第六十三話 黒薔薇の記憶
思っていた通り、壁には人が通れる程度の隙間があった。
するりと潜り込めば、目の前には巨人。
腕が七本か八本はある、老人のような巨人である。その指先はワイヤーを束ねたようなものに変化し、だらりと垂れ下がって鉄の地面に吸い込まれている。
「黒薔薇竜デアノルドかあ。バターライダーでは亀だとか蛾だとか見たけど、人型ってのもいるんだなあ」
砂漠をうろつく竜には爬虫類に近いものが多い。熱暑の砂漠では体毛が必要なく、砂地で歩きやすいように四本脚が望ましいから、というのは南方での通説である。
「スウロ、いるの?」
アトラが呼びかける。声は返らず、巨人は動かない。先刻までは天変地異のような騒ぎであったのに、今はまた静まり返っている。この街では自然に生まれる環境音というものがあまりにも少ない。
「模型で探すか……遷移、「写し」」
倍率を高めに。中央に巨人がいて、周囲を防壁が囲む模型が出現。
「あれ、いない」
周囲には建物はない。黒薔薇竜デアノルドは機械と言っていたから、中にいるのだろうか。
「透過、一階層ずつ」
巨人の骨が見えたりはしなかった。巨人はひとかたまりの物体と見なされるらしく、いきなり消えて地下が現れる。
スウロは地下にいた。複数の部屋を持つ地下空間があり、そこに黒衣の人形があったのだ。
「うーん、模型に飛び込むわけにいかないよな……入り口はどこかな」
模型上では見つからない。機械的な仕掛けで閉じてしまったようだ。仕方なくアトラは模型に穴を開ける。すぐそばの鉄板にも同様に穴が空いた。断面には皮膜のあるケーブル類が見えて、それらがばちばちと火花を上げる。あまり気にせずにその穴に入る。
「よいしょっと。スウロは向こうの方だったな。真上に穴を開けると驚くだろうからちょっと離したけど……」
ふと気づく。周囲が鉄ではない。
石を積み上げた壁である。それだけでなく壁は黒い布飾りで装飾され、同じく黒の絨毯が伸びている。竜銀のカンテラをかざせば、あたりは古城の回廊のようだ。絵画や壺なども飾られている。
「……お城?」
少し歩くと広間があった。騎士の鎧が並び、黒薔薇を図案化したような旗もある。燭台がずらりと並んでおり、ステンドグラスもある。そして広間の端は一段高くなっており、黒を基調とした玉座が。
「やっぱりお城だ。そっか。この街ってもともと薔薇の頂の首都だったんだよね」
タペストリが目に留まる。縦長であり、物語を表現するような絵が織られている。
カンテラをかざす。劣化防止のワックスが塗られており、光量の強いカンテラを当てると反射光がまぶしい。額にあてていた防眩ゴーグルを久々にかける。
一つは喝采を受ける王。
玉座に王が座り、その周囲には鎧の騎士。大勢の民衆がその前に集まり、黄金や花を投げて祝福の言葉を述べるかに見える。
一つは天を突くような巨人。
黒一色で描かれた巨人。彼の周囲に角柱状の物体がそびえ立ち、剣と槍を持った騎士隊が巨人を守るように進軍する。
一つは天に浮かぶ球体。
王が剣を振り上げ、王を囲む騎士隊は槍を振り上げている。その頭上には球体。幾何学的な紋様の刻まれた球体が浮かんでいる。球体を中心に放射状の光が描かれている。
一つは巨獣を引き連れた人物。
ボロ布をまとった、男とも女ともつかない人物。彼の歩くあとには怪物たち。天に届くほどの異形の獣が何体もいて、黒薔薇の旗を掲げる都市に迫ろうとしている。
「これ……お話だなあ。獣を引き連れてるのが魔王だよね。それがローズオルトに攻め込んできて、巨人……つまり黒薔薇竜デアノルドと戦ったってことかな」
意味が読み取れないのは空に浮かぶ球体である。かなり抽象化されているが、とても大きなものに思える。王と騎士隊が武器を振り上げているから、やはり魔王なのだろうか。
魔王が乗ってきた乗り物、と解釈できそうだが、正しいかは分からない。
「あ、それどころじゃなかった、スウロと合流しないと」
模型を両手で抱える。スウロらしき人形はさらに奥にいるようだ。
回廊を奥へ。先ほどの広間が謁見の間だとすると、ここは王の個人的な空間のように思えた。いくつかの部屋があり、いずれにも豪華な家具がある。通路も広々としており、窓の外は真っ暗というより真っ黒で、どうやら鉄で埋まっているらしい。
