第六十五話 終末の蛹
「あの死骸の中に何かあるの?」
「その後ろ。都市を引きずっている。バルアルブの加護を失っているから姿が見える」
死骸を回り込んで反対側へ。そこには四角い箱のようなものがある。納屋を二つ並べたような細長い形状。それが鎖で連結されていくつか。
「これ馬車?」
「列車というもの。箱型の居住空間を曳いている。バルアルブの曳く都市にはおよそ600人ほどが居住していた」
「600人? けっこういるね、そんなに入るかな……?」
「待つデス。アトラに何を見せるつもりデスか」
「見せないまま旅をさせることは、より残酷なこと」
スウロには何か心当たりがあるようだ。アトラは二人の顔を交互に見てから頷く。
「スウロ、僕なら大丈夫。見ておくべきって気がするし」
「……アトラ、私もいろいろな風聞で聞いています。その噂の半分ほどでも正しいなら、あなたが見るのは我々の常識とはかけ離れた物。何を見たとしても、それは一種の絵空事だと思うのデス。けして我々の世界と地続きなものではないと」
「……うん」
箱は黒一色であり、鉄ではない金属でできていた。窓はなく、入り口らしき四角い穴は溶接されている。内部からは何の音もしない。人の気配だけがかすかにある。
「入り口が潰されてるよ」
「マニカロルカで開ける」
白い槍の穂先。柄と一体化している波打つ刀身。それが音もなく金属を斬る。やはり途轍もなく鋭利な刃を持つようだ。
「大きな音を立てずに」
「うん」
二人は車体に入っていく。
そして数分後。中からまろび出てきたのはアトラだった。
「ぐっ……! う、げっ……!」
顎から下が反吐の色に染まっている。よろめきながら鉄の上に両手足をつき、さらに何度も嘔吐の衝動に襲われる。
「アトラ!」
駆け寄るのはスウロ。アトラの顔は真っ青になっている。
「しっかりするデス。見たもののことは忘れるデス」
「おいおい……何があるってんだよ」
ピアナは興味を惹かれるものの、興味だけで見ていいものではない気がした。
ミネアリスが車体から降りてきて、アトラは彼女に向かって言う。
「な、何なんだよあれ……ひ、人が、あんな、あんな姿に、く、腐って、み、みんな、笑って……」
「透蠕竜バルアルブ、この世のすべての醜さと悪徳を詰め込んだ竜。それは曳航する都市も同じこと。この悪臭は都市から流れ出ている」
ミネアリスは動じていない。バルアルブの曳く都市のことは知っていたのか、それとも人間とは異なる精神性を持つのか。
「快楽とは苦痛を水で薄めたもの、という言葉がある。あの都市ではそれは言葉通りの意味だった。あの都市が極め尽くしたのは苦痛。痛みや病が何よりの娯楽。失うこと、変形すること、取り返しがつかないこと、そして最後には何もかもを壊し、世界から完全に消え去ることが唯一の目的。それが最大の絶頂」
「い、異常だよ、そんなこと」
「向こうから見れば、我々のほうが異常」
ミネアリスは冷然と告げる。その目に感情の揺らぎはない。
「都市曳航竜とは人の行き着く姿。さまざまな考え方を持った都市が、竜という絶対的な力に守られて争っている。最後には唯一の価値観が生き残る。それが真なる竜銀を与えられた者の使命」
「……あ、あんな考え方を持った人が、集まったって言うの?」
「竜と、その曳航する都市は互いに影響しあっている。どの都市も長い年月の間に個性を持ち、一つの統一された意思を持つようになった」
つまり、都市曳航竜とは一つの国。
異なる文化、異なる考え方を持った国であり、民族。
しかし、竜の力のゆえか、本来の国家よりもその考え方の差はずっと極端で、その差異は埋めがたいのか。アトラはかろうじて、そのように理解する。
「模型の使い手アトラ、旅を続けるならいずれまた会える、その日まで模型を失うこと無きよう」
白い槍が一瞬で地平線の彼方まで伸び。
そして次の瞬間、もうミネアリスという人物の影も形もない。
「……くそっ」
アトラは涙を流していた。
だがそれは制御された涙だった。バルアルブに曳航されていた人々、あのおぞましさの記憶を、北方での戦いのやるせなさ、あらゆる感情を涙に変えて排出しようとする意志があった。
「……スウロ。黒薔薇竜デアノルドはどうするの」
