしい状況で、すでに死んでいると知っている人間の姿が見えているのだ、と。
……この白い影って、もしかして?
「このあたりの人は、この一年で死んだ人たちだよ。みんなこれから死の神ウアクスの治める地まで旅をして、いつになるか判らない魂の清めを待ち、それから次の人生を歩きはじめる」
私がこのまま死ぬのは簡単で、彼等と一緒に歩き始めてもいいし、青年の紹介で一足飛びに死の神ウアクスの元まで送ってもらってもいいとのことだった。
どちらを選んでも、日本人であった頃の記憶は今度こそ綺麗に洗い落としてくれるそうだ。
……誰?
ふと白い影のうち一人が足を止め、じっと私の方を見つめていた。
その白い影と並んで歩いていた小さな影も足を止める。
足を止めた彼等に気づいた他の白い影が何人か足を止め、やはりこちらをじっと見つめている。
……なんか、不味そうな雰囲気?
生きているのが妬ましい、とかなんとか、連れて行かれるパターンだろうか。
ぞっと背筋に冷たいものが走り、反射的に足を一歩後ろへと下げる。
いつの間に近くまで来ていたのか、青年の体に背中があたった。
「このまま死ぬのは痛くも苦しくもないけど、ほんの少しでも怖いと思うなら、不自由でも家に戻った方がいいと思うよ」
そっと猫耳の付いたフードが頭に戻され、今度は目深く布を下ろされる。
もう頭から落とすまいとフードを力いっぱい引っ張ると、白い影が視界から消えた。
「……言葉はまだ少し不自由ですが、少しずつ改善しています。お父さんもお母さんももういないけど、代わりにレオナルドさんがわたしの家族になってくれました」
フードで顔を隠したままこう言うと、ずっと一緒にいようと誘っていた黒猫が黙った。
「お父さんたちが死んだ時、わたしは全然泣けなかったけど、やっぱりすごく悲しくて……わたしを妹にしたレオナルドさんも、家族が死んだらやっぱり悲しいと思います」
こう続けると、白猫も黙って私の肩に座り直した。
どうやら二匹とも、私を誘うのは諦めてくれたようだ。
「いろいろ解らなかったり、転生者ってバレないように嘘もついたりしなきゃいけないけど、刺繍も楽しいし、最近はレオナルドさんにもちょっと甘えられるようになってきたし……」
レオナルドの名を口にすると、今すぐ抱きつきたい衝動にかられる。
胸でも足でも首でも、どこでもいいから力いっぱい抱きついて、安心したい。
このまま白い影に付いて行きたくなりそうな自分を、やっぱりちゃんと家に戻らなきゃ、と繋ぎとめてほしいのだ。
「レオナルドさん、私の服は中古でいいって言っても新しい服すぐに作っちゃうし、靴だって何足も作っちゃうし、ぬいぐるみも増えたし、お菓子なんて食べきれないし……甘やかしすぎだって注意しても全然聞いてくれないし」
あれだけ私のこと甘やかし、溺愛している人だ。
私が突然いなくなってしまったら、心配で死んでしまうのではないか、とこちらの方が心配になってくる。
そう自覚すると、多少不自由のある生活ではあっても、レオナルドのところへ戻らなければ、と気付くことができた。
方向性はともあれ、これだけ大切にされているというのに、私はまだレオナルドに何も返せていない。
家族として『お兄ちゃん』とも、『レオナルド』とも呼べていないのだ。
「……それじゃあ、ちゃんとその人のところに帰らないとね」
ぽふっと青年の手が私の頭に載せられた。
その瞬間、周囲に光の粒子が舞う。
