外伝 毒物が異世界に行った場合[1]
日記形式です。
本編を完読してから読むのをお薦めします。
需要があれば続く…かな?
あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと――――
[以下、一定の羅列が続く]
『フォルトゥナ歴302年○月×日』
壮絶な幼少期から早六年、ようやく一段落したので気晴らしに日記でも始めてみようかと考え、思い立ったが吉日と言わんばかりに何気なく雑貨店で売られていた羊皮紙の日記帳を買った。
日記を書くのは長い人生の中で初めての行いではあるが、何分ここには私の欲求を大きく満たすような娯楽が少ないため、仕事以外で長く続けられ、時間を消費できるものとしたらこれくらいしか思い浮かばなかった。
さて、記念すべき一筆としてまず何を書こうか思い悩むものだが、ここはやはり私が今現在に至るまで経験してきた事を記すのが無難というものだろう。
仕事上、見られると都合の悪い内容を書く事もあるやもしれぬので、鍵付き表紙が備わっているものの、私にしか読む事の出来ないこの文字(日本語)を使うのがこの日記を使うルールとしておく。
なお、最初に日記上部で書いた文字列は久しく使う日本語の練習であると念のためここに記す。
まず初めに…私はこの世界に元々いた人間ではない。
いや、そもそも人間ではなく本物の残りカス――それが私の正体だった。
こうした告白をするのは前世を含めて二回目だが、宝くじに一等選するくらいの偶然をこうも二度続けて体験してしまうと元は老骨の身である私としてはうんざりするのが正直な感想でもある。
前々世で製薬の上場企業に内定が決まったという喜びの中、駅の階段で足を踏み外して頭を強打するという何とも情けない最期を迎えた私だ。
一般的に驚愕だと値するような体験で動揺する程の心はとうの昔に削がれている。
…話を戻そう。
前の世界(二番目の世界ともいう)では妻に先立たれて早二年、偶然私の家へ遊びに来ていた曾孫と椅子に座ったまま昔話をしていた筈だったが、ふと催した眠気に釣られて目をゆっくりと閉じた瞬間、一気に意識がどこかへと引っ張られる感覚に襲われた。
思えば、あの時こそ私は寿命を迎えたのだろう。
その後、朧げな記憶の中に残っている若き日にて死にかけた時と同じく、連れてこられた魔訶不思議な空間に気づけばポツリと立たされていた。
そこで出逢ったのは約70年ぶりともいえる存在。あの頃と同じ声で色々と紡ぎ始めた。
難しい話は殆ど理解できなんだ、私なりにまとめてみるとこのような形だ。
《君と奥さんやり過ぎッ! 確かに僕も大きな事を成し遂げるって期待している所もあったけどさぁ、流石にあの夢幻の世界で一種の信仰と畏怖を集める程の偉業を生きてる内に成し遂げるってどんだけだよッ!? もはや現人神扱いじゃないか!》
確かに私は若い頃、アフリカにおいて妻と共に紛争・貧困地帯での活動を幅広く行ったものだ。
今まで会得してきた多種多様な知識を妻と互いに補うようにして発揮し合い、アフリカを大国にも劣らぬ先進国として生まれ変わらせた功績がある。
おかげで晩年においては気軽にアフリカへ行く事すら出来やせんかった。
大陸中の各国で国賓レベルのおもてなしをしようとするものだから逆に来国を躊躇するくらいだ。
確かに多くの人々の幸せを妻と一緒に生み出して来たと私は自負できる。
だが、その分だけ現状によって不利益を講じた輩からはめっぽう恨まれる羽目になった。
悪党としての生き方――毒には毒を以て征するという私達の生き方はそれはもう険しい道であった。
晩年で田舎の土地を書い取り、ひっそりと安心して暮らせる地盤を築く切っ掛けを作った妻には本当に感謝している。
妻の存在無くしてはあのように農具を手にして趣味の農作業に精を出しながらの晩生など到底不可能であった筈だ。
――惨たらしい死という名の許しを得るまで安息の時を与える事を決して許さぬ破滅の人生を歩んでいたかもしれぬ。
妻は私にとっての最高の共犯者であり、理解者でもあった。
やがて、私の命よりも大切な妻は自力で歩けなくなってからは車椅子での生活を余儀なくされて数年後、ふと提案した海への小旅行の最中で静かに息を引き取った。