「おかしいな、地下なのに窓がある。もしかして、もともと地上にあった城を丸ごと埋めたのかな。鉄を操る巨人ならできそうだけど」
「アトラ、こっちデス」
スウロの声がした、気持ち小走りになる。
スウロは一番奥の部屋にいた。大きな部屋であり、中央には円筒形の物体がある。それは柱のように天井まで伸びる、いや、天井を突き抜けて鉄板の中に潜っている。
そして宙に浮かぶ手。一体の修理用ロボットが柱に張り付いている。
「スウロ、何これ」
「黒薔薇竜デアノルドの心臓部デスよ」
柱には小さな扉がついていた。宙に浮かぶ手が、扉の中から針金のようなものを大量に引っ張り出している。
「修理してるの? 直ってたんじゃないの?」
「デアノルドはいま自律モードで動いてるデス。我々の操縦で動かせるように改造できないか試しているのデス」
寸胴型のロボットが針金に触れると、ぱちぱちと火花が散る。ロボットの背面にはガラス窓のようなものがあり、大量の文字が滝のように流れていた。
「スウロ、街にいる透明な竜のことが分かったんだ、模型とデアノルドがいれば倒せるかも」
「そうデスか……」
「透明な蛆虫らしいんだ。何でも食べて消滅させるらしい。居場所は模型を使えば割り出せると思うけど、どうやって倒すかが問題だよね。いくつか考えてるけど」
「じっくり考えるデスよ」
「それと鉄錆の国の戦士もいたんだ、すごい槍を持ってて、街を持ち上げて」
スウロの肩を掴む。
「どうしたのスウロ」
「少し悩んでいるのデス。黒薔薇竜デアノルドを解き放つべきか」
スウロは真上を見る。アトラは何となくの感覚で分かった。この部屋は巨人のちょうど真下に位置する。
「デアノルドはとても強い竜デス。世界を滅ぼしかねないほど強い。そんなものを我々に扱う資格があるのかどうか」
スウロは疲れているように見えた。
それはここ数日、少しずつ蓄積してきた疲れだった。彼女の歩んできた長い旅を振り返り、背負っていた荷物の数を数え直すような。自分自身というものを観察することの疲れであった。
「アトラ、あっちの部屋にあったタペストリを見ましたか」
「うん」
「あれについて説明しておきましょう」
スウロは、そっとアトラの手をつかんで先導する。スウロからアトラの手を握ったことはなく、そのような所作は彼女が普段の状態ではないことを思わせた。
「超大国ローズオルトは数千年の繁栄を誇っていた。それは話したデスね」
「うん」
玉座の間に至る。
「しかし繁栄を極めても、竜の脅威はなかなか消えなかった。やがて生み出されたのが黒薔薇竜デアノルドなのデス。デアノルドは鉄の砂漠を生み出し、野良の竜も敵国も、どんなものも接近できない街を作ったのデス」
移動し、別のタペストリの前に。球体が描かれたものだ。
「あるとき魔王が出現しました。球体の乗り物を操り、ローズオルト上空に現れたのデス」
「戦いになったの?」
「そのようデス。私が聞いたところによれば、ローズオルトと魔王はどちらも世界に覇を唱えんとした。衝突は必然だったそうデス」
巨獣を引き連れた人物のタペストリに移動。時系列としてはこれが最後になるようだ。
「そして魔王は都市曳航竜を生み出し、人類との百年の戦いを始めた、そういう絵なのデス。さてアトラ」
「なに?」
「今までの話の中で、一つおかしなところがあるデスね」
「え、そうだっけ」
「そうデスよ。超大国ローズオルトは数千年の繁栄を誇っていたという部分デス。もし、こんな鉄砂漠が数千年も存在していたなら、それは星の誰もが知る常識であるはずデス」
「あ、そうか」
そうかと答えたものの、アトラは内心で首をひねる。
確かにアトラは鉄砂漠のことを知らなかった。だがそれはアトラが南方の人間であり、世界の南限たるバターライダーの出身であり、この時代では政府とか国王という言葉がとても遠いからではないか、そのように説明できる気もする。
「タペストリに織られているのは歴史。私が北方で学んだ歴史ではありますが、必ずしも真実を伝えているとは限らないのデス。……それを踏まえて、言っておくことがあるのデス」
スウロの声からは陽気さが減じている。表情は段々とかげっており、重々しい雰囲気が生まれる。今の講義は、これから話すことの前段階であったようだ。
「私たちは王の勅命を受けた魔法使いだったのデス」