二度三度と頭を撫でられるうちに光が強くなり、それにつられるように私の中で帰りたい、帰ろうと思う心が強くなる。
家族の元へ帰ろう、と。
「僕が生きている人間に干渉できるのは、このぐらいなんだ」
魂に染み付いたものを完全に落とすことはできない、と青年に謝られた。
自分に出来ることは、今の私が生きやすいように、ほんの少し目隠しをするぐらいだ、と。
「足元を見てごらん」
促されて落とした視界に、白い灰で引かれた線が見えた。
線は真っ直ぐに、白い影が進む方向とは逆に伸びている。
「フードはしっかり押さえて、精霊たちに人間だとばれないように気をつけてね。この白い灰の道を進んでいけば、帰りたい家、君が帰るべき家へと続いているよ」
途中で誰かが呼びかけてくるかもしれないけれど、決して振り返らないように、と注意されたので、何故いけないのかを聞いてみた。
振り返ってしまったら、家へ帰れなくなるなどの決まりがあるのか、と。
「振り返ったら帰れなくなる、ってことはないけど、帰りたくなくなるかもしれない」
「帰りたくなくなる?」
「君に呼びかけてくるのは、今はもういない君の知り合いばかりだ。懐かしくて、つい話し込んでしまって、神王祭が終わってしまった、なんてことになったら……」
二度と家には帰れない。
それどころか、白い影たちの向かう先にも行けず、永遠にこの狭間にある世界を彷徨うことになるのだ、と青年は説明してくれる。
そのため、たまに精霊に連れてこられた人間の子どもがちゃんと家に帰れたのか、と毎回心配事が増えているのだ、と。
「迷子になる前に、みんなと行くかい?」
「迷子になりません。レオのところに帰ります」
口から自然に出た言葉に、一瞬だけ違和感を覚える。
少し考えてみたが違和感の正体はわからず、気持ち悪い。
気持ちは悪いのだが、別におかしなことは言っていないはずだ。
自分はちゃんと、家族の元に帰る。
それだけだ。
「君たちはどうする?」
私の両肩に座っている白と黒の猫に青年が話しかけた。
両肩の猫たちは、少しだけ考える素振りを見せたあと、私を見送ると言い始める。
白い灰の道の終わりまで、私を送っていく、と。
「……そう。じゃあ、ちゃんとお別れをするんだよ」
「わかって いる」
「まいごに させない ちゃんと おくる」
小さな胸を人間のような仕草で叩き、猫たちは青年に『任せておけ』と請け負った。
どこまでも続く白い灰の道を、一人でてくてくと歩く。
ひたすら歩く。
私を見送るつもりの猫たちは、自分で歩くつもりはないようだった。
ただ、話し相手にはなってくれるつもりのようで、道すがら様々なことを聞かれた。
父と母のこと、メイユ村を出てからのこと、オレリアのこと、レオナルドのこと、何でも聞かれるままに話す。
話しているうちにどんどん里心のようなものが刺激され、つい早足になった。
「ひゃっ!?」
どうやら焦りすぎたようだ。
自分の足に足を取られ、おもいきり前に転ぶ。
普段であれば倒れるよりも先に手をつくところだったが、今はフードから手が離せない。
頭だけでも庇って素直に痛い思いをしよう、と諦めて力いっぱい瞼を閉じて衝撃に備えると、私の体は地面に叩きつけられる前に抱きとめられた。
……あれ?
「焦らなくてもいいから、前をちゃんと見て歩くんだよ」
ふわっと体が浮いて、立たされる。
フードを目深く被っていたため見えないのだが、目の前には白い影の人がいた。
……この声、知ってる。誰だっけ?