「北方への旅を手助けしてもらうつもりデス。鉄の加護があれば、他の都市曳航竜とも戦えます」
「だめだよ……」
アトラは言う。
その言葉は、何となくこの場の必然であるような気がした。おそらくはスウロやピアナにとっても。
「この竜は連れていけない。これだけの土地を鉄に変える力なんて恐ろしすぎる。星そのものが、取り返しのつかないことになる」
「……それはそうデスね」
「何より、この竜は都市を曳いていない。守るべき人間を持ってない。都市曳航竜の戦いに加わる資格を持ってないんだよ」
足元には薔薇の花。
一瞬そのように見えるだけで、実際はねじれた鉄のワイヤーに過ぎない。あちこちから雑音のように生えている。何かの限界を示すかのように。
「アトラ、ごめんなさい」
スウロの声が悲哀を帯びる。
「本当は私がそれを言うべきでした。でもできなかった。私はローズオルトに殉じる存在だから。こんな、誰もいない国であっても、守るもののいない竜であっても私から手放すとは言えなかった」
「スウロ、黒薔薇竜デアノルドの力を模型に組み込むことはできないの」
「可能デス」
それもまた必然のような言葉だった。スウロはどこかの時点からそれを想定していたような気もする。
いつからなのかは、誰も問うものはない。
「黒薔薇竜デアノルドの奥深く。機構の中枢である金属の塊があるのデス。それを取り出します」
スウロが腕を振る。すると、巨人の右目から何か光るものが落ちた。
寸胴の機械が飛び出してくる。宙を舞う手が落ちてくる輝きをつかまえる。
アトラたちの前に示されるのは銀色の塊。金属とも液体ともつかない質感。水銀の塊のようにも見える。
アトラの持つ模型の胴部と似ているが、その銀色はくすんで見えた。
「スウロ、これって……」
「私にもわかりません」
スウロは頭を振る。本当に分からないことを申し訳なく思う動作だった。
「ただ、このようなものがあると思っていました。修理機械に探させていたのデス。やはりありました」
「どういうこったい?」
ピアナの問いかけに、スウロは深く目を伏せる。
「模型デス。模型の中で科学が進めば、いつか黒薔薇竜デアノルドと同じものを生み出すと思っていました。しかしできなかった。黒薔薇竜デアノルドもまた、この世界の科学では説明のつかない存在だったのデス」
「つまり……この銀は、真なる竜銀と同じってことかい」
「そうデス。科学ではない何か。世界の枠を超える物体なのデス。おそらく模型に組み込めるはず。さあアトラ、この土地に長居はできません。早くバルアルブの中の銀を探すのデス」
「うん……」
アトラはそのあたりに転がっていた鉄の棒を拾い、体液に覆われた竜の死骸をかき分ける。
人の生み出した力と、魔王は同質のもの。
何となくそんな気はしていた。黒薔薇竜デアノルドの力はとても常識的なものとは思えない。
問題は、なぜ似ているのか。
それは、魔王が現れた理由に関係している気がする。
横に大柄な人物が並ぶ。ピアナも自分の槍で竜の死骸を漁る。
「ピアナ、槍が汚れちゃうよ」
「んなもん洗えばいいんだよ。スウロ、あんたは模型の中で風呂でも確保しといてくれ。「街」の宿には泊まれるんだろ」
「分かったデス。二人とも、まだ敵がいないとも限らないデスから、気を付けて……」
「ああ、ミネアリスのやつまだ見張ってるぜ。しばらく様子を見てから引き上げるつもりだろうな」
「そうなの? あんなにスパッと帰ったのに」
「いろいろ使命があんだろうよ。そういうもんなんだ、気づかないフリしといてやれ」
「別に気づいてなかったけど……」
竜の死骸に棒を、槍を突き立てる。
それはみっともない行為に思えた。なぜ竜銀が自分から現れてくれないのかとも思った。
超常の者たちの戦いの中にも、人間くさい、泥臭い部分があると感じた。
だがその浅ましく、汚らしくも思える部分が、何かの慰めになるような気もしてーー。
※
※
※
北方。
それは都市の残骸。
あらゆる平地を、山地を、谷あいを、海沿いのすべてを埋め尽くすような巨大建築群。
そのほとんどは朽ち果てて、擦り切れて、スポンジのように穴だらけになった姿を晒している。
何も生み出さず、実ることのない灰色の街。
