第六十六話 完全なる世界
※
「昔のことが聞きたいの?」
模型にてレンナを訪ねると、彼女は終着博物館の奥、ソファとサイドテーブルの置かれた部屋にいた。度の強そうな琥珀色の酒を飲んでいるが、酔っている様子はない。
「うん、ローズオルトにいた黒薔薇竜デアノルドと、魔王の関係について。魔王はなぜこの世界に来たのかとか、そのへんを」
「うーん」
レンナの服は薄手という言葉では足りない透明度。巫女服だと言っていたがアトラはとても信じられない。
酒を片手に持つと退廃的な夜の女のようだが、放つ空気は扇情的と言うより眠たげで自堕落。それでもアトラの感覚だと目の毒としか言えない。
「それね、私から言うのってなんかズルいんだよね」
「ズルい?」
「私の中にある真なる銀の記憶。つまり魔王の記憶。それは人間の記録よりは客観的に正確だと思う。でも私の言葉を裏付ける証拠とか無いからね。聞いてしまえばアトラは私の言葉を信じるしかない。それはズルいでしょう?」
「写真とかないの? 映像とか」
「どうとでもでっち上げられる。技術の極みに至った人が抱く悩みの一つ」
「悩み……」
「原子を自在に配列し、どんなものでも創造できる。知的生物がその段階に至ると、記録というものが意味を持たなくなる。記録が信用できなくなると、人は堂々と勝手なことを言い出す。たとえばアトラ、私ってこんなんだったっけ」
レンナは足を組み直す。アトラはあまり女性の肉体を比較することがないが、レンナは絶世の、という言葉をつけても不足なほどの体型である。胸は豊かさの体現であり、はち切れそうな腿は脚線美という形容では生ぬるい暴力性がある。歩くだけで万人が振り向くだろう。
しかし、彼女がハルモンドという街で鍛冶屋をやっていた頃からそうだっただろうか。だぶついたツナギを着ていたこともあり、あまり思い出せない。
「そんなもんじゃない?」
「そう? このプロポーションでネコとかあり得る? まあとにかく、昔からこのぐらい美人でしたよ、と触れ回って、生まれた街にある記録も全部書き換えれば、それを嘘だと証明する手段はない」
「そうかなあ? 図書館とかあるでしょ。確かな記録はこれですって、公的な図書館にしまっとけばいいじゃない。バターライダーにも公文書を保管しとく場所はあったよ」
「そうなると、完全な嘘の記録をなんとかして公的な場所に納めようとする人が出てくる」
さらに、とレンナは話を先に進める。
「それだけならいいけど、問題は物理法則にすらその勝手が適用されること」
「物理法則?」
「そう、ものが上から下に落ちる。水が0度で凍る、そんな自然の法則すら書き換える超科学。それを手にした人々は、宇宙はどうあるべきかを議論し始める。そんなことを決める資格なんかあるはずないけれど、生まれてしまった技術は誰かが管理せねばならない」
「よく分からないよ……」
「真なる竜銀とはそういうものなの」
アトラがこころもち身構える。
どうもレンナは迂遠な話をしているようだ。過去の記憶については直接的に言えないが、遠回しに何かを示唆しようとしているのか。
「その銀の輝きは素晴らしい。全能とまでは言わないけど、世界の枠組みを広げることができる。知的生物が進化の果てに生み出すもの。それは賢者の杖とか、溶けゆく石とか呼ばれる物体なの」
「……」
「でも、それを生み出せば世界は滅ぶ」
滅ぶ。
それは推測とか、比喩ではなかった。
確固たる確信。多くの実例を見てきたような、揺るぎない言葉。
「だから、ある人はずっと見張っていた。隣り合ったたくさんの宇宙を、たくさんの目で見張っていたの。そしてこの宇宙で、薔薇の頂にて生み出された銀。まだ不完全でくすんでいたけど、確かに溶けゆく銀だった。だから止めねばならなかった」
レンナはソファに深く腰掛ける。眠りに入りそうな構えに思えた。
「話はここまで、これ以上はズルになるから」
「……全部は教えてくれないの?」
「全部を語ることは不可能。正しく理解することも不可能。アトラがまだお子様だからってわけじゃない。この星の誰にも不可能なの。それは死について語ることに似ている。死を知らない人間が、それを本当の意味で理解することはない。ただ死という客観的な事象だけ知っておけばいい、そういうこと……」