あぁ、あの日の事は鮮明に覚えている。海面に反射してキラキラと光輝く陽光を浴びながら、波の音を子守歌のようにして綺麗な顔をしながら先立った妻の顔を――。
ここから私の何かが徐々に欠落していき、そのまま私もまた――先に記した通りである。
しわくちゃの爺であったが故、約70年ぶりに再会した久しき友人が必死で話す言葉をうまく理解できぬまま、私はこの世界へと意識を根付かせた。
転生という言葉を久しく頭に叩き込んでみたものの、私がここへと降り立った現象を表すには別の言葉が必要だ。
そう、私がこの世界で目覚める中で知らぬ間に成し遂げたのは『憑依』であった。
【白水丹】という器を以て生まれ落ちた前世とは違い、この身体は元の精神が壊れた所を私という人格が補修材として補うように入り込んだ存在であった。
【彼女】の名前はレミータ。
人と猫人との間に生まれた半獣――それが私の宿主である。
うむ、どうやら長く綴り過ぎた。
これから仕事に入らなくてはならないのでここで一旦区切るとしよう。
『フォルトゥナ歴302年○月□日』
横暴な依頼主による仕事を利子付けて縁切りの意味を込めてこなしてきた後だが、日記の事を思い出して再びペンを手にする事に決める。
初めて日記を書いた日から数日が立っているが、偶に帰ってくるこの本拠地に身を置くならば、やる事はこうして日記とくるしかない。
私の仕事は『表と裏』の両面を重ねており、裏での仕事が一番時間を要するためにこの間隔差が生じるのは致し方ないとして諦める事にしよう。
では前回の続きといこうか。
私に自我が芽生えて真っ先に視界へ入れたのは猛獣を入れるような鉄格子の檻。
次に同じように閉じ込められている人間や動物とは形容しがたい生き物達(後に亜人という存在だと知る)。
動かした感覚から伝わるのはおよそ人間のものとは思えない鋭敏な聴覚や体感。
ここでようやく私の身体が人間とは似て異なる姿であると気付いた。
側頭部左右とは違い、頭維両側に沿って生えた獣の耳――。
尾底骨から連結するようにして生えた獣の尻尾――。
力を入れると手足の指先から飛び出る細長い鉤爪――。
余りの変貌振りに挙動不審へと陥る程にこの姿は奇抜なものだった。
このようにわたわたしていると、奥から腹の出た見るからに下卑じみた表情をする男が現れ、手にした物を次々と檻の中へと放り投げるように入れてきた。
私の番に回り、調べてみれば石のように固いパンだった。どうやら食事のようだったが、いくら何でもこれは酷い献立だと最初は疑った。
そもそも何故に私がこうして檻に閉じ込められているかの方が頭に浮かんでいたが、答えは男から勝手に伝えられた。
正確には愚痴を零しており、それで「穀潰し共めが…」やら「なんで俺が薄汚い亜人奴隷の面倒なんかみなきゃいけねえんだ」やらと情報を流してくれたおかげだ。
どうやらこの場で私を含めた檻に閉じ込められている者達は奴隷という存在であり、ここ奴隷市場の倉庫では仕入れてから買い手が中々付かない類の者達をここ一か所に集めているとの事だった。
ちなみに私は最近入った新参者らしい。
奴隷――アフリカでも依然として親子二代に渡って奴隷扱いされていた人々がいたな。
生きるためやむを得ず作った借金という負債がありとあらゆる自由を奪うという現状。
積極的に取り組んだ問題の一つでもあったものだ。
しばらく様子を見ていたんだが、他の奴隷に対する奴隷商人の蹴るわ殴るわ鞭打つわの嫌がらせ――。
老若男女関係無しに人を人とも思わない行為に私は少し感情を爆発させた。
若者的に良い表すならば『キレた』といった方が分かりやすいだろう。
誰もが寝静まった頃合いを見計らい、檻の鍵として機能する南京錠を調べてみると、技術が遅れているのか結構単純な造りだと分かった。
本来ならば針金かヘアピンが欲しいのだが、せっかくなのでこの身体を有効に使わせてもらうとして、鍵穴に細長い自分の爪を二本扱い、前世でアフリカにおいて活動中のボディーガードを引き受けてくれた友人から教わったピッキングを実行。
前世で見慣れたシリンダー錠とは違い、鍵としての重要な役目を果たす高低差が殆ど変わらぬ中の金属棒は二本しかなく、ほんの少し押し上げてそのまま捻ったらすぐに開錠出来るレベルだった。