ある場所には人の姿がある
周囲のビルから切り出してきた石材と、ふぞろいな金属板で組んだ家、そんなものが並ぶ。人の姿はまばらであり、何をするでもなく日陰に寝そべっている。
煮炊きをする機械、洗濯をする機械などがある。一箇所に固められ、この場の百人あまりの生活を支えているようだ。
そのささやかな街の広場に、人の姿が。
一人は長身の女性。全身鎧に身を包み、大剣を背負っている。古代の彫像のように隙がなく、腕を組む姿には厳しさがある。
「メフィス、キャンプを増やす計画はどうなったのだ」
「無理を言うもんじゃないさ、フィラルディア」
答えるのは美青年。時代がかった夜会服に身を包み、胸元を白いハンカチーフで飾った男。目にかかった金髪と長い睫毛に女性的な美しさがある。
腰には杖。白一色の短い杖をさしている。
「資源が足りてないのもあるが、竜冠国の竜たちは勢いを増すばかりだ。いつ襲われるともしれない中で、土地を切り開いて街を作ろうなんて無茶なのさ」
「南方の開拓については」
「見通しは暗いね。南方も食料は足りてないし、水場も増えるどころか枯れてきている。それに限られた資源を巡って、街と街の間で対立も起きてる」
「練兵は順調だ」
低い声が響く。それは身の丈3メートルに達するほどの大男だった。迷彩柄のズボンだけを履いており、顔を除いて類人猿のような体毛で覆われている。腕が非常に長く、人間の頭ほどもある拳が地面すれすれの位置にあった。
その右拳が小手に覆われている。銀色に光る金属塊のような小手である。
「フィラルディア、お前が推薦を上げていたドリーだが、目覚ましい成績を上げている。やがては真なる銀の武具を持つだろう」
「へえ、本当かいジカーゴ。ドリーという子は目が見えないと聞いてるけど?」
「まったく問題はない。それに、銀の武具で視力を補うことも可能だろう」
「ジカーゴ、彼を評価してくれて感謝する。それと虚無の帯に行っていたミネアリスは」
「私なら戻ってる」
現れるのは白一色の女性。白い槍を背負い、男女の輪に加わる。これで4人となる。
「報告がある。透蠕竜バルアルブが討たれた。そして黒薔薇竜デアノルドも活動を止めた」
「討たれた……?」
「不思議な模型を持つ少年と、その仲間たちにより倒された。あの模型はおそらく真なる竜銀の器物」
「何だって、それはそれは」
美青年、メフィスが苦笑を漏らすように言う。
「南方に逃げていた都市曳航竜が回収されたかな。それとも新たな魔王の血肉が生まれたのか? それで? なぜその模型を回収しなかったんだい、ミネアリス」
「予定にない戦いは行わない」
「その少年というのは」
ジカーゴが口を開く。
「我らの同志になれるだろうか」
「分からない、可能性はある」
「その少年の名はアトラか」
フィラルディアの言葉に、ミネアリスは首をかしげる。
「知り合いか」
「南方で出会った少年だ。そのことについて話す時期が来たようだな」
「ちょっと待ってくれよフィラルディア。君は南方でその少年に会ってたのかい? 真なる竜銀の器物を持っていたのに見逃したと?」
メフィスは非難気味に言うが、フィラルディアは視線を向けることもない。
「我らが目指すことは真なる竜銀の独占ではない」
力を乗せた言葉。その場の人間は様々な面持ちでそれを受け止める。
「世界の道筋を示すことだ。私はあの模型と、アトラという少年に可能性を感じた。だから模型を奪わなかった」
「聞こう、フィラルディア」
ジカーゴが言う。
「「勇者」であるお前の判断は尊重されるべきだ。お前が認めたという少年ならば、その人物像について聞いておきたい」
「分かった。あれは世界の南限の街、バターライダーでのことだが……」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
メフィスが口を挟む。
「長い話になりそうだ……謹んで傾聴させて頂くが、その前に一つ、報告がある」
「何だ」
メフィスはその美しい金髪をかるく掻き、口元にやるせなさを浮かべる。
「実は、我々が確保していた都市曳航竜、「サソリ」と「亀」についてだが」
そして腰にさした杖を撫でつつ、言った。
「どうやら、拠点から消えたようだ」