スウロはそのへんの段差に腰掛ける。それは何だか物寂しい所作だった。重力に耐えられなくなったかのようだ。
「私のほかに何人かいました。我々は王により使命を授けられた存在デス。世界のあらゆる場所を尋ね、悪徳を重ねる領主を断罪せよ、乱れた世界を正せ、荒くれ者たちを罰せよ、そのように命じられていたのデス」
そのような告白を聞くのは初めてだった。アトラはスウロの隣に座る。
「すごいじゃない。なんかカッコいいよ。物語の本に出てくる正義の味方みたい」
「そうデス。我らは内心の正義に従って悪を誅する者でした。それは一種の理想デス。内心の正義を行うことと、社会制度としての制裁が等しくあればいい、誰しもそう考える瞬間があるものデス。思うままに正義を行い、それが国家の意思と等しいなら、どれほど素晴らしいでしょう」
アトラは少し身構える。スウロは華々しい話をしているようで、その声に震えが、わずかな危うい響きが混ざっていたからだ。
「私は北方、薔薇竜ロノノルドの背に生まれました。そこには古風な街があり、魔法使いの養成所もあった。私はそこで竜銀の魔法を学んだのデス」
「世直しの事業みたいなことなんだよね」
「そう思うデスか?」
アトラを見る。間近から覗き込むその目は透明だった。無数の感情をいっとき脇において、スウロ自身の少女性のようなものが出ている瞳。
「私もそう思いたいデス。多くの街を渡り歩いて、悪行を働く人々を罰してきました。それは正しいと今でも思っています。けれど」
「……けれど?」
「もし違っていたら、そう考える日もあるのデス。特に、悪徳なる領主を殺そうとする日や、古い竜を我が物にしようとするような日には」
また上を見上げる。天井のさらに上には鉄の大地があり、黒薔薇の竜がいる。何千万トンという重量の下に二人はいる。
「違っていたらって、どう違うの?」
「……アトラ。どれほど屈強な人物でも、聡明で誠実な人物でも、自分の人生がすべて間違っていたら、という仮定を想像するのは大変なことなのデス。その仮定を口にすることも、本来は禁忌なのデスが」
スウロは、話しながら決意を固めるかのようだった。
場の勢いではなく、話すことが必然であると。これまで何年も旅をしてきたアトラには、それを聞く権利と義務があるのだと。
「我々は、王がいまだ健在であるとする楔ではないか、そう感じる時があります」
「楔?」
「そうデス。王のために働く存在がいるなら、王国はまだ滅びていない。王は永遠不滅であり、この世界は本来は王のものである、我々がその証拠である。しかしそれは」
沈黙。スウロの舌が言葉を探す数秒。
「それは益体もない話……。傲慢で貪欲、世界は俺のものだと叫ぶためだけに、世界に対する刺客を解き放つ行為。そうだとすれば私のやってきたことはまるで私刑。とっくに滅びた王国の名をかたり、ありもしない威光を背負った、救いようのない人生……」
「スウロ、その想像はひどいよ……」
「そうデスね、言い過ぎました」
吐息をつき、笑ってみせる。
その笑いは普段と変わりなく見えて、普段と変わらないことが、なぜか悲しかった。
「少なくとも私とアトラの行いで救われた人もいる。命が助かった人もいます。そのことは誇ってもいいでしょう。そこに使命とか大義とかを求めるのは、本来は野暮なことかも知れないデス」
「うん、そうだよ。スウロは立派な人だし、王国だってまだ存在してるんでしょ、何も疑うことないよ」
「そうデスね。アトラにそう言ってもらえると救われます」
スウロは腰を上げる。
「そろそろ作業が終わってるかも知れません、見に行くデスよ」
「うん、それとスウロも考えてよ。上にいる竜は透明な蛆虫らしくて……」
アトラは、今の一幕を考えていた。
超大国ローズオルト。
数千年の繁栄。
黒薔薇竜デアノルド。
鉄砂漠。
魔王の出現。
百年の戦い。
スウロ。
一貫しているような気もするが、不自然さがあるような気もする。
(……黒薔薇竜デアノルド)
(魔王から真なる竜銀を奪い、人類側の都市曳航竜を生み出すきっかけを作った)
(そんな事がありえるの?)
そして浮かぶ、一つの名前。
(レンナに)
アトラの首筋を、その名が這い登るのを止められない。
(レンナに聞けば、分かるかもしれない)
(この星に何があったのか)
(何が、正しいのか……)