時間にして約二十秒でこの不良品と呼ぶに相応しい南京錠を開錠し、檻を開けて外に出た私だったが、同じ釜の飯を食った間柄、他の奴隷達を見捨てていくのも後見が悪いと感じ、いっそのこと全員檻から解放する事にした。
おかげでものすごく感謝された。だが忘れてはいけないのが私は半獣の『少女』という事実。
それに身長としてはまだまだ三頭身。小柄な部類に入る大きさ。
人の内二人は成人男性並みの巨躯を持つ亜人であり、そんなのがギリギリの距離まで顔を近づけられるといくら私でも恐怖を感じる。
おまけにこれで成人ではないというのだから酷く驚いたという記憶が今でも焼き付いている。
平均年齢15歳、私の場合は13歳と五人の中で二番目の年下だった。
境遇を共にする彼らの正体――それは亜人。
不完全を認めようとしないこの世界で人の法では守られる立場に決して立てない『不完全な者達』。
圧倒的コミュニティを築く人間社会において弱者の名を冠する地位と出自。
やっぱり人間というのは多くがどうしようもない存在であると再認識する事実ばかりが語られた。
鞭打ちの傷痕が生々しく残る兎人――ユースティア。
手枷を嵌められて動きを極限に拘束される蜥蜴人――ウィルトゥス。
碌な食事を与えられないために痩せこけた半森人――アルス。
極度のストレスによるためか、身体の所々が脱毛症を発症している狼人――ヘーロス。
事情を一人ずつ聞いていけば、誘拐やら親に売られたやらと奴隷として身を落とす原因で良く知られるものばかり。
金銭の取引ならば妥協するが、誘拐となるとこの建物にいる奴隷商人には情けをかける必要はなくなった。
早速、前世で時折送られてきた暗殺者からやり過ごすべく修得した隠形術を利用し、四人と共に直接部屋へと乗り込んで私達の所有者だった男から奴隷としての解放を強引に捥ぎ取ろうと行動に移った。
最中、男が指輪をかざしながら「奴隷共よ、私に従うのだ!」と叫ぶや、私と男以外が苦しそうに跪くという現象が起きたのだが、何の異変も起きなかった私は今の惨状を引き起こしている原因が男と分かっている以上、これを打破すべく思うがまま行動に従った結果、
∧_∧ ハゥッ
( ・∀・) (Д゜;)
と⌒ て) .人 つ
( _____三フ< > ヽ ちーん!
) ) V(_)
レ'
――とまぁ、前世で若い頃流行った絵文字という物を使って表してみたらこんな感じだ。
真面目に描写したら余りにもかわいそうな事をした罪悪感が湧いてくる一方、それからすぐに痛みに悶絶して倒れ込んだ男に対して私がやった事といえば、
∧_∧
(・∀・ )
((⊂ と)
チンチン(⌒ /
(_)ゝ ノノノ
⊂⌒~⊃。Д。)⊃
――という、男にとってまさに外道な行いであった事により、元男として記す事すら憚れる出来事と述べようか…。
とにかく、謎の現象に関して何か知っているか四人に聞いてみた所、何でも奴隷には『呪印』という物を身体のどこかに刻まれているらしく、自分達の所有者――主人に対して反逆の意を示そうものならば激痛を伴って服従させられる処置を施しているらしい。
もしくは懲罰の役割を果たしているので、所有者の一声で好きな時に激痛を発生させる事が出来るため、奴隷は絶対に主人に逆らう事は出来ないとの常識を頂いた。
私も身体を調べてみると、腹辺りに幾学模様的な印が赤黒くくっきりと浮かんでいた。
なのに私の呪印が効力を発揮しない現象について彼らもまた不思議に思っていた。
やはり『中身』が変化したから呪印という物にどこかバグを生じたのやもしれない。
呪印は飽くまでこの少女に向けての物であり、決して私自身に向けられた物ではないと考えれば、あの時の不発における辻妻が合う。
気絶した事で身体の自由を取り戻した四人の内、体格のしっかりしたウィルトゥスとヘーロスに手伝ってもらいながら、早速私達の所有者であろう男に向かって『話し合い』を開始した。
ただし、首に釣り縄を括られて目隠しに猿轡という何とも縁起の悪そうな恰好をしてもらいながら、だ。
私が若い頃、A国で手違いとはいえ拘束された収容所にて実際にやられた尋問形式だ。
手っ取り早くて適確に情報を聞き出すのにこれほど相応しい手はないだろうと考えたからだった。
口ごもる度に男の生命線といえる小さな足場を小刻みに蹴って動かしていくという心臓に悪い脅しの効果やら…面白いくらいにぺらぺらと喋ってくれたものだ。