つい顔をあげて白い影を見ようとしたら、背後から頭を押さえられる。
なんとなくなのだが、懐かしい力加減だった。
「ダメよ、あなた。見守るだけだ、って約束だったでしょ」
「いや、だってよ。こう……目の前でバタンって勢い良く転ばれたら、誰だって手を貸したくなるだろ」
背後の人物が私のためにフードを押さえてくれたのが解ったので、私もフードを目深く押さえる。
懐かしい声の調子とやり取りに、自分を助けてくれた白い影が誰なのかが判った。
先ほどの青年は、白い影たちを『この一年で死んだ者たち』と言っていたはずだ。
私がレオナルドに引き取られてから、まだ一年経ってはいない。
だから、一年以内に死んだ者であれば、可能性はあった。
……オーバンさんと、ウラリーおばさん。
メイユ村で私を自分の子どものように可愛がってくれた二人が、今の私の傍にいた。
懐かしくなって顔をあげようとしたら、今度は違う手が私の手を引く。
「グズグズしていたら、道が消えちまうよ! 焦らなくていいから、歩くのはやめない!」
白い灰の道に沿って、姿勢の良い白い影が私の手を引いて歩き始める。
背中しか見えないため顔は判らなかったが、気風良く歩く姿には覚えがあった。
……ロイネさん。
ワーズ病患者の隔離区画で親切にいろいろ助けてくれたロイネが、私の手を引いていてくれた。
ロイネの逆の手には私と同じぐらいの背丈の白い影がいる。
こちらは私が顔を知らないからか、顔を見てもどんな顔をしているのかがわからない。
……あ、笑った。今、絶対ニカって笑った。
俺の母さん、いい女だろう、と誇るように男の子が笑ったのが解る。
ロイネの子どもは、たしか名前を『テオ』と言った。
面倒見の良いロイネの子もまた、付き合いの良い子どもだったようだ。
その後も躓きそうになったり、休みたくなるごとに、いろいろな人が出てきて私を追い立てた。
休むのは家に帰ってからにしろ、とにかく歩け、でも焦らなくていい、転ばないように、と代わるがわる注意される。
たまに慰霊祭のお礼を言われたりもしたので、あの時見送った人たちが私を送りに来てくれているのかもしれない。
……そんなに私は信用できないんですかね。
注意されるたびに懐かしくて、嬉しくて、悲しくなった。
やがて街並みを抜けると白い灰の道は三つに分かれる。
三つに分かれたその先で、四角い窓のように暖炉の向こうの風景が見えていた。
「あれ? どれに行けばいいんですか?」
道が分かれているだなんて聞いていない。
ただ真っ直ぐに白い灰の道を行けばいいとだけ聞いている。
「どっち?」
思わず振り返って聞いてみたのだが、背後にはもう誰もいなかった。
振り返るな、振り返れば帰りたくなくなる、と言われていたので、これが正しいのかもしれない。
しかし、何かしらの判断材料はほしくて、両肩の猫たちに聞いてみた。
「こっちの まどは いえの だんろ」
黒猫が説明してくれている窓を覗くと、暖かなオレンジ色の光に包まれた家の中が見えた。
死んだはずの両親がいて、楽しそうに笑いあっている。
「いえに もどると みんな なくなる」
「なかったこと なる」
なんだか怖そうな説明だった。
すでにありえない光景が見える窓は、選ばない方が良さそうだ。
「こっちは まじょのいえの だんろ」
「このだんろ きけん ひが ついてる」
魔女の家と説明された窓を覗くと、やはり暖かなオレンジ色の光に包まれた家の中の光景が見えた。
メイユ村を出てからしばらく預けられたオレリアの家だ。
テーブルの上に乾燥した何かの葉を並べ、オレリアが薬研が使っているのが見えた。
「こっちは めじるし ある いまのいえ」
「このだんろ いぬが まってる みんな まってる」
目印のある今の家と教えられ、今朝のバルトが思いだされる。
私が精霊に攫われても帰って来られるように、と居間の暖炉を掃除してくれていた。
最後の仕上げに薄く灰を撒き、そこに両手で私の手形を残してきたはずだ。
三つあるうちの、一つだけ暗い窓を覗いてみる。
窓の奥にある風景は暖炉に火がついていないせいで暗いが、なにやら黒い塊がこちらを見ているのがわかった。
……あ、コクまろ。
暗い部屋に黒い毛並みの仔犬ではあったが、額の白い麻呂眉が浮かび上がって見える。
私と目が合うと、コクまろはいつものように尻尾をピンとたてて立ち上がった。
ちなみに両親が見える暖炉に突っ込むと、村の全滅時に死んだことになります。
レオナルドとも出会わなかったことになります。
次はドナドナレオナルドか、ヘルミーネ視点の閑話です。たぶん。
誤字脱字はまた後日……。
26日の更新はおやすみします。
誤字脱字、見つけた所は修正しました。