レンナは寝息を立て始める。意図的な入眠であったが、それ以上は何も語れず、語るべきではないと、アトラにも理解できた。
※
終着博物館を出て、自己帰属の森へ。
昔ながらの風景だと感じる。模型の入り口から少し移動すると、森を切り開いて木造の建物が並んでいる。ちょっとした商店や宿屋、集会所に学校のようなものも。
人々は簡素な服と、鉄の道具を手に野良仕事に出かけていき、子どもたちは木の幹をぐるぐると回って遊んでいる。民家は広範囲に散らばっており、町も複数あるそうだ。
「アトラ、戻りましたか」
スウロは宿屋にいた。木造の建物の二階。ベッドに腰掛けて、体の周囲には半透明の板を浮かべている。模型の機能を探っているのだ。
ピアナは地上で模型を見張っている。安全を確保するだけなら時流速度を大幅に速めれば良いことだが、常に誰か一人は模型の外に出ているのが暗黙の了解になっていた。スウロとピアナが模型に入りたくないだけかも知れない。
「レンナに昔のことを聞こうと思ったんだけど、あまり教えてくれなかった」
「そうでしょう。レンナの記憶は竜の記憶と繋がってます。それを人間に語りかけるのはフェアではありませんから」
「うん、レンナもそう言ってた」
スウロは指を振り、周囲の板を消す。
「さてアトラ、確認するデス。透蠕竜バルアルブと黒薔薇竜デアノルド。模型に二つの銀が加わりました。これで我々の模型に入っている真なる竜銀は5つデス。魔王がいくつの銀を生み出したのか正確には分かりませんが、この世界での勢力の一角となったのは間違いないのデス」
「うん」
「そして新たに銀が加わったことで、最後の、とも言える機能が生まれたデスよ」
「へえ、まだなんか凄い機能があるの?」
「機構、創描装置」
手元に現れる。それは模型である。しかし半透明であり、スウロの前に浮いている。
「これは外にある模型の写しです。この模型に手を加えると、即座に模型の中が描き換わるデス」
模型にはまばらに木の生えた村がある。スウロはその中央に本をざくりと挿す。
「外を見るデス」
見る前にすでに影が視界に入っていた。高さ15メートルあまりの巨大な本が生まれている。近くでは農夫らしき老人が腰を抜かしていた。
「騒ぎになるデスからすぐ取ります」
本を取り、地面の穴を指でならす。
外では本が少し浮いたあと、瞬時にかき消えたように見えた。
「おじいちゃんびっくりしてるよ」
「まあ必要な実験なので許してもらうデス。模型の住人にもあれは突然現れたり消えたりするように見えるデスね」
「便利な機能だね。これで模型の中から川でも山でも出せるよ、たくさんの塩とかも」
「いいえ。それは前座デス。外へ出るデス」
「?」
スウロに案内されて外へ。村は先ほどの異変に気づいた人が何人かいたのか、数人が集まって話し合っている。この模型に人口が何人いるのか分からないが、スウロたちにも奇異の目が向いていた。
スウロは構わず命令を唱える。
「時間走査、現在時刻を表示」
空中に文字が浮かぶ。
【4999年178日16時間8分10秒】
時計のようだ。秒の部分が時を刻んでいる。
同時に、時計の周囲にいくつかの画像が浮かぶ。森に囲まれた町。白い箱のような建物。いくつかの人物の胸から上の姿。そのうちの一人は、すこし離れた場所で話し込んでいる老人のようだ。
「これって……?」
「人物リストを表示」
縦にいくつもの画像が並ぶ。様々な服を着た人間。男も女も、老人も子供も、権力者らしき人物も、みすぼらしい姿の者も。
やがて、男女の二人が並ぶ。
「ここデス。完全構築」
森が組み替わる。
木の位置が変わり、土と草の色が変わる。空を流れる雲も、空気の匂いすらも。
現れるのは、くろぐろとした土をたたえる畑。木々に囲まれたいくつかの家。
「おや、マスター」
目の前にいたのは若い男。クワを持って畑を耕していたようだ。畑はよく実っており、遠くでは魚が並べて干され、より幼い子供たちが鶏の世話をしている。