お蔭で奴隷契約に欠かせない魔術形式というファンタジーな要素を付属した書類をしまってある金庫を見つけてからは中を開け、契約書類を火にくべて即座に破棄した。
これによって私達に刻まれていた呪印が効果を失い、奴隷としての証が消えた。
後は今にも私刑執行寸前な姿の男を放置し、見知らぬ土地へと私達は飛び出したのだった。
四人との山越えは困難を極めた。
言って悪いが、足手まといな四人を引き連れながらの山越えは私の行動を制御される要素でしかなかった。
子供の域を心身共に出ない彼らには頼れる存在――私が必要となった。
まずはお互いの紹介。
勢いのまま飛び出したおかげで碌な顔合わせを済ませていなかった。
初めは『奴隷27番』やら『奴隷41番』やらと奴隷となってから使い続けている通称が出てきたが、本名も脱走奴隷の身である以上は使う危険性が高いとして私が新しく名を付ける事にした。
私のレミータという名も偽名である。
元より本名どころか通称すら知らない身でもあるのだ。
だがユースティアと名付けた兎人よりかは全然マシだ。
彼女は両親すら奴隷であり、生まれた頃から奴隷として生きる事を宿命付けられ、名前という人としての存在である証すら与えられる事を認められなかった程だ。
早い話が二代目奴隷という呼称だ。
山越えの最中では私が70年もの間で培ってきた知識や経験が大いに役立った。
もしも私が前世にて平凡な人生を送ってきたのならば、必ずこの集団は一人か二人が力尽きていたかもしれない。
四人の鞭打たれて化膿した傷における薬草学然り、奴隷商が放った追手における罠術然り、自然中での衣住食におけるサバイバル術然り…。
前世でも幾度となく乗り越えてきた苦難――これを可能としてきた私の血肉そのもの。
友人からは『ゴキブリ並のしぶとさ』と称される程の生き汚さを発揮し続けた根源。
こうして人の為となる行動が出来たのは現役を引退してから果たして何十年ぶりであろうか。
おかげで張り切り過ぎた気もしなくはない。
現にこの日からユースティアとアルスからは保護者としての信頼を得て、ウィルトゥスとヘーロスからは主君としての忠誠を授かる事になった。
…今一度記しておくが、たかが十三歳の小娘に、だ。
自分で言うのも何だが、私みたいな外見の者にそこまで望むのは間違っている気がするぞ。
――とまぁ、こんな感じに様々な苦難や屈折を経ながら山越えを果たし、私達が後に――現時点における拠点としてこの町――アルクス――へとたどり着いた訳ではあるが、またしても都合が悪い。
今回はここまでとしておこう。どうやらアルスが先に帰ってきたので続きはまた今度だ。
『フォルトゥナ歴302年○月◆日』
初めて日記を書いた意欲による高揚のおかげか、良くもまあこれだけの文字数を稼げるものだと我ながら驚愕する。
仕事で拠点を何日も空けるからこそ正確には違うが、三日坊主となるのだけは避けてみるのも目標として掲げても良いだろう。
昔語りも今回で終盤となる。
私達五人のアルクスでの六年を大雑把に説明すれば苦難の連続から努力の結実という、物語にしてみれば美談となる代物だ。
私の行動を度外視したらの話ではあるが…。
今となっては先進地として名を馳せているアルクスは元を辿れば退廃の街『ソドム』を思わせるような淫欲と暴力に満ち溢れた色街そのものだった。
奴隷商の金庫から慰謝料代わりに拝借した金銭一袋でとある一軒の寂れた酒場の屋根裏をがめつい女主人から賃貸し、ようやく落ち着いたと思えば亜人の地位が考えた以上に低く見られているといる現実が私達のこれからにおける身の振り方を真剣に思い悩んだものだ。
この中で一番年上なウィルトゥスがどうにかしようと張り切っていたが、まだまだ経験の浅い少年としか私には評価できない部分が多かった。
庇護のない存在にとって行き当たりばったりでどうにか出来る程世界は甘くはない。
まずはアルクスにおける私達の立場を確固たるものにしなければと考えた末、この街における支配者達に対して売り込む『材料』を作り出す事にした。
領主もいるにはいたが、賄賂を懐に入れて街に運ぶる悪徳を見ぬふりして悦に浸る小物でしかなく、話をしてもこちらの足元を見るだけな予感というか勘が働いた。
