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「…………紫……ごめん……。……ごめんね」
真っ暗になった部屋に梓の声は静かに響く。
しかし、その声は誰にも届かない。
彼女は、自分に一番近くて遠い存在を呪った。
彼女は自分自身を呪った。
*
彼女の母親、安曇咲恵が他界した年、彼女はまだ13だった。
彼女にとってそれはこの世の1部が無くなってしまったような感覚。母親が死ぬということを幼いうちに体験した彼女は、少しだけ塞ぎがちになり、明るかった昔と比べ急に物静かになった。
彼女が大きなショックを受けてもなお、壊れずに普通に生活できるようになったのは、身近に自分よりも苦しむ人がいたからだろうか。
人間不思議なもので、どれだけショックを受けても、自分より苦む人を見ているといつの間にか立ち直ってしまう。
彼女はそんな具合に父、ノア・フレッカーを目の前にして、母親の死から立ち直った。
その後まるで彼を守るように、彼女は大人びた性格になっていった。
ノアは咲恵が死んでから正体の解らない恐怖のような物を感じていた。
愛する妻が死んだ。それは誰のせいでもなく、ただ彼女の体が悪かっただけ。そんな事は分かっていた。分かっていて結婚し、子供も生んだのだ。
それでも実際に直面したこともない死という物をノアはよく理解していなかったのかもしれない。
心から愛した人の死がどれだけ辛いことか、それは体験してみてやっと理解の出来る感情だったのだ。
ノアの心はそれから少しずつ壊れていき、誰も責めることの出来ない彼はとうとう自分を責めだした。
自分が彼女と出会ってしまったから。結婚したから。子供を生んだから。愛してしまったから。
自分でも理解の出来ない因果を並べ、ノアは現実から目を逸らした。
彼女はもういない。日本にいるとその事実が否応無しに、ノアを襲った。
日本には彼女との思い出が多すぎる。
この町も、この家も、それに娘だって、その頃のノアにとっては苦痛だった。
だから娘が中学を卒業した時決意した。
それはあまりに身勝手で、残酷な決断だったが、もうそうする他なかったのだ。
娘を古くからの知り合いである須崎勝正に預け、ノアは日本を発った。
彼女がまだ15歳の時だった。