「! カイン!」
まさしくそれは彼である。アトラの招きで、初めてこの模型の正式な住人となった少年。溶岩の川に取り残された街にいた少年。
「? どうしたんだい変な顔して。ああ、マスターもだいぶ背が伸びたね、あれから5年だもんな」
「か、カイン。ここって」
「ちょうど良かった。マスターに送ってもらったヤギが増えてきてね、今日は一匹つぶしてパーティにしようと思ってたんだ。誕生月の子もいるから。おーいエイワン」
呼びかけに気づき、歩いてくるのは少女。
少女と言うには少し大人びてきていた。全身にほどよく肉がつき、たくましくなり、日に焼けた顔に明るい笑いを浮かべている。
「マスター! もう来ないかと思ってたわ。5年もほったらかして、もう!」
カインとエイワン。彼女たちを含めた35人ほどが模型の開拓を始めたとき、アトラは模型の時流速度を速め、傍観に徹することにした。だから村が広がってきたころの様子を見たことはない。
アトラの記憶よりさらに畑が広がり、不格好ながらいくつか家も建っている。建築関連の本と、釘をたくさん買ってあげるべきだったと、今さらそんなことを思ってしまう。
「二人とも、パーティはあとで行くデス。用意しておいてください」
「ああ、じゃあ向こうの家で待ってるから」
「外の話とかも聞かせてね」
カインとエイワンは去っていく。心なしか、二人はぴたりと肩を寄せ合っているように思えた。夫婦になったのだろうか。
「スウロ、これって……」
「模型はすべてを覚えています。これまでに模型で生まれた技術、生きた人々、書かれた本に、家畜の一頭一頭までも。それを再現できるのデス」
「これは……本当にやっていいことなの? カインとエイワンは生きてるの? もし、模型を元に戻したら、彼らはどこに」
「疑いもなくこれは禁忌デスよ、アトラ」
スウロは穏やかに言う。声から激しさを極力除き、優しく背中を撫でるように。
「それを言うなら最初からデス。この模型は世の理を超えた存在。都市曳航竜も、真なる竜銀の武器も皆そうなのデス。砂漠に水場を作ることも、模型の中から野菜や肉を持ち出すことも、ある価値観においては禁忌なのデスよ」
「そうだね……」
「この機能を使わずにいるのもいいでしょう。しかし、使えることを知らないのは許されない。我々が向かうのはそんな戦いなのデス」
「うん……まだ覚悟はできてないけど、できることは知らなきゃいけないよね」
「そのために、三年の旅が必要だったのデス」
スウロはふと遠くを見る。模型の中の遠景はどの時代でもあまり変わらない。
何かを見るというより、見ようとすることで大きなものに思いを馳せる仕草だった。
「三年の間、たくさんの町を訪ねて、多くの人々を救いました。私が見るにアトラは善の側にいる。だから模型を持つのデス。世界を変える模型を」
「世界を……」
変える資格が、自分にあるのだろうか。
(それとも……)
誰かが変えねばならなかったのに、誰もそれを引き受けなかったのか。
都市曳航竜たちは何十年も睨み合いを続けて。
新しく生まれた真なる銀を止めるため、魔王が現れた。
世界は変わろうとする力と、変わるまいとする力がせめぎ合っている。
いつか、変える役目を担う誰かを待ち続けている。
「……頑張ろうね、スウロ」
「ええ、まもなく北方に至ります。本当の意味での戦いが始まるのデスよ」
時は流れ往く。
星の赤道にて、鉄を操る竜が終焉を迎えた。
消滅を望む竜は敗北し、二頭の竜はアトラの模型の一部となった。
待ち受けるのはさらなる戦いだろうか。
禁忌をたやすく踏み越え、摂理を苦もなく捻じ曲げる超越者たち。
嵐の予感が訪れる中で、模型の世界は美しかった。
人々は慎ましく勤勉で、確固たる豊かさがあった。
(世界を変える銀が、世界を滅ぼす……)
では、変わらなければ幸福なのだろうか。
自由がなければ豊かなのだろうか。
模型のように。
いつかは枠組みを超える知性を、人間たちを、模型に閉じ込めるべきなのだろうか。
アトラはずっと考え続ける。
模型の意味を。世界の意味を。