裏から支配しているというより、お情けで領主の立場についたという腑抜け。
論外だ――ほんの少し上の立場から突き動かされれば忽ち崩れる砂上の楼閣などに身を任せられないと感じた。
現に当時の領主は今や行方知れずだ。そればかりか貧しい人々から搾り取ったなけなしの税金と財産を持ち逃げして雲隠れした太々しい輩だ。
それはそれで都合が良い事があったのだがな。
私が着目したのはアルクスが色街という実態そのものだった。
男と女のまぐわいには様々な観点で危険が伴う。
金を稼ぐという目的の中で繰り返していく内に降りかかるのが性病・堕胎という負荷が大半を占める。
そこで作ってみた訳だ。肉屋で廃棄処分される予定だった家畜の臓物――腸膜を加工処理して男の『あれ』にすっぽりはめ込んで性病予防・避妊に絶大な効果を発揮する『コンドーさん』を、だ。
――今思えばウィルトゥスとヘーロスには悪い事をしたと感じている。
試作品としてちゃんと装着できるか試すべく彼らの下半身を手でいじくり回したのは…。
確かに「俺達に出来る事があるなら何でも!」と意気込んで「それじゃあチ●●出してくれ」と私が言った瞬間、その場が凍結したかの底冷え空気。
私の姿が幼気な猫耳猫尻尾の少女というのを配慮していなかった。
うむ、本当にあの時はすまなかった。
まるで天国と地獄を一気に味わっているかのような形容しがたい二人の表情を私は決して忘れはしないだろう。
だが、そんな尊い彼らの羞恥心の犠牲により、色街の利益を牛耳っていた親玉に興味を持たせる事に成功した私達は微々たるとはいえ、多少の地位を得る事が出来た。
それから庇護者として四人を養うためには何でもやった。
その中、私だけ負担をかける事に気を病んでいた四人が必死で協力を申し出てはいたが、用心棒はともかくとして幼いユースティアが娼婦の真似事をしてまで力になりたいと口にした時は私としては珍しく怒鳴った。
一番年下で現実をまだ知らないからこそ理解が及んでないのだろうが、心が未成熟なままそのような事に手を染めて壊れていった子供を私は前世のアフリカで多く見てきた。
本来なら子供に夢と未来を教える筈であろう小学校の教員に犯されたが故、十三歳で母親となって日雇いの使用人で日々の糧を得ながら子を育てるという地獄すら生ぬるい生活を強いられる少女すらいた。
ふざけるな、欲望のはけ口として子供達の全てを奪うような行為――私は死んでも認めてたまるか。
宗教や文化が違うからと諭されども、鼻で笑ってやる。むしろ貴様ら自身の不甲斐なさを嫌というほど分からせてやる。
それでも、子供というのは本当に逞しい。彼らの成長を見ていると惚れ惚れとしてくる
純粋なままでは生きていけないのも事実。
なので私の知識と技術を分け与える事にした。
この世界における常識は知らなかったとはいえ、前世から引き継いできたこの知識と技術もまた生きる為に必要な能力である事には違いない。
知識と技術を与えるにあたり、私は四人に夢は何かと問うた。
私の持つこれらは使い方によっては危険な兵器にも思想にも変貌する。
正しく使うためには目標をはっきりとさせる事が大切だ。
妻にも言われた事だが、私には物事を教える能力は妻のように非凡の域を出る事はないが、人の心を癒し、強くする事に関しては比類を見ない才能だと褒められた事がある。
だがここに妻はいない。私一人だけが彼女の役割も担わなくてはならなかった。
当時はこの世界の文字をまだ知らなかった私は口頭で四人に対して教師の真似事を空いた時間の中、自身も学びながら教授を始めていった。
好きな歌で世界中の人を喜ばせてみたいというユースティアには基本的な歌唱技術と感情表現を付けるべく哲理学を――。
剣を扱う者として最高の剣を作り上げてみたいというウィルトゥスには効率的な治金技術と粘り強さを生かす鍛造技術を――。
この世から貧困や病気を無くす手助けをしてみたいというアルスには本格的な経済学と科学知識に沿った医薬学を――。
亜人と人間の隔たりを無くす世を作ってみたいというヘーロスには心理学に沿った話術と外交戦略に基づいた政治学を――。
思えば、私自身良くもまあここまで詰め込んできたものだ。
所詮は器用貧乏としての知識でしかなかったが、多くの人間に対して立ち回りを演じるのに努力を続けた結果がこれだ。
こうして頑張った結果として四人それぞれが【歌姫、鍛冶屋、商人、仲介人】という道を進み、今やアルクスの中核という立場を確立してくれたのは本当に喜ばしい事だった。
私も半端教師とはいえ、冥利に尽きる。
私といえば――普段はしがない便利屋としてアルクスの片隅で店を構えている。
表向きは…。
裏の顔としては秘密の合言葉を提唱し、依頼料をこちらが掲示した場所に振り込めばどんな情報も探るという『情報屋』を運営している。
あの四人もまた、私の仕事を陰ながら支援してくれる協力者として…。
関わらせたくなかったが、今や自分で物事を考えて行動できる歳だ。
脅してまで危険性を説いてなお、リスク・デメリットを考慮して決意した事ならば私も強く言えなかった。
だから私は失敗する訳にはいかない。
別に『正体を誰も知らぬ最高の情報屋』という肩書きを大事にしたいからではなく、彼らが何者にも縛られない自由を真に得るその日まで私は人生の『先輩』として支えていきたい。
まだまだ世界は悪戯に不平等だ。
平等でない事に関して別に私は悪いとは言わない。
だが『権力』という責務を以て上に立つ者の気まぐれな一声から始まったような歪な不平等だけは私には許容し難い。
弱者を勝手に作り上げ、強者がこれをいたぶり悦に浸る。
何とも自慰にさえ劣る行為だ。
だから今は少しづつ、少しづつ――。
私はあの四人とそんな彼らの元に集まる人々のため、日陰者としての道を歩み続けよう。
敵となる者に対しては歯向かう意欲が湧かぬ程の絶望を送ってやろう。
あぁ、何とも業が深い生き方か。
所詮は一度堕ちた身か。
世界が違えど、私にはこんな生き方しか結局の所出来なかったという訳か。
だが、それでもいい。
私という少しの犠牲によって生きながらえる事が出来る存在がいるのなら、私は冥府魔導に身を窶す覚悟さえある。
…こんな考えに至るのは生来からの不器用さ故か。
妻にこんな所を見られればまたお仕置きをされるだろうな。
今日はここまでにするとしよう。
これからは日記も日々に関する事を短く記す程度でいいだろう。
【ちょっとした人物紹介】
――白水丹――
本作品の主人公。
現実世界から乙女ゲーム『Only My Maiden』にてモブとして転生した男。
しかし、正確には本物の●●●●という人間の意志から生まれた“残骸”であり、似て異なる存在。
親友であった桃山絵梨菜を虚言によって貶め、周囲から敵意を向けられるように仕組み、自殺未遂にまで追い込んだ同じ転生者であるヒロインと妄信的に従った攻略キャラ達の行動に憎悪を募らせ、シナリオを知る者ならではの計画的復讐を決行した。
その後は廻りに廻ってヒロインに殺されかけるも、自身に宿る者(この世界における本来の白水丹)の意志から説得を受ける事により、悪という行為と感情を包括したまま自分に出来る事は何かを問うようになる。
そんな中、気まぐれに参加してみた青年海外協力隊にて『戦場』という実態を目の当たりにしてからはアフリカにてNGO活動に全力を注いでいった。
ブラックに殆ど近いグレー行為によって紛争の火種を摘み取っていく中、たとえ明日が死ぬ日であろうとも傍で共に生きる事を選んだ絵梨菜と後に結婚。彼女との間には長女と長男の二子という子宝に恵まれる。
それから約40年間紛争と名の付く場所において夫婦揃っての表裏揃えた人脈等を駆使し、徐々に和平締結へと進むよう数々の国にて活動を行ってきた事でアフリカ大陸一部の国にとっては夫婦揃って英雄的扱いを受ける事になるも、本人達は特別扱いに対しては気が乗らない様子。
丹本人においては『東洋のキマイラ』『片傷の男』『大地の使者』『リバイバー』等と様々な渾名を与えられており、裏社会においては【絶対に敵に回してはいけない人物ランキング10】に入り、小型飛行機を弄って未開のジャングルへと墜落させたのにお土産を手にして帰ってきたり、砂漠へ放置したのにサボテンを齧りながら軽い足取りで帰ってきたという数々の伝説があり、とにかく生存能力が異常に高い。
善人・悪人と分け隔てなく接する事が出来るが、下種や悪辣な人物に対しては一切容赦せず、たとえ刑務所へ逃げ込んだとしてもきちんと報復を完遂する程の徹底さを携える。
だが妻にだけは頭が最期まで上がらなかったと報告されている。




